子供の頃というのは、「家庭」と「学校」という二つの世界で生きているのでして、その「家庭」の方が苦しい場所だった私にとっては「学校」は救いの場所でした。
私は、勉強も体育も図工も音楽もそこそこに良くできて、先生達に認められるので気分が良く、学ぶこと自体が楽しかったですし、私は学校が大好きでした。
恵まれた家の子供達に負けたくないという思いと、頑張って良い成績を収めることで苦労している母を喜ばせたいという思いがありました。いわゆる「出来る子」だった私は、常に良い成果を出すために頑張っていました。
学校では、強く、明るく、前向きで、元気いっぱいだったかもしれません。しかし、非常に脆いところもあったのです。
学校は確かに救いの場でしたが、良い成績を出せないことや期待に応えられないことに対する不安はいつも感じていたんです。恵まれた家庭の子供達に劣等感を持っていましたから、そいういう子供達に負けられないというプレッシャーがありました。
そんな私でしたから、希望していた高校に進学出来なかったことは大きな挫折となったのです。
中学時代に親しくしていた人達は皆んな希望の学校に進学し、私は不本意な高校進学で目標というものを失い、勉学への意欲を無くしました。
一方、家庭では常に不安と怒りを抱えて緊張していました。
そんなある日の朝、目が覚めたら、
口が全く開かなくなっていたんです!
顎関節が完全にロックしてしまっていました。痛みは無かったです。ただ、口を開けることが出来ないのですから食事に困りましたし、普通にしゃべることも出来ませんでした。
地元の病院や、接骨院にも行きましたが、何をどうやっても口は開くようにならず、最終的には専門医に診てもらうしか無いということで、母と一緒に岡山大学の附属病院に行ったんです。
病院に行くだけで2時間以上かかり、長い待ち時間の後やっと診察してもらえて言われたのは、心因性の顎関節症だということでした。
「何だそれ?」という感じでしたね。
当時、顎関節症は珍しい病気でした。全く口が開かない私に、大学病院の医者も困惑気味だったことを覚えています。精神的なものが原因で開かなくなっていると言われても理解出来ませんでした。
特に治療はしてもらえず、歯の中心の位置をずらさないように真っ直ぐに口を開ける練習をしなさいと言われただけで、非常にがっかりして帰宅したのを覚えていますよ。
しばらくして指1本分くらいは開くようになったので食事は出来るようになりましたが、指1本分では様々な苦労がありました。指2本分くらい開くようになるまでに何ヶ月もかかりました。
私のように食事もできないほど口が開かなくなった場合、現在なら治療法があるそうです。弛緩剤で緊張し過ぎている筋肉をゆるめ、口を開くんだそうですけど。
心因性で口が開かなくなったことも、今なら理解出来ます。
あの頃は、家にいると息が詰まるようでした。父親と出来るだけ顔を合わせないように自室にこもりっきりでしたが、顔を合わせれば何か言われて腹が立ち、腹が立っても何も言い返すことが出来ないので、私はよく自室の壁や机の見えない所になぐり書きをしたり鉛筆を突き立てたりしていたんですよ。
そして、しょっちゅう声を殺して泣いていました。
ものすごいストレスを感じていたわけですからね、無意識に歯を食いしばったり寝ている間に歯ぎしりをしたりして、顎関節に負担をかけていたのでしょう。
そう言えば、肩こりがひどくて病院にも行きましたが、肩こりもストレスが原因だったと思います。
頭痛もひどくてバファリンという鎮痛薬を頻繁に飲み、その度に耳が聞こえにくくなったりもしていました。
今から思えば不安障害の発作のようなものも経験していました。理由の分からない動悸や身体の力が抜けるような感じがしたり、非現実的な悪いことが起きることを想像して冷や汗をかいたりしていたのです。
しかし、当時は、こうした悩みを相談出来る人はいなかったですし、精神的な病気への理解も全くありませんでした。
ですから、心因性で口が開かなくなるなんていうのは、わけが分からなかったのです。
今は顎関節症も精神的な病気も研究が進んでいます。お困りの方は、お医者さんに相談して下さい。
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