2025年11月9日

良くなってはいなかった

熱も下がってかなり治ったと思ったのは薬のせいでした。

薬が切れるとまた高熱が出る。

咳は出なくなりましたが、今度はくしゃみが出ています。くしゃみも体力を消耗しますね。花粉のせいかと思って抗ヒスタミン薬を飲んでみたけど、やっぱりくしゃみは出る。

私が旅行から帰って来て、晩ご飯作りの苦労がなくなるはずだったうちの夫は、連日お料理をしています。昨夜はハンバーガーを作っていて、肉を焼くにおいが臭くてたまらなかったですよ。

昨日は息子の誕生日でしたが、何も出来ませんでした。

早く元気にならなくちゃ。


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2025年11月8日

風邪はかなり良くなりました

昨夜は38.6度の熱が出て、激しい咳が続いていたせいで喉が痛くて頭痛もひどく、さんざんな誕生日でしたが、「Nurofen」という薬を飲んだら楽になりました。

「Nurofen」はイブプロフェン薬ですけど、解熱・鎮痛効果に加えて抗炎症作用もあるということなので、それが喉の炎症に効いたんでしょうか。熱も下がったし、今朝は楽になりました。

楽になったとは言え、ケーキを焼いたりは出来ません。今日はうちの息子の誕生日ですが、ご馳走とバースデーケーキは元気になってからです。


しかしねえ、咳がひどかったので体力を消耗しましたよ。息が苦しかったし高熱が出たのもつらかった。

メルボルンの家に帰ってから病気になったのは幸いでした。岡山の実家にいる時に病気になって、90歳になる母にこの風邪をうつしていたらと思うと怖いです。

うちの息子が東京のどこかでウイルスに感染して病気になったのが始まりですけど、どこでどんなウイルスをもらうか分かりませんね。人が大勢いる場所や電車のように密集している場所ではマスクをした方がいいですよ。


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2025年11月7日

旅行中でなくて良かった

日本からの帰りの機内で風邪を引いたようだと言っていたうちの息子は、終始マスクをしていましたが、次第に鼻水、くしゃみ、咳の症状が出始めまして。

「寒くてたまらない」とパーカの上にダウンジャケットを着て、さらに毛布までかけていたから熱も出ていたんでしょう。翌日から寝込んでいます。旅行中でなくて良かったですよ。

実は今日は私の誕生日なんですが、息子は病気なのに私のためにケーキを焼くとか晩ご飯は自分が作ると言うので、そんなことは気にせずにしっかり寝ろという話をしたのが昨晩のこと。

その頃から私も咳が出始めていたんですけど、咳はどんどんひどくなり、今朝は熱も出ています。息子の風邪をもらったと思います。

私の誕生日はどうでもいいんですけど、明日は息子の誕生日なんですよ。毎年必ず作って来たバースデーケーキ、今年は作れないかもしれません。

とにかく寝なくちゃ…


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2025年11月6日

こんな偶然あるか?

今日の話題は、一昨日、日本からメルボルンに帰って来た時に起きた「信じられないような出来事」についてです。

品川駅での大パニックの後、何とか無事に成田空港で待つ息子と合流し、1ヶ月間借りていたポケットWiFi(これは超絶便利だった!)を返却してから、ヤマト運輸の空港宅急便で送っていた荷物もちゃんと受け取りました。成田エキスプレス運休以外はすべてが順調でした。

カンタス航空カウンターで荷物を預け、出国手続きも終わって、あとは搭乗を待つだけということになってやっと安心出来ました。ホントにねえ、岡山の田舎からは、ここまで来るのが一苦労なんですよ。

機内で晩ご飯が出ると分かっていましたが、少し腹ごしらえをしました。これは正解でしたよ。気流の関係で飛行機が揺れて食事の提供が遅れたので、この時に食べておいて良かったです。

搭乗ゲートの前は多くの人で混雑していました。有難いことに座ることが出来たので、息子としゃべりながら搭乗時間が来るのを待っていた時です。眼の前に誰かが突然しゃがみ込み、私をじっと見ながら「あのう…」と言ったんです。

「誰?」と思いながらその人の顔を見ました。

えっ!どうしてここにいるの?

それは、長年の友人Hさんだったんです。Hさんが日本語の先生だった関係で30年近く前に知り合って、以来家族ぐるみで親しくして来たんです。

Hさんの旦那さんは日本人で、実家が埼玉にあります。息子さんは日本の企業に就職したので、首都圏で暮らしています。

その人が突然目の前に現れたんですからもうびっくりですよ。

息子さんと旦那さんのお父さんに会うために夫婦でやって来て、Hさんだけが一人早めに帰国していたんです。

同じ日に同じ便に乗るというのもすごい偶然ですけど、多くの旅客で混雑していたゲート前でばったり会うのもすごい偶然で、しかも私達は、

座席が同じ列だったんですよ!

こんな偶然あるか?

Hさんに会ったのは2年ぶりぐらいでした。久しぶりに家族のことなど話が出来て楽しかったです。


旦那さんが仕事を退職されたのでHさん夫婦はリタイヤ生活となり、今は自由に旅行を楽しめる暮らしだそうです。

今回の旅行では、息子さんのアパートに滞在した後、埼玉の実家に滞在しておられたそうで、旦那さんは92歳になったお父さんともうしばらく一緒に過ごしてから帰国するそうです。

お父さんは今も大変お元気だそうです。身体の方は弱くなって来たけど、頭が切れて記憶力もすごいと聞いて、私もうちの母親のことを自慢しましたよ。

Hさんの旦那さんがメルボルンに帰って来たら、久しぶりに集まって一緒に食事をしようと話しました。楽しみです。


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2025年11月5日

成田エクスプレス運休でパニック

今朝、無事にメルボルンの自宅に帰って来ました。

自宅に着いたのは日本時間の8時頃。前の日の朝9時半頃に岡山中西部の実家を出たんですから、一日がかりの旅です。この旅のうち最も大変なのは、成田空港までの移動なんです。

今回は行きも帰りも新幹線を利用したんですが、飛行機を利用するのと時間的には大差が無いのと、乗り慣れているJRの方が目まいの心配がある私にはいいだろうと思ったからですけど、次回は飛行機を利用しますよ。

鉄道を利用した場合のリスクを、私は考えていませんでした。天気が良好でも鉄道は運休することがあるのです。

新幹線から成田エキスプレスへは、以前は東京駅で乗り換えていたんですけど、品川駅の方が乗り換えが簡単だとJRの人に勧められたので、品川駅での乗り換えにしました。成田エキスプレスが発着する13番線まで、時間通りに進みました。

ところが、ホームに行ってみると電光掲示板に成田エキスプレスの発車案内が出ないんです。これはおかしいと思って駅の人に聞こうと思ったんですが、誰もいませんでした。

駅の窓口まで行っている余裕がなかったので、私は警備室と書かれた小さな建物の鉄のドアをノックしたのでした。そこに女性の駅員さんが入るのを見たからです。

ドアが開いて現れた駅員さんに、成田エキスプレスの切符を見せながら聞きました。

「すみません、この列車に乗りたいんですけど」
「ああ、この列車はですね、キャンセルされたんです」
「ええーっ!」
「踏切で事故がありまして、この次の列車もキャンセルされました。まだ復旧の目処は立っていません」

次のにも乗れないとなると、飛行機に遅れてしまいます。息子とは成田空港で落ち合うことになっていたので、一人で行くしかありません。私はもうパニック状態です。

駅員さんは大変ご親切に「京急線で行くのが一番早く着きます」とおっしゃいました。その時、午後2時半頃でしたが、2時39分発の成田空港行きがあるからそれに乗るようにとおっしゃいました。

しかしですね、私には「京急線って何?」「ここからどうやって行くの?」「切符はどこでどうやって買うの?」状態なわけです。

その時、私の後ろで駅員さんと私の会話を聞いていた男性がいました。その方も私が乗る予定だった成田エキスプレスに乗る予定だと分かりました。女性も一緒でしたが、そのお二人は駅員さんがおっしゃっていることがよく分かっているようでした。

JRの切符で「京急線の電車」に乗れると分かるとすぐにそっちに向かわれようとしました。

「すみませんが、私には何が何だかさっぱり分からないので、一緒に行ってもいいですか?」と言うと、「いいですよ、一緒に行きましょう」と言って下さったんです。

ふと見ると、私達の会話を聞いている人がもう一人いました。金髪の外国人女性でした。英語で話しかけてみると、その外国人も私と同じ状況だったので一緒に行こうと誘いました。

こうして、私達は男性に誘導されて京急線の成田空港行きの電車に乗ることが出来たんです。電車を待っている間の話から、なんとその男性は岡山の倉敷出身だということも分かりました。

金髪の女性はアメリカ人でした。その方が乗る飛行機は5時半発でしたが、京急線の電車は4時に成田空港に着くことが分かったので、なんとか間に合うということで大変安心されていましたよ。

私は親切に助けてくださった男性と連れの女性に心からのお礼を申し上げて、成田空港第2ビル駅で降りました。息子はすでに成田空港に到着していて、私は無事に約束の場所で息子と合流することが出来たんです。

空港には早めに着くように家を出ていたので、トラブルがあっても影響はありませんでした。それでも、あの親切な男性に会わなかったら、私はどうなっていたか分かりません。相当な苦労をしたでしょう。だって、本当に品川駅で成田エキスプレスに乗り換えるということしか知らなかったですからね。


いろいろ調べてみると、カンタス空港を利用することにこだわらなければ、日本航空のメルボルンからの直行便で成田まで行き、羽田に移動してその日のうちに岡山空港まで来る方法があるようです。

早朝の出発で深夜の到着ですから、いずれにしても体力はいります。

それでも、今回20年ぶりに息子と一緒にですけど旅行してみて、次回は一人でも来れそうだと思いましたので、次回は飛行機での移動を考えます。

それにしても、本当に助かりました。

誰かに親切にされると、自分も誰かに親切にしたいと思いますね。


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2025年11月3日

日本滞在最終日

10月6日から岡山の実家で過ごして来ましたが、今日が最終日です。明日の朝9時半に家を出て6時間がかりで成田空港まで行って、東京で旅行を続けている息子と空港で落ち合って一緒に帰ることになっています。

昨日の日曜日には私の2人の妹達も実家に集まり、母と私達3人姉妹との4人で楽しい一日を過ごしました。もちろん、母は朝から大張り切りで美味しい料理を次々と作り、先日作ったこしあんで柏餅まで作ってくれたんですが、その手際の良さには目を見張らされましたよ。すごいんですから。

柏餅を作ると言うので葉っぱはどうするのかと聞くと、葉っぱはちゃんと冷凍庫に保存されていました。あんこはお団子やお餅を作る場合の1個分を30グラムとして、10個分ずつを棒状にして冷凍保存してありました。これを解凍している間に生地を作って、あっという間に柏餅を作ったんですよ。

昨日は私のリクエストで「五目おこわ」も作ってくれました。もちろん前日から材料は仕込んでいました。

私は「五目おこわ」は炊飯器で作るんですが、蒸し器で蒸して作る母の「五目おこわ」は比べ物になりません。母から一度ちゃんと習いたかったのに一緒に作って習う機会はこれまでなかったんです。昨日はメモを取りながらちゃんと習い、妹に蒸し布も買って来てもらいましたので、メルボルンに帰ってから作ってみます。

妹達とはいろいろな話をしました。思い出話や家族のことなども話しましたが、現実的な話もしました。実家の家の名義変更のことなどです。現在は今年亡くなった父の名義になっていますが、これをどうするかという話です。

実家のある岡山県中西部の町周辺は過疎化が進み、空き家が増えています。実家の近所も空き家だらけです。現在90歳になる母が一人で暮らすこの家もいつかは住む人がいなくなる時が来るわけですけど、その時どうするかという現実的な問題を話し合っておかなければいけませんでした。


実家滞在最終日の今日も、母は私に美味しいものを食べさせようと朝からずっとお料理をしています。ちらし寿司を作ろうとしているようです。晩ご飯は、そのちらし寿司と焼いた塩サバだろうと思います。最高のご馳走です。

滞在中ずっと美味しいものを作り続けてくれた母に感謝です。とにかく元気で頭脳明晰な母ですから、転んで骨折するとか新型コロナのような厄介な病気に感染したりしなければ、まだまだ元気に長生きしてくれそうな気がします。

私も目が回っていなければ一人で旅行が出液そうなので、次回は息子の助けなしで来れそうです。毎年会いに来れるほどの経済的な余裕はありませんが、出来るだけすぐにまた来ようと思っています。


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