2024年7月20日

最大のトラウマとなった出来事

保育園に通っていた頃、私は他の子供達から「赤ん坊大将泣き大将」と野次られることがありました。

5〜6歳の頃のことですけど、他の子供達に対して偉そうに威張り散らしたり威圧的な態度を取り、気に入らないと乱暴な言葉を浴びせていたらしいです。小学校低学年の頃の通知表にもそのようなことが書いてあります。

時々コントロール出来なくなるほどの激しい怒りを感じるものの、批判されたり反発されると一転して泣き出す。そういう子供でした。

生まれながらにこうした性質を持っている子供はいませんよ。幼い私がそういう子供に育った理由は、家庭にあったはずなんです。

私の父親は、家の外では陽気で面白い人という評判でした。家の中でも機嫌が良い時は評判通りの人でした。しかし、何かの拍子に激昂するのです。

怒った時の恐ろしさは少し大きくなってからの記憶にはありますけど、記憶のない幼い頃にも激昂して怒鳴っていたことは明白なんです。

私が他の子供達に対して威圧的な態度を取っていたのも、精神的にもろい子供だったのも、そうした父親の態度に問題があったと思います。

自分が怒鳴られるのはもちろん怖いのですが、妹達が怒鳴られたり叩かれたりロープで縛られたりしているのを見ることも、私に恐怖を与えました。気をつけないと自分もああいう目に遭うと思いますからね。

父親の機嫌を常に気にして、叱られる理由を作らないようにと細心の注意を払う習慣が出来ていました。常に不安を感じて緊張しているわけですからストレスが溜まります。

また、父親は私が言い訳を言ったりして何か言い返すと「口答えするな!」と激昂しましたから、理不尽な理由で叱られても怖くて何も言い返せない子供になったわけです。

私に出来る最善のトラブル回避方法は、父親に何かを言われる状況を出来る限り作らないことですから、小学校の中学年頃からは部屋にこもって勉強していたものです。

しかし、夕食は一緒に食べなくてはいけません。これが緊張の時間でした。箸の持ち方から食べ方までガミガミと注意されました。何を言われても黙って言われるとおりにしなくてはいけませんでした。

中学生になって、私は映画を見ることが好きになりました。夜の9時から始まる「月曜ロードショー」とか「水曜ロードショー」といった番組で映画を見るために、宿題も予習も全てをそれまでに終わらせるようにしていたんですが、必ず文句を言われました。

テレビがある部屋のブレーカーを落とされてテレビを見れないようにされることも度々でした。それを批判するようなことを言えるわけがありませんが、自分でブレーカーを上げてテレビを見続けようとすると激昂する場合もありましたから、映画を見るのをあきらめて自室に戻って泣くなんてこともしょっちゅうでしたよ。とにかく息が詰まるようでした。

それでも育ててもらった恩があると思っていましたし、大学にも行かせてくれたんですから、大人になってからの私は父との関係を修復するべきだと思いました。そして、普通の親子のようになろうと無理をしたと思います。

オーストラリアに来て結婚し、二人目の子供が生まれた後、今から思えばうつ病の始まりだったのですが、私はひどいホームシックのような状態になりました。毎日とても悲しくて、母親がいる日本の家家に帰りたいと思うようになりました。実家に帰れば助かるような気持ちでいました。

子供達を連れて、経済的にも仕事の面でも無理をして帰ったんですけど、帰国当日に息子が病気になり高熱が出ました。飛行機の中では鼻血を出し、大変苦労して岡山の田舎の実家にたどり着きました。私の2人の妹の子供達が来ていて家はにぎやかでした。

しかし、実家に戻っても私の心は全く穏やかにはならなかったのです。父親が不機嫌だったからです。あれこれとガミガミ言い続けるので、私は苦しくなりました。実家に戻れば安らぎが得られると思っていたのに、まるで反対でした。

すでに精神的にいっぱいいっぱいだった私は、実家でさらに精神的に追い込まれて行きました。

そして、一緒に来てくれていた夫がオーストラリアに戻った後のことです。実家には猫がいたので猫アレルギーの私は鼻水が出るんですけど、居間にあったティッシュを1枚取って鼻をかんだ時です。

そこにいた父親が、突然怒鳴ったんです。

汚え!あっちへ行ってやれえ!

恐ろしい顔でした。

その怒鳴り声で精神的な限界を超えた私は、オーストラリアに戻っていた夫に電話をして家に帰りたいと伝えました。無理をして日本に来たばかりだったのに。

この出来事が私にとっての最大のトラウマになっています。苦しくてたまらないのをなんとか耐えていたわけですが、それが怒鳴り声で押しつぶされました。

それでも、その時は母親が父親の態度を批判してくれて、私は気を取り直して何ヶ月が滞在したんですが、実家にいる間は無理をし続けたと思います。

その後、夫の仕事の関係で一時期家族で岡山の総社という街に暮らしたことがあります。夫が仕事で不在なことが多かったのと、子供達が私の母親と一緒に過ごせる時間を作りたくて、しょっちゅう実家を訪れていました。

しかし、実家では常に不安がつきまとっていたんです。

私が子供の頃に経験したような出来事が、私の子供達に起きたらどうしようかという不安です。私の父親が子供達を傷つけるようなことを言ったりしたりするのではないかと心配で、常に見張っていました。

実家は心が休まる場所ではなかったのですよ。

私は次第にうつ病が悪化して住んでいたマンションの部屋から出られない日もあり、晩ご飯も作れないのでコンビニのお弁当が晩ご飯という日も増えました。治療が必要なのにその街にはこうした問題を相談できる医療施設がありませんでした。オーストラリアに戻るしか選択肢はなかったです。

もう18年も前のことです。その後、一度も実家には戻っていません。

父親も高齢になり、子供の頃のことは忘れて、父親を許してあげたらどうかと思う人もいるでしょうが、当事者にとっては60歳を過ぎた今になってもトラウマになった出来事は忘れられるものではないんです。

いつまた大きな怒鳴り声を上げて私を傷つけるか分からないという恐怖や不安は消えません。恐怖や不安だけではありませんよ。長年に渡って蓄積された怒りや嫌悪感は、時間の経過とともに消えて無くなったりしないのです。

家庭というのは、子供達が安心できる場所でなくてはいけません。子供が不安や緊張を感じながら育つのは、親に原因があるんです。

家庭に不安や緊張が生じる原因は、身体的あるいは精神的な暴力、両親の不仲、子供を支配しようとする言動や過干渉、ネグレクトなどいろいろありますけどね、皆さんの家庭が子供さんにトラウマを生むような場所でないことを祈ります。


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