2025年7月15日

来年の家族旅行はどうする?

クイーンズランドのリゾート地「ポートダグラス」への家族旅行のことを書いて来ましたが、これはうちの夫の父親が旅行費用を全負担して主催した家族旅行でした。夫の父親は、こうした家族旅行を2018年から毎年のようにやっているんですが、私は今回初めて参加したんです。

航空券の手配とかホテルやクルーズツアーの予約などをしたのはドバイ在住の義妹(うちの夫の妹)だったそうですけど、費用を払ったのは夫の父親でした。ホテルの滞在費だけで2万ドル(200万円)以上かかったと夫が言っていました。

その父親が、もう来年の家族旅行を考えているんだそうですよ。カジノで儲けたお金を全部使うつもりなんでしょうか。そのうち破産するんじゃあないかと心配になりますが、毎年の家族旅行が生きがいになっているようです。

来年も家族旅行をするのなら今から計画や準備を始めないといけませんから、どこに行こうかと考え始めたのでしょうけど、私はもう参加しないかもしれません。タダで旅行が出来るから参加するというわけには行かないと、今回思い知りましたからね。

まずは、一緒にいたくない人と旅行をするということに無理があるんです。これが最大の問題です。父親の中国人の奥さんの言動は、二人が結婚した当初から不愉快に感じることが多くて、私はずっとお付き合いをして来なかったんですけど、今回の旅行中に嫌悪感が増して、最後の日には口を利く気もしなかったです。

そして、全て父親のお金に頼った旅行というのは、やはり気分が悪いのですよ。費用を払ったのは夫の父親で中国人の奥さんの世話になったわけではないですが、この人に「家にいたんじゃあこんな経験は出来なかったでしょ?」と恩着せがましく言われた時には、頭の血管が切れそうになりましたよ。

旅行の行き先や宿泊場所というのも、参加しないかもしれない理由です。蒸し暑いのが嫌いな私には、蒸し暑いリゾートでは楽しめることがあまりありません。蒸し暑さを耐え続けるのが苦痛なんですから、そんな所には行く意味がないです。

それに、町から離れているリゾートホテルに宿泊する場合、リゾートホテルそのものが目的でないとすることが無いんですよ。私はプールで遊んだりプールサイドで時間を過ごしたりすることに全く興味が無かったので、退屈で困りました。

これまでの家族旅行は、海辺のリゾートみたいな所ばかりに行っています。次の旅行もまたどこかのリゾートだったら、私は参加しませんよ。

それからね、宿泊する場所はよく考えて決めないといけません。ポートダグラスのような公共のバスもタクシーも無い町で中心部から離れた場所に宿泊すると、とにかく不便なんです。

ポートダグラスでは、ウーバーかミニバスの送迎サービスを利用するしか移動の手段がありません。私達が行った時は学校の休みの関係で旅行客が多かったので、ウーバーがなかなか手配出来ませんでした。

ミニバスは、町まで片道が1人9ドルもしたんですよ。家族皆んなで移動すると1回行く度に片道100ドル(1万円)以上かかりました。中心部に近かったら、もっと気楽に食事も出来たはずです。

滞在費用のすべてを夫の父親が払うことになっていたので、ホテルのレストランでの高額な食事を遠慮したせいで、私はお腹が空いたんです。特に後半の2日間、どこにも行けなかった私と息子は部屋にある電子レンジで作ったポリッジ(オーツ麦のミルク粥)ばっかり食べ続けました。この旅行で体重が1キロも減るとは思ってもいませんでしたよ。

他人頼りの旅行に自由はありません。しかも幼い子供がいる家族旅行では、出来ることに限度があります。そういう団体旅行に参加するなら、自分がしたいことを自分の都合に合わせてするのは不可能だということを最初から納得して行く必要があります。


そして最後に、今回の旅行の最大の反省点は、

睡眠問題への準備です!

自分一人だけの部屋に泊まれないんですからね、絶対に睡眠が問題になるんです。旅行に行く時には日数分の睡眠薬を必ず持参する必要があるということですよ。

正直言うと睡眠薬は日数分あると思っていたんですけど、実際には3日分しか残っていなかったんです。行く前にちゃんと確認して処方してもらっておくべきでした。10月に日本に行く時には必ず処方してもらいます。

まあとにかく、今回の家族旅行は正直言って退屈しました。楽しめた時間はありましたけど、熱帯地方のリゾートにはもう行きたくありません。来年もまたどこかのリゾートに滞在するような旅行になるなら、私は行かないと思います。


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2025年7月14日

ポートダグラス4日目と帰宅

最終日はメルボルンに帰るだけですから、ポートダグラスでの4日目が旅行の最後の日でした。

それなのに、睡眠時間が1時間半だった私はゾンビのようになっていました。もっとひどい状態だったのが息子ですよ。風邪の症状が悪化して咳がひどくなり、痰が出続けていました。それでも、寒がっていなかったので熱は下がったようでした。

この日の朝も、ポリッジ(オーツ麦のミルク粥)を作って食べました。2日連続で朝も晩もポリッジを食べて、息子も私もうんざりしていました。毎日ご馳走を食べに出かけていた夫には分からなかったでしょう。

翌日はメルボルンに帰る日でした。息子は完全に病人状態でしたから、こんな状態で飛行機に乗ってもいいのかと悩みました。メルボルン空港に着いてから家まで誰が車の運転をするのかという問題もありました。ゾンビ状態の私に夜の運転など不可能ですからね。

この日は、うちの夫もほぼ一日中昼寝をしていたので、我が家の3人は全員がホテルの部屋で寝続けた(私は眠ってはいないけど)最終日だったんですよ。最悪でしょ?

お昼過ぎまで寝て、息子はかなり良くなったように見えました。お腹が空き過ぎていたので、夫の父親に気兼ねをしながら再びホテルのレストランに行きました。和食が恋しくなっていた私は「弁当ボックス」という料理を頼んだんですけど、それは握り寿司4個と小さな巻き寿司が少々と4種類のどぎつい色をした漬け物が大量に乗ったプレートでした。「ボックス」じゃあないのです。

小さな紙コップには醤油がなみなみと入っていましたよ。たった4個の握り寿司のために。これが40ドル近くしたんですけど、史上最悪に不味い寿司でした。料理が出てくるまでに1時間近くかかったので、ご飯を炊いていたんではないかと思います。そのご飯がですね、ベチョベチョなのに芯があって、味も悪くてね、食べれたものじゃあ無かったです。

ポートダグラスの5つ星高級リゾートホテル「シェラトン・グランド・ミラージュ・リゾート・ポートダグラス」では、お寿司はやめておいた方がよろしい。お金を捨てるようなものです。

夜になり、晩ご飯に再びポリッジを作って食べた頃、タイ料理レストランに行こうという連絡が入りました。夫は出かけて行きましたが、息子と私は行けるわけがありません。

こうして、後半の2日間をホテルの部屋で過ごし、ポリッジばかり食べ続けた私と息子は、私は1キロ、息子は1.5キロも体重が減ったのでございますよ。旅行でご馳走を食べ過ぎて太ると思っていたのに痩せるとは!

世界最古の熱帯雨林「デインツリー」へは行きませんでした。レンタカーが借りられず、ウーバーを使うと数百ドルもかかると分かったからですけど、息子が病気になりましたし私はゾンビ状態ですからね、行くのはあきらめました。


こうして、翌日の土曜日に、ケアンズ空港からメルボルンに戻ったわけですが、ポートダグラスとケアンズの間の道路は、最近の大雨による洪水や土砂崩れのせいで各所で工事をしていました。海の水が泥色なのも大雨のせいです。飛行機から見ると大規模に海が泥色になっているのが分かりましたよ。

格安航空会社ジェットスターは、帰りの便は遅れませんでした。安いだけが取り柄の航空会社です。長距離では利用したくないです。

息子は帰りの日はかなり回復していて熱もなかったですけど、咳が出るのでずっとマスクをしていました。風邪を他の乗客にうつしてはいけませんからね、本来なら乗るべきではなかったかもしれません。メルボルン空港からの車の運転も頑張ってくれたので助かりました。

家に戻ってから息子の風邪は悪化しました。10月に日本に旅行する時にこういう事にならないように気をつけなくてはいけませんよ。

私の睡眠不足は解消しました。自分のベッドで寝たら、ぐっすり7時間ぐらい眠れたんです。もちろん睡眠薬なしで。昨夜もぐっすり眠りました。涼しいし(と言うか寒い)真っ暗だし静かだし誰かのせいでベッドがグワングワンと揺れたりしないし。

やはり、睡眠のためには自分だけの寝室で一人で寝ることが必要不可欠です。

まあとにかく、自分の家は気楽でいいです。「身の丈にあった」という言葉がありますけど、熱帯地方の高級リゾートホテルというのは、私には分相応ではないです。私の興味関心にもまったく合いません。最初から分かっていたことですけどね。


ポートダグラス、美しい場所ですけど、もう二度と行くことは無いでしょう。


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ポートダグラス3日目

この日の前日、うちの夫は夜遅くまで義妹達の部屋で飲んだり食べたりしていて、私が眠ろうとしているところに帰って来た夫は、想像を絶する大イビキをかいて寝始めました。

うちの息子は風邪を引いたような気がすると言っていましたが、そのせいか息子もイビキをかいていました。イビキの二重奏ですよ。バスルームの換気扇の音は相変わらずうるさいし、こんな騒音の中では私は眠れないんです。

ただでも蒸し暑いのに、すぐ隣りで寝ている夫の体温でさらに暑苦しいし、逃げる場所もありません。


写真を見てお分かりのように、私達家族の部屋にはダブルベッドが2つ。向こう側のベッドに息子が寝て、こっち側のベッドに夫と私が寝ましたが、クマみたいな巨体の夫がベッドのほとんどを占領しているので、本当に眠りにくいのです。

夜中の2時になってもまだ眠れなかったので、睡眠薬の最後の1錠を飲みました。目が覚めた時には、3日連続の薬の影響でフラフラでした。

この日の朝は、ポートダグラスの町にピックルボールをしに行くことになり、うちの夫は出かけました。夫は目がよく見えませんからピックルボールなど出来ませんけど、皆んながプレーするのを見ると言って出かけました。「私も行きたいか?」とは聞いてくれませんでした。行くわけがないと知っているからです。

私は部屋で本(電子書籍のキンドル本)を読んで過ごしましたが、息子は明らかに風邪を引いていて、すっかり病人になっていました。朝ご飯は息子も私もポリッジ(オーツ麦のミルク粥)を作って食べましたけど、お昼は夫の父親には申し訳なかったですがルームサービスを頼みました。

息子は熱が出ているらしくて寒がるので、エアコンも天井のシーリングファンを回すのも我慢しました。しかし、そうすると部屋が蒸し暑くなって耐えがたいのです。窓は開けることが出来ないようになっています。仕方がないので、時々エアコンを付けて部屋を冷やしました。

夜が来て、息子と私はまたポリッジを作って食べました。

一方、うちの夫はと言いますと、皆んなでピックルボールを楽しんだ後、町のカフェで食事をしてからホテルに戻り、その後「エスケープ・ルーム」(Escape Room)というアトラクションに行きました。

夕方ホテルに戻った後、夜はポートダグラスのマリーナにある人気レストランで「クイズ・ナイト」があるから行くと言いました。私はもう睡眠薬が残っていませんでしたから、夜遅くまで興奮することは避けたかったので行きませんでした。息子はすっかり病人でしたから行けるわけがありません。夫だけが行きました。

そうしたら、夫はずいぶん早く帰って来たんですよ。後で分かったことですが、マリーナの人気レストランへは子供達も含めて私と息子以外の全員が行ってご馳走を食べたと言うんです。

何だそれ!

クイズ大会はあったけど、パプでやったようなのとは違って、画面を見ながらクイズに答える簡単な形式だったようです。今回も優勝したそうです。遅くならなくて、皆んなで夕食を食べるだけだと知っていたら、私も行きたかったのに。

そしてね、こういうレストランでの食事代は夫の父親が払っているのですよ。それなら、ホテルのレストランでの食事をそんなに遠慮することはないと思うのに、息子と私はポリッジを食べ続けていたわけです。

さて、この日の夜ですけど。

私は睡眠薬なしで眠るために夜の外出を避けたのに、この日もやっぱり眠れなかったんですよ。眠くてたまらず、何度も眠りそうになるのに脳にブレーキがかかって眠れない、そんな感じでした。

もう睡眠薬は残っていませんでしたから、何とか自然に眠れるのを待ちましたが、真夜中になっても眠れませんでした。「もうすぐ3時が来る」と思ったのは覚えているんです。そして時計を見た時に4時半過ぎだったので、1時間半は眠ったようなんですけど。

4日目に何かする元気は残っていませんでした。

(続く)


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ポートダグラス2日目

この日は、世界最大のサンゴ礁地帯「グレート・バリア・リーフ」へのクルーズツアーが予定されていました。今回の家族旅行のハイライトです。

私達家族のうち、うちの夫の父親の中国人の奥さん以外の12人が参加しました。マリーナに9時半までに集合だったので、いつもお昼の12時まで寝ている奥さんには朝が早過ぎて参加は不可能という理由でした。

「グレート・バリア・リーフ」へのクルーズツアーを主催している会社はいくつかありますが、私達が行ったのはウェイブダンサー(Wavedancer)という会社のツアーで、「ローアイル」と呼ばれる小さな平たい島まで行って、その砂浜の近くをシュノーケルするというものでした。


小さい子供達でもシュノーケリングを安全に体験出来る超初心者向けツアーということで選んだようです。底がガラス張りのボートでサンゴ礁を見学するアクティビティーも含まれていました。朝出発して午後遅くに帰って来るツアーですから食事も出ました。

この日も私は睡眠薬で眠っていたので、朝から頭がフラフラしていました。マリーナのカフェで朝ご飯を食べるために、朝早く出発しました。少し町を散歩してから行きました。


私達がマリーナに着いた時には、歩いて出発した人達はほとんど食べ終えていました。うちの息子が食べていたサワードウ・パンのトーストにスモークサーモンとサラダとポーチドエッグが乗ったのがとても美味しそうだったので、私もそれを食べたんですが、

これがいけなかった!

消化不良になったのです。最近よくそういう事が起きるんですけど、朝から卵やサーモンを食べることは普段は無いですから、それも良くなかったかもしれません。

ただでも頭がフラフラしている私は、揺れる船の中で揺れを2倍に感じていました。だんだん胃の調子がおかしくなって消化出来ていない朝ご飯が上がって来るようになり、ついにはトイレに駆け込んで嘔吐。

皆んなは船のデッキに出ておしゃべりしていましたけど、外は蒸し暑いので気分が余計に悪くなり、私は行く気がしませんでした。仕方がないからエアコンが効き過ぎて寒いほどの船内に一人だけ残っていたんです。最悪ですよ。

このツアー参加者は大勢いましたが、「ローアイル」という小さい島に着いてからシュノーケリングをしなかったのは私だけでした。残念ですが、目が回っていると水に潜るなんていうのは無理な話なんです。


下の写真は、クソ暑い砂浜でシュノーケリングを楽しむ皆んなを見ているワタクシ。暑かったです…


でもね、それほど羨ましいとも思わなかったというのが正直な話なんです。最近頻発した大雨と洪水のせいでこの地域の海の水は濁っているんですけど、それに加えて大勢のツアー客のせいで島の周囲の水はさらに濁っていて、ほとんど何も見えなかったと言う人が多かったのです。

底がガラス張りのボートには私も乗りましたけど、サンゴ礁はほとんど見えませんでした。見えたのは、「グレート・バリア・リーフ」と聞いて想像するカラフルなサンゴ礁ではなくて、死にかけたようなカーキ色のカリフラワーみたいなのだけ。

場所が悪かったのが、サンゴ礁がダメージを受けているのか。想像していたのとは大違いでした。

シュノーケリングを終えて、ポートダグラスに戻る途中で大雨が降り、下船した頃には雨は小降りになっていましたが、ものすごく蒸し暑くなっていました。


その蒸し暑さに耐えながら小雨の中を歩き、家族皆んなで晩ご飯を食べられる場所を探したんですけど、どこも予約でいっぱいだったので、子供のいる家族は別行動となりました。幼い子供が入るには相応しくないような場所しか見つからなかったので。

ポートダグラスに限りませんが、オーストラリアではどこに行っても同じような食べ物ばかりです。「お金に余裕がある人達が遊びに来る町」という印象のポートダグラスでは、どこで何を食べてもすごい値段です。

(続く)


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2025年7月13日

ポートダグラス1日目

夜中の12時過ぎにケアンズ空港に着き、飛行機を降りた時に感じたのは湿気でした。スイミングプールの建物の中のようだと思いました。塩素の臭いがしていないだけで、ムワッとしたあの感じと同じでした。

リゾートホテルの部屋に入ったのは夜中の2時頃。エアコンは大きな音がするので消して、天井のシーリングファンを回して眠ろうとしましたが、バスルームの換気扇が常時つけっぱなしなので(スイッチが無い)音が気になりました。夫のイビキもひどいし、夫の体温でクソ暑いし、私は眠くてたまらないのに眠れないという状況でした。

仕方がないので睡眠薬を飲んで眠りました。

睡眠薬を飲んで寝た朝は、薬の影響が続いてフラフラします。夫が起きてゴソゴソしている物音で朝の7時頃に目が覚めた後、再び眠ることは出来ませんでした。夫は義妹達と一緒に散歩に行くと言って出かけました。しばらくして息子も海岸を歩いて来ると言って出かけました。

2人が帰って来たら朝ご飯を食べに行って、その日はポートダグラスの町を見に行こうと思っていたんですが、

2人はお昼まで帰って来なかったのだった!

夫は義妹と彼女のパートナーと一緒に、息子は一人で、砂浜を30分ほど歩いてポートダグラスの町まで行ったそうです。下の写真はリゾートホテルから砂浜に出て撮った写真ですが、向こうの方に小高い丘が見えますが、その向こうにポートダグラスの町があります。


息子も町で皆んなと合流し、カフェで朝ご飯を食べてから町を少し観光して、スーパーで食べ物を買って帰ったのでした。

ホテルのレストランやルームサービスの食べ物があまりに高額なので、クラッカーやチーズ、そしてポリッジ用のオーツ麦と干しブドウと牛乳、それからインスタントコーヒーなどを買って来ていました。

ポリッジなんて自分で作れば材料費はしれていますが、ホテルのレストランで食べると17ドルもしたんですよ。レストランでコーヒーを飲んで朝ご飯を食べると、家族3人で100ドル以上もするのです。

私達がホテルのレストランで食事をすると、ホテル滞在費を全負担している夫の父親の負担をさらに増やすことになると夫が言うので、私達は遠慮しました。

観光と買い物から帰って来た夫が昼寝を始めたので、初日は町を観光するという私の期待は外れました。頭がフラフラですから一人で観光に出かける元気はありません。朝ご飯も食べていなかったのでお腹がペコペコです。私は電子レンジでポリッジを作って食べましたよ。

午後になってお腹が空き過ぎて、結局はレストランに行ったんですけどね、私が食べたベトナム風ポークサラダはほとんど白菜ばっかりだったけど、30ドルくらいしたんですよ。レストランでの食事代も父親が払ってくれるんだからいっぱい食べようとは思えない私達は、結局ずっと遠慮し続けることになります。


私はホテルのプールで泳いだりカクテルを飲んだりすることに興味がないし、蒸し暑いプールサイドで過ごしたくないんです。


こういうデッキチェアで本を読んでいる人達も大勢いましたけど、学校の休みの関係で子供連れの家族が多かったのでプールサイドは大変賑やかでした。あの騒々しさと蒸し暑さの中で、私は本など読めません。


旅行初日はリゾート内を見て回っただけで終わりかと、私はがっかりしていたんですが、夜になってポートダグラスの町にあるパブの「トリビアナイト」(クイズの夜)に行くことになりました。

睡眠不足の私は、夜にパブなんかに行くのは迷ったんですが、行って良かったです。この夜の「トリビアナイト」が一番の思い出になったんですから。

パブの食べ物も美味しかったし、雰囲気も楽しかったし、

私達のチームが優勝したからです!

ほとんどのクイズは私には答えが分かりませんでしたが、特にセレブの話題や音楽のことなどは何のことやらさっぱりでしたが、私だけが答えが分かったクイズがいくつかあったんです。僅差での優勝だったので、私やうちの息子の知識がなかったら勝てていません。チームワークの勝利でした。

うちの夫の父親と中国人の奥さんが早めに帰ったのも良かったです。いなくなって雰囲気が良くなりましたから。中国人の奥さんが的外れな発言を連発したり間違った答えを主張したり、質問の答を大声で周囲にバラしてしまったりするから、私達は皆んなイライラしていたんです。

「トリビアナイト」は本当に楽しかったです。

下の写真は翌朝撮ったパブの写真ですが、朝の明るさの中では同じ場所とは思えませんね。夜は活気があって楽しかったのですよ。子供がいる家族は来ませんでしたから、気を使う必要もなかったですし。


優勝に気を良くして、夜遅くにホテルに戻りました。刺激を受けた私の脳みそは眠くなりません。ビールを飲んだせいか、うちの夫が普段以上にグワォグワォと大イビキをかくので、私は真夜中になっても眠れませんでした。

翌日はグレート・バリア・リーフへのクルーズのために早起きしなくてはいけませんでした。仕方がないから、再び睡眠薬を飲んで眠ったのでした。この時に気がついたんですが、睡眠薬はあと1錠しか残っていなかったのです。

(続く)


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旅行から帰って来ました

クイーンズランドのリゾート地「ポートダグラス」への家族旅行から昨晩帰って来ました。家族旅行に行かなかったうちの娘が、旅行中は私達が住む家に泊まっていたんですけど、家に帰ったら娘は外出していてキッチンが大散らかりだったのにはがっかりしましたよ。

旅行記を書こうと思っていたので、旅行中はメモを取っていたんですが、それは最初の2日で止めました。書くことが無かったもんですからね。と言うもの、後半の2日間はホテルの部屋から出ることがほとんど無くて、ずっと部屋で本(電子書籍のキンドル本)を読んでいただけだからです。

実はその2日間、私は睡眠不足でフラフラで、うちの息子は風邪でダウンして寝込んでいたという、非常に残念な状況だったのでございますよ。ですからね、息子と私はとにかくもう早く家に帰りたくてしようがなかったという5つ星高級リゾートホテル滞在だったのでした。

6日間の家族旅行でしたが、1日目はポートダグラスまで行くだけ。6日目は帰って来るだけですから、実質は4日間の旅行でした。いろいろプランが立ててあるという話だったけど、決まっていたのはポートダグラスに着いて2日目のグレート・バリア・リーフへのクルーズだけでした。

格安航空会社ジェットスターを利用しましたが、安いだけあってトラブルが続出。行きの便は夕方5時20分発だったのに4時間近く遅れて、ポートダグラスのホテルに着いたのは夜中の1時半頃。チェックインにトラブルがあって時間がかかり、部屋に入ったのは夜中の2時でした。

どうして夕方の便を選んだかと言うと、夫の父親の中国人の奥さんの起床時間がお昼の12時頃なので、彼女の都合に合わせると夕方出発の必要があったらしいんですよ。これに私は腹が立った!

旅行費用を全額負担しているのは夫の父親なので、私には何も言えませんけど、幼い子供のいる家族旅行の場合、まずは幼い子供達のこと、そして次はその子供達の親への配慮が大切だと私は思うんですけどね。中国人の奥さんの都合を優先したわけです。

ケアンズ空港に着いたのは夜中の12時過ぎです。前の晩ほとんど寝ていなかった私はその時点で24時間以上まったく眠っていなかったのでフラフラでした。幼い子供達にも困難な状況ですが、子供達の方が元気だったかもしれません。一番幼いAくんは5歳ですが、まったくグズグズ言わずにちゃんと自分で歩き、頑張っていました。

ホテルまでのバス移動中、深夜の1時を過ぎていて皆んな疲れていたはずです。私も限界に近い状況だったんですが、隣りに座った中国人の奥さんが一人だけ喋り続けるのですよ。そして、5歳のAくんが眠っていることを冷やかすんです。まるで眠ってしまうことが恥ずかしいことでもあるかのような口ぶりで。「ボク寝てないよ!」と反論した直後にAくんは静かになりました。

これに私はまた腹がたった!中国人の奥さんに注意しようかとも思ったけど、雰囲気が悪くなるのを恐れて何も言いませんでした。

しかし、私のこの人に対する嫌悪感は、旅行中どんどん増して行くことになるのです。そして、嫌悪感を感じていたのは私だけではなかったのでした。そういう人と一緒の旅行がどういうものになるかというのは、皆さんにも想像していただけるでしょう。

(続く)


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2025年7月7日

今日からポートダグラス旅行

私は今日からクイーンズランド州のポートダグラスというリゾートに家族旅行に行きますので、土曜日に帰って来るまでブログはお休みです。

古い記事でも読んで行って下さい。


今日から旅行とは言っても、メルボルンを出発するのは夕方の5時20分なんですよ。そんな時間に出発すると、何もかも順調に行ったとしてポートダグラスのホテルに着くのは早くて夜の10時過ぎ。

いつも9時頃には寝ている私には厳しいスケジュールです。幼い子供がいる家族もいるのに、旅行を企画したうちの夫の父親がどうしてこの時間のフライトを選んだのか理由がさっぱり分かりません。

旅行1日目はポートダグラスまで行くだけで、2日目は予定なし。3日目に世界最大のサンゴ礁地帯「グレート・バリア・リーフ」のクルーズに行くことは決まっているそうですが、4日目以降も予定は何も決まっていないんですって。

うちの夫から聞いた話では、「グレート・バリア・リーフ」だけではなくて、ユネスコ世界遺産に登録されている世界最古の熱帯雨林「デインツリー」へのツアーとか、有名なシーフードレストランでの食事とか、いろいろプランが立ててあるということだったんですけど。

実際には何も決まっていないということなので、いろいろ期待するのはやめておきます。住んでいる場所とは異なる景色を見るだけでも楽しいことですから。


ただねえ、上の写真の高級リゾートホテルに泊まるらしいんですけど、ポートダグラスの町からは離れているので、車がないとどこにも行けないわけでして。こういう所に夫の家族と一緒に何日もいて、私は一体何をして過ごすんだろうかと思っていますよ。


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2025年7月6日

熱が冷めて落ち着きました

うちの夫がクイズ番組「ザ・フロア」(The Floor)の出演準備にのめり込んでいることを先日から度々話題にしていますが。

テレビ局のウェブサイトから応募フォームを送っただけなのに、まるでもう出演が決まったかのように準備にのめり込み、朝から晩まで口にする話題といえばこの話だったんですけど、パタリと話題にしなくなりました。

さすがに現実を悟って自分にはチャンスが無いと分かったようですが、同じく応募フォームを送っていた義妹(夫の妹)にはテレビ局から連絡があって、スクリーンテストをしたんですよ。

それで、今度は妹の出演準備を助けることにのめり込んでいたんですけど、そちらの話題もパタリと消えました。

スクリーンテストはオンラインで行われたそうなんですが、見た目というかテレビ映りを審査するだけじゃあなかったんです。俳優のスクリーンテストでは演技力が審査されるのと同じで、クイズ番組出演者の場合はクイズの回答パフォーマンスが審査されるんだそうです。

クイズ番組「ザ・フロア」を制作しているテレビ局は、コスト削減のために番組撮影場所であるオランダのアムステルダムの近くに住んでいるオーストラリア人を探しているということだったんですが、ヨーロッパ在住でもオーストラリア人でなくてはいけないわけです。

つまり、オーストラリア人としての一般常識は不可欠なわけですよ。

スクリーンテストでは、義妹が答えられなかった質問がたくさんあったそうです。例えばオーストラリアの人気テレビ番組に出演しているタレントの名前とか、オーストラリアの政治家の名前とか。

元首相のマルコム・ターンブルの名前を問う質問で、義妹はスコット・モリソンと答えたそうなんですけど、

それはちょっと…

スコット・モリソンは、マルコム・ターンブルが辞任に追い込まれた後に首相になった人ですが、この2人の名前を間違えるのはオーストラリア人の一般常識としてかなりアレかなと思います。

義妹は、20年近くカタールとドバイに住んでいますので、首相の名前が分からないのは仕方がないとは思いますけど。

スクリーンテストの後、テレビ局からはまだ何の連絡もありません。おそらく出演のチャンスは無いと思われるわけで、うちの夫の熱も急激に冷めたというわけでございます。


うちの夫は双極性障害がありますので、時々あることに異常に夢中になってのめり込むことがあるんですが、夫の言動に振り回されて私自身のメンタルヘルスが悪化するのを防ぐには、いちいち本気で聞かないことに限ります。「ああ、また始まったか…」ぐらいに考えて、様子を観察するんです。

常軌を逸したレベルの楽観主義で大風呂敷を広げることもありますからね、そんな話を喜んで聞いていては後悔するだけですから。これも病気の一部だと考えるから我慢出来るんですよ。

そして、まあいろいろ苦労はありますけど、うちの夫は基本的には正直で良い人だと知っているから一緒に暮らし続けられるわけです。

今日は日曜日ですが、いつも通りに仕事に行きました。明日から1週間の休暇です。


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2025年7月5日

思っていたのと違う

あさっての月曜日から6日間の予定で、クイーンズランド州のポートダグラスというリゾートに家族旅行に行くことになっていることを先日話題にしましたが。

旅行を前にして私はめまいがひどくなりまして、昨日はスーパーに買い物にも行けないほどフラフラで、こんな状態で旅行に行って何が出来るのかと惨めな気持ちになっていたんですけど。

今朝はかなり良くなっています。まだ違和感はありますけど、バランスを崩してふらつくようなことはありませんから、ホッとしています。

月曜日に出発するわけですが、何時に出発するのかと夫に聞きましたら、夫は知りませんでした。旅行を企画した夫の父親から旅行の詳細をもらっていたのに、何事も直前まで準備をしないうちの夫は確認していなかったんです。

どの航空会社の便なのか、メルボルンのどの空港から出発するのかすら知りませんでした。私は何も知らされていませんでしたから不安になりまして、さすがに明後日のことですからね、空港までどうやって行くかを決めなくてはいけませんし、車で行くなら長期駐車場の予約もしなくてはいけません。

それで、昨夜確認してもらったんですよ。そうしたら、利用するのはジェットスターという格安航空会社でした。3時間ほどのフライトですからジェットスターで何も問題はありませんけど、

出発時間が午後5時20分!

メルボルン空港を夕方の5時20分に出発すると、ケアンズ空港に着くのは夜の8時40分です。荷物の受け取りが終わるのは9時頃でしょう。それからバスでポートダグラスまで行くんですよ。1時間はかかりますから、リゾートに着くのは早くて夜の10時過ぎ。

いつも9時頃には寝ている私にとって、夜の10時到着はかなりきついです。就寝時間が遅くても朝の4時頃には目が覚めてしまう私にとっては、かなり心配な状況です。睡眠薬を忘れずに持って行かないと。

幼い子供連れの家族もいるんですけど、到着がこんなに夜遅いと大変でしょうね。

まあとにかく、旅行1日目はリゾートまで行くだけだということだけは分かりました。飛行機の窓からもバスの窓からも、何も見えませんよ。私はてっきり朝の便で出発して、リゾートに到着後はプールサイドでゆっくりするんだろうと思っていたんですけど、ちょっと違いました。


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2025年7月4日

やっぱり出た口唇ヘルペスとめまい

体調不良で免疫力が弱ると活動を始めるヘルペスウイルス。

私はひどい睡眠不足が続いたり風邪を引いたりすると、いつも下唇の同じところに口唇ヘルペスの水ぶくれが出来るんです。

先週の体調不良はそれほどひどくなかったけど、もしかしたら出るんじゃあないかと思っていたら、いつも水ぶくれが出る辺りがチクチクして来ました。すぐにゾヴィラックス(Zovirax)の軟膏を塗り始めましたが、

やっぱり出た口唇ヘルペス!

ただし、今回は大きな水ぶくれにはならなかったんです。ゾヴィラックスをせっせと塗ったおかげだと思います。水ぶくれはもうほとんど治りました。

オーストラリアにお住いの皆さん、口唇ヘルペスでお悩みならゾヴィラックス(Zovirax)の軟膏をオススメしますよ。口唇ヘルペスが出る時には、チクチクピリピリする感じで「出そうだ」と分かりますよね。そういう早い段階でこの軟膏を塗るとひどくなりません。

どこでも売っています。薬屋はもちろんスーパーでも売っています。2グラム入りの小さなチューブが20ドル近くしますけど、大きな水ぶくれが出来るよりもマシですからね。


口唇ヘルペスの薬は、ゾヴィラックス以外にも軟膏や丸いシールみたいなものとかいろいろ売っていますが、一番効き目があるのはゾヴィラックスだと思います。これを早めに塗ることです。


ところで、口唇ヘルペスが出る時にはめまいがすることが多いのですが、今回もおかしくなっています。耳石が原因のめまいのように部屋がぐるぐる回ったりはしませんけど、なんとなくフラフラするなあと思っていたんです。

火曜日にヘアカットに行くのに車を運転したら、めまいがしていることが分かりました。運転するのが危ないほどではなかったですけど、久しぶりのフラフラ感でしたから少し心配しました。

病院に運ばれて数日入院するほどひどかった回転するめまいの原因は前庭神経炎だったんですが、その神経炎の原因がヘルペスウイルスだったのではないかと私は疑っているんです。

口唇ヘルペスが出る時にいつもめまいがするのも、前庭神経のあたりに潜んでいるヘルペスウイルスが活発化して悪さをしているんじゃあないかと。

これは耳石とは関係ないので体操をしてもどうにもなりませんので、自然に良くなるのを待っています。来週はポートダグラスに行くのに、フラフラしていちゃあ困ります。


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2025年7月3日

ディストピア小説「1984」の舞台

うちの夫が勤めるツールショップの同僚であり親友でもあるCさんのことは、度々このブログで話題にしています。モルモン教徒のCさんは、運転が出来なくなったうちの夫を長年サポートしてくださっていて、私達が引っ越した時には本当に親身になって手伝ってくださいました。

Cさんのお母さんはとても良い方ですし、一時は私もCさんとCさんのお母さんとは家族付き合いを始めたこともあるんですよ。Cさんのお父さんのお葬式にも行きました。その時に知り合ったCさんのパートナーさんも感じの良い方でしたし。

しかしね、

何事も「過剰」は問題なんですよ!

夫は仕事が休みの土曜日の午前中はいつもCさん家族と過ごすようになり、Cさん家族が何かする時やどこかに行く時に夫を誘ってくださるもんだから、夫もそれに参加するようになりまして。

もちろん私も誘ってくれるんですけど、私はCさん家族と一緒じゃあなくて私達二人で出かけたいわけですよ。しかし二人だけで出かけることはほとんど無いんです。

何をするにもCさん達が一緒で、Cさん家族のことばかり聞かされて、いい加減うんざりし始めていた頃に私の父が亡くなりましてね、その時に耐え難い経験をしたのですよ。

お葬式の後、複雑な感情があって一人で泣いていた私を放ったらかして、夫はCさん家族と一緒に睡蓮のガーデンパークに遊びに行ってしまいました。あの時のことは「思考回路が普通じゃない人」に書きましたけど、うちの夫に対して感じた失望や悲しみや不満や怒りといったものとCさん家族とがリンクしてしまいましたからね、私はもうCさん家族と一緒に何かする気にはならないのです。

うちの夫とはもう30年以上一緒にいますが、私達は二人でコンサートとか観劇とかに出かけたことなど無かったんですよ。夫がそういうのに興味が無かったからですけど、Cさんに誘われると喜んで行くんです。

誘われる度に私も一緒に行きたいかと聞いてくれますが、ジョージ・オーウェルの「1984年」(Nineteen Eighty-Four)を原作とする舞台を観に行くのに誘われた時には、速攻で断りました。


久しぶりに仕事が休みだった昨日、夫はその昼公演を観に行ったんです。もちろんCさん家族と一緒に。


私がこの舞台を観に行くのを断ったのは、またCさん家族と一緒だというのも理由ですけど、その舞台がジョージ・オーウェルの「1984年」が原作というのも理由です。

皆さん、ジョージ・オーウェルをご存知ですか?

英国の作家です。ディストピア小説で有名で、その代表的な作品が「1984年」なんです。「ディストピア」という言葉をご存知ではない方のためにちょっと説明しますと、「ディストピア」とは「ユートピア」(理想郷)の対義語で、反理想郷とか暗黒社会を意味する言葉です。

人々が惨めで恐ろしい生活を送っている非人間的な社会を思い描いてみてください。人々が管理され監視され、多くの不公平や不道徳なことが起こる、不幸と抑圧が支配する最悪の社会です。「ディストピア小説」というのはそういう架空の世界を描いているんですけど。

架空ではなくて、実際にそのような社会が存在したことがありますし、現在も存在していますよ。独裁的な政治が行われている全体主義国家では、体制を批判するようなことをうっかり口にすると、たちまち当局に知られて逮捕されて拷問を受けたり監獄に入れられたりする…そんな国があるでしょ?

「1984年」という小説は、とにかく気分が悪くなるようなことばっかり起きて、最後までいいことは何も起きず、希望も何も無い結末を迎えるという、非常に胸クソが悪くなるストーリーなのでございます。

もちろんそのストーリーは、現代の自由社会に警鐘を鳴らしているわけで、読者は考えさせられることが多いのでしょうけど、私はこういう話を見たくも聞きたくもないのですよ。ましてや、悪い感情とリンクしてしまっているCさん家族と一緒になんて、メンタルヘルスに悪いでしょ?

舞台「1984年」は7月6日までメルボルンのコメディシアターで上演されて、次の週からはオーストラリア各地の街で上演されます。出演俳優は5人だけだそうですよ。登場人物が5人なのか、一人で何役もやっているのか私は知りませんけど。

高評価を得ているようですが、ストーリーがストーリーですからね、観劇後は気分が沈みます。

家に帰るなり気が滅入るような話を始めた夫を遮って、私は「平和で自由で民主的な現代のオーストラリアに暮らしていることを喜びましょう」と言っておきました。

この国にも問題はいろいろありますし、暗い歴史もあるんですが、これだけ多くの様々な異なる人種民族で構成された国であっても、自由な民主主義社会として何とか上手く行っていますし、より良い方向に変化し続けていると私は思っています。


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2025年7月2日

やってみましたネギの再生栽培

一昨年まで住んでいた山の中の家では、最初の何年かは箱型野菜畑で野菜やハーブをいろいろ栽培したんですが、夏場の水やりに疲れ果てて止めてしまいました。それでも、ハーブやネギは小さな花壇をハーブ畑にして育てていたので、使いたい時にはすぐ使えて便利でした。

引っ越して来た家では、植木鉢で少しだけ育てています。タイム、ローズマリー、ベイリーフ(ローリエ)、パセリといった使う時に少量しか必要ないものだけです。

ネギは育てていません。私は結構な量を使いますので植木鉢で育てていたんじゃあ足りませんからね。八百屋でスプリングオニオン(Spring Onion)というネギを買って来て常備しています。

スプリングオニオンは根っこがついた状態で束にして売られているんですが、使う時には根っこ部分を切り落として捨てています。これを捨てずに水栽培するとネギを再生させることが出来るという話は知っていました。

しかしね、ネギは冷蔵庫に常備しているのでそんなことをする必要も無いと思ったていたんです。ところが、いつだったか味噌汁にネギを入れようとした時にネギが1本も無かったことがあって、その時に思ったんですよ。もしも再生栽培しているのが1本でもあったら助かったなあと。

そこで、やってみたんです。4週間ほど前のことです。

根っこに近い部分を少し長めに5センチくらいの長さに切り落として、それをグラスに入れて、根っこが浸かるくらいの水を入れて、窓のところに置きました。夏場は日差しが強過ぎて問題になっていたシンクの上の北向きの窓ですが、最近は午後にわずかな時間だけ日が差し込みます。

さて、4週間が経ってどうなったかと言いますと、

見えますか?


窓辺は朝晩は気温が下がるので、その点は良くなかったかもしれませんが、日が差し込む窓というとここしか無いもんですから。


4週間前は右のような状態だったんです。思った以上の速さで成長しました。毎日少しずつ成長するネギを見るのは楽しかったですよ。

ヒョロヒョロですけど、ちゃんとネギになっています。味噌汁にいれるには十分です。

液体肥料とかそんな物はやっていません。水だけです。寒いせいか水はそんなに減らなかったですけど、根っこが浸かる程度には足しました。

ただ水につけておくだけですからね、こんなに簡単なことはありません。ネギの再生栽培はこれからも続けるつもりです。

再生できる野菜はたくさんあるそうですが、一度に使う量が多い野菜や収穫までに時間がかかる野菜はやってみる気になりません。たくさんは使わないし時々しか使うことはないけど買うと高いのがディルです。今度はディルをやってみようと思っています。


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2025年7月1日

献体の件と現実を悟った夫

うちの夫が、私には一言の相談もなく、死んだ後に自分の身体をメルボルン大学医学部に献体すると決めて、その手続きを始めた話は「始める前に相談して欲しかったけど」という記事に書きましたが。

いつも診てもらっているGP(一般家庭医)のリム医師に相談に行き、夫の病歴とか治療の記録が書かれているデータベースに献体の件を記載してもらい、書類にリム医師のサインをもらって来て、登録の申し込みが完了したのは2週間ほど前のことです。

昨日、メルボルン大学から正式に献体受け入れの連絡が来ました。これで、うちの夫が死んだ時にはお葬式をしないことが確定しましたよ。献体出来ない条件がいくつかあるので、まだ100%確実ではないですけどね。

医療機関か家族がメルボルン大学に死亡したことを連絡すると、大学が遺体の搬送を手配して、費用も大学が負担して搬送を行います。家族にとっては、夫の遺体がその車に乗った時がお別れになるそうです。

何ヶ月か何年か後に全ての利用が終了した後は火葬され、家族が遺灰を引き取りに行きます。そして夫の希望通りに実家の牧場の丘の上に遺灰を撒いて木を植える予定です。


その夫ですけど、先日からクイズ番組「ザ・フロア」(The Floor)の出演準備にのめり込んでいることを話題にして来ました。繰り返しますが、出演することが決まったわけではなくて、ただ応募しただけなんですよ。

番組を制作しているテレビ局「ナイン」のウェブサイトから応募フォームを送った後、テレビ局からは何の連絡もありません。

一方、同じくウェブサイトから応募フォームを送ったドバイ在住の義妹(夫の妹)には連絡があり、スクリーンテストをしたそうです。クイズ番組に出るのにもスクリーンテストというのがあるんですね。やっぱり見た目というかテレビ映りは重要なのですよ。

スクリーンテストも今どきはオンラインでするそうです。どうやってオンラインでやったのか私は詳しいことは知りませんけど。

番組制作のコスト削減のため、シーズン1の出演者の大半が撮影が行われるオランダのアムステルダムに近い英国やヨーロッパ在住のオーストラリア人だったという話を私から聞き、またテレビ局から自分には何の連絡も来ないことで、さすがの夫も現実を悟ったようですよ。

自分にはほぼチャンスが無いと分かっても、妹の準備を助けるためにクイズの勉強方法を探しています。クイズに特化したウェブサイトや本があるんだそうです。

義妹はドバイ在住なのでアムステルダムまでの渡航費用が安くて済みますからね、出演のチャンスがあると夫は信じているのでございます。

まあとにかく、熱が冷めてくれてヤレヤレですよ。家にいる時間の全てをこれに使っていましたからね。眠っている間も夢の中でやっていたんじゃあないでしょうか。クイズの答えを寝言で言っている様子が目に見えるようだわ。


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2025年6月30日

ポートダグラスへの家族旅行

先日書いた「やっぱり靴探しは大変過ぎる!」という記事で少し触れましたが、7月7日からクイーンズランド州の「ポートダグラス」というリゾートに家族旅行に行くことになっています。

これは、うちの夫の父親が全員分の旅行費用を負担して主催している家族旅行なんです。2018年にはクイーンズランド州の「ハミルトン島」へ行き、2019年にはニュー・サウス・ウェールズ州の北の方にある「バイロン・ベイ」に行きました。

新型コロナで旅行が制限されて中断し、制限が解除されてから小さい旅行は何度か主催しましたが、参加する家族は限られていました。

私は訳あって夫の父親とは長年お付き合いをしていなかったので、どの家族旅行にも参加しなかったんですよ。でも、昨年から家族付き合いをするようになっていますし、今回は参加することにしたんです。

父親の子供達、つまりうちの夫の妹弟達とその家族のほぼ全員が参加する大型旅行なんです。ドバイ在住の義妹もこの旅行のために一時帰国中です。参加しないのは、義弟のスペイン人の奥さんとうちの娘の2人だけなんですよ。

スペイン人の奥さんは9月に家族でスペインへ旅行する予定なので、有給休暇をその旅行のために使いたいから参加しないそうです。うちの娘も同様で、10月に日本へ旅行する予定ですし、転職したばかりですからね。

さて、行き先の「ポートダグラス」ですが、常夏の観光地ケアンズよりもさらに北にある(つまり赤道に近い)リゾート地なんです。


私が観光したい遺跡も古い町並みも博物館も美術館もありません。ここにあるのは、砂浜とグレートバリアリーフと熱帯雨林の森です。

そういうのに私は関心が無いんですけど、行くことにしたのはやはり新年の抱負「出来るだけ楽しいことをする」ためです。それと、いろいろな人から行かなかったら後悔すると言われたんですよ。

後悔する最大の理由は、宿泊する場所です。シェラトン・グランド・ミラージュ・リゾート・ポートダグラス(Sheraton Grand Mirage Resort Port Douglas)という5つ星ホテルに泊まるんです。

もちろんビーチに面していて、ヤシの木に囲まれた2ヘクタールものラグーンスタイルのプールには海から引いた海水が満たされているんだとか。


私はこんなホテルに相応しいおしゃれな服は持っていないです。うちの夫は何を着て行くつもりなんですかねえ。まさか、また勤めているツールショップのユニフォームを持って行くんじゃあなかろうな。

ドバイに行った時に、砂漠の中の豪華リゾートに泊まったんですが、それは義妹からのプレゼントだったんですけど、うちの夫はそのリゾートでもツールショップのユニフォームを着てましたからね、ホントにもう!

「ポートダグラス」では、世界最大のサンゴ礁地帯「グレートバリアリーフ」への一日クルーズツアーにも行くそうです。ユネスコ世界遺産に登録されている世界最古の熱帯雨林「デインツリー」にも行くんだそうです。虫刺されが心配ですよ、私は虫に好かれるから。

シーフードで有名なレストランにも行くそうです。滞在中どこで食事をするかいろいろ計画が立ててあるそうです。

自分達で費用を払ってこのような旅行をするのは、私達夫婦には一生無理ですからね、これはまたと無い機会なわけですけど、夫の父親にとっても特別な家族旅行なんだそうです。父親もかなり高齢になっていますし、認知症も心配されていますから、まだ元気なうちに家族と出来るだけ楽しみたいということらしいんですよ。

どうしてそんなにお金を持っているかと言いますと、父親はもともとは高校の先生だったんですが、メンサの会員になるほどの知能で導き出した「確率の方程式」によって、カジノのスロットマシンで大儲けをし続けたからです。もちろん高校の先生は辞めてプロのギャンブラーになりました。

お金持ちになりましたが贅沢な暮らしはしていません。でも、家族と一緒に特別な時間を過ごすためにはお金を惜しまないのです。どの家族旅行が最後の旅行になるか分かりませんしね、父親本人は家族旅行を主催することで幸せを感じるらしいですから。

真冬を選んだのは蒸し暑さを避けるためとサイクローンを避けるためのようです。出来るだけ涼しくて、虫が少なくて、観光客も少ない季節ということで7月を選んだようです。

もしも蒸し暑くて虫もいっぱいいる夏だったら、私は行くかどうか相当悩んだと思いますよ。暑いと何をする元気も無くなるのでね、真冬で良かったです。この時期は一日の気温がずっと20度から25度の間くらいだそうですから、それなら快適です。

とても楽しみにしています。


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2025年6月29日

寸暇を惜しんで番組出演準備

うちの夫のクイズ番組出演準備の話ですけど、応募しただけで出演が決まったわけではないんですよ。

そのクイズ番組は「ザ・フロア」(The Floor)といいます。オーストラリア版は今年シーズン1が放送されたそうです。テレビを見ない私は何も知りませんが、視聴率が良かったのでシーズン2の制作が決まり、現在出演者を募集しているというのを義妹(夫の妹)から聞いて、夫が応募したわけなんですけど。

撮影はオランダのアムステルダムで行われるんだそうです。

なんでオランダ?

と思ったら、クイズ番組「ザ・フロア」を最初に制作したのはオランダのプロダクション会社だったんです。

今や世界20カ国以上でそれぞれの国版の「ザ・フロア」が制作されているそうです。ちなみに、世界中で大ヒットしたテレビ番組「ザ・ヴォイス」(The Voice)も同じオランダのプロダクション会社が制作したものだそうですよ。

番組の性質上かなり大がかりなセットが必要となるため、自分の国にセットを作るよりもオランダのスタジオにあるセットをレンタルして撮影した方が安上がりなんだそうです。


そして、さらなるコスト削減のためには、81人もの出演者をオーストラリアからオランダまで送るよりも、オランダの近くに住んでいるオーストラリア人を選んだほうが安上がりなので、出演者の大半は英国やヨーロッパ在住のオーストラリア人なんですって。

わざわざ高い航空運賃を払ってオーストラリアから行かせる出演者は、よほどの個性やカリスマがあるか、すでに有名人であるか、そういう人達なんだそうですから、うちの夫が選ばれる確率は極めて低いわけです。

しかしね、うちの夫は自分が選ばれた時に備えて準備をしているんですよ。「寸暇を惜しんで」という言葉がありますけど、まさにそれです。オーストラリア版を見終えた後、米国版をシーズン3まで全部見たそうです。

番組を見終えてクイズの傾向や難易度などが分かり、今は何をどう勉強しておくのが良いかを考えているところのようです。物事にのめり込みやすい人ですからね、こうなってしまってはもう不採用の通知が来るまで止まりませんよ。

もしも選ばれたら応援に行きたいと思っていた私ですが、今年は10月に日本に行くことになっていますから、地球の裏側のアムステルダムまで行く費用など捻出できません。ああ残念…


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2025年6月28日

退職面談は断られたそうです

昨日の金曜日をもって、うちの娘は2月から勤めて来たクリニックを辞めました。すでに転職先が決まっているので、来週からは新しい勤務先での仕事が始まります。

新しい勤務先は2つあります。一つは司法関係で、クライアントは犯罪者です。犯罪を犯した人の責任能力を調べる精神鑑定をしたり、メンタルヘルスの問題や知的障害のある犯罪者にカウンセリングを行うのが仕事のようです。

こういう仕事をフルタイムでするのは大変なので、週3日のパートタイムで勤めるそうです。残りの2〜3日は一般の心理クリニックに勤めることが決まりました。

2月から勤めて来たクリニックは、「痛み」の治療を専門に行うクリニックでした。身体的な痛みはメンタルヘルスにも影響します。痛みの原因が深刻な事故や火災だったりする場合もあり、そうした人はトラウマに苦しんでいることが多いです。そうした人達にカウンセリングをするのが仕事だったんですけど。

メルボルン各地でクリニックを経営している会社ですが、娘が辞職願を出した時点で他にも3人の臨床心理士が辞めていました。娘が勤めていたクリニックで、娘よりも後から採用された臨床心理士も辞めました。そして、会社の人事部の責任者も辞めました。スタッフが次々に辞めて行く会社には、何か問題があるんですよ。

娘は、会社の管理職の方に「退職面談」を提案したそうです。

「退職面談」は雇用主にとっては良い機会なんですよ。退職する従業員から直接フィードバックを得ることが出来ますからね。問題を明らかにしてそれを改善することで、従業員の定着率向上を図ることが出来るわけです。

娘自身も言いたいことがたくさんあったようですが、会社のためにもなると思って「退職面談」を提案したそうですけど、断られたそうです。

辞めると決めて転職先探しを始めてから今日まで、かなり時間がかかりましたが、最後までちゃんと責任を持って仕事を終わらせました。それでも、クライアントの皆さんにとっては、また担当の臨床心理士が変わるというのは困ったことですよ。

「あのクリニックは担当の医者がコロコロ変わる」という悪評が立つと、クライアントは別のクリニックに行くでしょう。ビジネスとしても、それは良くないことです。

まあとにかくやっと辞められたので、この週末で心機一転して、来週から新しい仕事を頑張るだろうと思います。


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2025年6月27日

寒さ対策も忘れるのめり込み

うちの夫が勤めるツールショップのユニフォームは、半袖ポロシャツとフード付きパーカだけ。パンツと靴は黒色とだけ決まっています。気候が温暖な州にしか店舗がなかった頃はそれで良かったんでしょうが、ヴィクトリア州はこれでは困るんです。

多くの店舗に十分な暖房が整備されていませんから、朝の気温が0度近くになる冬の日には店舗の中も同じくらいに冷え込んで、半袖ポロシャツとフード付きパーカだけでは寒過ぎるんです。

会社が温かいジャケットを支給してくれれば済む問題ですが、そういうことはしてくれないし、自前のジャケットを着ることもニット帽をかぶることも許可していません。

ですからね、出来ることと言えば半袖ポロシャツやパーカの下に暖かい衣類を着ることだけなんですけど、外からそれが見えてはいけないらしくて。

夫が寒い寒いと不満を言い続けていたので、私はユニクロのヒートテック長袖シャツ(保温機能に優れている)を半袖ポロシャツの下に着て、薄手で暖かいパフテックのベスト(最新繊維テクノロジーの綿入り)をパーカの下に着ることを提案しました。

これは大変効果的でした。昨年は更に暖かいタイプのヒートテック長袖シャツも買ってあげました。とても暖かくて汗をかいても気にならないと、夫は気に入っていたんですよ。

そんな昨日の朝、夫がお店から電話をかけて来ました。寒くてたまらないから服を持って来てくれと言うのです。

半袖ポロシャツの下にはユニクロのエアリズム半袖シャツを着ていただけでした。エアリズムというのは着心地の涼しい夏用シャツです。寒さが問題の真冬に着るシャツじゃあないのです。

なんでヒートテック長袖シャツを着ないの?

理由は簡単でした。そういうシャツを持っていたことを忘れていたからです。信じられませんけど。

昨日はパフテックの薄手ベストを着るのも忘れていました。長袖シャツとベストは息子が持って行ってくれましたから、私が行かなくても済みました。


朝起きたらすぐに暖房を入れますので、家の中は暖かくなりますから外は寒いということを忘れるんですね。朝のシャワーで身体は温まっていますから、長袖シャツを着ることを考えもしないんですよ。毎日引き出しの中の一番上にあるシャツを取って着るだけです。

それにね、最近ちょっと異常なんです。頭の中はクイズ番組のことでいっぱいで、それ以外のことを考えていません!

昨日の記事「クイズ番組の出演者募集」にも書きましたが、オーストラリアのクイズ番組がシーズン2の出演者を募集している話を義妹(夫の妹)から聞いて、それに応募したのですよ。

そして、夫は出演に備えたリサーチと学習と作戦計画にのめり込んでいるんです。出演すると決まったわけじゃあないんですよ。ただ応募しただけです。

そのクイズ番組に出演したいと思った動機が臓器移植のドナー登録を呼びかけるためだったとしても、出演するとなったら夫は勝ちたいわけですよ。1回戦勝ち抜くたびに給料2ヶ月分の賞金だとか言っています。

昨日も仕事から帰って来るなりテレビの前に座り、ノートを広げてメモを取りながら米国版のシーズン1を見ていました。オーストラリア版はもう全部見たらしいです。

勝ち抜くためには、クイズの傾向や難易度を調べて、何をいかに勉強して答えを覚えておくべきかを知る必要があると言っています。オーストラリア版と米国版で多くの同じ質問をしていることも分かったそうです。

めちゃくちゃ真剣ですよ!

私は少し心配になって来ました。これがきっかけで双極性障害の「躁状態」が始まってしまうのではないかと。ちょっとくらいの「躁状態」はむしろ役に立つかもしれませんけどね。夫の様子を注意して観察していないといけません。

もう一度言いますが、出演すると決まったわけではありません。応募しただけです。


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2025年6月26日

クイズ番組の出演者募集

ドバイ在住の義妹(うちの夫の妹)は、今朝無事にブリスベン空港に到着したようです。

米国がイランの核施設に攻撃を行ったことへの報復として、イランがカタールの米軍基地にミサイル攻撃をした影響で、ドバイが属するアダブ首長国が空域閉鎖を行ったために航空便の運行が一時中止されました。

ドバイ発着便はすぐに通常運行に戻ったそうですけど、フライトの日程を変更したりキャンセルしたりした人が多かったのか、義妹が乗った飛行機は空席が多かったそうですよ。

その義妹が、先日うちの夫にオーストラリアのクイズ番組の話をしました。現在シーズン2の出演者を募集しているそうで、義妹がそれに応募したんだそうです。うちの夫にも応募したらどうかと言ったもんだから、夫がすっかりその気になってしまいました。

応募するのに写真が必要なのに最近撮った良い写真が無いと言って、仕事が休みだった昨日、写真を撮るために散髪に行って来たのは良いのですが、昨日はお天気が悪過ぎて外では写真が撮れませんでした。家の中は暗過ぎて、ろくな写真は撮れません。

2年ほど前に撮った写真と昨日撮った写真を比べると、外見にまったく違いが無かったので2年前に撮った写真を使ったようです。

そして、昨日は一日中そのクイズ番組のシーズン1の録画を見続けていましたよ。まだ応募しただけなのに、すでに準備を始めたという様子でした。ちょっと気が早過ぎます。

それでも感心したのは、シーズン1の録画を見ながらクイズに答えている夫が、出演者よりも先に高確率で正解を答えていたことです。いろんなことをよく知っていますし、記憶力が良いですし、あまり緊張することも無いみたいだし、クイズ番組には向いているかもしれません。

質問のカテゴリーにもよるでしょうけどね。食べ物とかファッションに関するクイズだと、うちの夫に勝ち抜くチャンスはありませんよ。しかし、道具やツールに関することなら、歩く百科事典とも言われる夫は最強でしょう。


ところで、うちの夫がこのクイズ番組に出てみようと思った理由は、この番組に出演することで臓器や組織移植のドナー登録を人々に呼びかけることが出来ると思ったからだそうです。

つい先日は、腎臓を提供したことについてオーストラリアのテレビ局「ナイン」からインタビューを受けましてね、「ナイン」のウェブサイトに記事が載りました。良かったら読んでみてください。

それにしても、クイズ番組に出演するなんて、私には日本語でも出来ません。カメラと観客の前で時計が秒を刻む中、緊張で身体は震え、頭が真っ白になって一回戦でアウトでしょうね。考えただけでも喉の奥が苦しくなるわ。

大勢の応募者の中から選ばれるんですから、選ばれない確率が大きいですけど、出場者は81人も選ばれるようですから可能性が全く無いわけじゃあないと思います。赤の他人に腎臓を提供したという夫のプロフィールとか、この番組への出演をドナー登録の呼びかけに生かしたいという思いが選考者に評価される可能性もありますよ。

もしも選ばれたら、どこで撮影があるのか知りませんが応援に行きたいです。テレビ番組の撮影を見るなんて滅多に無い経験ですからね


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2025年6月25日

体調回復と炊飯器ケーキ

ラムネ菓子みたいな「ギャヴィスコン」(Faviscon)の錠剤を舐めながら、昨日はもうほとんど一日中何か食べていたんですが、

やっぱり食べ物はこんなに大事!

体力が戻って来たのが分かります。体力だけではなくて気力も戻り、何かしようという気になります。

寝込んでいた時に、息子が私のためにリンゴを煮たのを作ってくれたんですが、それを食べる気にはならなかったので残っていました。だって私が食べたいと思い続けていたのはステーキだったので。

元気になって来たらリンゴの煮たのなんてもっと食べる気がしないので、炊飯器ケーキにしました。材料を混ぜて炊飯器に入れてスイッチを押すだけです。これより簡単なケーキはありません。


冷えてからちゃんとアイシングもかけました。ちょうど完成したところへ、うちの夫が帰って来ました。2時間ほど仕事を早く終えて帰ったようです。超過勤務した分の時間数をこうやって調整しているんです。

しばらくしてキッチンに行ったら、ケーキの半分が消えていました。夫と息子の2人で半分食べたのか…(ちなみに、炊飯器は10合炊きで内釜の直径は20センチですよ。)

体調不良で寝ていた間、パンもケーキも焼かなかったからな。晩ご飯は毎日息子が作って食べていましたけど(一晩は中華の大ご馳走を食べに行っていますけど)、あの2人はやっぱりケーキとかパンとかが食べたかったに違いないです。


今日は天気が悪くて寒いです。予想最高気温は9度ですよ。スキー場がある山の方は雪だそうです。新型コロナとかインフルエンザとか、いろいろ流行っているようなので、皆さんもお気をつけください。私は一体何が原因だったのかよく分かりません。

日本は蒸し暑い季節ですね。こんな季節に寝込むのは大変です。日本の皆さんも、体調管理にはお気をつけください。


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2025年6月24日

ドバイ発着便欠航と消化不良

明後日、ドバイ在住の義妹がオーストラリアに一時帰国する予定になっているんですが、現在ドバイ空港発着便は欠航となっています。

アメリカがイランの核施設に攻撃を行ったことへの報復として、イランがカタールの米軍基地にミサイル攻撃をしたために、カタールが自国の空域を閉鎖しましたが、ドバイが属するアラブ首長国連邦も空域を閉鎖したからです。

空域閉鎖が解除されないと民間機の飛行は出来ないわけですけど、義妹は帰って来れるのでしょうか。

先日の「やっぱり靴探しは大変過ぎる!」という記事で少し触れましたが、私達は来月「ポートダグラス」というリゾートに家族旅行をすることになっていて、義妹はそのために一時帰国するんです。

イランが報復攻撃をしたらもっと攻撃すると米国は脅していたので、追加の攻撃をするんですかね。そうしたらイランも再び報復をしないわけには行かないからミサイルを撃つでしょう。

義妹が予定通りに帰って来れるといいですけど。


ところで、私の体調不良ですが、今朝はほとんど普通です。まだ体力が戻っていませんが、それはちゃんと食べていないからです。

何か食べるとゲップが出て胃がおかしくなるという状態が続いていたんですが、昨日はとにかく栄養を取らなくちゃあいけないと思って、具だくさん雑炊を作りました。

歯がなくても食べられるほどに全部柔らかく煮て、少しずつ食べました。食べる度にゲップが出て胃がもたれる感じがしましたが、少量を何度も食べたので昨日は栄養が取れたと思います。

消化不良や胸焼けには、日本に住んでいた頃は正露丸のお世話になっていましたが、オーストラリアでは「ギャヴィスコン」(Gaviscon)という薬を利用しています。


私が利用しているのはラムネ菓子みたいな錠剤で、食後にそれを舐めるんですが、味も悪くないし効果もありますよ。

水に溶かして飲む粉やシロップもあります。チューインガムもあるらしいです。瓶入りや小袋入りなど好みで選べます。どの薬屋でもスーパーでも売っていますよ。

昨夜は、息子が鶏肉のコテッジパイを晩ご飯に作ってくれましたが、牛乳やチーズが心配だったけど少し食べました。すぐにゲップが出始めて胃がおかしくなりかけたけど、「ギャヴィスコン」のおかげかゲップはすぐに止まりました。

早く何でも食べられるようになりたいです。ステーキが一口食べたいとずっと思っています。どういうわけなんでしょうか。普段はステーキが食べたいなんて思うこと無いのに。


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2025年6月23日

残念過ぎる体調不良

「今日はもう寝ていなくても大丈夫です」と書いたのは昨日の朝。

体調不良で寝ていたのはたったの一日半です。風邪だったのかコロナだったのか原因が分からないような症状で、大したことはなかったと思っていました。

昨日の朝は、いろいろすることがありました。まずはゴミ出し、食器洗い機をスタートさせてからキッチンの掃除、2日前に干したままの状態だった洗濯物を片付けて、洗濯をして干して…と、寝ていた間に誰もしてくれていなかったことをやっていたんですけど、何をやっても息が上がるんです。

2日間ろくに食べていなかったから体力が無いわけですよ。何か食べないと元気が出ないと思いましたが、冷蔵庫はほとんど空っぽ。卵があったので、目玉焼きを作ってご飯に乗せて食べました。

その直後からお腹が痛くなった!

消化不良という感じでゲップが出続けたんですけど、卵とご飯が消化出来ないってことがあるか?

結局またベッドに戻る羽目になってしまって、痛むお腹を抱えて丸まっていると夫からメッセージが届きました。昨日はうちの夫の父親の誕生日だったそうで、夜にレストランでお祝いをすることになったから誰々が行けるかを家族に尋ねるメッセージでした。

うちの息子も娘も行くということでしたが、私はレストランなど行けるわけがありません。

夕方には胃痛は治っていたんですけど外出する体力は無かったので、寝ているしかなかったです。夜になってお腹が空き過ぎたのでヨーグルトを食べたら、また胃痛がし始めてお腹がおかしなことになりました。

今日は消化の良い雑炊でも作ってみます。とにかく何か栄養のあるものを食べないと力が出ません。


レストランには、夫の父親と中国人の奥さん、うちの家族3人と義弟の6人が集まったそうです。ドンカスター(Doncaster)という街にある「ゴールデン・ドラゴン・パレス」という中華料理レストランに行ったそうです。

ヤムチャ(飲茶)が美味しい店として人気があるようです。

コース料理を食べたようですけど、ものすごい大ご馳走だったと夫は言いましたが、どんな大ご馳走だったのか詳しいことは聞きませんでした。

息子が言うには、北京ダックは丸ごと1羽分が出て来たそうで、それをテーブルでさばいてくれたとか。それをこういうソースとネギと一緒に薄いクレープのようなのに巻いてどうのこうの。

ああもう教えてくれなくていい…

私も食べたかったな、中華の大ご馳走。

でも、目玉焼きやヨーグルトが消化出来ないようじゃあ、アヒルの丸焼きも何も食べられませんよ。残念なタイミングで病気になったもんです。


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2025年6月22日

たった一日半寝ていただけで

突然の体調不良で一日半寝ていました。すっかり回復はしていませんが、今日はもう寝ていなくても大丈夫です。

ひどくならなかったのは、具合が悪くなりかけた時にすぐにホットウォーターボトル(ゴム製湯たんぽ)を抱えて寝たせいだと思いますね。ベッドに入っても最初はガクガク震えて寒かったけど、ホットウォーターボトルのお陰ですぐに暖かくなって気持ちよく眠れたし。

昼間に眠ったのに夜も眠ったのは奇跡的でした。

咳もくしゃみもほとんど出なかったんですけど、一体何だったんでしょうか。風邪を引いたような感じは今もしているので、やっぱり風邪だったんでしょうか。


それにしても、うちの男達は頼りにならないと言うか何と言うか。

今朝起きて、朝ご飯にポリッジ(オーツ麦のミルク粥)を作ろうと思ったら、牛乳がほとんど無くなっていました。無くなりそうだと昨日のうちに分かっていたはずですけど、誰も買いに行かなかったわけだわ。息子は毎日家にいるし、昨日はうちの夫も仕事が休みで一日中ずっと家にいたのに。

それに、食器洗い機は汚れた食器でいっぱいのまま、ごみ箱はパンパンで溢れそう、生ゴミ入れも蓋にくっつくほどいっぱいになっていて、洗濯物は2日前に私が干したまま...

晩ご飯は息子が作ったようですが、それ以外は何もしなかったわけだ。

私は、最初の夜は放ったらかしにされたんですが、2日目の夜は息子がおかゆを作ってあげようかと言ってくれました。おかゆよりもお茶漬けが食べたかったので、永谷園のお茶漬けを自分で作って食べましたけど。

昨晩は大汗をかいたので、今日はシーツを洗わないといけませんが、干す場所が無いし衣類乾燥機も持っていないので、コインランドリーに行って乾かさないといけません。牛乳も買いに行かないといけないけど、私は外出する元気は無いですよ。

うちの男達は、頼めば何でもやってくれると思いますから頼んでみます。別の言い方をすると、頼まなかったら全然気が付かない人達なんです。

病気になった時でも、何かして欲しいことがあったらいちいち指示を出して頼まなくてはいけません。高熱が出て苦しい時、「お水を持って来てあげようか?」くらい言ってくれるだろうと期待してはいけませんよ。頼まないと何もしてくれません。

でもね、近頃は息子は「おかゆを作ってあげようか?」と聞いてくれるようになったので、それは大進歩なのでございます。


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2025年6月21日

突然の体調不良

突然くしゃみが始まって、頭痛がして、寒気がして、あれよあれよという間に体調悪化。靴探しで歩き回った時に、どこかでウイルスをもらったに違いないです。

うちの娘が新型コロナに感染していたらしいので、それかもしれませんけど。

そういうことで、今日はお休みです。皆さんもお気をつけください。


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2025年6月20日

舌がんだった叔父さんのこと

このブログを定期的に読んでくださっている皆さんは、うちの夫の叔父さんが舌がんになった話を覚えていらっしゃると思います。叔父さんとは言っても、夫の父親の歳が離れた弟なので私とは年齢が近いんですよ。

舌がんだと分かったのは昨年の11月でした。

私達夫婦が昨年9月に1000キロ運転旅行をした時に叔父さんの家に泊めてもらったのですが、その時に叔父さんが首の腫れが気になっているとか上向きで寝ると舌が喉を蓋するような感じになって息が出来なくなるとか言いましてね。

見ると首の腫れというのは脇の下辺りまで膨らんでいて、素人が見てもリンパ節に問題が起きていると分かるんですよ。舌が喉を蓋すると言うんですから、舌に悪い物が出来ているんじゃあないかと誰でも思います。

何ヶ月も前から首の腫れが気になっていたそうなんですが、医者に相談していませんでした。うちの夫は一日も早く医者の診察を受けてくれと言いました。しかし、医療事情の良くない場所に住んでいるので診察を受けるのに時間がかかり、検査を受けるのにも時間がかかり、検査後の診断を聞くのにも時間がかかり、その間に腫れはどんどん大きくなったのです。

舌がんだと分かった時には、がんは喉にも転移していました。

メルボルンの病院で治療が始まりましたが、切除手術は受けないことになったので相当進行していたんだろうと私達は思いました。家族は悲観したんです。もっと早く診察を受けていれば良かったのにと悔やまれてなりませんでした。

7週間に渡った放射線治療と抗がん剤治療が終わったのは、お正月頃でした。話すことが出来なくなり、飲食も不可能になったので胃ろうになり、げっそりとやせ細って体力も無くなった叔父さんを見て、うちの夫も兄である夫の父親も覚悟したそうです。今年中に死ぬかもしれないくらいに思っていました。

ところが!

放射線治療と抗がん剤治療が終わってから3ヶ月が経ち、3月の終わり頃に受けたCT検査の結果、がんがあった場所にがんは見つからなかったのですよ。

ただし、喉の2か所に不明な部分があったそうです。何らかの傷か、もしかしたらがんか、判断出来ないので生体組織検査をするとのことでした。叔父さんは喉が痛いと言っていましたし。

先々週やっと生体組織検査を受けることが出来ました。その結果が分かったそうです。

喉にあった2か所の不明な部分は、

潰瘍だったんですって!

がんじゃあなかったんですよ。ですからね、現在はどこにもがんが見つからない状態だそうです。

叔父さんは、ほぼ普通に食事も出来るようになっているそうです。体重も増えて体力も戻っていますから、バスの洗車&クリーニングの仕事にも復帰しました。毎週片道6時間かけてペンズハーストからメルボルンに通う以前と同じ暮らしをしています。

年齢も年齢なんだし、これを機に通勤に片道6時間もかかるようなバスの洗車&クリーニングの仕事は辞めればいいのにと私は思いますが、叔父さんはその仕事が好きなんだそうです。バスや電車が大好きなので、バスや電車に関わることをし続けたいそうなんです。

やりたい仕事が出来るうちは、続けるのがいいですけど。

それにしても驚きました。がんの治療法というのは、私が思っていた以上に進歩しているようです。


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2025年6月19日

やっぱり靴探しは大変過ぎる!

実は、来月クイーンズランド州の「ポートダグラス」というリゾートに家族旅行に行くことになっています。

これは、うちの夫の父親が全員分の旅行費用を全て負担して主催している家族旅行なんですよ。2018年にはクイーンズランド州の「ハミルトン島」へ行き、翌年にはニュー・サウス・ウェールズ州の北の方にある「バイロン・ベイ」に行きました。

新型コロナで旅行が制限されて以来、小さな家族旅行は毎年のようにやっていましたけど、大きな家族旅行はありませんでした。私は夫の父親とは長年お付き合いをしていなかったので、どの家族旅行にも参加しなかったんです。

しかし、今年の家族旅行は特別なんですよ。父親もかなり高齢になっていますし、認知症のことも心配されていますし、数年ぶりに家族がほとんど全員行くんです。私も夫の父親と再びお付き合いをするようになっておりますし、今年は初めて参加することにしたんですけど。

詳しいことは近いうちに書こうと思っています。

「ポートダグラス」は常夏の観光地ケアンズよりもさらに北に位置していて、美しい砂浜で有名だそうです。グレートバリアリーフにも近いのでその観光にも行くそうなので、濡れても大丈夫なビーチサンダルが必要だと思ったんですよ。私はそういうのを持っていないんです。

それで、昨日買いに行ったんですけど、

やっぱり靴探しは大変過ぎる!

ビーチサンダルと言ってもゴム草履みたいなのは嫌なんです。親指と人差指の間で鼻緒を挟むようなタイプね。あれは絶対に痛くなったり皮がむげたりするし、歩きにくいから苦手なんですよ。だからクロックスのようなゴムサンダルを買おうと思っていました。どこにでも売っていると思っていたけど、なかなか見つかりませんでした。

私の靴のサイズは22センチなんです。オーストラリアでは大人の女性用の靴はサイズ5からですけど、サイズ5を置いている店は多くありません。そしてサイズ5は私には大き過ぎるんですから、22センチの大人の女性用の靴は存在しないと言ってもいいんです。

だから、私はいつも子供靴コーナーに行くんです。孫の靴でも選んでいるふりをして自分が履く靴を探すんです。子供靴のサイズ2が22センチに近いと思います。サイズ3はブカブカですから。

でもね、子供靴は色やデザインが子供向けだから、おばちゃんが履くには無理なのが多いのですよ。そして子供靴のサイズ2は幅が狭いですから、私が履くときついんです。

昨日は思いつく全ての店を見て回ったんですけどね、今は真冬でしょ?だから、ゴムサンダルみたいな靴は数が少ないんですよ。「ターゲット」というお店でシンプルな黒のクロッグサンダルを見つけましたが、サイズ2は一つも無かった。

大汗をかきながら歩き回って、結局ゴムサンダルは買えませんでした。やっぱりね、高い送料がかかってもオンラインショップで買うしかないです。最初からそうすれば良かったですよ。

靴探しは不可能に近いということは骨身にしみて分かっていたはずでしたが、昨日もまた思い知らされました。


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2025年6月18日

値上がりし続けるヘアカット料金

あらゆる物の値段が値上がりしていますし、オーストラリアの労働者の最低賃金は、時給24.10ドルあるいは週休915.90ドルなんですから、ヘアカット料金だって値上がりして当然なんですけど。

ちょっと納得出来ないと言うか…

私の頭はベリーショートでね、ここ20年ほどスタイルを変えたこともなくて、いつも整えてもらうだけなんです。シャンプーは行く前にしますから追加料金払って美容院でしてもらうことはありません。

バリカンで襟足と耳の周りをガガーとやってから、全体を整えるのに要する時間はいつも5分くらい。髪の毛を濡らすこともないんです。

新型コロナの頃には40ドルもしなかったのに、行く度に値上がりして55ドルくらいになっていたんですが、いつもカットしてもらっているLさんが勤める美容院は経営難だったのか姉妹店と一緒になったので場所が変わりました。

場所が変わっただけじゃあなくて料金も変わりまして、前回行った時には60ドルを超えたんですよ。

朝9時の予約でね、他の客はいませんでした。9時ピッタリに到着したと思いますけど、美容師チームがミーティングをしていたので少し待たされました。ヘアカットを終えて車に戻った時に9時10分だったんだから、ホントにあっという間に終わったんだけど。

あれで60ドルか…


私の友人は、美容院ではなくてバーバー(理髪店)に行っているそうです。その友人も私と同じくらい短いヘアスタイルで、襟足と耳の周りはバリカンでガガーとやってもらうんだそうですが、40ドルも払っていないと言うんですよ。

おじさんやお兄さん達に混じってやってもらっているんだそうです。私もバーバーに行ってみようかなあ。

近所のショッピングスクエアには2店のバーバーが入っています。ヒゲの濃いおじさんやお兄さん達が働いています。イラクとかアフガニスタンとかパキスタンとか、あの辺りの国出身っぽい外見の人達ですけど、あそこに入るのはちょっと勇気がいりますよ。

長年カットしてもらっているLさんは、いちいち説明しなくてもいいから楽なんですけど、場所が変わったから遠くなったし、行く度に値上がりしている気がするのよねえ。

姉妹店と一緒になった美容室のウェブサイトには料金表が載っていましてね、バリカンで整えるだけのカットの料金は47.50ドルだったのに、今は50ドルになっています。

しかし、美容師をLさんと指定すると57.50ドルなんですよ。でも支払う料金は60ドルを超えるんです。よく分かりません。料金のことであれこれ言いたくないから聞きませんけど、次回はさらに高くなっている可能性もあります。

そろそろカットが必要なんですよ。

中東系のヒゲの濃いおじさんのバーバーに行ってみようかなあと一瞬考えたけど、やっぱりちょっと勇気が出ないな。場違いすぎるというか、中国人のおばちゃん風の私がね、あの店に座ってあのおじさんに襟足を刈り上げてもらっている姿を想像すると、

違和感マックス!

やっぱりLさんにカットしてもらうしかないか。5分で60ドルだけど...


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2025年6月17日

ハンカチの季節到来

オーストラリアは、知る人ぞ知る「ハンカチ後進国」です。

ハンカチを持ち歩く習慣が無い人が多いのですよ。ポケットティッシュすら持ち歩いていません。手を洗ったらドライヤーで乾かすかペーパータオルを使いますからハンカチが必要無いのは分かりますけど、汗を拭いたりはどうするんでしょうか。

需要が無いのでデパートのようなお店でも売っていませんから、ハンカチを売っているお店を見つけるのに苦労します。運良く見つかってもろくなハンカチはありません。無地か小さな花柄か刺繍付きか、そういうのしか無いです。

紳士物なら割と簡単に手に入ります。ビジネスマンの皆さんにとってポケットにハンカチを持っていることはエチケットのようですからね、デパートの紳士服売り場に行けばを紳士物のハンカチは売っています。

そんなオーストラリアですが、今年もまた人々がハンカチを持ち歩く季節がやって来ましたよ。

今は冬ですからね、風邪を引く人が増えるでしょ?風邪をひくと鼻水が出ます。人々は鼻水を拭いたり、もっと言うと鼻をかむために、ハンカチを持ち歩くのでございます。

昨日買い物に行った時に何人も見かけたんです。ポケットや服の袖口からシワシワになったハンカチを取り出して、ブブーと音を立てて鼻をかむ人々を。全員が白人の高齢者でした。

これはねえ、ホントにもう、私がオーストラリアに住み始めた頃のカルチャーショックの一つだったんです。このブログで何度も話題にしましたけど、私にはハンカチで鼻をかむということが理解し難いことでしたから。

しかも、鼻をかんで濡れたハンカチは、くしゃくしゃと丸めてポケットや着ている服の袖口の中に戻すんですよ。そして再び取り出して何度も使うのです。濡れていない部分を探しながら。

繰り返し使っているとハンカチはどんどんしわくちゃになって行きます。しわくちゃになったハンカチは鼻水で濡れているんですから、それが乾くとカリカリになるんです。こういう状態になったハンカチを「クランチーハンキー」(Crunchy Hankie)と呼びます。「カリカリのハンカチ」と言う意味です。

うちの夫は、カリカリになって丸まった状態のハンカチを洗濯機にポイッと入れていたんですけど、

これが私には耐えられなかった!

貴方ね、他人の鼻水(あるいは鼻汁)でカリカリになったハンカチを自分の服や下着と一緒に洗えます?私は一緒に洗いたくなかったから、お湯につけてカリカリの鼻水を柔らかくして(うわあ気持ち悪っ!)、もう大丈夫と思えるまで手洗いしてから洗濯機に入れていた時期もあるんですが、そんなことをするのは止めたんです。私がする仕事じゃあないでしょう?

手洗いするのも気持ち悪いのよ。何でこんなことを私がしなくちゃあいけないの?

そこで、私は夫に言い渡したんですよ。カリカリになったハンカチは自分で手洗いしてから洗濯機に入れろと。自分で洗わないなら捨てるとも言いました。実際にカリカリになって丸まったやつを捨てたことが何度もありますよ。

そのせいかどうかは知りませんが、夫は私のようにティッシュを使うようになりましたから、「クランチーハンキー」に遭遇することはなくなったんですけど。


この「ハンカチ鼻かみ文化」は、親から子へ、そして孫へと代々伝わりますからね、私が教えていた小学校でもハンカチで鼻をかむ子はいましたよ。小さな子供が制服の袖口から取り出したハンカチで鼻をかんだ後、くしゃくしゃと丸めて袖の中に戻しているのを見て、「文化というのはこのようにして伝わって行くのだ」と感心したものです。

うちの夫だって母親から学んだのです。夫の母は今でもハンカチで鼻をかみます。使ったハンカチは袖口に入れておく派です。そういうのを目の前で見ても、私はもう何とも思いません。「おお、やってるやってる」と思うだけです。

多民族社会のオーストラリアでは、もちろんハンカチで鼻をかんだりしない人は多いですよ。でも、ポケットティッシュを持ち歩いている人もあまりいないんだから、皆さんどうやっているんですかねえ。

ちなみにハンカチ鼻かみ派の皆さんの中には、洗って何度も使えるハンカチはティッシュよりも環境に良いという意見があります。でも、衛生面のことを考えてご覧なさいよ。鼻水には細菌やウイルスが含まれているんですからね、使い続けてしわくちゃになっているハンカチはヤバい状態なんです。

あれを親子で共有したりしているのも見かけますけど、つまりお母さんが使ったやつで子どもの鼻も拭いていたりするんだけど、細菌やウイルスも共有しているってことじゃあないの?

まあとにかく、うちの夫の家族が先祖代々引き継いで来たこのハンカチ鼻かみ文化は、夫の代で終わりです。


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2025年6月16日

このパンが焼けなくなったら認知症

パンですけど、2〜3日おきに焼いています。ご飯を炊くのと同じ感覚でやっています。


パン作りも、最初の頃はいろいろなパンを焼いていたんですが、作り続けているうちに一番好きなタイプのパンばかりを焼くようになり、手が痛いから捏ねたりするのも嫌なので、レシピはどんどん簡単になりました。

今はもう考える必要もない単純レシピになっています。捏ねなくてもちゃんと弾力のあるパンにするために、私は粉とお湯の割合を2対1にしています。覚えるのも簡単ですからね、いつの間にかそうなりました。

いつも作っている材料は以下の通り。11 ✕ 27センチの型で焼くのに適した量です。

<材料>
パン用の強力粉 4カップ(*1カップは250ml)
ドライイースト 1袋(7グラム)
砂糖 小さじ山盛り2杯
塩 小さじ山盛り1杯
お湯(温度は高め) 2カップ
油 大さじ2杯くらい(私はサンフラワーオイルを使います。お好きな油を使ってください。入れなくてもいいです。)

パン用の強力粉は、どこのスーパーでも売っているこれを使っています。


同じブランドから1キロ入り袋も売られていますが、5キロ入り袋の方でなくてはいけません。1キロ入りの強力粉と5キロ入りの強力粉は別物ですよ。同じように作っても同じ生地になりません。必要なお湯の量も変わります。

作り方は以下の通り。私は蓋付きのボウルで生地を作ります。作る度にゴミが出るようなやり方はいけませんから、ラップなんて使いません。

1.お湯とオイル以外の材料をよく混ぜてから、お湯と油を加えてシリコンのヘラでまとまるまで混ぜます。

この生地はヤワヤワでベトベトですから、捏ねようと思っても捏ねられません。生地がまとまったらお皿などで蓋をして10〜15分くらい温かいオーブンの中に置いておきます。取り出したら、水(またはお湯)で濡らした手で生地の端っこを持ち上げて真ん中に持って来るというのを10回くらいやります。餅つきの返し手の要領です。

2.この手順を繰り返します。ボウルに蓋をして10〜15分くらい温かいオーブンの中に置いておいて、取り出してから濡らした手で生地の端っこを持ち上げて真ん中に持って来るというのを10回くらいやります。10回以上やってもいいです。


30分ほど経つと2倍に膨らみます。


膨らんだら型に移します。必要なら型に油かバターを塗ってください。生地は見てお分かりのようにヤワヤワでベトベトですから粉をふって取り出して、型に落とし入れたら同じ厚さになるように広げます。デコボコになっても平気です。


3.再び温かいオーブンの中に置いておいて生地が膨らむのを30分くらい待ちます。型の上端まで膨らんだらオーブンから取り出して、オーブンを190度に予熱します。待っている間に更に膨らみますから、このくらいで出します。


4.190度になったらオーブンに入れて40分焼きます。中はもちもち皮はパリパリのフランスパンみたいな食感のパンになります。私は日本の食パンみたいなふわふわのパンよりも、断然このパンの方が好きなんです。



何年も作り続けて来たので、今ではもう材料の分量も手順も考えなくても作れるわけですが。お店で買って来るパンより美味しいし安上がりだし、時間はかかるけど簡単ですからね。必要な道具もボウルと計量カップとシリコンのヘラだけですし、ケーキを焼くより簡単ですよ。

当たり前のように焼いているので、このパンが焼けなくなった時は認知症を心配しないといけないと思います。

毎朝作っているポリッジ(オーツ麦のミルク粥)とか、モカポットで淹れるコーヒーとか、考えなくてもやっている日々の作業というのがありますけど、時々手順が狂って「あれっ?」と思うことがあるんですよ。

そういう時には、手順を考えないと出来ません。「私、大丈夫か?」とドキッとしますが、そういうことが起きるのはひどい睡眠不足の時です。

それから、最近はパンのことを忘れてしまって発酵が進み過ぎたり焼き過ぎたりすることがあるので、必ずタイマーをセットしてやっていますよ。家事をしながらやっていると忘れますからね。待っている間に外に出て草取りなんか始めたら絶対に忘れますから。

生地をいくつかに切り分けて焼くとディナーロールになります。こういうのは完璧なまん丸でなくてもいいんですからね。半分の量で作ると大きいロールが4個出来ます。


ついでに、このレシピの粉の分量だけを3カップに減らすとフォカッチャ(Focaccia)が作れますよ。ヤワヤワでブヨブヨの生地になります。ボウルから取り出す時は油をふりかけて取り出します。油はオリーブオイルを使ってください。それを平たくしたのに塩やハーブをふりかけて高温で焼くんです。

この捏ねないレシピは万能ですからオススメです。


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