2024年7月31日

知的障害のある小児性愛者

タイトルを読んで今日の記事は重い内容かもしれないと思った方は、その通りでございますので、読まない方が良いと思う皆さんは、どうぞここをクリックしてお帰りください。

今日も私のブログを読みに来てくださってありがとうございました。

さて…

大学院で心理学を学んでいるうちの娘が、7月からは司法精神医療施設で研修をしていることは何度か書きましたが、詳しいことは「知的障害のある性犯罪者」を読んでいただくとして。

研修をしている司法精神医療施設というのは、刑事司法制度に関わる事件を起こした人々の中で精神障害や重篤なメンタルヘルスの問題がある人達にサポートと治療を提供しているところなんですが、その施設に入っているのはほとんどが性犯罪者らしいんです。

入所している犯罪者の数は多くありません。その限られた人数の性犯罪者に治療を受けさせて社会復帰の支援を行うために莫大な税金が使われているという話は「知的障害のある性犯罪者」という記事に書いたんですが。

うちの娘は、犯罪者の精神鑑定およびカウンセリングをやっているそうですが、とても疲れる仕事のようです。自分のストレス対策として誰かに話をする必要を感じると家に電話をして来るんですけど、昨日は相当ストレスがたまったようです。

昨日カウンセリングをしたのは、幼児に性的暴行を加えて逮捕された小児性愛者なんだそうです。21歳の若者です。知的障害があります。自閉症スペクトラム障害があり、強い関心とこだわりを持っている対象が幼児なんだそうです。

このこだわりが思春期に性欲と結びついたのでしょう。初めて幼児を襲ったのは17歳の時だそうです。自分のしたことが悪いことだとは理解していません。

自閉症スペクトラム障害の人の「こだわり行動」というのは障害の特性によるもので、こだわりの対象への非常に強い欲求が現れると聞きますけど、本人は自分の意思でコントロールできずにやってしまうことがあるわけでしょ?

その「こだわり行動」が幼児と性行為を行うことだとすれば、それは完全に止めさせなくてはいけませんが、なぜ止めなければいけないのかが理解できない人にどうアプローチすれば良いのか、そもそも障害の特性として現れている欲求を止めさせることができるのか。

この司法精神医療施設での治療とリハビリを終えて、社会に出て数時間のうちに子供に性的暴行を加えた人もいるそうですよ。

正直言って、上記の若者のような人は社会に出してもらっては困りますよ。危険過ぎます。お気の毒ですが、ずっと施設にいてもらうしかないんじゃあないんですか?他にどういう方法があると言うんですか。


性犯罪者の再犯を防止するための取り組みとしては、性犯罪者登録とか刑期を終えて社会に出て来てから位置情報をGPSで常時監視するというのがありますよね。

再犯の確率が高くて社会に出すことが危険だから監視するんでしょ?位置情報のGPS監視をおこなっても犯罪を繰り返す人は多いですよ。

そういう性犯罪者に対して、強制的な科学的去勢を義務付けている国もあります。「去勢」と聞くと何やら恐ろしいことのように思うかもしれませんけど、薬によって性衝動を抑える薬物治療です。オーストラリアも日本も強制的な去勢を認めていません。

性犯罪者への強制的な去勢に関しては意見が分かれるところです。人権上の理由で反対する人も多いですけど、性犯罪者の人権を尊重する一方で子供達が被害に遭っているんですよ。

市民の安全のためには、特に子供達の安全のためには、強制的な去勢が必要な犯罪者もいると私は思いますよ。

上記の知的障害のある若者ですけどね、科学的去勢(薬物治療)がこの人に効果があるのかどうかは私には分かりませんが、それ以外にこの若者の再犯を防止するために何が出来るんでしょうか。

隔離し続ける以外に出来ることと言えば、社会復帰のために「こだわり行動」を完全に止めさせる治療を続けることですか?莫大な税金を使って。

施設から社会に出て数時間のうちに子供を襲った人というのはね、そうして何年もかけて治療を受けて、もう大丈夫だろうと判断された人ですよ。

言っておきますが、8割の人達は治療とリハビリのお陰で社会復帰してから再犯もなく普通に真面目に暮らしているそうです。2割が再犯しているということですけど、そういう人達には強制的な薬物治療が必要なんじゃあないかということです。

それをしないのなら隔離ですよ。そういう人達を社会に出してもらっては困ります。


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2024年7月30日

臓器や組織のドナー登録

先日「頭に来て当然ですよね」という記事で書いたイベントに、昨日行って来ました。

うちの夫が、昨年「Australian and New Zealand Paired Kidney Exchange (ANZKX) Program」という生体腎臓移植プログラムに参加して腎臓を一つ提供したという話は、このブログでも繰り返し書いてきましたからご存知の皆さんも多いと思いますけど。

このプログラムの中心になっているオースティン病院というのがあるんですが、その病院が「ResearchFest」というイベントを毎年主催しているそうです。そのオープニングとなるイベントで、臓器移植に関するプレゼンテーションがあるというのでうちの夫が招待されたんですよ。

ゲストを1人連れて来て良いということだったので、夫は自分の弟を誘ったんです。だから「なんで私を誘わないの!」と頭に来たわけですけど、ゲストを2人連れて来ても良いと言われたそうなので、私も行ったんです。

イベントはオースティン病院内にあるホールで行われました。参加者はほとんどが医療関係者でしたよ。

プレゼンテーションをされたのは、肝臓移植の専門医でした。摘出した肝臓の機械による保存という最新の技術とその研究結果などを話されました。

腎臓にしても肝臓にしても、臓器の移植には健康な人から提供を受けて行う生体移植と、脳死の人や心臓が止まった人から提供を受けて行う移植があります。

十分な術前検査や準備が行える生体移植に比べ、脳死や心臓が止まった人からの移植には「時間」という問題があるわけです。提供された臓器を機能的な状態に保存できる時間に限度があるからです。

肝臓の場合は、保存時間は12時間が限界だそうです。提供された肝臓は氷で冷やしながらクーラーボックスに入れられて慌ただしく運ばれるのがこれまでは一般的でした。

氷で冷やせば肝臓の組織が損傷しないとわけではなく、損傷を遅らせたり抑えたり出来るというだけです。また、摘出した肝臓を冷やしたり移植の前に再び温めたりと温度を変化させると組織の損傷を促進することになるそうです。

12時間というリミットのために、肝臓の提供者と距離的に離れ過ぎている患者には移植は行えません。また、提供者には50歳以下という年齢の条件もあるそうです。

そこで、最近行われるようになっているのが、機械を使って肝臓を通常の体温や圧力に保ちながら酸素を含んだ血液や薬剤等を継続的にかん流させて、組織の損傷を防ぐという方法なんだそうです。

この方法だともっと長く保存出来るので他州にいる患者への移植も可能になったり術前検査を行う時間が出来たりして移植の成功率が上がるし、提供できる人の年齢も70歳まで可能になるんだそうです。

つまり、より多くの患者さんに移植を受けるチャンスが生まれるということです。

研究結果の内容とかは専門的過ぎて私には理解出来ませんでしたが、プレゼンテーションの後、肝臓の移植を受けたお二人を含むパネルのディスカッションがありました。お二人とも元患者さんとはとても思えないほどお元気そうでしたが、移植手術前は死を覚悟しておられたほど重い症状だったそうです。



もしも、あなたが不幸にも交通事故や脳卒中などで亡くなった時、あなたの臓器や組織が他の誰かの命を救います。組織とは皮膚、骨、血管、角膜、心臓弁などの様々な身体や臓器の一部です。

皆さん、ぜひこの機会に、

臓器や組織の提供について家族と話し合ってみてください。

意思表示の方法はいろいろあります。日本にいらっしゃる皆さんは、厚生労働省のサイトをお読みになると意思表示の方法やドナーとして登録する方法などが書かれています。

オーストラリアでも様々な方法で登録しておくことができます。オンラインで簡単に出来ますし、気持ちが変わったら変更も簡単です。

自分の意思を家族に知らせておくことも大事ですよ。

うちの家族は全員、もしもの時には提供するという考えです。私の場合、提供者の年齢基準というのがありますから、臓器の提供は難しくなって来ていますけど、「誰かの役に立つ部分があるなら何でもあげてちょうだい」と家族に伝えてあります。

すぐに結論は出せなくても、家族や親しい人達と臓器や組織の提供について話し合ってみるだけでも意味があることだと思います。


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2024年7月29日

韓国料理レストラン

物価が上がり続けているメルボルンですが、レストランやテイクアウェイのお店で売っている食べ物の値段がすごいです。

いつだったか、うちの娘が住んでいたシェアハウスに用事があって夫と一緒に行った時、娘がまだ帰宅していなかったので近所のコーヒーショップでコーヒーを買ったんですけどね。

そこはカフェとかじゃあないんです。コーヒー豆とコーヒーを淹れるための道具を売っている店で、その一角でコーヒーを売っていたんです。お店の外から小さな窓越しに買うんですけど、コーヒーを2つとクッキーを2つ買ったら、代金が17ドルと言われて驚いたことがありますよ。

ごく普通のレストランとかカフェで食事をすると、お料理1品の値段は20ドルから40ドルの間です。家族4人で食事をすると100ドル以下で済むことはありません。

食材や電気ガス料金の値上がりもあるでしょうけどね、オーストラリアは最低賃金が高いので人件費が高くつくはずですから、仕方がないことです。

とにかく、そういう事情ですから最近は滅多にレストランには行かないんですが、土曜日に娘が帰って来て韓国料理が食べたいと言うので、久しぶりに外食することにしました。息子はどういう理由か知りませんが来なかったので、3人で行きました。

行ったのは「Yoon's Kitchen」という韓国料理のお店です。私達が行ったのは、ブラックバーンサウス店(Blackburn South)で、レストランと言うよりも食堂と言った感じの小さなお店です。

うちの娘はメルボルン店で食べたビーフ・ボーン・スープ(牛骨スープ)というのが気に入っていて、それが食べたかったのだそうです。これがそのスープです。写真はオンライン注文サイトから拝借しました。


このスープにご飯がついて23ドルもするんですよ。

出てきたのは、豚骨ラーメンの汁みたいなただの白いスープ。この写真とは全く見た目が違いましたから、お母さんは思わず「具はどうしたの!」と叫びましたよ。

具は汁の下に沈んでいただけでちゃんと入っていたんですが、加熱したから量があんなに少しになっちゃったのか具をケチったのか。メルボルン店で食べたやつは、もっと具が入っていたと娘は言っていました。

私はビーフ・プルコギ・ビビンバ(19.90ドル )を注文。

「味がしない!」「なんだコレ!」と文句を言いながら食べていると、目の前に赤いソースが入った容器が置かれているのに気づきました。甘辛いソースでした。それをかけて自分の好きな味にするのかとやっと気づきました。

ソースをかけたら美味しかったですけど、随分油っぽかったです。


さて、韓国料理があまり好きではないうちの夫ですが、写真つきのメニューをパラパラとやりながら延々と時間がかかっても注文するものが決まりません。薄暗かったので、よく見えなかったのかもしれませんけど。

外食する時に夫が選ぶのはいつも肉です。かたまり肉を煮込んだやつとかステーキとか、とにかく肉です。ところが、メニューにはそういうのがないんですよ。前回来た時には、鶏の唐揚げを頼んでいましたけど。

やっと決めたのは、とんかつのセット(22.90ドル)でした。出て来たとんかつが、メニューに載っていた写真のとんかつよりも大きかったです。思っていたよりもボリュームたっぷりのが来たので、夫は嬉しそうでした。

とんかつソースをたっぷり付けて食べていましたよ。減塩のことを考えるとソースをあまり付けない方が良かったんですけど、とんかつなんて滅多に食べないんですから好きなように食べればいいです。

小さな食堂みたいなお店ですが、前回行った時も今回もお客さんでいっぱいでしたから人気がある店のようです。お客さんのほとんどが韓国人のようでしたよ。皆さん韓国語を話していましたから。

韓国人が食べたくなる韓国料理なんでしょうね。


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2024年7月28日

トラックが売れるかも

突然降って湧いたような話だったのですけど、トラックが我が家から消えました。

まだ「売れた」わけではなくて「売れるかもしれない」という話なのは、その人がしばらく使ってみて気に入ったら買うということになっているからです。

トラックを買うことになるかもしれないのは、うちの娘の親しい友人Lさんで、「アンブローズ尊厳死で逝く」という記事で書いた老犬アンブローズの飼い主だった方です。

この方は臨床心理士なんです。自分のクリニックと病院で心理カウンセリングをされています。通勤にはスクーターバイクを使っておられるそうで、これまで車が必要ではなかったので持っていなかったそうですが、事情があって必要になったんだそうです。

車を買うならトラックを買いたいと思っていたそうですけど、そこのところが私にはよく分かりません。普通車の方がよほど便利だと思うんですけどね、どうしてトラックなの?

とにかく、Lさんから偶然にトラックを買いたいと思っていると聞いたうちの娘が「私のお父さんはほとんど使うことがないトラックを持っている」と言ったら、Lさんがそのトラックを買うことに興味があるとおっしゃったんです。

それを娘から聞いたうちの夫が、トラックを売ることに興味があると言ったら、昨日は土曜日でLさんもうちの娘も夫も皆んなが仕事が休みでしたからね、早速トラックを見に来るということになったんですよ。

ちなみに、Lさんは女性です。私より少し背が高いくらいの小柄な方です。街中のマンションに住んでおられますし、仕事は臨床心理士ですし、トラックが欲しいというのが私には理解できなかったんですけど、お会いして話を聞くとユニークな方だったんです。

木工が趣味なんだそうです。臨床心理士になる前は路面電車の運転手をしていたこともあるそうです。

近いうちに新たに犬を飼う予定で、その犬はセラピー犬にしたいので、本格的なトレーニングを受けさせるんだそうです。そのために車が必要なんだそうですが、田舎の方に引っ越すことを考えているので、車を持つならトラックが良いとずっと思っていたんだそうですよ。

突然Lさんがトラックを見に来るということになったもんですからね、トラックの掃除も片付けも一切したことがなかったうちの夫は、雨が降る中、レインコートを着てトラックの片付けをしていました。

うちの夫が助手席に座って、Lさんは運転の練習に行かれました。帰って来て家の前の道路に並列駐車するのを見ましたが、お上手でしたよ。どうやらトラックの運転は初めてというわけではないようです。

トラックそのものは気に入ったようでしたが、2〜3週間乗ってみて購入するかどうかを決めるそうです。

うちの夫がオファーした値段はなかり安かったですよ。あの値段でトラックを買えるのはお得だと思いますけど、新車のトラックを買う経済力はおありでしょうからね、どうなるか分かりません。

夫のトラックはカーラジオが故障していますし、二人乗りで車内に荷物を置くスペースがありませんから、私なら不便に感じると思うんですけど、荷台に収納ボックスを取り付ければその問題は解決します。

とにかく、トラックは我が家から姿を消しました。

買ってくださるといいですけどね。そうすればもう、私があのトラックを運転して配達や店舗間の商品の移動を手伝わされることもないですから!


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2024年7月27日

美味しいと感じる塩の量

昨日、用事があってリングウッド(Ringwood)の方に行ったので、最近行っていなかったスーパーで食品の買い物をして帰りました。

普段は家から歩いても行ける近くのスーパーで買い物をしますが、昨日行ったのはかつて盲導犬パピーのモリーのトレーニングでよく行っていたスーパーです。

昨年引っ越すまでは頻繁に利用していました。山の中の曲がりくねったでこぼこ道を突っ切って行けばショッピングセンターのスーパーよりも近かったですしね、品揃えが良いので好きだったんです。

コールズ(Coles)というオーストラリア大手スーパーチェーンですが、店によって品揃えは随分違うんですよ。

このスーパーは、店内で巻き寿司を作って売っています。そこのチキンカツを巻いたのが好物なので、久しぶりに買って食べました。

そうしたらもうびっくり!

塩からい!

「味付けを失敗したのか?」と一瞬思いましたけど、おそらく最近の減塩食生活の影響だろうと思いました。

つい先日も、久しぶりにチーズトーストを作って食べたら、いつも買っているチーズなんですけどひどく塩からいと感じたんです。

先週、友人のエクリーさん宅で出されたディップやピザも塩からかったし、買ったサンドイッチ(自分で買ったものではありません)も塩からかったです。入っていたハムのせいでしょう。

塩の味が強すぎて美味しいと感じないのですよ。きっと減塩食生活の影響で味覚が薄い塩味に慣れたんだと思います。


私達人間が健康に生きて行くためには、食べ物からバランスよく栄養素を摂取する必要があるわけですが、身体が必要とするミネラルの一つがナトリウム(Sodium)です。主に塩(塩化ナトリウム)の形で摂取します。塩の40%がナトリウムだそうです。

ナトリウムは細胞の浸透圧を調節し、ミネラルや水分のバランスを保つなどの役割を持っているんだそうですが、少な過ぎても多過ぎても問題ですから、これを腎臓が調整しているんだそうです。

どれだけのナトリウムが必要なのかと思って調べてみましたら、成人が必要とするナトリウムの量は一日あたり0.46〜0.92グラムだそうですよ。中間を取って0.68グラムのナトリウムが必要と考えると、塩に換算すれば1.7グラムです。

それって約小さじ1/4杯なんですよ。

これは私達の食生活から考えると現実的な数字ではありません。食べ物を美味しく食べるために私達は味付けをしますからね、最も使われる調味料が塩です。醤油にしろ味噌にしろケチャップにしろ、全部塩が含まれています。

塩の摂取を一日あたり1.7グラム(小さじ1/4杯)にするのは難しいので、一般的には6グラムくらいまでにしましょうということになっているらしいんですが、それは小さじ1杯です。

うちの夫は腎臓が一つしか無くなっています。生体腎移植プログラムに参加して提供したから一つしか無いわけですが、高血圧、たんぱく尿、脚のむくみといった症状が出たので腎臓がSOSを発している判断しました。

夫のような場合は、塩の摂取は必要最低限に抑えるべきなのでしょうが、一日あたり1.7グラム(小さじ1/4杯)は難しいので、オーストラリア保健省のウェブサイトで推奨されていた3.75グラムを目標にしたわけなんです。

3.75グラムの塩は約小さじ半分、醤油だと大さじ1杯です。一日の合計がです。

かなり難しいと最初は思ったんですよ。白ご飯とおかずと味噌汁という和食だと一食で超えてしまう可能性が大きいですからね。でも、やってみると料理の選択次第ではそんなに難しいことではないと分かりました。

例えば、昨夜のご飯はハンバーグと蒸し野菜だったんですが、ハンバーグ4人分に小さじ半分の塩を使いました。蒸し野菜にかけたホワイトソースに塩をひとつまみ入れました。これで、一人分の塩の摂取量は小さじ1/8杯ほどです。

朝ご飯はポリッジ(オーツ麦のミルク粥)ですから塩はゼロ。夫はお昼ご飯には晩ご飯の残りを持って行きましたが、あれで小さじ1/4杯くらいと考えると、一日の摂取量は小さじ半分も行っていないんです。

毎日こういう調子ですからね、味覚が薄い塩味に慣れて何でもかんでも塩からく感じるようになったんだと思います。

夫の血圧は完全に正常値になりましたし、脚のむくみも無くなりました。もう蛋白尿は出ていないだろうと思います。

時々普通に味付けされた物を食べて塩から過ぎると感じることがあるわけですが、気になるほど塩からい場合はたくさん食べないようにするとか他の物を食べれば良いんですから、対応できます。

私達はこれからもずっと減塩食生活を続けていくつもりです。というか、夫の腎臓のことがありますから続けるしかないんですが、何だかもう慣れちゃってね、薄味で我慢をしているという意識はないんですよ。


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2024年7月26日

結局売れなかったあの家

うちの夫の父親が2年前の8月に売りに出して、ずーっと売れていなかった家が、値下げしたおかげでついに売れたという記事を書いたのは今年の5月のこと。

その家の敷地は31エーカーもあるんですが(1エーカーは約1,200坪)、自然保護のためにその土地を住宅地や農地に開発してはいけないという法律があるので何も出来ません。

ただ広いだけの草と木だけの土地なんですけど、売りに出した以上は見た目を良くする必要がありましたから、うちの夫が息子に手伝ってもらって仕事が休みの日に草刈りや倒れた木の片付けなどのメンテナンスをしに行っていたんです。片道1時間もかかります。

ところがなかなか売れなくてね、その間も草は伸び続けるし木は倒れ続けるしでメンテナンスの仕事は続き、やっと買い手が見つかるまでに1年9ヶ月もかかったわけですよ。

その間、トラクター型草刈り機は故障し続けるから修理費用もかさみましたし、倒れた木の根っこから泥を取り除くためだという高圧洗浄機とかサーフェスクリーナーという大きなブラシを回転させてコンクリートなどを磨くポリッシャーとか(何のため?)を買いましたからね。

生活費を稼ぐためのアルバイトだとか何とか言っていたけど、稼いだお金をそういうものに使ってしまったわけですよ、ホントにもう!

とにかくまあやっと買い手が見つかったのです。その人は家を売りに出した時に一番最初に買いたいと申し出た人でした。その人にとっては、自分の仕事やライフスタイルに最適の物件だったそうですが、手が届かない価格だったのです。

値下げしたことを知ってすぐに購入を決めたそうです。その人が現在住んでいる家が売れ次第代金を支払うという売買契約書にもサインしたと聞いていました。

これで、うちの夫がメンテナンスに行く必要はなくなったのですから、トラクター型草刈り機も高圧洗浄機もサーフェスクリーナーもトラックも早く売って欲しいと私は願い続けて来たわけですが。

その家が再び売りに出されることになったんです!

買い手の方が現在住んでいる家が売れないからです。値下げをすれば売れるでしょうが、そうすると買った家の代金が払えなくなります。うちの夫の父親はこれ以上値下げをする気は無いので、再び売りに出すんですって。

契約書にサインしてからはメンテナンスをしていなかったその家は、草が伸びて木が倒れ、売りに出すには見た目がよろしくない状態になっているらしいです。

こういうことになる可能性があったから、家が本当に売れるまでは道具を売るわけには行かなかったんだと夫は言っています。

暦の上ではまだまだ冬ですが、春の到来を告げるワトルの木が咲き始めていますし、春めいて来ていますから草が伸び始めるでしょう。夫と息子は再びメンテナンスに通うことになったそうです。


仕事が休みの日に肉体労働をすると疲れがたまるんですよ。それでも、うちの夫はこういう身体を動かす仕事が好きなんですし良い運動になりますからね、無理のない範囲でやってくれたらいいですが、夫の目のことは気になります。

さらに見えなくなって来ていますからね。先日はチーズが見えなかったわけだし。両方の目のそれぞれ見える部分で補いながら見ているので、全体としては見えているつもりでも、見えていない物があったりするのですよ。

だからもう自転車に乗るのも危ないわけです。

チェーンソー作業はまだ大丈夫でしょうけど、トラクター型草刈り機の運転は危ないので、それは息子の担当にした方がいいと思います。

うちの息子は、いまだに就職はしていなくて毎日部屋で絵を描いています。最近は、コミッションの仕事でエモーティコンと呼ばれる顔文字のデザインをしているそうです。

まあ本来のやりたい仕事に近い内容の仕事ですからそれはいいんですけど、一つの絵を仕上げるのにかかる時間に対しての報酬が少ないんです。絵以外の仕事もしないと暮らしていけませんよ。

毎日ずっと座ったままで運動不足ですし、メンテナンスの仕事は良いアルバイトにはなると思います。


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2024年7月25日

価値が分からないアボリジニアート

義母(うちの夫の母)がついに家の中の持ち物整理を始めたようです。断捨離とまでは行きませんが、とにかく持ち物を減らそうとしているようです。

アボリジニのアートをうちの夫に譲りたいと言うので、昨日夫がもらいに行きました。

もらって来たのは、絵が1枚、ブーメランが3つ、拍子木のように叩いて音を出す棒が1セットです。

義母の姉であるジョーンが、若い頃にオーストラリア北部準州のアボリジニのコミュニティーで看護師として働いていたのでアボリジニの知り合いも多く、アボリジニのボーイフレンドもいたんだそうですけど、そうした関係でアート作品をもらうことがあったらしいんです。

そうしたアート作品を妹達や叔母達にあげていたそうなんですよ。

アート作品というのはね、なかなか価値が分からないからもらっても困ります。ブーメランと棒のセットの価値なんて私には全く見当も付きません。お土産屋で売っているようなものとは明らかに違いますけど、価値があるのかどうか私には分かりません。

絵の方は作者が分かっています。ロング・ジャック・フィリップス・ジャカマラ(Long Jack Phillipus Tjakamarra)というアーティストの作品です。

このロング・ジャック・ジャカマラというアーティストは、有名な人らしいです。パプニャ芸術運動の創始者であるジェフリー・バードンという人のもとで絵を描いた最初のメンバーの 1 人で、ウエスターン・デザート・アート・ムーブメント(Western Desert Art Movement)という芸術運動に貢献したそうです。

そう聞いても私には何のことやら分かりません。


この絵は、43センチ ✕ 58センチの板に描かれたもので、裏側に作者の名前と1973年7月23日という日付が書かれています。専門家が見れば、ロング・ジャック・ジャカマラの筆跡かどうかは分かるのでしょう。


板は角が傷んでいますし、それほど価値がありそうには思えないんですけど、うちの夫の大叔母のローナは、もらった絵を売って車を買ったそうなんですよ。相当な価値があったわけです。

それを聞いて自分がもらった絵を売ろうとした親戚は、2ドルの価値しかなかったという話です。同じジャカマラの作品だったのかどうかは知りませんけど。

私はこの絵を家に飾りたいと思わないし、こういう絵が好きな人が所有するべきだと思うので、売れるものなら売りたいんですけどね、どうやって売ればいいのか分かりません。

ちなみに、グーグルで調べた結果によると、ロング・ジャック・ジャカマラの作品は、安いもので数百ドル、高いもので数万ドルの値段で取り引きされているようです。過去最高額は 231,800ドルだそうですよ。

英国BBC放送の人気番組で「アンティーク・ロードショー」というのがあります。英国内各地を旅しながら、視聴者が持ち寄ったお宝を専門家達が鑑定するという番組ですが、ああいうのがあればぜひ持って行って鑑定してもらいたいです。


ちなみに、義母の家にはもらえるものならもらいたいと思っていた絵がありました。美しいオーストラリア内陸部の風景が描かれた水彩画で、有名なアボリジニのアーティストの作品だと聞いていました

後で知ったのは、そのアーティストというのはアルバート・ナマジラ(Albert Namatjira)という人で、オーストラリアでは最も有名なアーティストの一人なんです。アボリジニのアーティストの中では一番有名な人です。

主に水彩で風景画を描いた人ですが、実際にオーストラリア内陸部に行ったことがある人なら分かると思いますが、この人が描く風景のユーカリの木、土や岩、空や山、空気感、そういうのが絶妙な色使いで素晴らしいのですよ

義母の家にあるのは小さな風景画ですが、ナマジラの作品なら価値があるんじゃあないかと思ったら、「あれは複製でしょ?本物なわけがない」ということでした。

たとえ複製でももらいたいですけど。


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2024年7月24日

見えなかったチーズと黄斑変性

お肉が無い時によく作る晩ご飯料理の一つが「ジャガイモと鮭のグラタン」です。缶詰の鮭を使いますし、ホワイトソースなんか作らずにマヨネーズを使うので超簡単なんです。

しかもうちの男達に大人気。毎日でもお肉が食べたいうちの夫も、晩ご飯がこれだと喜びます。

英語で書いたレシピをウェブサイトに載せていますが、レシピなんて必要ない調理なんですよ。

一口大に切って茹でたジャガイモを耐熱容器に並べ、好みで塩こしょうをふりかけてから、骨と皮を取り除いた鮭を粗くほぐして散らします。マヨネーズをタラタラっとかけてからチーズを乗せ、220度くらいのオーブンで焦げ目がつくまで焼くという料理です。


私がいつも使うチーズはオーブン料理用のチーズで、チェダーとモッツァレラとパルメザンの3つのチーズをブレンドしてあるものです。

日曜日の晩ご飯に、このグラタンを作ったんですよ。

うちの夫が最初にお皿に取りました。モッツァレラチーズが入っていますから、溶けた熱々のチーズはとろ〜りと伸びます。

まるで納豆の糸の太いやつみたいに長く伸びたチーズは、夫のお皿の端から垂れ下がりました。

盛大に垂れ下がったチーズに気が付かない様子の夫が、そのままお皿をテーブルに置こうとしました。

「あああ!垂れてる垂れてる!」と叫ぶ私。

夫はそのままお皿をテーブルに置きましたから、垂れ下がっていたチーズがどろ〜んとテーブルに付きました。

「ほらあ!テーブルに付いちゃったじゃない!」
「何が?」
「チーズがよ!お皿から垂れてるでしょ!」

困惑してお皿を見る夫。

そして、言いました。

「ボクには見えない…」

白いお皿の端に垂れたチーズは照明の具合で白っぽく見えていましたけど、そのチーズが見えないと言うので私はびっくりしましたよ。食事の時に夫の目が見えていないことに気づいたのは初めてでした。

またさらに網膜の視細胞が死んで、見えない部分が拡大したんだろうと思いました。


夫の目は、遺伝性の黄斑変性「スターガルト病」で、黄斑部周辺の視細胞が徐々に死んで来ているんです。

網膜の中央部には光を感じる視細胞が密集している部分があって、その部分を黄斑と言うんですけど、そこは焦点を合わせる視野の中心でもあります。
 
その部分の細胞が徐々に死んでしまって見えなくなっているわけです。

視能訓練士の方が夫がまだ文字が読めることに驚いたくらい細胞は死んでしまっているんですけど、それはもう2年近くも前のことですよ。今年の1月に撮った写真を見ると、じわじわと全滅に近づい来ているのが分かります。

視細胞が死んでしまったら光も感じることが出来ませんから、視野の中心部は黒っぽくなっているんだそうです。

しかしね、まだ視細胞が生き残っている部分があるのでして、夫はその部分を駆使して見ているそうです。読みたい文字に焦点を合わせると見えないけど、別の場所に焦点をずらすと見えるんだそうですよ。もちろん、強い眼鏡が必要ですけど。

iPhone の小さな画面でも文字を読めるのですが、どんなふうに見えているのか想像できません。

ただし、十分な照明がない場所ではほとんど何も見えないらしいということは知っていますから、薄暗い場所では私も注意します。夫は薄暗くなると懐中電灯を使って歩きます。

玄関前のアプローチには照明を並べてコンクリートの部分と芝生との境目が分かるようにしてあります。転倒の危険がありますからね。

家の中は十分に明るくなるように照明を全部つけますし、最近は見えていないんだなと気付かされるエピソードは無かったんですけど、あのチーズが見えなかったんですよ。

最近さらに見えなくなっているのかと聞いてみましたが、夫はこういうことを聞かれるのが嫌いです。目のことであれこれ質問すると機嫌が悪くなるので、私は聞くのを止めました。

薄暗いと物が見えないように、白い背景に白っぽい物という場合も見えないのだと分かりましたので、これからは食事を取り分ける時にも気をつけるようにします。

今書きながら気が付きましたけど、食器洗い機に入っている食器が汚れているのかキレイなのかが分からないとは言っていました。白いお皿に付いたチーズが見えなかったのも当然ですね。

最近冷蔵庫に物があり過ぎて、欲しい物を見つけるのに苦労している様子です。晩ご飯の残りを詰めたお弁当を、昨日は持って行っていませんでした。見つからなかったから持って行かなかったと言いました。

今日は冷蔵庫の中を片付けます。


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2024年7月23日

レジリエンスのある人

ここ数日、自分のトラウマ経験に関することを書いて来ました。ブログに書くのがはばかられるようなこともいろいろあったんですけど、さすがにそういうことは書けません。

大人になってからうつ病や不安障害で苦しむことになった原因が、幼い頃から日常的に父親に叱られ、怒鳴られ、時には暴言を浴びせられ、暴力を目撃したり聞いたりすることで受けたトラウマのために、常に不安を感じながら緊張して暮らした家庭にあったということを書いて来たわけです。

毎日このブログを読んでくれている母と妹達に知って欲しくて書きましたけど、書いてスッキリしたかといえば全くいそういうことはありません。

子供の頃のトラウマというのは根深く厄介なものです。

さて、今日はレジリエンスということをテーマに、私の妹のことを書こうと思うんですよ。

私は3人姉妹の長女で妹が2人います。

2歳下の妹は優しい子でした。真ん中っ子の特徴でしょうか周囲を気遣う性格で、家族の間を取り持つピースメーカーでした。

この妹は未熟児として生まれ、赤ちゃんの頃は喘息などの健康問題があったそうです。それなのに、父親は私達家族が住んでいた小さな家の中で鳥をたくさん飼っていたので、鳥を飼うのを止めて欲しいと母が頼んでも止めてくれなかったと聞きました。

この妹の幼い頃のことはほとんど覚えていませんが、記憶にあるのは泣いている妹です。どういう理由か分かりませんけど、よく泣いていたんだろうと思います。

下の妹は私が7歳の時に生まれました。その時のことは良く覚えています。私達姉妹のうち、この妹だけは病院で生まれたんです。

当時まだ木造だった町の病院の部屋で、小さな赤ちゃんが保育器に入っていて元気に手足を動かしていました。父親が「男の子だったら良かったのに」と言ったのを覚えています。

この7歳下の妹は、少し大きくなると生意気な子になりました。私との口げんかでも負けませんでした。7歳上の私のほうが泣かされることもありましたよ。そして何がすごかったって、この妹は父親に怒られても黙って我慢してはいなかったんです。

父親に対しては何も言い返せない子供になっていた私にとって、それは信じがたい状況でした。

言い返されて激昂した父親は、怒りのあまり妹を叩いたりロープで柱に縛り付けたりすることもありました。もちろん、そういう時には妹は泣き叫んでいます。妹自身は幼過ぎて覚えていないかもしれませんが、私には恐ろしい光景でした。

言い返すとあんな目に遭うと分かりますからね、とにかく怒られる原因を作らないようにと、あらゆることに注意を払っていました。それでも些細なことが原因で父親に怒鳴られるわけですが、私は黙って耐えることしか出来ません。

中学生になった頃には沈黙することが唯一の出来ることになっていました。その沈黙が父親を怒らせることにもなったのですけどね。

そんな私でしたから、下の妹が父親に言い返すのを見て「よくそんなことができるものだ」と感心したものです。妹のように言い返せたらどんなにスッキリするだろうかと思っていました。

そして、叩かれたり縛られたりするようなことがあっても、翌日にはケロッとしていたりするんです。この妹は悪戯や悪いこともしましたけど、非常にマイペースでタフでした。今ではとても頼りがいのある人になっています。

「レジリエンス」(Resilience)という言葉があります。

Wikipedia にはこう書いてあります。

心理学におけるレジリエンス(Resilience)とは、社会的ディスアドバンテージや、己に不利な状況において、そういった状況に自身のライフタスクを対応させる個人の能力と定義される。自己に不利な状況、あるいはストレスとは、家族、人間関係、健康問題、職場や金銭的な心配事、その他より起こり得る。

脆弱性(Vulnerability)の反対の概念であり、自発的治癒力の意味である。「精神的回復力」「抵抗力」「復元力」「耐久力」「再起力」などとも訳されるが、訳語を用いずそのままレジリエンス、またはレジリアンスと表記して用いることが多い。

簡単に言えば、何かつらいことがあった時にポキリと折れてしまうような弱さの反対の性質のことです。耐える力、持ちこたえる力、抵抗できる力、回復して立ち上がる力、そういう強さを持っていることです。

この性質は育つ環境によって獲得するとも聞きますけど、私は生まれ持った気質というのもあるんじゃあないかと思うんです。下の妹は、生まれつきメンタルの強さを持っていたんじゃあないかと。

私は幼い頃、知らない親戚の人などが家に来ると激しく泣いたそうです。あまりに激しく泣いて泣き止まないので、来客が玄関から上がらずに帰ってしまうこともあったそうなんですけど。

人見知りをして泣いていたということは、不安や恐怖を感じていたということですから、私は生まれつき繊細で怖いことや悲しいことを感知するセンサーが敏感だったのかもしれないと思うんですよ。

7歳も離れた妹と私とでは育った環境は確かに違います。家族の状況も経済状態も違いますけど、何が下の妹をレジリエンスのある人にしたんだろうかと思います。まあ、妹は妹で私が知らない苦しみや悲しみを経験していたのかもしれませんけど。


心理学の研究も進んでいて、子供をレジリエンスのある人に育てるために親はどんなことに気を付けるべきか、どういう言葉かけをすべきかということが書かれた育児書も出ていますし、そういう情報を提供しているウェブサイトもあります。

子育て中の方やこれから親になる方は、勉強されるといいと思いますよ。

私はね、子供を育てる上で一番大事なことは、子供に安心感を与えることだと思います。それがもう基本です。

幼稚園や小学校など家の外の世界では様々な経験をします。嫌な思いをすることがありますよ。外でつらいことがあっても、家に帰ったらお父さんやお母さんが話を聞いてくれて、困ったら助けてくれるという安心感が一番大事だと思うんです。

それなのに、家に帰ったら嫌なことが起きると分かっていてご覧なさい。家の外でつらいことが起きた後、不安と緊張を感じる家に帰って来るとしたら。そして、恐れていたとおりに家でもつらいことが起きて、それが繰り返されたら。

その子供がポキリと折れる枝になってしまうのも無理はないと思いますよ。

若いお父さんお母さん達、子育て経験者である父母や祖父母世代のやり方や考え方は間違っている可能性があることを忘れないでくださいよ。古いやり方は往々にして間違っていますからね。

「男なんだから」「お姉ちゃんなんだから」といった性別や年齢による不公平とか、食べ方から靴の脱ぎ方に至るまでガミガミと厳し過ぎるしつけとか、いい子にしないと鬼だとかオバケだとかが来ると言って恐怖でコントロールしようとするとかね。

子育ての目標は、子供が自立して生きて行けるようにすることです。他者を思いやったり協力出来たり、責任感のある社会の一員として生きて行ってもらいたいですけどね。

社会で生きて行くためには、ポキリと折れる枝よりもしなやかに曲がってまた元に戻る枝の方が生きやすいに決まっています。どうか子供さんをレジリエンスのある人に育てて下さい。


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2024年7月22日

虐待の連鎖と逃げるという選択

うつ病の症状が出始めた頃だったと思いますが、私は母に子供の頃のつらかったことを少しだけ打ち明けたことがあります。父親に大声で怒鳴られることがトラウマになったというような大雑把な話で、詳しい話はしていませんけど。

母は、父親の父親が怖い人だったらしいという話を私にしました。自分が父親に怒鳴られて育ったから、自分の子供にも同じような態度をとってしまうのだろうということで、父親も被害者なのだというような話でした。

それを聞いて、私も理解してあげなくちゃあいけないのかなあと思ったものです。当時はまだ父親との関係を修復しなくてはいけないと思っていましたし。

しかしね、考えてみれば間違っているんですよ。

自分が親に暴力をふるわれて育ったから、自分の子供に暴力をふるうのも仕方がないという論理でしょ?よくある話ですけど、だからといって被害者である子供が親の加害を許すべきだという話にはなりませんよ。

親から何らかの「虐待」を受けて育った人が親になった時に、自分の子供に対して同じような「虐待」を繰り返してしまうことは多いです。

「虐待」というのは身体的な暴力だけではありませんよ。言葉による暴力、侮辱、いやがらせ、ネグレクト、無視するなどの行為を繰り返し日常的に行うことです。

家庭における「虐待」の加害者は様々ですが、子供が成長する過程で受ける「虐待」の加害者は親である場合がほとんどです。

子供の頃にこうした「虐待」によってトラウマを抱えて育った人の多くが、大人になってから身体の不調や精神的な病気で苦労するわけです。そして、そうした人が親になった時に同じような「虐待」を繰り返すことが多いわけですよ。

私自身が、子供達に些細なことでガミガミと言ったり時には怒鳴ったりしていました。それは、日本の実家にいた時にひどかったです。私の父親が言いそうなことを私が言っていたという感じです。

こうした自分の行動には自己嫌悪を感じましたし、子供達にどう対応するのが教育的に最も良いかということは考えるんですけど、いらいらして怒鳴ってしまうこともありました。

でも、「虐待」と呼ばれるようなものではなかったですよ。自分が経験したようなことは絶対に繰り返さないと自分に言い聞かせていましたからね。

ここで、子供さんがいらっしゃる方に私が伝えたいのは、もしも自分が子供に対して自分が受けたのと同じような「虐待」をしているかもしれないと気づいた場合は、「虐待」の連鎖を止めるためにも、あなた自身が抱えるトラウマ(心の傷)の治療が必要だということです。

女性の場合は、ホルモンのバランスが乱れる更年期の頃にうつ病を発症することも多いそうです。

そんな年齢になってから何十年も前の子供の頃のことでうつ病になったりするのかと不思議に思われるかもしれませんが、「更年期うつ病」と呼ばれる病気の原因が子供の頃のトラウマであるケースは多いのです。

その場合もトラウマの治療が必要なわけですが、虐待をおこなった加害者と自分が、虐待が行われた頃と同じような状況で暮らしていては良くならないということを知っておくべきです。

何らかの理由で「逃げる」すなわち「距離を取る」という選択肢をあきらめているのなら、考え直すべきだと思います。

加害者が親の場合、その親が高齢になっている場合は、「逃げる」という選択は難しいかもしれません。扶養義務という問題もあるでしょうし。

加害者が温厚になったとか高齢になって弱くなったとか、もう「虐待」はしなくなったからという理由で自分を納得させて、同じ状況で暮らしている方も多いと思います。

しかしね、不調が悪化してうつ病になっているような方は、トラウマが起きた場所や同じ状況にいたのでは治りませんよ。あなたには安心できる場所が必要なんです。

そして、安心できる場所を見つける方法はいろいろあるはずなんです。

扶養義務の問題がない方や若い方は、「逃げる」という選択肢はさほど難しいことではないはずですが、「育ててくれた親を捨てるような行動は間違っている」と普通の人なら考えるでしょうし、第三者からそう責められることもあるでしょう。罪悪感を感じるのは確実ですから、なかなか出来ないことではあります。

でもね、あなたは自分を一番大事にしてもいいんだと私は言いたいです。自分よりも加害者を大事にする必要は無いんですから。

そして、自分が「虐待」によるトラウマから回復して自分の人生を生きるためには、「逃げる」すなわち「距離を取る」という選択肢を否定する必要はないということを私は伝えたいです。

勇気を出して自分を大事にして下さい。


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2024年7月21日

心因性の顎関節症

子供の頃というのは、「家庭」と「学校」という二つの世界で生きているのでして、その「家庭」の方が苦しい場所だった私にとっては「学校」は救いの場所でした。

私は、勉強も体育も図工も音楽もそこそこに良くできて、先生達に認められるので気分が良く、学ぶこと自体が楽しかったですし、私は学校が大好きでした。

恵まれた家の子供達に負けたくないという思いと、頑張って良い成績を収めることで苦労している母を喜ばせたいという思いがありました。いわゆる「出来る子」だった私は、常に良い成果を出すために頑張っていました。

学校では、強く、明るく、前向きで、元気いっぱいだったかもしれません。しかし、非常に脆いところもあったのです。

学校は確かに救いの場でしたが、良い成績を出せないことや期待に応えられないことに対する不安はいつも感じていたんです。恵まれた家庭の子供達に劣等感を持っていましたから、そいういう子供達に負けられないというプレッシャーがありました。

そんな私でしたから、希望していた高校に進学出来なかったことは大きな挫折となったのです。

中学時代に親しくしていた人達は皆んな希望の学校に進学し、私は不本意な高校進学で目標というものを失い、勉学への意欲を無くしました。

一方、家庭では常に不安と怒りを抱えて緊張していました。

そんなある日の朝、目が覚めたら、

口が全く開かなくなっていたんです!

顎関節が完全にロックしてしまっていました。痛みは無かったです。ただ、口を開けることが出来ないのですから食事に困りましたし、普通にしゃべることも出来ませんでした。

地元の病院や、接骨院にも行きましたが、何をどうやっても口は開くようにならず、最終的には専門医に診てもらうしか無いということで、母と一緒に岡山大学の附属病院に行ったんです。

病院に行くだけで2時間以上かかり、長い待ち時間の後やっと診察してもらえて言われたのは、心因性の顎関節症だということでした。

「何だそれ?」という感じでしたね。

当時、顎関節症は珍しい病気でした。全く口が開かない私に、大学病院の医者も困惑気味だったことを覚えています。精神的なものが原因で開かなくなっていると言われても理解出来ませんでした。

特に治療はしてもらえず、歯の中心の位置をずらさないように真っ直ぐに口を開ける練習をしなさいと言われただけで、非常にがっかりして帰宅したのを覚えていますよ。

しばらくして指1本分くらいは開くようになったので食事は出来るようになりましたが、指1本分では様々な苦労がありました。指2本分くらい開くようになるまでに何ヶ月もかかりました。

私のように食事もできないほど口が開かなくなった場合、現在なら治療法があるそうです。弛緩剤で緊張し過ぎている筋肉をゆるめ、口を開くんだそうですけど。

心因性で口が開かなくなったことも、今なら理解出来ます。

あの頃は、家にいると息が詰まるようでした。父親と出来るだけ顔を合わせないように自室にこもりっきりでしたが、顔を合わせれば何か言われて腹が立ち、腹が立っても何も言い返すことが出来ないので、私はよく自室の壁や机の見えない所になぐり書きをしたり鉛筆を突き立てたりしていたんですよ。

そして、しょっちゅう声を殺して泣いていました。

ものすごいストレスを感じていたわけですからね、無意識に歯を食いしばったり寝ている間に歯ぎしりをしたりして、顎関節に負担をかけていたのでしょう。

そう言えば、肩こりがひどくて病院にも行きましたが、肩こりもストレスが原因だったと思います。

頭痛もひどくてバファリンという鎮痛薬を頻繁に飲み、その度に耳が聞こえにくくなったりもしていました。

今から思えば不安障害の発作のようなものも経験していました。理由の分からない動悸や身体の力が抜けるような感じがしたり、非現実的な悪いことが起きることを想像して冷や汗をかいたりしていたのです。

しかし、当時は、こうした悩みを相談出来る人はいなかったですし、精神的な病気への理解も全くありませんでした。

ですから、心因性で口が開かなくなるなんていうのは、わけが分からなかったのです。

今は顎関節症も精神的な病気も研究が進んでいます。お困りの方は、お医者さんに相談して下さい。


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2024年7月20日

最大のトラウマとなった出来事

保育園に通っていた頃、私は他の子供達から「赤ん坊大将泣き大将」と野次られることがありました。

5〜6歳の頃のことですけど、他の子供達に対して偉そうに威張り散らしたり威圧的な態度を取り、気に入らないと乱暴な言葉を浴びせていたらしいです。小学校低学年の頃の通知表にもそのようなことが書いてあります。

時々コントロール出来なくなるほどの激しい怒りを感じるものの、批判されたり反発されると一転して泣き出す。そういう子供でした。

生まれながらにこうした性質を持っている子供はいませんよ。幼い私がそういう子供に育った理由は、家庭にあったはずなんです。

私の父親は、家の外では陽気で面白い人という評判でした。家の中でも機嫌が良い時は評判通りの人でした。しかし、何かの拍子に激昂するのです。

怒った時の恐ろしさは少し大きくなってからの記憶にはありますけど、記憶のない幼い頃にも激昂して怒鳴っていたことは明白なんです。

私が他の子供達に対して威圧的な態度を取っていたのも、精神的にもろい子供だったのも、そうした父親の態度に問題があったと思います。

自分が怒鳴られるのはもちろん怖いのですが、妹達が怒鳴られたり叩かれたりロープで縛られたりしているのを見ることも、私に恐怖を与えました。気をつけないと自分もああいう目に遭うと思いますからね。

父親の機嫌を常に気にして、叱られる理由を作らないようにと細心の注意を払う習慣が出来ていました。常に不安を感じて緊張しているわけですからストレスが溜まります。

また、父親は私が言い訳を言ったりして何か言い返すと「口答えするな!」と激昂しましたから、理不尽な理由で叱られても怖くて何も言い返せない子供になったわけです。

私に出来る最善のトラブル回避方法は、父親に何かを言われる状況を出来る限り作らないことですから、小学校の中学年頃からは部屋にこもって勉強していたものです。

しかし、夕食は一緒に食べなくてはいけません。これが緊張の時間でした。箸の持ち方から食べ方までガミガミと注意されました。何を言われても黙って言われるとおりにしなくてはいけませんでした。

中学生になって、私は映画を見ることが好きになりました。夜の9時から始まる「月曜ロードショー」とか「水曜ロードショー」といった番組で映画を見るために、宿題も予習も全てをそれまでに終わらせるようにしていたんですが、必ず文句を言われました。

テレビがある部屋のブレーカーを落とされてテレビを見れないようにされることも度々でした。それを批判するようなことを言えるわけがありませんが、自分でブレーカーを上げてテレビを見続けようとすると激昂する場合もありましたから、映画を見るのをあきらめて自室に戻って泣くなんてこともしょっちゅうでしたよ。とにかく息が詰まるようでした。

それでも育ててもらった恩があると思っていましたし、大学にも行かせてくれたんですから、大人になってからの私は父との関係を修復するべきだと思いました。そして、普通の親子のようになろうと無理をしたと思います。

オーストラリアに来て結婚し、二人目の子供が生まれた後、今から思えばうつ病の始まりだったのですが、私はひどいホームシックのような状態になりました。毎日とても悲しくて、母親がいる日本の家家に帰りたいと思うようになりました。実家に帰れば助かるような気持ちでいました。

子供達を連れて、経済的にも仕事の面でも無理をして帰ったんですけど、帰国当日に息子が病気になり高熱が出ました。飛行機の中では鼻血を出し、大変苦労して岡山の田舎の実家にたどり着きました。私の2人の妹の子供達が来ていて家はにぎやかでした。

しかし、実家に戻っても私の心は全く穏やかにはならなかったのです。父親が不機嫌だったからです。あれこれとガミガミ言い続けるので、私は苦しくなりました。実家に戻れば安らぎが得られると思っていたのに、まるで反対でした。

すでに精神的にいっぱいいっぱいだった私は、実家でさらに精神的に追い込まれて行きました。

そして、一緒に来てくれていた夫がオーストラリアに戻った後のことです。実家には猫がいたので猫アレルギーの私は鼻水が出るんですけど、居間にあったティッシュを1枚取って鼻をかんだ時です。

そこにいた父親が、突然怒鳴ったんです。

汚え!あっちへ行ってやれえ!

恐ろしい顔でした。

その怒鳴り声で精神的な限界を超えた私は、オーストラリアに戻っていた夫に電話をして家に帰りたいと伝えました。無理をして日本に来たばかりだったのに。

この出来事が私にとっての最大のトラウマになっています。苦しくてたまらないのをなんとか耐えていたわけですが、それが怒鳴り声で押しつぶされました。

それでも、その時は母親が父親の態度を批判してくれて、私は気を取り直して何ヶ月が滞在したんですが、実家にいる間は無理をし続けたと思います。

その後、夫の仕事の関係で一時期家族で岡山の総社という街に暮らしたことがあります。夫が仕事で不在なことが多かったのと、子供達が私の母親と一緒に過ごせる時間を作りたくて、しょっちゅう実家を訪れていました。

しかし、実家では常に不安がつきまとっていたんです。

私が子供の頃に経験したような出来事が、私の子供達に起きたらどうしようかという不安です。私の父親が子供達を傷つけるようなことを言ったりしたりするのではないかと心配で、常に見張っていました。

実家は心が休まる場所ではなかったのですよ。

私は次第にうつ病が悪化して住んでいたマンションの部屋から出られない日もあり、晩ご飯も作れないのでコンビニのお弁当が晩ご飯という日も増えました。治療が必要なのにその街にはこうした問題を相談できる医療施設がありませんでした。オーストラリアに戻るしか選択肢はなかったです。

もう18年も前のことです。その後、一度も実家には戻っていません。

父親も高齢になり、子供の頃のことは忘れて、父親を許してあげたらどうかと思う人もいるでしょうが、当事者にとっては60歳を過ぎた今になってもトラウマになった出来事は忘れられるものではないんです。

いつまた大きな怒鳴り声を上げて私を傷つけるか分からないという恐怖や不安は消えません。恐怖や不安だけではありませんよ。長年に渡って蓄積された怒りや嫌悪感は、時間の経過とともに消えて無くなったりしないのです。

家庭というのは、子供達が安心できる場所でなくてはいけません。子供が不安や緊張を感じながら育つのは、親に原因があるんです。

家庭に不安や緊張が生じる原因は、身体的あるいは精神的な暴力、両親の不仲、子供を支配しようとする言動や過干渉、ネグレクトなどいろいろありますけどね、皆さんの家庭が子供さんにトラウマを生むような場所でないことを祈ります。


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2024年7月19日

親の言葉が人を育てる

30歳も過ぎてからうつ病や不安発作で苦しむことになった私の、子供の頃の出来事をいくつか紹介します。

共通しているのは、ネガティブなインプットです。

繰り返し繰り返し小さなミスを叱られて、何か悪いことが起きると私自身が悪いと怒られ、「従順な良い子でいないと怖いことが起きる」ということを潜在意識に刷り込まれた経過です。

現在子育てをされている方や、将来子供を持ちたいと考えていらっしゃる方には、自分の言葉が子供に与える影響について考えるきっかけにしていただきたいと思います。


車にはねられた5歳の時のこと

父と二人、何かの用事で町の商店街に行った時のことです。父が急に道路を渡って行ってしまったので、遅れてはいけないと急いで後を追った私は、右手から来た軽トラックにはねられました。

その時「何しょんなら!よう見て渡らにゃあ!」と叱られました。「大丈夫か」とは言いませんでした。

車にはねられたショックに加え、父に怒鳴られた私は、自分の不注意を後悔しました。家に帰って休んでいる間も、頭がくらくらして気持ちが悪かったのを覚えています。


迷子になった5歳の時のこと

その日、保育園から自分の家に帰るのではなく、バスに乗って父の実家に行く必要がありました。一人でバスに乗ったことなどもちろんありませんでした。私は5歳でした。

父の実家がある集落の近くから保育園にバスで通っている子供達の集団がいたので、その子達と一緒に帰ることになっていました。ただし、その子達は集落に入る手前で降りてしまうので、私は一緒に降りないで迎えが出ているバス停までずっと乗っていろ言われていました。

それなのに、その子達がバスを降りた時に私も一緒に降りてしまったのです。一人ぼっちになるのは不安でしたからね。5歳ですもの。

その子達が家に帰ってしまった後、暗い見知らぬ田舎道に一人取り残された私は途方に暮れ、恐怖と不安で泣き始めました。泣きながらバスが去った方へ歩くしかありませんでした。

祖父が自転車で向えに来たことは覚えていますが、祖父の姿を記憶してはいません。父の実家に戻り、「他の子達と一緒に降りてはいけないと言われただろう!」と叱られました。叱ったのが誰だったかは覚えていませんが、このつらい経験が自分の不注意が原因なのだと思い知ったのでした。

自分の不注意で失敗すると、叱られるだけではなくつらい経験をすることになると分かりましたから、幼い私は「失敗をしないように」「叱られる原因を作らないように」と細心の注意を払って頑張るようになって行ったのです。

子供が転んだりしたら、まず「だいじょうぶ?」と声をかけるものですよ。「なにやってんの!」「気をつけて歩きなさいよ」と叱ったり、転んだことを笑ったりすれば子供の心は傷つくに決まっているでしょう。

こうしたことが積み重なれば子供がどんな人間に育つか、ここで詳しく書く必要もないと思います。


同じクラスの女の子が父親に惨殺された6歳の時のこと

同じクラスの女の子が家で父親に斧で惨殺されるという事件が起きたのは、小学校に入学して間もない6歳の時のことです。話を聞いて来た父が、私達家族に事件の詳細を語るのを聞いて、その様子を想像した私は激しい恐怖を感じました。

自分の父親に殺されることもあるのだと知ったこの事件は、まさにトラウマとなる出来事でした。クラスの子供達は先生と一緒に歩いてお葬式に行ったのですが、事件のあった家の近くに行くことが怖くてたまらなかったことを覚えています。

常識的に考えて、このような犯罪の詳細は幼い子供に教えるべきではないですよね。犯罪に限らず、災害やニュースで見聞きする戦争の話にしても、子供への影響を良く考えなくてはいけません。

トラウマになるような情景を幼い子供に見せるのも問題です。


従順でないと恐ろしいことが起きる

私が幼かった頃、町では有名な「おしかさん」と呼ばれる女性がいました。記憶していることから考えると、この女性は初老の女性で、リヤカーを引っ張って廃物を集めて回っているホームレスのような人です。

言うことを聞かないと「おしかさんに連れて行ってもらう」と、私は繰り返し父や父の実家の人達から脅されていました。そして、「おしかさん」は父の実家がある集落に出没する人でもあったので、父の実家に行く時にはいつも不安と恐怖を感じたものです。

父の実家では、言うことを聞かないと「やいとをすえる」とも脅されていました。「やいと」というのはモグサのお灸のことです。祖父の身体にはこのお灸による火傷の痕がたくさんあるのを見たことがあり、実際に火をつけるのも見ましたから、「やいと」をすえられる恐怖で私は完全に従順である必要を感じたものです。

父は飼っていた犬や拾ってきたネコを殺すとか捨てるとか繰り返し言いました。橋の上から川に投げ捨てれば簡単だと。実際に捨てに行ったこともありました。あれにも強い恐怖を感じたものです。

飼っていた犬のコロを蹴ったり棒で叩いたりする父を見ることも恐怖でした。お隣りの家で、その家の子供達が彼等の父親に竹刀で叩かれているのを目撃したことも、恐ろしい経験でした。

父親に対しては従順でないと、自分もあのような目に遭うと子供は考えるものです。

私が幼かった頃は、恐怖や暴力で子供を支配しようとすることはあたり前のことだったのかもしれません。繰り返し繰り返し、父や父の実家の人達が脅すようなことを言いましたが、それが幼い子供の心を傷つけているなどとは考えもしなかったのでしょう。

しかし、習慣的に繰り返し怖がらせたり恫喝したりし続けると、それがトラウマとなってしまい、その子供が一生苦しむ場合があります。あるいは、その子供は自分がされたのと同じことをする人間に育つのです。


怒られ続ける暮らし

私は本当に些細な不注意でも、私に責任のない失敗でも、父親から叱られ怒鳴られました。

車から降りる時、ドアを閉めようとした時に妹の指を詰めてしまったことがありました。激しく叱られましたが、ドアのところに誰かが指を置いていないかどうかを毎回確認する人がいるでしょうか。

ましてや、私は子供ですよ。

自分のせいで妹が指を詰めたと罪の意識で苦しんでいる子供に、追い打ちをかけるように怒鳴るとはねえ。

下の妹と2段ベッドで遊んでいた時に、私が妹の腕の上に転がって妹の腕の関節が外れたことがありました。あの時も激しく叱られましたが、私は遊んでいただけなのです。

食べ物のことで妹達とケンカになれば、「お姉ちゃんなのに我慢しなかった」と私が責められます。お姉ちゃんでも子供なんですよ。年上の子供に、年上であるというだけの理由で我慢をさせるのは良くないです。

とにかく、私は常に怒られていました。うっかり電気を消し忘れて寝てしまっても、ドアを閉める時に大きな音を立ててしまっても、父親の気にさわることならどんなことでも怒られる可能性がありました。

父親の機嫌が悪い時なら、そうした些細なことでも激昂して怒鳴りました。怒られたくなければ、どんなミスもしてはいけません。子供の心は萎縮します。

家庭は心が安らぐ場所であるはずなのに、父親がいると細心の注意を払っていなければならない緊張する場所になっていました。いつも不安を感じてビクビクしていました。


大声と恐怖

激高した父に大声で怒鳴られることが頻繁でしたから、「大きな声」と「恐怖」が結びついてトラウマになったのは当然です。

父は、お酒を飲んで酔っ払うと必ず大声を上げました。他の人にからんだり、暴れたりしました。そのせいで母が苦労しているのを子供の私は見ていました。

次第に、父がお酒を飲むと「怒り」や「嫌悪感」を感じるようになったのは、自然の成り行きでした。


お金の心配

お金がなくても何とかやっていけるという楽観的な考えの人もいるのでしょうが、私は強い不安を感じます。幼い頃から、母親がお金で苦労しているのを見ていましたし、母の不安や心配を子供の私も感じていましたから。

貧乏だから自分が他の子供達と違うという経験もしました。保育園のお泊り保育の時、どの子もパジャマを着ていたのに、私だけが短い浴衣を着ていました。私はパジャマなんか持っていませんでした。

どうして浴衣を着ているのかと他の子供に言われて、自分だけが違うことに気づきました。なんだかバカにされているようで嫌だなあと思ったのを覚えています。

小学校の4年生の時、交通事故で車にはねられて骨折し、1ヶ月以上入院したことがありました。9歳でした。両親は入院費用の支払いで苦労しただろうと思います。

入院費用のことを話しているのを何度か聞きました。病室のベッドの横で話していましたからね、全部聞こえますよ。私のせいだと言われているようで、罪の意識を感じたものです。

家庭の経済的な問題は、私にある種の劣等感を生みましたし、強い不安と結びついてしまいましたが、私は母親に感謝しています。ひもじい思いをしたことは一度もありません。

やりくりに苦労していたはずですが、いつも美味しいものを作って食べさせてくれました。学校の遠足の日には先生に感心されるようなお弁当を作ってくれたので、優越感すら感じたものです。


絶対に言い返せない

父親は、私が幼い頃から言い訳を言ったりして何か言い返すと「口答えするな!」と激昂しましたから、私は何も言い返せない子供になりました。私の妹達は言い返すことが出来ましたが、特に7歳年下の妹は黙って我慢したりしませんでしたから、勇気があるなあと感心したものです。

ある寒い冬の日のことです。私は小学校の高学年だったと思います。その日、私は白菜を洗えと言われたんです。こういうことは、いつも長女の私がさせられました。

真冬のことですから水道の水は凍るほど冷たかったです。当時は瞬間湯沸かし器というのがあったんですけど、それを使って少し温めた水で洗っていましたら、父親が「湯沸かし器を使うんじゃあねえ!ガス代がもったいなかろうが!」と怒鳴りました。

いつもなら黙って耐えるしかなかったわけですが、あの時は勇気を出して「お水が冷たいから」と言ったんですよ。そうしたら「口答えするな!」と父親は激昂しました。「お母さんはいつも水で洗っとるだろうが!」と怒鳴りました。

心の中で「お母さんだってお湯を使いたいはずだ」と叫びましたが、そんなことを口に出せるはずもなく、その後は手の感覚が無くなるような冷たい水で洗いながら、悲しみと父親に対する怒りが湧き上がりました。

言いたいことを言える能力は重要です。自分の意見を表明できる、他人に自分の気持ちを言葉にして伝えられる、そういう能力は生まれ持っている能力ではありませんよ。

そういうことが出来るように育てるのは、親の責任です。幼い子供でも言いたいことはあるのですから、たとえ悪戯の言い訳であってもちゃんと子供の言い分を聞いてやるべきです。そして話し合って子供に納得させるべきです。

親が一方的に叱り、しかも感情的に怒鳴ったりして、子供に発言のチャンスを全く与えないなんていうのは絶対に間違っています。


緊張する場所か心が安らぐ場所か

私が長女だったからか、父親の苛立ちや怒りは、おもに私に向かっていたと思います。

いつどこでどんなことが理由で父親が激昂するか分からない。幼児でもそんなことには気づきますよ。ですから、父が家にいる時には家庭は緊張する場所だったのです。

たとえ、父親の機嫌が良くて、家族で笑いながらテレビを見ていた時でも、いつ父親が激昂するか分からないという不安はありました。親の顔色を見る子供だったわけです。機嫌が悪いと明らかな時は、隠れているしかなかったでしょう。

父がいない時は、優しく賢明な母親のおかげで家庭は安心できる場所でした。母親がいなかったら、私はどんな大人になっていたでしょうか。もっと早くから精神的な病気に苦しんだに違いありません。

私が子供の頃には、親が子供に愛情を言葉にして伝えたり、抱きしめたりして態度で伝えたりすることはありませんでした。日本にはそういう文化がなかったです。今では変わって来ているんだろうと思いますけど。

子育てをされている皆さんは、少なくとも貴方のお子さんが、自分は親に愛されていて親にとって大事な存在なんだということに気付くように育てて下さい。

そして、貴方が子供さんに対して発する言葉が、どういう人に育つかを決めるんだということも忘れないで下さい。

感謝の気持ちを伝える「ありがとう」や他人への共感の基本である「だいじょうぶ?」や自分の過ちを詫びる「ごめんなさい」は、子供に言えと教えることで身につくのではありませんよ。親が子供に対して言ってやることで身につくのです。


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2024年7月18日

トラウマからの回復

火曜日の朝起きてキッチンに行くと、夫が朝ご飯のポリッジを食べていました。「今週の水曜日は休みなの?」と聞きましたら「今週は金曜日が休みだ」と言いました。

うちの夫が勤めるツールショップで新しく副店長になった人の休みの関係で、隔週で金曜日が休みになると聞いていたのにずっと水曜日に休んでいたので、ちょうどその件を聞こうと思っていたら夫が金曜日が休みだと言いましたからね、「ああ金曜日なの?ちょうど今そのことを…」と言った途端に大声を上げまして「金曜日かどうかは確認してみないと分からない!」と怒鳴りました。

朝起きたばっかりで突然理由もなく怒鳴られて、私はびっくりしましたよ。「なんで怒るの?」と言うと、夫は家を出るまで無言でした。夜の間に不機嫌になったんでしょうか。もしかしたら、夫のメンタルが「躁期」に入って来ているのかもしれません。夫の「躁期」の特徴は怒りやすくなることですから。

うちの夫は双極性2型なんです。薬のおかげで安定していますけど、気分には波があります。

大声を出された私は、たったそれだけのことで心臓がバクバクしました。私のトラウマ経験のせいです。トラウマとは「心的外傷」のこと、簡単に言えば「心の傷」ですね。

私の場合、「大きな怒鳴り声」は恐怖や苦しいという感情を呼び起こすのです。

私の父親は突然激昂する人で、私は幼い頃から父親に怒鳴られて育ちましたから、それがトラウマの一つになっているんですが、思っていることを口に出すことが許されなかったですから耐えるしかなかったわけで、そういう時の喉に何かが詰まっているような「苦しさ」の方が怒鳴られて「怖い」という感情以上に大きなトラウマになっているんです。

何か言おうとすると「口ごたえするな!」と怒鳴られます。つらくて泣いていると「泣くのを止めろ!」と怒鳴られます。「泣くのを止めろ」と怒鳴られた私は、しゃっくりのようにウッウッと言いながらも泣くのを止めたそうです。幼い子供なのに、よくもまあそんなに怒鳴り散らしたもんです。

怒鳴られた時の記憶というのはね、父親の恐ろしい顔ではなく天井の照明を背景にした父親の黒いシルエットなんですよ。

泣くのを止めろと言われても泣き止まなかった時は、真っ暗な押し入れや物置きに閉じ込められたり、家の外に締め出されたりしました。

常にガミガミと叱られていた記憶がありますが、何を叱られていたんだろうか、私はどんな悪いことをしていたんだろうかと思い出してみると、それは食べ方だったりお箸の持ち方だったり靴の脱ぎ方だったりするんです。テレビを見る時間が長いとか声がうるさいとかお手伝いをしていないとか、そういうことだろうと思うんです。

私は幼い頃の家での出来事をほとんど覚えていませんが、うつ病になったのをきっかけに断片的な記憶が湧き出て来るようになりました。

その記憶というのは壁だったり、ふすまの絵だったり、畳だったりするんです。そういうものと苦しい気持ちが結びついているというのは、どういうことですかねえ。苦しい気持ちを耐えていた時にそうしたものを見ていたんでしょうか。

激昂する父親に自分が怒鳴られるのはもちろん怖いですけど、妹達が怒鳴られたり叩かれたり柱にロープで縛られたりしているのを見ることも、私に恐怖を与えました。

私は長女で妹達よりも歳上ですから、そうした出来事を見て覚えているんですが、当の妹達は覚えていないかもしれません。叱られている間は泣き叫んでいるので、どのような状況になっているのかを理解していなかったかもしれませんし。でも、それを見ている私は恐怖を感じていたのです。

父親は家族に身体的な暴力をふるうことはなかったと思いますけど、私に殴りかかろうとしたことはあります。脅しのためのアクションだったのか、本当に殴りかかりそうになったのか、それは分かりませんけど、飼っていた犬を蹴ったり棒で叩いたりするなどの暴力はふるっていましたから、怖かったですよ。

親の言う通りにする良い子でないと、いろいろと恐ろしいことが起きるというのは、父親の実家の人達からも繰り返し脅されましたしね。本当にあの家に行くのは嫌だったんですよ。

親が子供の誤った行動を叱ることは必要ですけど、心を傷つけるような方法はいけませんし、感情のままに怒鳴るなんて暴力に等しいです。ああ、本当に傷つけられるようなことをたくさん言われました。

いくつかは決して忘れることが出来ません。

私は5年生の時に盲腸の手術で入院している時に初潮が来て、退院してからうちの母が晩ご飯にお赤飯を作ってくれたことがあるんです。お赤飯を作った理由を知った父親は怖い顔をして「汚え!」と言いました。

これも5年生の時ですが、お風呂に入ろうとして服を脱いだところへ父親が突然入って来て、私が「きゃあ」と声を上げると「何を言よんなら!この小娘が!」とぞっとするような顔をして怒鳴ったことは、死ぬまで忘れないでしょう。

父親のことを大嫌いになったきっかけがそれでした。

私は父親が家にいる時は常に緊張していました。理不尽なことで怒鳴られても何も言い返せないので、自分の部屋にこもって勉強しているのが最も安全でしたけど、ストレスが原因で私は口が開かなくなったりもしたんです。

本当にいろいろつらいことがありました。


それにしても、半世紀以上も前の出来事が今も苦しみの原因になっているんですからね、トラウマというのは厄介なものです。

うちの夫が大声で怒鳴ったというだけのことでこの有様です。次々に悪い記憶が湧き上がって来ました。以前なら、そういう記憶とともに襲ってくるネガティブな感情のせいで暗いうつの穴に落ちたんですが、今は大丈夫です。

落ちてしまわないようにする方法の一つが、私にとってはこうして書くことなんですよ。

これまでにたくさん書いてきました。すべてこのコンピューターに保存してあります。誰かに話せるといいのかもしれませんが、それはなかなか難しいことです。

思っていることや気持ちを書くことは癒しにつながり、トラウマからの回復にも有効だと言われています。確かに私は書くことで助けられました。しんどいことがあってお悩みの方にはオススメします。


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2024年7月17日

スモールトークとは

「失礼な人達とありがとう」という記事で少し触れた「スモールトーク」(Small Talk)すなわち「小さなおしゃべり」というものですが、辞書を引くと「世間話、雑談」と書いてあります。

お互いをよく知らない人達、あるいは偶然同じ場所に居合わせただけの全くの赤の他人がする軽い会話のことです。

オーストラリア社会では、知らない人と「スモールトーク」をするのは文化の一部なんです。

オーストラリアに住み始めて面食らったことの一つがこれでした。知らない人が話しかけて来るのですよ。スーパーのレジ係の人が話しかけて来たり、エレベーターで一緒になった人がお天気がどうのこうのと話しかけて来たりするんです。

お店の人が話しかけて来るのは、おそらく「スモールトーク」をするようにと指導されているんだと思いますね。若いスタッフが無理して頑張っている感じがすることも多いですから。

話しかけられたら無視するわけにはいきませんので返事をしますけど、慣れていない者には簡単なことではないんですよ。

知らない人との会話だと、どんなことを話せばいいかを知っていることが重要です。お天気のことを話題にされたらどう返したらいいのかを知らないと、話しかけられてもうろたえるだけです。「スモールトーク」は社交スキルの一つだと思います。

オーストラリア暮らしですっかり「スモールトーク」が身についた私は、日本に行った時にもお店の人に「スモールトーク」をしていました。馴れ馴れしいおばさんだと思われたことでしょう。

しかし、この「スモールトーク」がストレスになっていた時もあるんです。私は一時期「うつ病」や「不安障害」で外出するのも苦痛だった時期があるのですよ。15年間も抗うつ薬を服用していたんです。

そういう時には、スーパーのレジ係に話しかけられたくないわけです。何人かいるレジ係の中でも特におしゃべりな人というのを知っていましたから、そういうレジ係は避けていました。あまり話しかけて来なさそうな若者を選んでいたものです。

「スモールトーク」が得意な民族というのがいるように思います。上手なのは白人系です。アジア系やアフリカ系の人達は話しかけて来ませんし、こっちが話しかけると驚かれます。

会社に勤めている人達の間でも、「スモールトーク」は大事なスキルだとされています。仕事上で苦痛であったり不快であったりする会話をする必要がある場合に、「スモールトーク」によって緊張を和らげたりするのにも役立ちます。


おばさんになった今、知らない人と話をするのをためらう気持ちもありませんので、「スモールトーク」は積極的にしています。一日のうちで話をしたのは、家族以外では「スモールトーク」をした他人だけということもありますよ。

高齢の一人暮らしの方は、そういうケースも多いだろうと思います。だから、話しかけられたらちゃんと気の利いたことを返して会話が出来るようにしたいと思います。

昨日、薬を買いに行ったんですけどね、その薬屋にはいつも仏頂面をしている女性スタッフがいるんです。初めて見かけた時は緊張しているのかとも思いましたが、ずっと不機嫌な表情のままです。ニッコリしたことは一度もありません。

薬局のカウンターでその女性が対応しました。処方箋を渡して「いつもと同じブランドの薬でお願いします」などと頼み、彼女が無言で書類に書き込んでいる時、私は彼女の手指のネイルについて話しかけました。

いつも仏頂面で「スモールトーク」などしない人なので、黙って待っている間にいつも彼女のネイルを見ていたんです。見る度に違う、感じの良いきれいなネイルをしていると思っていたんですよ。

この「スモールトーク」で私は初めて彼女の表情がゆるむのを見ました。そんなに頻繁に変えているわけではないけど、ネイルアートが好きなんだそうです。

背の高い別の女性スタッフは、丁寧ではあるけど上から目線で偉そうな人だといつも思っていました。もしかしたらアジア人を見下しているのかとも思っていました。

ある時、その人がレジに対応て「How Are you?」と言いました。

皆んな必ずそう言います。「How Are you?」は「元気ですか」「調子はどうですか」といった意味ですが、型通りのあいさつで大した意味はありません。私は返事をした後で、その人に「How Are you?」と聞き返しました。

聞き返されて驚いたその人は、思わずニッコリしました。その後、レジをしながらお天気の話をしたんですが、いつも偉そうだと思っていたその人が感じの良い人だったのには驚きましたよ。

「スモールトーク」の効果というのを感じる出来事でした。


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2024年7月16日

ガスの安全点検

天気の悪い寒い日が続いているメルボルンです。毎日のように雨が降っています。

昨日は、ガス器具の安全点検をする人がやって来ました。

ヴィクトリア州では賃貸住宅の供給者に対してガス器具の安全点検が義務付けられています。10数年前、ガスヒーターによる一酸化炭素中毒で2人の男の子が亡くなった事故をきっかけに安全点検が義務付けられたんだそうです。

もちろんその費用は賃貸住宅の所有者の負担です。先日は電気の安全点検にも来ましたけど、賃貸住宅に備わっているものはすべてが正常に機能していなくてはいけないという法律があるんだそうです。それは窓やドアも含まれます。

私達が住んでいる家の家主は、そういうことに責任を感じる良い人だし、管理している不動産屋も「そこまでしてくれなくてもいいのに」と思うくらいに対応が細かく迅速です。

キッチンの天井に出来たシミだってですね、私達は希望してもいなかったんですがペンキ屋さんがペンキ塗りに来ましたし。

ですから、オーブンのドアが壊れた時も不動産屋に連絡すればすぐに直してもらえたでしょうけど、うちの夫が部品を取り寄せて自分で直しました。ああいう事をするのが好きなんですからいいんですよ。自分で直せて気分が良かったでしょう。

ガスの安全点検は、都合の良い日時に予約するようにと言われて、昨日の午前中に予約していました。我が家は必ず誰かが家にいますから、何時に来てもらっても大丈夫だったんですけど。

最初は午前9時から12時の間に来るということだったんですが、その後予定変更の連絡が来て、午前7時から9時の間に来るということになったんです。

朝の7時は早いですよ。まだ真っ暗ですしね。「そんなに早く来るかなあ」と思ったけど、先日電気の安全点検の人が朝の7時半に来たことを思い出しました。

7時半から12時の間に来るということだったんですけど、7時半前に居間のカーテンを開けたら家の前にヘッドランプを点けている車が停まっていて、7時半になったら車から降りてやって来たんですよ。

ガスの安全点検も、7時から9時の間に来ると言うんだから7時に来る可能性があると思いました。そして、7時前に居間のカーテンを開けらた、

やっぱりもう来てる!

家の前にヘッドランプを点けている車が停まっていたんです。

そして、7時になると同時に車から降りてやって来ました。まだ真っ暗でしたよ。ずいぶん朝早くから働いているんですねえ。

我が家のガス器具は、キッチンのガスコンロとセントラルヒーティングのヒーターとガス給湯器の3つだけですが、点検には1時間半もかかりました。ガス漏れとか一酸化炭素の発生などを調べたんでしょうけど、随分時間がかかるものなんですね。

全く問題なしだったそうです。


この家に引っ越す前に10年間住んでいた義妹(夫の妹)所有の家は、家族からの賃貸で不動産屋を仲介していなかったし義妹はドバイ在住ですからね、何か問題があると自分達で修理を手配しなくてはいけませんでした。電気やガスの安全点検などしませんでしたよ。

次々に物が壊れる家で本当に苦労続きだったんですけど、現在住んでいる家は快適です。家主が良い人で信頼できる不動産屋が管理していますから、何か問題が発生すれば迅速に対応してくれます。

暑い1月に給湯器が壊れた時は、不動産屋に連絡をしてから2時間のうちにプラマーがやって来て、新しい給湯器を取り付けてくれましたしね。

夫が勤めるツールショップには歩いて行けるし、駅にも歩いて行けるし、スーパーにも歩いて行けるし、近くのバス停からはメルボルン市内まで直通のバスが停まることも分かったし、迷惑行為連発の隣人はいないし、周囲は静かで騒音問題はゼロだし。

この家を見つけられたことはラッキーでした。

しかし、夫の目がさらに見えなくなって仕事が続けられなくなったら、とても家賃を払い続けられませんから、また引っ越しです。

夫は目が見えない、私は目がまわっている。そんな状況で、どこに住んでどうやって暮らして行くんでしょうか。車がないとやって行けないような場所には住めないということだけは確かです。


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2024年7月15日

銃規制反対派の勝利は確定か

アメリカという国では、他のどの国とも全く比較にならないほど多くの人が銃による殺人と自殺で死んでいるそうですが、「4人以上が銃で撃たれた事件」に限ると、統計的に毎日一件の事件が起きている計算になるそうです。

この国では無差別銃乱射事件もあまりに頻繁に起きるから、事件が起きたと聞いてももう驚きません。「またか…」と思うだけです。

これだけ銃によって人が殺されていても、銃を規制するよりも「銃によって身を守る権利」の方が重視され、政治家達は選挙対策や献金の関係から規制に反対する人が大半です。

全米ライフル協会が支持するドナルド・トランプは、銃所有者の権利を守ることを誓っています。バイデン政権は銃購入希望者に対する身元調査の強化を盛り込んだ法案を成立させましたが、トランプはこの銃規制を撤廃することを公約しているくらいです。

そのトランプが選挙集会で演説中に銃撃されて、銃弾が右耳に当たったということですが、狙撃した犯人の腕前がもう少し優秀だったら今頃は全く違うニュースになっていますよねえ。

BBCのニュースによると、犯人は納屋のような小屋の上から狙撃したそうですが、演説中のトランプからは130メートルほど離れていたそうです。

私は「100メートル以上も離れていたから当たらなかったのか」と最初は思ったんですが、BBCのレポーターは「たったの130メートルしか離れていなかった」「こんなに近かった」と話しているんです。

狙撃の距離として100メートルは近いのかと驚いたので、ちょっと調べてみたんですけど。

Wikipedia によると、確認されている狙撃の最長距離記録は、イギリス陸軍の狙撃手がアフガニスタンでタリバンの機関銃手を射殺した時の2,475メートルだそうですが、その後カナダ軍特殊部隊の狙撃手が3,540メートルの距離から過激派組織 ISIS の戦闘員を狙撃したという記録があるそうです。

3,540メートルって、3.5キロですよ。

自分が今いる場所から3.5キロ離れた場所というのを調べてみて、そこにいる人に弾を命中させるということを想像してみると、ちょっと考えられない距離ですよ。気象条件とか地理的な条件とか、いろいろ考慮しないといけないんだし。

それを知った後では、130メートルは確かに近いと感じます。トランプの耳には当たったけど致命傷を追わせることが出来なかった犯人は、ステージ後方の建物の上で見張っていたシークレットサービスの狙撃手に射殺されました。

こちらの狙撃手はプロですし特別な銃を使っているでしょうから、100メートルちょっとの距離なら容易に犯人に命中させられたんでしょうけど、見張っていたのに狙撃されたというのは、どこに問題があったんですかねえ。


アメリカの人口が約3億3000万人で、そのうち民間人の銃保有者が持っている銃の数が約4億丁だそうです。全人口よりも民間人が所有する銃の数が多いのは、アメリカだけだそうですよ。

この国では、 銃乱射事件が発生する度に、さらに多くの人が銃を購入しようとする傾向があるそうですが、メンタリティーがもう他国の者には理解できません。

トランプの選挙集会に来ていた人が「こんな事が自分の身に起きているのが信じられない」と話しているのを見ましたけど、

銃規制反対のアンタが何ゆっとん!

と私は思いましたよ。

銃規制に反対するということは、こういうことがいつ起きても不思議ではない危険な社会で生きることを選択しているということでしょう?

それにしても、この事件でトランプの勝利はもはや確定したんじゃあないですか?青空にはためく星条旗を背景に出血しながらも力強く拳を突き上げるトランプの写真は、本人も大いに気に入っているに違いないです。

刑事裁判で有罪になった人が大統領になりそうですよ。


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2024年7月14日

塩から過ぎるローストチキン

めまいのせいで気分が悪いので、ちょっと落ち込み気味です。

頭のふらふらが続くので、また耳石のかけらが三半規管に入っちゃったかと思って「エプリー法」や「耳石くずし体操」をやってみましたが、天井や壁が回転したりしませんでした。

耳石が原因のめまいではないです。

ふらふらしているからどこにも行けないし、気分が悪くて何もやる気がしなくてね、昨日は晩ご飯を作る気もしませんでした。

うちの夫と息子には、自分達でなんとかしてくれと頼んだら、スブラキを買ってくると言って出かけました。

スブラキというギリシャ料理は、テイクアウェイのお店で買う場合は、焼いた肉とサラダ野菜をギリシャの平たいパンに挟んだもののことです。お肉は選ぶことが出来ます。私はラム肉が好きです。

塩分の摂取に注意が必要なうちの夫にとって、レストランやテイクアウェイのお店で買う料理には注意が必要なんですが、塩を控えめにして欲しいとリクエストできるスブラキは良い選択でした。

フィッシュ&チップスもいいですよ。衣をつけて油で揚げた魚とポテトには味が付いていませんから最後に塩をふりかけるわけですが、その塩を控えめにして欲しいとリクエストすれば済むことですからね。

しかし、夫と息子はギリシャ料理店の隣りにあるローストチキンのお店でディナーセットを買って来たんですよ。うちの夫が、鶏の丸焼きに引かれたんでしょう。

ディナーセットは、ローストチキン1羽分と、ポテトにホワイトソースとチーズをかけて焼いたグラタンみたいなやつと、茹でた野菜(ニンジン、ブロッコリ、インゲン)のセットでした。

チキンを一口食べて、

うわっ何これ!

スパイスの効いた塩をまぶして焼いたと思われるローストチキンは、食べるのを躊躇するほど塩からかったです。

あれが普通の塩味なら、私達はよっぽど塩味に敏感になっていますよ。

次に食べたポテトのチーズグラタンみたいなやつは、塩から過ぎるとは思わなかったけど、しっかりと塩味が付いていました。

茹で野菜は、茹でたとは思えないほどコリコリで、何やらトロッとした透明な塩からいソースがかけてありました。

最近塩の分量を計って料理しているから分かるんですが、昨夜のローストチキンセットには相当な量の塩が使ってあったはずです。あまりに塩からかったから少ししか食べなかったけど、それでも目標としている一日あたりの塩の摂取量3.75グラムは軽く越えたでしょうね。

お店のピザはもう買わないと決めていますが、ローストチキン・ディナーセットももう買いません。やっぱりフィッシュ&チップスがいいわ。


ショッピングスクエアには、メキシコ料理と中華料理のテイクアウェイの店もありますが、メキシコ料理は買って食べようとは思いません。中華料理は MSG(グルタミン酸ナトリウム)の味がしますからあまり食べたくありません。

グルタミン酸ナトリウムは化学調味料です。「調味料(アミノ酸等)」とか「アミノ酸等」などと表記されているうま味調味料は、グルタミン酸ナトリウム等を主成分とする食品添加物です。

塩や砂糖と同様に、摂り過ぎには注意が必要なんですよ。日本人はこのうま味調味料の味に味覚が慣れているせいでしょうが、料理に「鶏がらの素」やら「だしの素」やら、こうしたうま味調味料を入れずにはいられない人が多いですよね。

塩や砂糖の摂取を減らしたせいで塩味や砂糖の味に味覚が敏感になったのと同じように、うま味調味料を使わなくなったせいでその味にも敏感になりました。

日本の加工食品は(カレールウも含めて)うま味調味料の味がします。「入ってるな」とすぐに分かります。不快に感じる場合もあります。食べても安全だと分かっていても、あまり食べたくない添加物です。

私達家族は本当に加工食品を食べなくなっています。一番食べている加工食品はスープ作りに使うストックキューブだと思いますが、私がいつも使っているのはこれ。


材料をチェックしてみました。

塩、植物油、ブドウ糖、砂糖、米粉、酵母エキス、乾燥野菜(玉ねぎ、ニンジン、にんにく、パセリ)、ターメリック

「グルタミン酸ナトリウムは添加されていません」というのが、セールスポイントの一つです。


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2024年7月13日

ヘアカットと薄毛の悩み

前回のヘアカットから6週間になるので予約を入れようと思ったら、いつもお世話になっているLさんが美容院からいなくなっていました。

これは困った…

オーストラリアに住むようになってから、白人オーストラリア人美容師に切ってもらう度にがっかりさせられたので、最初のうちは日本人経営の美容院まで1時間以上もかけて行っていたんですが、子供が生まれてからはそういうことは出来なくなりましてね。

いろいろな人に切ってもらいましたが、「この人は上手い!これからはもうこの人!」と思うような美容師はいつもアジア系でした。しかし、そういう美容師はいつの間にかいなくなるのですよ。

Lさんは、ショッピングセンターに入っている美容院で働いていました。一度Lさんに切ってもらってからは、いつもその美容院に行くようになりました。Lさんに切ってもらうためには順番待ちもいとわなかったです。

その後、彼女は別の美容院に移ったんですけど、Lさんが頼りの私は当然Lさんが移った美容院に行き始めました。こうして、かれこれ10年以上もずっとLさんに切ってもらっているんですけど。

どこに行ってしまったのか、他の美容師さん達は教えてくれるでしょうか。普通は教えてくれませんよねえ。


ところで、私の最大の髪の毛の悩みは、

頭頂部の薄毛です!

娘を出産した後に髪の毛が減り、それから徐々に薄くなって行きました。私の祖母も頭頂部が薄かったから遺伝かもしれませんけど、このまま減り続けたらヘアピースが必要です。

今はスタイリングでごまかしてヘアスプレーで固めていますけどね、風に吹かれたりしてセットが乱れると地肌が見えていることがあります。おばさんになっても、やっぱりそういうのは気になるんですよ。

昨日のことですが、うちの息子がフケと抜け毛の問題について薬屋に相談に行ったそうです。

フケは頭皮に存在するカビの増殖によって発生し、熱いお湯でシャンプーすると白くてカサカサとしたフケが出ると言われたそうで、カビの増殖を抑えるローションを買って来ましたけど。

話を聞いていると、息子の心配はフケよりも抜け毛のようです。髪の毛が伸びていますから他人には分かりませんが、最近すごく抜けているんだそうですよ。薬局に相談に行ったくらいなんですから気になっているのでしょう。

抜け毛が気になっている部分を見せてくれましたが、それは生え際でした。額の左右両側の生え際の毛が抜けて後退しているのです。その生え際は私の母の兄弟達と似ています。

やっぱり遺伝か…

もしももっと毛が抜けてハゲてしまったら、坊主頭にすると息子は言っていましたよ。植毛とかウィッグとかはしないと。

うちの息子は20代後半ですが、同級生の中にはすっかり髪の毛が無くなっている人もいるんだそうです。そんなに若いうちに髪の毛が無くなると悩むでしょうね。

私も薄毛なので気持ちが分かります。

うらやましいのは、うちの夫。今や白髪に近いシルバーで、髪の毛はふさふさなんです。びっしりと、地肌が見えないほど生えています。義母(夫の母)の父親が高齢になってもそういう頭でした。

一方、夫の父親の家系の男性達は皆んなM字ハゲで薄毛です。義弟(夫の弟)はそういう頭になっています。

いずれも遺伝なんでしょうね。

ハゲて来たら丸坊主あるいはスキンヘッドというのが、オーストラリアでは定番ですよ。スキンヘッドのかっこいい男性が大勢います。

でも、女性の場合はスキンヘッドや丸坊主はなかなか勇気が要りますよ。私は無理だな。

ウィッグの方がいいです。


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2024年7月12日

読書が続けられなくなった

アマゾンの電子書籍 Kindle 本で再び読書を楽しめるようになった私ですが、日本のアマゾンから日本語の Kindle 本が買えないもんですからね、オーストラリアのアマゾンで買える英語版を読むしかないんです。

M. W. クレイヴンの「ワシントン・ポー」シリーズは、読むのが止められない面白さだったから英語でも楽しく読めたんですけど、「ワシントン・ポー」シリーズに匹敵するような本をなかなか見つけられませんでした。

早く次が知りたくて読むのが止められないくらいの面白さでないと、英語で読むのはしんどいです。

私が一番好きな歴史関係のノンフィクション物は、英語力不足のせいでしょうけど読み進められませんでしたし、「ワシントン・ポー」シリーズと同じ警察犯罪物はどれを読んでもちょっとイマイチだったんです。

賞を受賞している、レビューの数が多い、評価が高い、そういうのを頼りに探していたんですけど、多くの作品はサンプルを読んだら興味がなくなってしまって、買って読もうという気にならなかったです。

しかし、昨日読み終えたオーストラリア人作家マイケル・ロボサム(Michael Robotham)の「Good Girl, Bad Girl」という本は楽しめましたよ。日本語版も出版されています。日本語版は「天使と嘘」というタイトルですが、何でそういうタイトルに?本の内容に合いませんけど。

オリジナルの「Good Girl, Bad Girl」というのもかなりイマイチのタイトルではあります。

主人公は臨床心理士のサイラス・ヘイヴンという人物です。警察の捜査にも協力しています。このサイラスが関わることになる殺人事件と児童養護施設で出会って里親として引き取ることになるティーンエイジの少女エヴィーとの2つのストーリーが展開します。

やはりこういうフィクションでは、登場人物の設定が重要ですね。「ワシントン・ポー」シリーズの魅力は、何と言っても主要登場人物のワシントン・ポーとティリー・ブラッドショーでした。

「Good Girl, Bad Girl」のサイラス・ヘイヴンとエヴィーも魅力のある登場人物です。スティーグ・ラーソンの大ベストセラー「ミレニアム」三部作に登場するミカエルとリスベットもそうですよね。少し関係が似ています。

著者のマイケル・ロボサムさんは、長年調査ジャーナリストとして英国やアメリカで犯罪調査に関わったそうで、やっぱりそうした経験と知識があってこその内容です。

「Good Girl, Bad Girl」を読み終えましたので、シリーズ2作目の「When She Was Good」を読み始めました。これも非常にイマイチのタイトルですが、内容は期待しています。


ところで、

今日書きたかったのは、本の話じゃあないんですよ。

この「サイラス・ヘイヴン」シリーズですが、早く次が知りたくて読むのが止められなくなる本ではあるんですけど、

読み続けられなくなったんです!

理由は目がぼやけて読めなくなるから。

私は2種類の老眼鏡(乱視入り)を使っています。読書の時は度が一番強い読書用のを使いますが、本にのめり込んで1時間も休みなく読んでいると文字がぼやけて来ます。しかし、読むのを止められませんから、ぼけぼけの文字を何とか読もうと試みるわけですよ。目を薄目にしてみるとか、目に力を入れてみるとか、距離を調整するとか、いろいろして。

無理をして読み続けていますとね、何をどう頑張っても読めなくなります。眼精疲労っていうやつでしょ?老眼鏡の力を借りてもピント調整が出来なくなってしまうんですよ。

そうなってしまうと、もう近くのものは何も見えません。何もかもぼけぼけです。iPhone の画面はもちろんのことコンピューターのモニター画面でも文字は読めなくなります。ちゃんと見えるのは少し離れた場所だけ。

そして、再び見えるようになるまで時間がかかるのですよ。もちろん老眼鏡をかけたらの話です。

見えなくなってしまうと大変不便なので、文字がぼやけ始めたら早めに読むのを「あきらめる」ことが肝心だと分かりました。残念ですけど仕方がないです。

目がよく見えないと本当に苦労します。目の酷使はいけません。


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2024年7月11日

知的障害のある性犯罪者

今月から司法精神医療施設での研修が始まったうちの娘ですが、2週目の研修を終えた今、いろいろストレスがたまっているらしいです。

何度か記事に書きましたが、オーストラリアには「フォレンジック・ディサビリティー・サービス」(Forensic Disability Services)と呼ばれるものがありまして、刑事司法制度に関わる事件を起こした人々の中で精神障害や重篤なメンタルヘルスの問題がある人達にサポートと治療を提供しています。

犯罪者に精神障害があった場合には罪を問わず、代わりに精神医療施設で強制的に入院治療を受けさせて社会復帰の支援を行うということなんですけど。

娘はこの「フォレンジック・ディサビリティー・サービス」の限界を感じて悩んでいるらしんです。

娘が研修を行っている施設では、人が足りていないために十分なことが出来ていないと感じているようで、失望したりイライラしたりしているようなんですけどね、施設でやっていることにも問題があるんですよ。

娘が研修をしている施設は、グーグルマップで検索しても地図に出て来ません。一般市民からは隠されているという印象です。この施設に収容されているのは「知的障害のある性犯罪者」らしいのです。

この施設のことはメディアが取り上げたこともあるようで、調べるといろいろ新聞記事が見つかりました。収容されていた犯罪者が脱走してニュースになったこともあるようです。

内容を読むと、この施設に多額の税金が使われていることについて、一般市民は大いに疑問を感じるだろうと思わずにはいられませんでした。

収容されている犯罪者達が犯した性犯罪というがひどいんです。被害者が幼い子供だったりもするんです。中には被害者を殺した人もいるんですよ。

こうした知的障害のある性犯罪者の社会復帰を支援するために、年間何億円もの税金を使って治療を行っているわけですが、再犯率は高いそうなんです。この施設を出て数時間のうちに再び性犯罪を犯した人もいるのです。

この記事は10年以上も前に書かれたものですが、これによると治療を終えて社会に復帰した人達の再犯率は18%だそうです。5人に1人は再び性犯罪を犯すというのは問題じゃあないですか?

しかし、治療を行わなかった場合の再犯率は60%ということなので、多額の税金を使っていることを政府は正当化しているようなんですが。

記事によると、この施設の運営に年間630万ドルの費用がかかっているそうです。単純計算で6億3000万円。10年前にその額なら、今はその2倍はかかっているんじゃあないですかねえ。

施設に収容されている犯罪者の人数は限られています。その限られた人数の犯罪者のために、それもおぞましい性犯罪を犯した人達のために、それほどの税金が使われている。

そして、5人に1人は社会復帰後に再び性犯罪を犯す。

税金の無駄遣いと批判されても仕方がないと思います。

犯罪者達は確かに皆さんお気の毒なんですよ。全員が不幸な境遇で育っていますし、知的障害のせいで正しい判断が出来ない人もいるんでしょうけど。

社会に出て来ないようにするためにお金を使った方が良いと考える人が出て当然ですよ。

少なくとも、再犯の可能性がゼロになるまで社会に復帰させるなと批判する人達もいます。再犯の可能性がゼロにならなかったら、それはもうお気の毒としか言いようがないと。

ですからね、人が足りていなくて十分なことが出来ていないとうちの娘が感じても、人を増やすためにもっと税金を使いましょうという話にはならないのですよ。


娘は、司法心理学者を大学院修了後の進路の一つとして考えているらしいんですけど、性犯罪の被害者を支援するのはもちろんやりがいのある仕事だと思いますが、性犯罪を犯した者が社会に復帰するのを支援するというのは、やりがいを感じる仕事なんでしょうか。

研修は始まったばかりですが、一体自分はこの研修で何か達成できることがあるのだろうかと悩み始めたようです。

施設で働くスタッフが施設内で襲われることもあるそうなので、特にカウンセリング中はリスクが高いと聞きますし、お母さんはそれが心配です。


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2024年7月10日

暑さ対策と虫対策

回転するめまいが治まり、吐き気がしなくなりました。

スーパーの中で突然バランスを失ってふらついたり、運転中に頭を動かすと立ちくらみのようになったりすると危ないんですけど、今はふわふわするだけです。

ふわふわするのはいつものことです。慣れていますから、ふわふわしていても普通の暮らしは出来ます。吐き気がしないというのが嬉しいです。

さて、今日の話題は別の話。

私が初めてうちの夫の家族が住むヒールズビルという町の外れにある家でのバーベキューに行った時のことを書いた記事があります。

30年以上も前の蒸し暑い日のことでした。

その日のバーベキューで、一生忘れられないほど強烈な印象を受けたことがあるのですよ。目に焼き付いてしまって、忘れようったって忘れられるものじゃあない光景があるんです。

それは、普通の日本人には想像することすら不可能なレベルの、

ハエ!ハエ!ハエ!

「ハエ、ハエ、ハエ」という記事にその時のことを書いています。書いたのは13年も前で文章のスタイルが今とは随分違いますが、まあとにかくリンクをクリックして読んでみて下さいよ。

大げさに書いているじゃあないんです。本当のことなんです。もしかしたら、あの年はヒールズビルの町周辺でハエが大発生していたのかもしれません。その後は、あれほどのハエには遭遇していませんから。

近年ハエの数が減って来たことは実感しています。義母の家の牧場でも今はもう牛を飼っていませんし、周辺では家畜が飼われている農地が減って来ています。

ですから、義母の家でバーベキューをしても記事に書いたほどのハエの大群はやって来ませんが、家の中にハエが入って来るのは日常茶飯事です。

ハエにもいろいろいましてね、身体が大きな「ブロウフライ」(Blow Flies)と呼ばれるやつはブンブンと羽音がうるさいので、家の中に入って来ると気になってしようがないです。

ワスプ(Wasp)と呼ばれるススメバチも入って来ますよ。ワスプに刺されて死ぬ人もいます。

私達家族は、義母の家の敷地内にあったコテッジと呼ばれていた小さな家をリフォームして住んでいたんですけど、あの家は蚊の繁殖地である池の横に建っていたので蚊もひどかったです。

オーストラリアの田舎の家には、網戸が絶対に必要なのでございます。

その私達が住んでいた家を、義弟夫婦が取り壊して新しい家を建てていることは、このブログでも何度か話題にしました。

義弟夫婦が自分達でデザインしたと聞いていましたが、実際には義弟のスペイン人の奥さんが自分の好みにデザインしたそうです。

先日、牧場にトレーラーを置きに行った時に見ましたけど、新しい家はかなり出来上がっていました。なかなか素敵な家です。唯一気になったのは、新しく建てている家はキッチンとダイニングルームが中心なんですけど、西向きなんですよ。

そっちの方向に池や牧場があるので景色が良いのです。広いウッドデッキが作ってあって、大きなフレンチドア(観音開きのガラスドア)を開くと家の中と外が一体になる素敵なデザインなのですが、西向きなのです。

お昼頃から日没までお日様が照りつけますから、わたしたちがウッドデッキを作った時には屋根を付け、西側には日よけのオーニングも付けました。

義弟夫婦が建てている家のウッドデッキには屋根はありません。屋根を作ると暗くなるからだそうです。それどころか、スペイン人の奥さんは家の中にもお日様が入る明るい家にしたいということで、天窓も付けたんですって。

私達が現在住んでいる家のキッチンには西向きの窓があって、そのせいで夏場は晩ご飯作りが暑すぎて苦労しました。窓には分厚いカーテンが掛かっていますが、カーテン無しでは危険な暑さになるのですよ。

義弟夫婦が建てている家には、西向きに大きな窓やドアが作ってあるわけです。さらに天窓も作ったというんですから、暑さ対策は大丈夫なのかと心配になるわけです。

気温が40度を超えるような日は、どうやって過ごすんでしょうか。ウッドデッキからの照り返しも相当にすごいと思うんですけど。

さらにびっくりしたのは、そのウッドデッキに面した大きなフレンチドアは、完全に開放して家の中と外を一体のリビングスペースにするために、網戸を付けていないんですって。

網戸がないと、

ハエが入って来ますよ!

ススメバチも入って来ますよ!

そして、夕方になれば、

蚊がウジャウジャ入って来ますよ!


スペイン人の奥さんはイビサ島の出身で暑いのが好きなんだそうですが、海に囲まれた島の暑さとオーストラリアの暑さは比較になりません。

大型エアコンでガンガン冷やせば暑さはしのげるでしょうけど、虫はどうするんでしょうか。網戸を付けていないというのが人ごとながら心配です。彼女は、ハエもスズメバチも蚊も気にならないんですかね。

暑いのが好きなスペイン人の奥さんは、日焼け対策もしていないみたいで、夏には小麦色に日焼けしているのも気になります。オーストラリアは「皮膚がん大国」でもあるんですよ。

ご存知のように、オーストラリアの上空では紫外線を吸収する大気圏のオゾン層が薄かったり穴が開いていたりするのでね、有害な紫外線が直接人間の身体に吸収されるのです。

イビサ島の紫外線とは有害度が違うんですけど。

彼女にとっては見た目とスタイルが重要なんでしょうから好きにすればいいですけど、私があそこに家を建てるとしたら、暑さ対策と虫対策と花粉対策を優先しますね。それから省エネも。


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2024年7月9日

耳石とめまいの関係

昨日、めまいがすごいことになりました。

何度もブログに書いて来ましたけど、毎日朝から晩まで、寝ている時も向きによっては、とにかく常にめまいがしているわけでして、そのせいで吐き気もしているんです。

嘔吐してしまうほどひどくはないですけど、妊娠中の軽いつわりのような、車酔いのような感じの吐き気がずっと続いているのです。

医者に相談に行こうと思ったので、めまいをどう説明すればいいのかと昨日考えていたんです。現在のめまいは3年前に入院した時の前庭神経炎による回転性のめまいとは比較にならないほど軽いものですが、めまいのタイプが違うように思ったんです。

ふわふわするようなめまいは常にしていますけど、突然バランスを失うふらつきや立ちくらみのようなクラ〜とするめまいは、頭を動かした時に起きるのです。夜寝ていて寝返りをうった時には、特定の位置で回転するめまいを感じます。

これは、前庭神経炎の後遺症で感じているめまいとは別の、耳石が原因のめまいじゃあないかと思ったんですよ。

耳の奥に三半規管というものがあるのは皆さんご存知でしょうが、三半規管の根元あたりに「耳石器」という器官があるそうです。重力や体の方向を感知する器官です。耳石というのはカルシウムの小さな粒だそうですが、それが剥がれて小さなかけらが三半規管に入り込むとめまいを引き起こすのだそうです。

「良性発作性頭位めまい症」と呼ばれるタイプのめまいがそれです。英語では「Benign Paroxysmal Positional Vertigo}(BPPV)と呼ばれます。

三半規管に入り込んだ耳石のかけらがめまいの原因なら、そのかけらが三半規管から出れば問題解決なわけですよね。そのための「耳石置換法」というのがあるのです。頭や身体を所定の方向に動かすことで耳石を三半規管の外に出すという処置です。

私が3年前に入院した時に医者が最初に行ったのがそれでした。あの時は、耳石が原因ではなかったので役に立ちませんでしたけど。

耳石を三半規管の外に出す方法のうち、私達が家庭でも簡単に行える「エプリー法」(Epley Maneuver)というのが様々なウェブサイトで紹介されています。YouTube でもたくさん動画を見つけることが出来ます。

この方の動画は分かりやすいですよ。


日本語の動画と英語の動画をいくつか比べて見ましたが、説明されている内容はほぼ同じです。違いは、頭を所定の位置に動かして維持する時間です。

5分間も維持するようにと説明している方もいるんですが、30秒から2分程度(つまりめまいが治まるまで)維持するという説明が多いようでしたから、私もそのようにしてみました。

そうしたら、すごいことになっちゃったんですよ。

回る!回る!天井がぐるぐる回る!

あんなにひどい回転するめまいは入院した時以来でした。

しかし、入院した時には回転が何日も休みなく続きましたけど(これはつらいですよ!)昨日は頭を所定の位置に維持していると2〜3分で回転が止まったんです。

それで、めまいは耳石のせいだと確信しました。

頭を動かさないでいると三半規管内にある耳石の動きが止まるから、回転も止まるというわけですよ。

説明に従って頭を次の位置に動かすと再び回転が始まりましたが、しばらくすると止まりました。こうして「エプリー法」というのを3回続けると、回転するめまいのせいで吐き気がひどくなって嘔吐しそうになり、頭もグワングワンして耐え難く、とても晩ご飯なんて作れないので息子に晩ご飯作りを頼んでから、私はベッドに横になったんです。

「治るどころかひどくなったじゃないか、もうしないわ!」と思いながら横になっているうちに眠ってしまいました。

そして目が覚めたら、

なんと、

めまいが治ってる!

ウソみたいな話ですが、考えてみれば納得です。耳石のかけらが三半規管から外に出たんでしょう。だからめまいがしなくなったというわけです。


しかし、耳石のかけらが再び三半規管に入り込めば再発するんです。

NHKのウェブサイトには「耳石くずし体操」なるものが紹介されていました。この体操は、耳石のかけらを動かすことで影響が出ない大きさに崩すことが目的だそうです。

実は、私はこれもやってみたんですけど、「エプリー法」よりもきつかったですよ。天井も壁もぐるぐると回転しました。めまいが30秒以上治まらない場合は体操を止めろと書いてあったので途中で止めましたが、普通に座っていられないほど目が回りました。

確かに、これは耳石のかけらを外に出すためではなくて、動かすことが目的だと分かりました。動かして崩せるものなんでしょうかね。

「エプリー法」も「耳石くずし体操」も知っておくと役に立つと思います。

今日もまたやってみます。

英語版の多くの動画では、「エプリー法」はベッドの端を使って行い、頭が下方向に30度くらい傾くようにしろと説明していましたよ。そして、頭の位置を変更する時はゆっくりやってはいけないんだそうです。さっさとやらないと効果がなくなるとのことでした。


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2024年7月8日

口をきく気がしない時

オースティン病院が主催する生体腎臓移植プログラム(ANZKX)に関係するイベントに招待されたうちの夫が、ゲストを一人同伴できると聞いて義弟を誘ったと知った私は、頭に来ちゃって昨日の朝は口をきく気にもならなかったんですけど。

腹が立って黙っていると、夫が「悪かったな」と反省するだろうと期待するのは間違っています。

多くの場合、私が何故黙っているのかを理解していません。

腹が立っている時には、なぜ腹が立っているかなど説明する気にもなりませんし、「いちいち説明しなくても気付くだろう」と思うんですけど、気付かないことがほとんどです。

「怒っているようだ」ということには気付きますけど。

今回のように明らかなきっかけがある場合は分かりそうなものですが、自分が悪いことをしたとは思っていないことも多いですし、「怒っているようだけど自分は何をしたんだろうか…」と困惑しているというのが落ちなんですよ。

そういう時は、再び私が口をきくようになるまで待ち続けるもんですから、険悪な状態が長く続いたりもするわけです。

昨日はうちの夫が勤めるツールショップにまた泥棒が入ったとかで、帰って来るなりビデオを見せながらその話でしたから、私は腹が立っていたことなど忘れてしまいましたよ。


昨日の朝は「晩ご飯なんて作ってあげたくない」と思っていましたが、ちゃんと作りました。

でも腹が立っていたので、夫のために減塩料理を考えたりする気もしなくてね、具だくさんスープはベーコン入り!メインは豚肉で作った他人丼!

ベーコンは自分が食べたい時のために買っておいたやつです。塩からいベーコンのおかげでスープはしっかり塩味がしましたし、他人丼には醤油を普通に使いましたよ。

ですから、昨夜の晩ご飯だけで、塩分の一日当たりの目標摂取量3.75グラムを超えていると思います。

腹が立つと血圧に良くないですね。今日からまた減塩を頑張ります。


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2024年7月7日

頭に来て当然ですよね

頭に来たと言うか、呆れたと言うか。

うちの夫のことですけど…

昨日は仕事が休みの日だったんですけど、勤務予定だったスタッフのJさんが病気だと連絡して来て、スタッフが足りなくなりましたので夫が出勤したんです。Jさんはしょっちゅう土曜日に病気になります。

こういう場合に、休日を返上して夫が出勤するというのは良くあることです。

土曜日は4時に閉店しますから、夫は4時半過ぎには帰宅しましたけど、帰宅した時には誰かと電話で話していたので、私には「ただいま」も言いませんでした。ずっと電話でしゃべり続けていました。

良くあることです。

こういう時、私はキッチンで晩ご飯の準備をしていることが多いですが、いつもなら電話が終われば夫はキッチンにやって来て「ただいま」と言って、その日にあったことなどを話すのですが、昨日はキッチンにやって来ませんでした。

私に何も言わずにどこかに出かけたのかと思いました。

それも良くあることです。

しかし、夫はどこにも出かけていなくて、いつものように居間のテレビの前に座っていたのですよ。

「いたの?どこかに行ったかと思ったわよ!ただいまも言わないのね」
「おー、ソーリー」

夫はうちの娘と話していたと言いました。娘は引っ越したばかりですからね、新しいシェアハウスで上手く行っているのかどうか気になって、仕事からの帰りに電話をしたらしいです。私はてっきりドバイ在住だけどほとんどいつも旅行をしている義妹と話しているのかと思いました。

ちょうど帰宅した時に聞こえて来た会話で、義弟(夫の弟)と話をしたと言っているのが聞こえたので、何かニュースがあったかと私はたずねました。この義弟は、先月ヨーロッパへ旅行して、ポルトガルとイタリアのコモ湖に行っていたんですけど、帰国してすぐに新型コロナかインフルエンザかで寝込んでいたのです。

義妹と義弟は世界中を旅行しまくりなんですよ。ホントにうらやましい話なんです。

さて、ここからが問題です。

うちの夫は義弟に電話をしたと言いましたが、電話をした理由は義弟の体調を心配したからではなくて、あるイベントに一緒に行きたいかどうかをたずねるためだったんですよ。

そして、そのイベントというのが問題なんです。

うちの夫が、昨年「Australian and New Zealand Paired Kidney Exchange (ANZKX) Program」という生体腎臓移植プログラムに参加して腎臓を一つ提供したという話は、このブログでも繰り返し書いてきましたからご存知の皆さんも多いと思いますけど。

このプログラムの中心になっているオースティン病院というのがあるんですが、この病院が主催する生体腎臓移植プログラムに関するイベントがあって、うちの夫が招待されたと言うんです。

スピーチを頼まれたわけではないのですが、メディアの取材とかポッドキャストのインタビューとかでこのプログラムにはいろいろ協力して来ましたからね、こうしたイベントに招待されるのは当然だろうと思います。

このイベントに、夫はゲストを一人同伴出来ると言われたそうなんです。それで、義弟に一緒に行きたいかと聞いたと言うんですよ。義弟はぜひ行きたいと答えたそうなんですが。

ちょっと待ってよ!

どうして私を誘わない?

腎臓提供に向けての検査が始まってから実際に腎臓を提供するまでの2年以上、病院への送り迎えや、時には夫の尿が入った4リットル容器をクリニックまで運んだりもしましたし、減量のための料理や、夫の健康管理や、いろいろと協力して来たのは誰ですか?

摘出手術後も大変でしたよ。手術直後に引っ越しをしましたからね。重い物を持てない夫は役に立たず、荷造りからトラックでの荷物の運搬まで私は一人で本当に大変だったんですよ。

手術後には血圧が高くなって脚がむくむようになり、たんぱく尿も出始めました。血圧を下げるために、毎日減塩料理を作っているのは誰ですか?病院への送り迎えをしているのは誰ですか?

夫の腎臓提供で一番大きな影響を受けて苦労して来たのは、

この私でしょ!

「なんで義弟を誘ったのよ!なんで私じゃないの?」(怒)
「え?ヒロコには退屈だろうと思ったから…」
「退屈かどうかは行ってみないと分からないでしょ!」(怒)
「こういうイベントには興味がないと思ったし…」
「まずは行きたいかどうか私に聞くべきでしょ!」(怒)
「ヒロコが行きたいんならヒロコと行く…」
「ゲストは何人同伴出来るわけ?」(怒)
「一人…」
「それで私に聞きもせずに義弟を誘ったの?」(怒)

頭に来て当然ですよね!


一般常識に照らし合わせてみて理解出来ないような判断をすることがあるんですよね、うちの夫は。思考回路がおかしいと言うか。

これまで何度も繰り返しがっかりさせられて来ましたけどね。双極性障害が原因だったかもしれないと思うこともあって、仕方がないと納得するしか無い時もありましたけど。

こういうイベントは、私よりも義弟の方が楽しめるとでも思ったわけ?それとも単純に義弟と一緒に行きたかったの?

失礼な話ですよ。

しかし、気が付いて良かったです。

もしかしたら、イベントの前日ぐらいに「明日はコレコレこういうイベントがあって義弟行くことになってるから」と突然言ったかもしれません。

直前に知らされて、夫が義弟と一緒に行っていたら、私は頭に来るでは済んでいませんよ。

義弟は、このイベントに行けなくなってもがっかりすらしないでしょう。義弟にとっては、自分の兄が腎臓を提供したってだけのことで、ここに至るまでの苦労も何も知らないんですからね。

ああ、ホントに頭に来たわ。

今日はもう晩ご飯も作ってあげたくない!


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