2012年7月31日

怒っているのは私だけじゃない!

何かおかしい、チャンネル9の報道姿勢!

オーストラリア選手しか映さないというよりも、非常に偏った報道が目立っているチャンネル9。報道の方針というかテレビ放送を担う企業としての倫理が大きく疑われている。

私の夫は、ある電動工具会社に勤めており、毎日多くの販売店や顧客の会社を回っているのだが、昨日は行く先々で話題は全て「チャンネル9のお粗末かつ偏ったオリンピック報道」についてであったという。

ある人は、インターネットで競技の予定を調べ、バスケットボールの試合を見るために朝早起きしたが、チャンネル9は競泳のニュースを繰り返すばかりであったという。

私が見ることができる夕方と夜の放送中に映すのは、競泳!競泳!競泳!競泳!

競泳以外に結構映すのが、なぜか馬術とボート。そして、ホッケー、寒そうなビーチバレー、テニス...。その他のマイナーな競技もオーストラリア人が出ている場合、散発的に5~10秒ほど。

「本当にねえ、柔道や卓球なんか映す可能性ゼロだよねえ。サッカーだってやってるんだよ!」と、私が不満を述べると夫が言った。

「チャンネル9にとって、AFL(オーストラリアルールのフットボール)は大スポンサーだろ?サッカーは、フットボールにとっては最大の競争相手だから、普段からチャンネル9はサッカーのニュースは報道しないよ!」
「そんな!これはオリンピックの話よ。チャンネル9だけが放送する権利を持っているんだから、全ての競技の映像は見せられないにしても、満遍なく国民に結果ぐらい報道する義務があるってものでしょう?」

しかし、日本のNHKのように、「その他の競技の結果をお知らせします」と言って、短い映像とともに放送されなかった競技や種目の結果も丁寧にカバーするといった放送会社としての責任ある姿勢というものは、チャンネル9には無い!

番組の組み立て方もお粗末かつ退屈!

そしてねぇ、言いたいのはねぇ、
「一日中、競泳の4×100Mリレーでマグヌソン選手とその他3人のチームがメダルを逃した件をセンセーショナルにしつこくしつこく放送し続けるのは、ヤメロー!」

ホントに、インターネットが無かったら、ロンドンオリンピックで何が起きているのかさっぱり分からないところである。

チャンネル9に文句を言いたいとお思いの方、下のリンクはFacebookに登場した「チャンネル9のオリンピック放送はサイテー!」というページです。ここから、発言できます。電話番号ものっています。

Channel 9 Olympics Coverage Sucks


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2012年7月30日

番狂わせ エキサイティング!

オリンピックだが、競技をライブで見るのはあきらめた。

2日目、3日目と、チャンネル9はオーストラリアで最も人気のある競泳を主に放送しているが、午前中は予選。準決勝や決勝が行われるのは午後だ。メルボルンでは深夜から真夜中になる。

夜の9時ごろには眠くなる私のような人には、深夜まで起きていてライブで見るなど到底不可能なことなので、朝起きてからすでに結果がわかっている映像を見るしかない。

さて、昨晩は競泳の予選をやっていた。特に、チャンネル9が繰り返し宣伝していたのが、オーストラリア期待のジェイムズ・マグヌスン選手(よく「マグヌッセン」とカタカナ表記されているけれど、実際の発音は「グヌスン」というのが近い)が泳ぐということ。

昨年の世界水泳100M自由形金メダリストのマグヌスン選手は、強い速いハンサムでコマーシャルなどにも引っ張りだこ。メディアからは「ミサイル」というニックネームで呼ばれている。ロンドンオリンピックのホープで、自信満々の強気発言を連発していたし、イアン・ソープなどの有名選手達からも絶賛されていて、金メダルを取るのはほとんど確実という報道ぶりであった。

マグヌスン選手が出るのは、男子4×100Mリレーであった。リレーだから他にも3人の選手が泳ぐわけで、「マグヌスン一人で勝てるわけではないだろうに...」と思っていたが、予選はラクラク1位で通過。

レース後のインタビューで、予選1位の泳ぎについてたずねられ、
「うーん、予選ですからねえ。予選は簡単ですよ。午後の決勝ではもっと速く泳ぎます」と、金メダルを取りに来ているという自信に満ちあふれた態度であった。

私は寝た。そして、朝が来た。

「さあて、オーストラリアは金メダルを取ったのかなぁ?」

早速チャンネル9をつける。スタジオホストのキャメロン・ウイリアムスが、曇った声で4×100Mリレーの結果を伝えていた。オーストラリアはメダルを逃した言っている!

「えっ!メダルを逃したぁ?」

早速、映像に見入る私。

第1泳者がマグヌスン選手。100M自由形の世界記録を狙っているマグヌスンが最初に泳いで2位以下に差をつけ、あとの三人で逃げ切るという作戦である。ところが、マグヌスンの泳ぎに伸びがない。なんと2位か3位で次の泳者に交代!飛び出たのは、アメリカ。やっぱり強い!

「こりゃ、またアメリカが金メダルか...」

チャンネル9は、オーストラリアがメダルを逃したとは言ったが、どのチームが勝ったとは言わなかった。こりゃ、アメリカが勝ったんだな...と、思いながら見ていると、フランスの最終泳者がぐんぐんと追い上げ始めた!

フランス?フランスって水泳強かったっけ?

大歓声の中、フランスはさらにアメリカを追い上げる!

「これは!行くかもよぉ!行くかもよぉ!」

フランスチームは声をからして応援している。

「わぁぁぁ、行ったよぉ、フランス!勝ったよぉ!」

歓喜のフランスチームが映し出され、彼らの感動と興奮が伝わってきた。

歓喜感涙のフランスチーム
感動しました。まさかの4位で茫然自失のオーストラリアチームはお気の毒でしたし、逆転されたアメリカチームのマイケル・フェルプス選手もボーゼンでしたけど...。見てごらんなさいよ、フランスチームを!金メダル候補ではなかったのでしょうが、見事な泳ぎ!見事なレース!素晴らしかった!

平泳ぎ100Mは、日本期待の北島選手が5位に終わり残念でしたけど、オーストラリアのクリスチャン・スプレンガー選手が、初めて個人種目でメダルを獲得!しかも銀メダル!感動のあまり目を真っ赤にして涙にむせぶ姿は、日本のテレビには映らなかったでしょう。

もらい泣きしそうでした。


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2012年7月29日

落胆のオリンピック

オーストラリアに移住したのが1994年なので、こっちでオリンピックを見るのは今回のロンドンが5回目だ。

気持ち的にはすっかりオーストラリア人になったつもりの私だが、やっぱり自分は日本人だと実感するのが、オリンピックやワールドカップなどスポーツイベントの時である。

例えば、サッカーなどで日本とオーストラリアが対戦したりすると、「いやあ、どっちを応援したらいいか困るなあ!」などと口では言いながら、実際にゲームが始まると私の脳みそは悩むことなく日本を応援してしまう。と、いうか本能的に日本を応援せずにいられないという感じか...。

オリンピックでは、やっぱり気になるのは日本選手の活躍だ。

ところが、オーストラリア選手しか映さないチャンネル9(チャンネル7だった時も同じこと)が放送するのだから、日本選手を見ることができる唯一のチャンスは、オーストラリア選手と日本選手の両方が出ている人気競技に限られる。両方が出ていてもマイナーな競技では、放送される可能性は低くなる。

例えば、私の好きな体操と柔道。これはかなり可能性が低い。

毎回、次のオリンピックでは、全競技が全て放送されるペイTVのFoxtelに加入しようと思うのだが、様々な事情でこのささやかな夢がかなわない。

私達は、電話にファックス、携帯電話2つにインターネットと、たくさんTelstraという通信会社のサービスを利用しているのだが、なんとTelstraがよりお得なパッケージの1つとしてFoxtelを無料にしてくれた。最初の1ヶ月というのではない、Foxtelの利用料ゼロでパッケージに入れてくれたのだ。

オーストラリアのフリーTVは面白くない。だから、Foxtelで面白い番組が見られるぞと家族は大喜びだった。一番喜んだのは私!早速工事の予約も入れた。

ところが、現在住んでいるこの借家のイタリア在住の小難しい家主は、私達にFoxtelのケーブルを引く工事を許可してくれなかった。

早く別の家に引っ越したかったが、何しろ生活に苦労してきた私達には、経済的にそれができなかった。そして、今回もフラストレーションの募るオリンピックとなっている。

「あーあ!」

また、誰かがYouTubeに動画をアップしてくれるのを待つしかないのか...。


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2012年7月28日

オリンピックとチャンネル9

今朝は早起きしてロンドンオリンピックの開会式を見た。

前半のショーは、素晴らしかった。映画監督ダニー・ボイルは、映像も駆使して英国の歴史や文化を見事に演出。のどかな田園風景が産業革命後の英国に変貌してゆくシーンには息を呑んだ。

パフォーマー達も素晴らしかったけれども、巨大なセットから大小道具に至るまで、あれらを作った人達、デザイナー、エンジニア、動かしているメカニック、照明係から火薬係、出演者を誘導する係の人から救護係まで、もう気が遠くなるほどの人々が舞台裏で働いていたことだろう。

いいなあ、うらやましい、こういうのに参加できて。

ミスタービーンや007からヴォルドモートまで登場し、とにかく英国の豊かな文化と底力を見せ切ったショーのディテールについてここには書かない。皆さんご覧になってそれぞれ感想をお持ちだと思うので。

私がここに書きたいのは、

予想的中のチャンネル9への不満である!

ロンドンオリンピックの放映権を持つのはチャンネル9だ。北京オリンピックはチャンネル7だった。チャンネル9でも7でも、いつも同じことが言える。

オーストラリアの放送局は、オーストラリア選手ばっかり映すのだ。オーストラリア選手が出場する人気競技しか放送しないから、マイナーな競技はほとんど見ることができない。日本のNHKのように他国の選手の活躍などまず取り上げない。

開会式の各国選手の入場など退屈で見る気がしないという人もいるが、私はこれを見るのが大好きだ。

まず、世界の様々な国や地域の名前を知ることが楽しい。毎回新しい国や地域が加わっていて、こういうことには結構詳しいつもりの私が「聞いたことがない名前」の国があったりすると、地図を開いて調べたりする。そういうのが楽しいのだ。

また、世界中の様々なや地域から集まった人々の顔や姿を見たり、彼らが着ているユニフォームや民族衣装を見ることも大変興味深い。今年は、参加した全ての国と地域が女性選手を派遣したということで話題でもある。私は、そうした、異なる文化を持つ人々の生活にとても興味があるのだ。

というわけで、いよいよ各国選手の入場が始まって、私はわくわくしながら見入っていた。

オーストラリアは「Australia」と綴るのはご存知のとおりで、国名が「A」で始まるので登場が早い。チャンネル9は、当然複数のカメラの映像を駆使してオーストラリア選手を映す。

背景の音声では、直ぐにオーストリア、アゼルバイジャンとオーストラリアに続く各国選手が入場しているというのに、チャンネル9は延々とオーストラリア選手ばっかり映す。

競技場をぐるりと回って行進を終え、携帯電話で話したりテキストメッセージを送ったりしている選手、ふざけあう選手、望遠カメラでとらえたオーストラリア選手の様子だけを映す。

「おい!他の国も見せろぉ!」

と叫んでみても、オーストラリア選手がただ延々と映し出されるだけ。

そのうち、時々チラッと新たに入場してくる国の選手を映したりもしたが、すぐにまたオーストラリア選手の映像に戻る。

そうこうしているうちに、ジャマイカの登場となった。旗手はウサイン・ボルトである。

「さあ、世界で最も速い男の登場です!」と、チャンネル9のエディー・マグワイアが興奮しながらボルトを紹介。今度は、延々とウサイン・ボルトを映す。

そして、またオーストラリア選手。長い待ち時間にふざけ合っているオーストラリア選手を延々と映す。

「もうヤメロ!」

やっと映像が変わった!

映ったのは北朝鮮!

北朝鮮は英語で「North Korea」ですよ。ジャマイカの「J」から一気に「N」ですよ。

「ええっ! Japan はどうしたの!」

Japan はね、とっくに入場していました。日本チームは、今年も映らなかったのです。ジャマイカチームの後ろに続く赤いジャケットの一団が、あれがきっと日本チームだったのでしょう。

「くそっ...」

日本期待の体操とか、ディーン選手が話題の槍投げとか、シンクロナイズド・スイミングや柔道も、レスリングも卓球も、私が見たいと思う競技が放送される可能性は、今年も低い。


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2012年7月26日

電動ナイフで巻き寿司を切る

オーストラリア人家庭では、一家に一台必ずお待ちの「エレクトリック・ナイフ」というキッチン道具がある。「エレクトリック・ナイフ」すなわち「電動ナイフ」だ。

主に、ローストしたでっかい固まり肉をスライスするのに使われるが、パンをスライスするのにも便利な道具だ。

片手で持てるコンパクトで軽い本体にワンタッチで2枚の刃をセットする。この刃が互い違いに前後に細かく動き、力をいれずとも容易にスライスすることが可能となる。

しょっちゅう家族や友人が集まって、ロースト料理を楽しむ私の義母の家では、この電動ナイフは絶対必需品である。ローストビーフ、ローストポーク、ローストラム、そしてローストチキンと、肉が何であれ、これを使えば誰だってスイスイと上手にスライスできるのだ。

ある時、私たち家族は、私が家庭教師で日本語を教えていた生徒の家に夕食に招待された。メニューは巻き寿司であった。

手巻き寿司という楽な方法があるのを知らなかったのか、生徒(二人の姉妹)とお母さんが三人がかりで一生懸命に巻き寿司を巻くのを私は感心して眺めた。

慣れた手つきである。しょっちゅう作るのだそうだ。

「なるほど...」と、感心していると、電動ナイフを取り出した。

「えぇっ?電動ナイフで何をするの?」

私の頭の中では、「電動ナイフ」イコール「ロースト料理」と完全につながっていたものだから、巻き寿司を作っているのに「電動ナイフ」を取り出すというのは、一体何をしようとしているのか見当がつかなかったのだ。

「スシロールを切るのよ!」と、彼女達は笑顔で言った。

「電動ナイフで寿司を切るぅ?」
私はびっくり仰天である。

しかし、実際に切るのを見てもっとびっくりした。

普通、包丁で巻き寿司を切る場合、どうしてもご飯がベトベトくっついてきれいに切れなくなるので、ぬれ布巾で包丁をひんぱんに拭きながら切らねばならない。

しかし、電動ナイフで切ると、スパッ!スパッ!と切れてゆき、ナイフにべとべとしたご飯がほとんど付かない。

結局、最後まで一度もナイフを拭くことなく見事に全部切り終わった。10本近く切っただろうか。全て切り終わったナイフを見ると、さすがにベットリとご飯がくっついていたが、それでも最後まで抜群の切れ味なのだった。

私は、なんと言ったらいいのか、その...、気持ち的にですね、巻き寿司を上のような電動ナイフでガッガァーと切るということに抵抗があったのですけど、先日、息子のカイが学校に持って行くための大量の巻き寿司を作った時に使ってみました、電動ナイフ。

すごいです。
あっという間に、スパッ!スパッ!と、見事な切り口で切れます!

日本では、まだなじみのない道具でしょうが、もしも電動ナイフをお持ちだったら、だまされたと思って、今度巻き寿司を切るのに使ってみてください。びっくりしますよ!


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2012年7月25日

ワトル...、新たな敵

ロンドンオリンピックが近づいてきた。今年の日本代表チームのユニフォームは何色なのだろうかと思いネットで調べると、やはり赤は使われているけれども、競技によってデザインがずいぶん違う。

日本のナショナルカラーは白と赤だけれども、ナショナルチームのユニフォームカラーは、白と赤とは限らないようだ。黒、グレー、青、紺などがしばしば使用されている。

ところが、オーストラリアの代表チームのユニフォームは、もう必ず緑と黄色である。緑と黄色(オーストラリアでは黄金色という)がオーストラリアのナショナルカラーであり、「国を代表する」ということが「緑と黄金色のウェアを着る」と言い換えることができるほどなのだ。

私も、不思議だった。なぜオーストラリアのナショナルカラーが緑と黄金色なのか。

オーストラリアの国旗は、英連邦の一部であることを示すために英国の象徴ユニオンフラッグを左上に配置し、南十字星と6州1準州を象徴する七稜星をデザインしたもので、色は濃い青と赤と白である。つまり、オーストラリアのナショナルカラーは、国旗をもとにしていないのだ。

では、何の色なのかとお思いでしょう?

これです。


オーストラリアの国花「ゴールデン・ワトル」であります。春を告げる花とも呼ばれたりするけれども、実際には春先に咲き始めるというよりも、結構気温が低くなるヴィクトリア州においても、真冬であるはずの7月にはもう咲き始める。

上の写真は、今朝Colesに買い物に出かけた時に、ショッピングセンターの横を運転中に見たものだ。

「うっへぇ!もうこんなに咲いてきたぁ!」と、動揺しながら信号待ちのときにiPhoneで写した。

ワトルの花をアップで見ると、ちょっと怖いですよ。見てみます?


何が怖いのかって?

花粉ですよ、花粉!

もうすぐ、そこらじゅうでワトルの木が満開になる頃には、路上駐車している私のカローラが、この花粉でまっ黄色になる。そのくらい、この花粉が降り注ぐ。

私、これまでは、この黄色い花粉は平気だった。

ところが、今年はまだヘイフィーバーの季節じゃないというのに、鼻はムズムズ目はチクチク!なぜなの?おかしい!と、よくよく考えてみると、ワトルの花粉症を発症したとしか思えないのであります!

そんなっ...、ひどすぎる。

私にとって、メルボルンの春がどれほどの苦労と災いと不都合と余分な出費とをもたらす厄介な季節であることか。普通、それは、草や芝が花をつける9月から始まるんだが、ワトルのせいで7月からも...ってことは、7月から12月まで半年間もくしゃみと鼻水と目の痒みに耐えなければならないのか。


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2012年7月23日

グラニーのロースト料理を習うサチ

今日は、娘のサチの自慢をさせてもらいたい。

というのが、昨日の日曜日、晩ご飯にローストラム料理を作ってくれたのだけれど、それが本当に美味しくて、タイミングも味付けも全く見事だったものだから、母親としてはもう嬉しくて誇らしくて、ブログにでも書いて自慢したいと思ったのだ。

サチは、まだ13歳。ハイスクールの8年生、ということは中学2年生ということになるか。

今年になって、どうしたわけか、グラニー(おばあさん、夫の母親のことである)の料理を習いたいと言い出して、時々「グラニーと一緒に料理をする日」というのをやっている。

これまでに3回行ったが、グラニーの料理といえば「ロースト料理」ということで、1回目は「ローストポーク」、2回目は「ローストラム」、そして3回目は「ソーセージロール(ソーセージをパイで巻いたようなもの)」を一緒に作って習った。

この日は、サチとグラニーだけの特別な日だから、私は参加しない。ただ、できた料理を家族と一緒に食べるだけである。

この「グラニーと一緒に料理をする日」は、早朝よりグラニーの家に出かけて、まず二人で材料の買い物に行く。どんな材料が必要かとか、どこで何を買うかということだけではなく、彼女がどのブランドの食品や調味料を使うのか、どんなことに気をつけて食材を選ぶのか、サチは細かく教えてもらい、ノートにメモを取る。

そして、グラニーのキッチンで一緒に料理をしながら、その料理方法を習うのだ。

私は、子どもの頃から、台所で母の手伝いをしながら「母の料理」を習った。そして、その料理をサチに教えることができる。でも、夫の家の家庭料理というのは、私には教えられない。私も時々ロースト料理やパイ料理などを作るけれど、夫の母のようにはできないし、味がどうしても違ってくる。

サチは、直接グラニーから夫の家の家庭料理を習い、それをいつか自分が母親になった時に自分の子どもに受け継がせたいと考えているらしい。

ロースト料理は、ただ肉をオーブンで焼くだけの料理ではない。義母の言うには、「ロースト料理はタイミングのアート」であるのだそうだ。ハーブや香辛料をうまく使い、肉の味を引き出す。肉が焼きあがるのと、野菜料理が出来上がるタイミングをバッチリ合わせるには、経験が必要だそうだ。

サチは、料理の合間に、グラニーの教えをノートにまとめる。もちろん、イラスト入りである。その大変詳細なノートは、いつかサチの宝物になるのだろう。

以前作った「ローストポーク」と昨晩の「ローストラム」の写真をご覧ください。料理の仕上がり具合、味付け、盛り付け、サーブの仕方、全てがまさに義母の料理なのです。

もう、ロースト料理では、私もかないません。大したもんです。

皮がパリパリサクサクのローストポーク
ポークの肉の中にはセージが入っている
山盛りのロースト野菜、ローストしたトマトが最高に美味
ロースト野菜は柔らか、グリーンはシャッキリと蒸してある
これぞグラニー料理「オニオン&トマトパイ」
アプリコットジャムを塗って焼き上げた絶品ローストラム

サチは、いつか日本に行って、日本のおばあさんからも料理を習いたいと言っている。母がまだ元気なうちに行けるといいのだが...。


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2012年7月22日

テンプル・グランディン

夫がDVDを借りてきた。映画のタイトルは、「テンプル・グランディン」という。

テンプル・グランディンというアメリカ女性のことは、あるドキュメンタリーTV番組で見て知っていた。

そのドキュメンタリーというのは、「The Woman Who Thinks Like A Cow」という番組で、これは家畜(主に肉牛)の屠殺施設において、家畜を虐待的に取り扱うシステムを改善し、牛の気持ちになって考えることで、家畜がより安心して安らかに処理されることができるシステムを考案した動物学博士であるグランディンさんのことを紹介する番組であった。

しかし、番組のテーマは、家畜の権利保護とかいったものではなく、このグランディンさん自身であり、彼女が自閉症をいかに克服し、何を成し遂げ、現在どのような活動をしているのか、といったことを紹介するものだった。

グランディンさんは、1947年生まれで、2歳の時に脳に障害があると診断された。その後、1950年代になって自閉症と診断されたのだが、自閉症がまだ社会に認知されていないどころかどのような障害なのか良くわかっていない時代である。

そんな時代に生まれ育ったグランディンさんだが、無条件の愛情で献身的に支えてくれる母親や叔母、そして小学校卒業後に良い指導者に恵まれたことで、ハイスクールでは自分の可能性を強く自覚して大きく成長し、その後、幾多の差別や困難に直面しながらも動物学博士を取得するにいたる。

グランディンさんは、現在、自閉症の啓蒙活動において世界的に大変影響力のある人で、多くの講演活動を行っているし、著作もいくつかあるのだが、「我、自閉症に生まれて(Emergence: Labeled Autistic)」という著作は特に有名だ。

この本は、自閉症者本人が、自分が抱えるコンディションの特性について書いた世界で初めての本で、自閉症者にとって世界がどのように感じられ、どのようなことが苦痛であり、どのようなことに安堵するか、社会と折り合いをつけるのにどのような壁があり、それをどのようにして乗り越えてきたのかが、本人によって語られる。



ダニエル・タメットという英国人のサヴァンが書いた「ぼくには数字が風景に見える(Born on a Blue Day)」も、大変興味深かった。タメットさんは、てんかんやアスペルガー症候群を抱えていたが、成長するにつれ暗算や暗記および言語の習得に関して常人では考えられらないような非常に高い能力を見せるようになったサヴァンだ。



自閉症やサヴァンといったコンディションを抱える人の多くは、自分のコンディションについて、詳しく説明したり第三者的に分析したりすることは困難である。だからこそ、グランディンさんやタメットさんのような人の話は、研究者やそうしたコンディションを持つ人の家族などにとっては大変貴重でもある。

グランディンさんの著作や講演活動などを通して語った内容をもとにして作られたのが、アメリカのHBO制作テレビ映画「テンプル・グランディン(Temple Grandin)」であった。

グランディンさんを演じた主演のクレア・デインズは絶賛され、エミー賞やゴールデングローブ賞などのテレビ映画部門で主演女優賞を獲得したそうだ。確かに、素晴らしかった。

映画にも登場するが、自分自身のパニック発作を抑えるため、家畜にワクチンなどを接種する際に用いられる締め付け機にヒントを得て設計製作した、Hug machine (ハグマシーン)は大変有名である。自閉症の特性の1つでもあるが、彼女は身体的な接触を嫌うために、だれかに「ハグ」される(抱きしめられる)ことで得られる心の平安というものを知らなかった。これを、このマシーンで実現するわけだ。

素晴らしい映画だった。グランディンさん本人も、この映画のできや主演のクレア・デインズの演技を絶賛している。おススメです。



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2012年7月19日

ニキビの治療

私は、若い頃、結構ニキビには悩まされた。顔だけではなく、背中や胸にまでポツポツと出た。チョコレートやナッツ類は良くないとか、甘いものや脂っこいものを食べるなとか言われた。毎日せっせと洗顔に励んだが、ニキビはなかなか治らなかった。

夫は、ニキビに悩まされたどころではない。ベッドのマットレスカバーや布団カバーが血と膿で汚れるほどのニキビだったそうだ。もちろん顔だけでなく全身に出た。顔のニキビも大変ひどく、友達が「そんな顔で学校に来るとは、お前は勇気があるなあ」と感心したほどであった。今でも、ニキビの痕が火傷痕のように残っている。

こんな両親の「ニキビ遺伝子」を受け継いだ息子のカイと娘のサチは、小学校の高学年の頃からニキビができ始めた。可愛そうに...。

ハイスクールになってますますひどくなり、医者に見てもらって抗生物質の薬を飲んでいたが、良くなるどころかさらにひどくなった。顔にも背中にも胸にもどんどん出て、肌の状態は悪化するばかりであった。

しかし、その薬を飲まないと、恐ろしいほど悪化したので 薬の効き目はあったのだ。抗生物質ではどうにもならない状態だったと言った方が良いのだろう。

医者に勧められて、Dermatologist (皮膚科の専門医)に診てもらった。

専門医の話によると、ニキビの問題は、100%親から遺伝する体質の問題であるそうだ。食べ物に気をつけようとも、毎日洗顔やシャワーで洗い上げようとも、高価なスキンケア商品でお手入れしようとも、住む環境を変えたとしても、たとえ地球から月へ引っ越そうとも、ニキビは治らないそうだ。

息子のカイと娘のサチのニキビは、かなりひどいレベルだと言われた。特にカイ(現在15歳)のコンディションは、「ああ、どうして、もっと早く来なかったんですか...」と、この専門医が同情するほどであった。

治療は、2種類の薬の服用によって行うことになった。

まず、すでにできているニキビの炎症を抑え、落ち着かせるための薬。ステロイド系の薬であるから、十分注意して、服用する量も細かく決められており、指導のとおりに飲んでゆく。

そして、もう1つの本命の方が、体が脂分を作り出すのを抑える薬。処方されたのは、「Roaccutane」という薬である。この薬は、副作用が軽視できない。様々な副作用が報告されており、非常に深刻なものも多い。

この薬の服用中に妊娠することは絶対に避けなければならないとか、気分が落ち込み「うつ状態」になる場合があるとか、内臓に障害が出る場合があるとか、専門医は時間をかけて薬について説明してくれた。そして、十分話し合って、納得した上でこの薬による治療を行うことに決めた。

専門医の指導のとおりに、注意して服用していく。量も、初めのうちは少しずつ、週に月水金の3日のみの服用だ。薬の服用開始後1ヶ月で血液検査を受け、副作用の問題が起きていないか、肝機能に問題が起きていないかを調べる。

息子のカイは、薬をはじめて1ヶ月になるので、今日2回目の診察を受けた。

「最初の1ヶ月で、これだけコンディションが良くなるとは期待していなかった」と、専門医は言った。確かに、深く大きいニキビのせいでデコボコになっていた額は、非常にきれいになっているし、背中のニキビもずいぶん減っていた。

血液検査の結果、薬の副作用の心配も全くないとのことで、引き続き薬による治療を続けていくことになった。服用量は、体重あたりの標準量に増やすことになった。

ニキビは、命にかかわる病気ではないが、心の健康には大きな影響を及ぼす大問題である。

医者は、長くても1年半で必ず良くなると言ってくれたので、カイは大変安心できたそうだ。

「Roaccutane」という薬の最も一般的かつ深刻な副作用は、肌荒れである。体が脂分を作らなくなるんだから、当たり前だ。特に唇の荒れが最も一般的な副作用だそうだ。カイは、すでに唇がガサガサである。リップクリームや保湿クリームで肌荒れを予防するようにと、専門医は繰り返しカイに注意した。

Dermatologist (皮膚科の専門医)の診療費は、結構高いです。私達は、初診の時は190ドル払いましたが、Medicareで120ドル以上返ってきました。公立病院で診療を受ける場合の費用は、良く分かりません。

ニキビでお困りの方、どうぞ参考にしてください。

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2012年7月17日

ラーメンスープと煮豚の作り方

それでは、昨日の約束どおり、ラーメンスープと煮豚の作り方をお教えいたします。

日本にお住まいの皆さんは、こんな苦労をすることもないでしょうが、海外に住んでいて、手に入りにくいものを食べたいとなると、このくらいの努力は必要です。

努力...といっても、時間がかかるだけで全く簡単ですから、ご心配なく。


1.ラーメンスープ

私が、チキンスープストックを手作りするようになったのは、以前お隣に住んでいたマケドニア人のジョイスに勧められたから。彼女が作るチキンヌードルスープがあまりにおいしくて、作り方をたずねた時のことだ。

「私はねえ、鶏の骨なんか使わないのよ。骨だけではおいしいスープが作れないわよ!」
「じゃあ、このおいしいスープは、どうやって作るの?」
「これよ、ほら、スープに入っているでしょう」
と、ジョイスが見せてくれたのは、ドラムスティックでした。骨付きもも肉といえばよいのか、下の写真がドラムスティックです。


ジョイスが言うには、これを5~6本、ただ水から1時間ほど煮ればよいとのこと。私は、ドラムスティックだけではなくて、用途に合わせて野菜の切れ端やハーブなども一緒に煮ています。

ラーメン用には、次のような材料を鍋に入れて1時間半ほど煮ます。つまり、材料をなべに入れて火にかけて終わりなのです。

<材料>
ドラムスティック 1パック(6本入っていた)
水 たっぷり
ショウガ 大きめ1かけをざくざくとスライスして
にんにく 2かけを皮をむいてそのまま
ネギ(Spring OnionというネギでOK) 太めのを2本、緑の部分も、10センチ程度に切って
*酒を入れたかったけど、無かったので我慢。

 スープストックができたら、ドラムスチックは取り出します。塩、しょうゆ、こしょうで好みの味付けをしたら終わり!味付けは、ラーメンを入れるのだから、やや濃い目にしたほうが良ろしい。

ドラムスティックの肉は、味が抜けていて美味しくなくなっていますけど、何かに利用します。今回は、翌日の子供達のサンドイッチに使いました。

さあ、次は煮豚です。


2.煮豚

<材料>
豚バラのかたまり(Pork Belly Roastとして真空パックで売っているのを使いました。)
*大きすぎて圧力鍋に入りにくかったので、二つに切りました。
ひたひたの水
ショウガ 1かけをスライスして
しょうゆ 大さじ4
みりん 大さじ2
*酒を入れたかったけど、無かったので我慢。

材料を圧力鍋に入れ、15分加熱する。圧力鍋がない場合は、時間をかけて軟らかくなるまで煮る。それだけです.。

圧力鍋利用の場合、加熱する時間が長すぎると柔らかくなりすぎるので注意が必要です。


3.ラーメンの登場

いよいよ、ラーメンを茹でます。使ったのは、Hakubaku のラーメンです。Colesで買ってきました。結構太い麺です。絶対に硬めに!アルデンテに茹でること!

煮豚は、スライスしておく。ネギもたっぷりスライス。息子のカイが焼き海苔をのせるというので、海苔も用意しました。野菜は、娘のサチが好きなチンゲンサイをサッと茹でておきました。

ラーメンはタイミングが勝負です。

「さあ、茹で上がったよ!どんぶり持っておいで!」と、叫ぶ私。

ざるを片手に、大鍋の前に立ち、各自の希望にあわせた量のラーメンを取り上げ、湯を切って、どんぶりに入れるのは私の仕事。

後はセルフサービス。

全員がテーブルに来るのを待つ必要なし!

「さあ、お食べ!美味しいうちに!」

誰も、何もしゃべらない。

ズズーッ、ズズーッという音と、「ハアハア」と「フウフウ」だけ。


写真はないんですよ。写真を撮る余裕がなかったのでね。だから、お見せできないのでが残念です。トロトロのチャーシュー(というか煮豚ね...)がたっぷりのった、あっさりしょうゆ味スープのラーメン。作ってみたくなったでしょう?


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2012年7月16日

ラーメン

息子のカイと娘のサチは、ラーメンが好きだ。

あの子達がまた幼かった頃、夫の仕事の都合で、しばらく岡山県の総社市に住んでいたことがある。総社市内には、「長崎ちゃんめん」というラーメン屋さんがあって、住んでいたマンションから近かったので、よく家族でラーメンを食べに行った。

子ども達が好きだったのは、ごく普通のあっさり味のしょうゆラーメンで、これとギョーザをいつも決まって頼むのだった。

「ラーメン食べたいね。晩ご飯は長崎ちゃんめんにするか!」
簡単においしいラーメンを食べに行けたあの頃は、良かったなあ...。

メルボルンの郊外に住んでいると、近くにラーメン屋などないのだから、ラーメンが食べたくなっても簡単には食べられない。

Ringwoodの街にはアジア食品店があり、日本食品も少し手に入る。ここでは日清のインスタントラーメン「出前一丁」と冷凍の生ラーメンが手に入る。

今日は、いつも食品の買い物に行くColesの日本食品コーナーで、ラーメンの麺を見つけた。「はくばく」という会社が、オーストラリアの材料を用いてオーストラリアで製造している麺である。今までは、そばとうどんしか売っていなかったのに、ラーメンも売られていたのだ。

いつも買い物をしているColesでラーメンが手に入るようになったのだから、これでいつでもラーメンが食べられると思った。

我が家では、手作り「めんつゆ」を必ず冷蔵庫に常備しているので、カイやサチは、よく学校から帰ってくるとそばやうどんをゆでて、ネギとのりを刻み、炒りゴマも必ずパントリーから取り出して、ざるうどんやざるそばを自分で作って食べている。

ラーメンか...。

ラーメンのスープは、どうやって作る?

鶏がらスープにしょうゆで味付ければ自分で作れるだろうか?ラーメンスープは、自分で作ったことがないけど、鶏がらスープは簡単に作れるんだしな...。

チャーシューは、いつも角煮を作る要領で、圧力鍋を使えは簡単にトロトロの煮豚ができそうだな。

そこで、私は、今日の晩ご飯は、「トロトロのチャーシューがたっぷりのった、しょうゆ味スープのラーメン」と、決めたのだった。

さて、出来上がったラーメンは、初めて作ったというのに絶品!

いつもなら、買って来たラーメン1食分を食べても「全然足りない!」という息子のカイも、超満腹!

家族4人がのけぞるほど腹いっぱい食べ、付け合わせの「野菜のゴママヨ合え」が、これまたラーメンに良く合い、久々に食事中、誰一人なんにもしゃべらない!という晩ご飯になったのでした。

作り方は、明日書きますよ、お楽しみに!


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2012年7月15日

ケイト・ブランシェットが子どものころに住んでいた家

昨日、住宅価格のことをブログに書いたばかりだが、新聞を読んでいたら、ケイト・ブランシェットが子どもの頃に住んでいた家が売りに出されるという記事に目がとまった。

ケイト・ブランシェットは、ご存知のとおりオーストラリア出身の女優で、「ロード・オブ・ザ・リング」シリーズでガラドリエルを演じた人だ。アカデミー賞に何度もノミネートされているし、レオナルド・ディカプリオと共演した「アビエーター」で、助演女優賞を受賞している。

彼女が子どもの頃住んでいた家?

ケイト・ブランシェットは、現在はシドニーに住んでいるけれども、子どもの頃はどこに住んでいたのだろう?どんな家だろう?

ちょっと興味がわいたので記事を読んでみた。

その家はメルボルンの東の郊外にある住宅地 Eaglemont イーグルモントにあるのだった。地図で見れば、Ivanhoe East といわれたほうが私には良くわかる。今から20年近く前のことだが、あるハイスクールで日本語教師のアシスタントをしていた時に、ちょうどその近くにホームステイしていたことがあるのだ。

私がホームステイした家は、そのエリア内では比較的小さめの家ではあったが、それでもずいぶん立派なお屋敷で、私がアシスタントをしていたハイスクールで教える数学の先生の家だった。彼女の夫は医者であった。家の中に一歩足を踏み入れるなり、インテリアの見事さに「すっ、すごい...」と息をのんだことを思い出す。

あの辺りは、邸宅と言った方が良いような大きな家ばかりがそれぞれ広い敷地に建っていた。どんな種類の木だったか思い出せないが、大きな木がたくさんあった。東側には、曲がりくねって流れるヤラ川に沿って続く広い緑地帯が見渡せる美しい住宅地だった。

さて、家を見てみよう。将来女優として活躍することになる少女は、こんな家で暮らしていたのだ。

クリックすると拡大します

オークションは、来週の土曜日、7月21日の午後2時から。価格は、200万ドル(約2億円)からスタートとのこと。

この家の中、見てみたいでしょう?不動産検索サイトの realestate.com.au で見ることができます。ここをクリックして、ため息をついてみてください。


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2012年7月14日

下がれ!住宅価格

先進諸国の中でも、オーストラリアは後退のない順調な経済発展を続けているとか、急成長を続ける資源産業への海外からのさらなる巨額投資でブーム状況だとか、物価も上がっているが平均所得も著しく上がっているとか...、そういったニュースを聞くたびにため息が出る。

メルボルンのあるヴィクトリア州には、稼ぎ頭の資源産業がないので、われわれ一般市民が感じる社会の経済状況というのは、決して良いものではない。

製造業・サービス業を中心とした会社の破綻やリストラが続いており、それは中小企業にとどまらず、「ええっ、あの会社が!」と驚かされるような有名企業も含まれている。

しかし、全般的には、資源産業絶好調のせいで物価は上がり続けており、食品や日用品など生活必需品の価格はうなぎのぼり!7月から導入された炭素税の影響もあって、電気もガスもガソリンも水までも、多くの人が支払いが困難になるほど値上がりしている。

しかし、最も高すぎると感じるのは、住宅価格だ。

住宅価格の異常上昇は、値上がりを続けるオーストラリアの不動産に対する海外からの投資も拍車をかけた一因といわれている。メルボルンに近いエリアでは、平均的な住宅の価格が、1億円以上なんてのが当たり前で、隣家とくっついたタイプ、集合住宅タイプ、小さくて古い家、そういうちょっと安めの住宅でも7~8千万円というところか。

私達が住んでいるRingwoodは、メルボルンからはかなり離れているが、ごく普通の築30~40年くらいの3ベッドルームの家が5千万円も6千万円もする。

夫婦共稼ぎで結構な収入があっても、住宅の購入は非常に困難になっている。

私達は、食べるのに苦労している状況であるから、住宅の購入なんてはなっから考えもしない。夫の仕事の関係で引越しが続いたせいもあり、私達はずっと貸家暮らし。現在住んでいるこの間取りのヘンテコなボロ屋敷、家賃は1週間450ドルである。

この家の前に住んでいた家は、素晴らしかったが1週間に500ドル以上払っていた。家主が投資目的で買っていた物件だった。その人はまだメルボルンの家が安かった頃に買っていた住宅を値上がり後に売って大もうけ。不動産バブルといわれながらぜんぜんバブルがはじけないメルボルンの不動産への投資を続けたそうだ。買っては売り、買っては売り、たちどころにウン億円も儲けたらしい。当時5軒の投資目的の住宅を所有していた。

その家主が、突然その家を売りさばく決心をしたものだから、我々は引越しを余儀なくされたのだが、その時、このボロ家以外に良さそうな貸家がなかったものだから、仕方なく1年の契約で我慢して住むことになってしまったのだ。もう3回目の冬を迎えているが...。

こんなボロ家に週450ドルの家賃。1ヶ月あたりにすると約二十万円というところか。この月二十万の家賃がわれわれを苦しめ続けてきた。

「もっと安い家に引っ越せばいいじゃないの?」と、お思いでしょうね。

しかし、引っ越すためにはそれなりの費用が必要なのですよ。引越し業者の費用や新しい貸家の敷金とかね。電話を移すとか、インターネットの手続きをするとか、まとまったウン十万円の費用がなければ、引っ越したくても引っ越せないのです。

今日の「The Age」新聞に、ここ1年でメルボルンの不動産価格が5%下がったという記事があった。多くの専門家は、不動産バブルははじけないと断言している。一時的に価格が下がることがあっても、大きく値崩れするようなことはありえないんだそうな。

なにしろ、メルボルンの人口は、凄まじい勢いで増え続けており、慢性的な住宅不足が問題になりつつある。「一般労働者が支払い可能な家賃の住宅不足」と言い換えた方が良いのではないか?

ああ、しかし、これをきっかけに、本当に住宅価格が下がってくれたらどんなに良いか...。


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2012年7月13日

iPhoneアプリ 「Find My iPhone」

先日、夫が外出先から夜遅く帰ってきたとき、大変あわてた様子で私に尋ねた。

「僕のiPhone、どこかで見なかった?」
「見てないよ」
「おかしいなあ、見つからないんだよ」
「置き忘れて帰って来たんじゃないの?」
「違う!それはない!帰ってくるときに、車の中で手に持ったのは確かなんだから」

夫のiPhoneは、まるで接着剤で手にくっついていると思えるほど常に夫の手の中にあるし、ほとんど中毒といってよいほどiPhoneなしで生活できない様子であるから、「さっき手に持っていたはずなのに見つからない」というのは、パニックになるには十分な理由であろう。

夫は、あるiPhone用のアプリをPCで起動した。そのアプリは、「Find My iPhone」という名前のとおり、なくしたiPhoneを探すためのものだ。

「iPhoneに電話してみたら?家の中にあるなら、音がするから直ぐ見つかるでしょう?」
「だめ!サイレント(消音)モードにしたままだから」

夫がその「Find My iPhone」アプリで、 iPhoneの現在位置を探すと、GPSによって地図上に正確な位置が表示された。それは、我が家の外の道路上である。

「道路に落としたんだわ!」

懐中電灯を手に二人で探したが、見つからなかった。

夫は、iPhoneに音を鳴らさせるから、自分が外に出たらこのボタンを押してくれと、PCに表示されたアプリを見せながら私に頼んだ。

「でも、サイレントモードにしているんでしょう?」
「大丈夫、サイレントモードにしていても音が鳴らせるんだ!」
「へえ、すごいアプリだ!」

そして、夫は外に出た。私が指示されたとおりにボタンを押して、しばらくすると夫は無事に自分のiPhoneを見つけて戻ってきた。

真っ暗な道路に出てゆくと、「ポン!ポン!」というような音が路上駐車している我が家の車から聞こえてきたそうだ。車のドアを開けると、その音はドアの内側についているポケットの中から聞こえる。そう、自分では気がつかないうちに、偶然そのポケットの中に落っことしたのだった。


「Find My iPhone」アプリに関するこんなニュースも新聞で読んだ。

メルボルンのある男性が、車を盗まれた。車の中には、持ち物が置いたままにしてあった。彼の iPhoneも車の中に置いたままだった。

そこで、彼は「Find My iPhone」アプリで現在位置を調べると、ある場所が地図上に表示された。彼は警察に電話をし、事情を説明しその住所をおしえた。

警察が、その住所に行ってみると、盗まれた車がそこにあり、犯人はその場で逮捕された。


こんなニュースもあった。

ある男性がレストランでトイレに行った際、iPhoneをトイレに置き忘れたことに気づいた。直ぐにトイレに戻ったがiPhoneは見つからなかった。レストランの従業員に、誰か落し物を届けていないかと尋ねると、そのような届けはないとのこと。

そこで、テーブルに戻り、連れの友人が彼のiPhoneに入れてあったそのアプリで男性のiPhoneの現在位置を探すと、そのiPhoneは、まだレストラン内にあることが分かった。

そこで、このiPhoneに電話をかけてみた。するとテーブル二つ向こうに座っていたカップルの男のポケットから盛大な呼び出し音が鳴り響いた。この男、最初はシラを切っていたらしいが、再び呼び出し音を盛大に鳴らされて観念したらしく、
「ああ、このiPhoneのことかい?さっき落ちていたのを拾ったんだよ」と、言ったそうだ。

世の中、いろいろ便利になりますね。


夫に強く勧められて、私もこのアプリを入れました。

「これで、ヒロコがどこにいるか、いつでも分かるな!」と、夫。
「...... 」


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2012年7月12日

超おすすめのスキンケアブランド

日本にいる頃、スキンケアはいつも資生堂を使っていた。岡山の田舎に住んでいても簡単に手に入るし、値段も手頃だからだ。

母が超敏感肌の持ち主で、私もその遺伝子を受け継いでいるためか、時々化粧水や乳液のせいで肌がかゆくなったりするので、いろいろ他のブランドを試してみるということも怖かったし...。

オーストラリアに住むようになっても、ずっとSHISEIDOのスキンケアを使っていたのだが、ある時、薬を買いに行った店で「Dr. LeWinn(ドクター・ルーウィン)」というブランドのハンドクリームを試したところ、その素晴らしさに感動し、早速そのハンドクリームを購入した。

そして、ハンドクリームがこれほど良いなら、他のスキンケア商品はどんなものなのだろうかと興味がわき、化粧水を試してみた。それがきっかけで、次々とDr. LeWinnのスキンケアを使うようになった。

しかし、今日皆さんにお勧めしたいスキンケアブランドというのは、このDr. LeWinnではない!

今年に入って、ますます生活が困窮し、本当に食べ物を買うのにも苦労していた頃、愛用していたDr. LeWinnのナイトクリームが底をついた。

このクリーム、90ドルくらいするのだ。買えるわけがないのである。

運悪く、ちょうどその頃、顔の下半分の肌がガサガサに粉を吹いたようになっていて、これはストレス性のものかもしれなかったけれど、保湿クリームが絶対必要だった。

「どうしようかなあ、Dr. LeWinnのクリームはとても買えないんだから、スーパーで安いクリームでも買うか...。いやいや、そんなものを買うゆとりなどないじゃないか...」

厳しい...。

生活に困窮しているっていうのは、ホント、その日その日の家族の食事をどうやって賄うか...というレベルなのだから、スキンケアのことなどあきらめるしかないのだ。

その時、ふと思ったのが、超敏感肌で、夏場のあせも&冬場のかゆーい乾燥性湿疹に悩まされ続けた娘のサチが、医者に勧められて使っている保湿ローションのこと。サチが、長年愛用しているあの保湿ローションを使ってみよう!と、思いついた。

それがこれ、QV SKIN LOTION (保湿ローション)!


娘のサチは、全身に使うので大きいボトルで買ってあった。これを、ガサガサしている顔に塗ってみた。

使い心地は、「こりゃ、私にはオイリーすぎかな...、なんかベトベトするなあ」と思っていたら、たちまち肌に吸い込まれて行ったような感じに変わり、すべすべ&さっぱりに!
「おおっ!これは、なかなか良いじゃないの!」

そして、その日の夜も、寝る前にこの保湿ローションを塗ってみたのだった。

さて、朝が来た。

私の顔のガサガサは消えていた。

その日以来、夜のスキンケアは、洗顔(またはシャワー)の後にこの保湿ローションだけ。これだけで、もうずっと肌のコンディションが良いからだ。

今では、自分用の小さめボトルも買って、いちいちサチのを借りることもなくなった。小さめのボトルで10ドルほどだった。最近、QVは、テレビコマーシャルを始めたようだから、値上がりしないことを望む。

一般の開業医だけでなく皮膚科の専門医も勧めるQVのスキンケア商品。もちろん、保湿ローションだけではない。保湿クリーム、石鹸、ウォッシュ、クレンザー、バスオイル、シャンプー、かかと用クリームといろいろそろっている。普通肌~敏感肌用、慢性乾燥肌用、湿疹や皮膚炎でダメージを受けている肌用と、コンディションに合わせてタイプも分かれる。

敏感肌用のスキンケアでしょ?と、決めつけないで、一度使ってみてはいかがでしょうか?

顔専用の「QV FACE」という商品も発売されたし、私は、現在、朝の洗顔後に使っているDr. LeWinnの化粧水と日焼け止め入り保湿ローションがなくなったら、「QV FACE」を使ってみようと思っている。

QVブランドのスキンケアに興味のある方は、QVのウェブサイトをご覧ください。

※QVは、1958年創業の「Ego Pharmaceuticals」というオーストラリアの会社のスキンケア・ブランドです。


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2012年7月11日

目の下のたるみ

仕事の関係でスナップ写真をあるところに提出する必要があり、今朝娘のサチに撮ってもらった。というのも、最近撮った写真はすべて一昨日死んだG4に保存しており、すべてのデータは外付けハードディスクにバックアップを取ってあるのだが、このデータがですねえ、PCではアクセスできないのですよ。

だから、とりあえず家の外で数枚撮ってもらった。デジカメで撮るのだから、撮ってすぐに確認し、「まあ、これでよいわ」ということにした。

私は、自慢ではないが写真うつりがすこぶる悪い。元が悪いんでしょうと皆さんお思いかもしれないが、毎日見ている自分の顔とは似ても似つかないヒトが写っていることが多い。(と、思う。)

この歳になると、写真うつりとかにはあまりこだわらなくなるが、やっぱりそれはあなた、いい感じに写っているほうが嬉しいものでしょう?

まあ、とにかくメールに添付して送るためにPCに保存。そしてサイズをもう少し小さくしようと思って画像編集ソフトで開いたところ、腰を抜かすほど驚いた。

「ワタクシ100年寝テマセン!」というような顔をしているではないか!

その…、つまりですね…、何がそう見せているかというと、目の下のたるみであります。

私の不眠は、最近始まったことではなくて、娘のサチを産んだ後にひどくなり、かれこれ10年以上も万年寝不足状態が続いているのだが、今年は特に「うつ」が再発しかけてしんどくなった時に飲んだ薬のせいで睡眠パターンが狂いに狂い、朝すっきりと目覚めるなんていうのはとうの昔にあきらめた夢のような話なのだ。

そして、眠れないのが何年も続くと、その少ない睡眠時間で日々の生活はやっていけるように体が適応してきたようにも思うけれども、やっぱり、その、顔がですねえ…、疲れた顔に変わってきたようにも思うのです。

しかし、こんなおぞましい顔になっているとは自分でも気付かなかった。日差しの影響もあるかもしれない。目の下のたるみが見事にぷっくりクッキリと写し出されている。

「どうしよう…、この写真を送りたくない」と、悩む私。しかし、その時、家には私一人。撮り直すといってもどうやって…?

私、仕事柄Photoshopは得意なんです。

「ええっ、Photoshopでたるみを消したの?」と、思ったでしょう?

消したりしませんよ。ちょっと、たるみ具合をいじって、元気そうな顔にしただけです。あごの下に少し陰影をつけて、ほっそり見えるようにはしたけど…。他はいじってませんから!


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2012年7月10日

G4が死んだ...

10年以上も苦楽をともにしてきた私のG4が、ついに死んだ...。

G4というのは、アップル社のコンピューターのこと。ハードディスクが3枚も入っているオーダーメイドの超パワフルコンピューターで、夫が会社を始めた時から、私の片腕となって激務に耐えてきてくれたのだ。

MacのOSが9からXへと進化した過渡期から、私とG4はずっと一緒に生きてきた。

2ヶ月ほど前から、やたらにフリーズするなあと不安になって、もしものときのために膨大な量のデータはバックアップしてあった。しかし、フリーズする頻度は急激に増え、画面が不安定になることもしばしばとなった。

Macのパワーブック(ラップトップ・コンピューターのこと)が死んだ時と同じ感じになってきて、とても心配だった。

いろいろと手を打ってみたが症状は改善せず、死期が近いとさとった私。それでも、G4をあきらめたくない私は、ハードディスクを初期化してOSの再インストールというのを試みることにした。

苦労の末に、やっとメールデータのバックアップをとり、OSのインストールディスクを入れてなんとか起動に成功!

いつもなら1~2分もすればフリーズしてしまうG4が、なんとかスムーズに頑張ってくれていた。初期化が半分ほど進んだところで、やっぱりフリーズ!

「おいおい、もうちょっと頑張ってくれたらいいのに...」

仕方なく、再度初期化を試みる...が、もうそれが終わりだった。何をどうしようにも、すぐにフリーズしてしまうから何もできない。

「ああ、お願い、死なないでよぉ...」

しかし、私のG4は、もう二度と青くもならなかったし、りんごのマークも見せてはくれなかった。

ありがとう、そしてさようなら、私のG4。

新しいMacをいつか買えるようになるまで、私は息子のカイがいつもゲームに使っているDELLのPCを使うしかなくなった。OSは英語版Windows7で、英語版のキーボード、何もかも英語の環境で日本語を書くのは、ちょっと不便です。

G4だったら、入力言語の変更はコマンド+スペースでスイスイできたし、何をするにもとにかく楽だった!

(でもねえ...、しばらくこのDELLのPCを使ってみて思ったけど、Windowsもかなり進化したよねえ!デザイン的にも「Macとは比べものにはなりません!」と、馬鹿にするほど悪くないです。)


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2012年7月9日

チーズはどこへ消えた?

昨日、本棚の整理をしていて、ふと手にした一冊の本。

スペンサー・ジョンソン著 「チーズはどこへ消えた?(原題 'Who Moved My Cheese?')」 話題になった本である。原題は、誰が私のチーズを動かした(どこかに持っていった)か?という意味のタイトルだ。


チーズと二匹のネズミと二人の小人の短いお話である。非常に薄い本だから、すぐに読み終えられる。シンプルなストーリーだが、それは状況の急激な変化や喪失にいかに対応したらよいのかを説く、非常に象徴的な話でもある。

「チーズはどこへ消えた?」は、ある迷路で起こった出来事をめぐるお話。ネズミと小人は、私達の中にある単純さと複雑さを象徴しており、チーズは私達が人生で追い求めるものを象徴している。

私達が人生で追い求めるもの、手に入れたいと願うもの...。それは良い仕事であるかもしれないし、お金であるかもしれない。良い家族、恋人、大きな家、健康、心の平安、名誉... 欲しいものは人それぞれ異なるだろう。

迷路は、私達がその何かを追い求める場所を象徴しており、それは会社であるかもしれないし、学校や、家庭、地域社会と、これも人それぞれであろう。

私達は皆、自分にとってのチーズというものを心に抱いている。手に入れたら幸せになれると信じて追い求める。

でも、迷路の中は曲がりくねっていて先が見通せず、真っ直ぐで楽な道はないであろう。チーズにたどり着くためには自分で道を見つけなければならない。道に迷ってわけがわからなくこともあるし、袋小路に突き当たることもしばしばだ。だいたい、自分が手に入れたいと追い求めるチーズが必ずどこかにあるというわけでもないのだ。

しかし、どうにかしてチーズをやっと手に入れることができた時、そのチーズを誰かにどこかへ持って行かれ、消えてしまったどうする?

チーズに執着していればいるほど喪失感は大きいし、そのチーズを手に入れるまでの迷路の中での苦労が大きければ大きいほど、失った時のショックも計り知れない...。

チーズを持って行ったであろう「誰か」に腹を立てるかもしれない。悲しくて、再びチーズを探しに迷路に出て行く元気が出ないかもしれない。

......

この本によって悲観的だった考え方が変わり、人生へ向き合う気持ちが大いに楽になった私だ。一読をお勧めします。


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2012年7月8日

気がめいる服の買い物

先日、メルボルンの新聞「The Age」に、小さい女性のファションの買い物は、とっても大変!という記事があって、その記事に、オーストラリアでは身長162センチ以下は「Petite(小さいサイズ)」のカテゴリーに入ると書いてあった。

162センチで小さいサイズか...。

私は155センチ(最近ちょっと縮んだが...)で、体格的には普通。ちょっと太めかもしれないが、私の歳ならば標準体重であろうし、身長とて日本人の平均身長と大して変わらない。ただ、手足や首が短い!という恵まれない体形をしている。

ああ、皆さん。オーストラリアでは、服の買い物が全く楽しくないのだ。

まず第一に、デザインが好みではない。ちょっとデザイナー凝り過ぎじゃないの?的ゴチャゴチャした装飾が嫌だ。布地の模様にしても「うへっ...」という感じのが多すぎる。これをわが身にまとうのか...と、想像することすら拒否したい。

次に、サイズがない。私はオーストラリアではサイズ10なのだが、10を買っても丈が長過ぎ!袖が長過ぎ!試着してみると、ほとんどの場合「あっ、こりゃダメだ」と思う。バランスが変で似合わないのだ。

若い人向けのブランドは、サイズ的にはややタイトで中年向けブランドよりはフィットするけれども、いかんせんデザインがね、やっぱり若すぎて...。

ジーンズやパンツ類は、またこれが難しい。私は二人目の娘を産んだ後、ウエストサイズが元に戻らなかった。だからかなり太め。ところが腰周りは細いのだ。歳をとるにつれてお尻がなぜか小さくなった。こんな私が、オーストラリアのジーンズやパンツをはくと、ウエストに合わせた場合、ヒップのところがブカブカで横に飛び出したような状態になる。

オーストラリア女性のヒップの立派さには、しょっちゅう目を見張らされるが、ほっそりした若い女性でも、ほとんどの方は大変立派なヒップをしていらっしゃる。これが、私と同じ中年の女性となれば、どのようなお尻をお持ちかは、容易に想像できるでしょう、皆さん。

だから、本当に、ジーンズやパンツも、サイズが難しい。

靴にいたっては、まず不可能と断言しよう。私の靴サイズは、22センチ。オーストラリアの靴屋では、たいていの場合サイズは6から。うまくいくとサイズ5がおいてある場合もある。しかし、このまれにしかお目にかかれないサイズ5というのは、私が実際にはいてみた感じから言うと日本の23センチの小さめという感じだ。つまり、22センチの足には大きすぎる。

これが何を意味するのか、お分かりでしょうか?めったにお目にかかれないサイズ5ですら大きすぎるのだから、私の足に合う靴はないってこと!靴を買いたくても買えないの!

でも、靴は必要だから、しかたなく子ども靴コーナーに行く...。今じゃ、全く恥ずかしくなくなった。とにかくサイズの合う靴を探す。しかし、しょせんは子ども靴。たとえサイズが合おうとも、ハート形や星がついていたり、リボンがついていたりする。いつだったか、大人でもはけそうなデザインのショートブーツを見つけて舞い上がったことがあった。ところが、よくよく見てみると、サイドにBarbieと刺繍が入っていたのである。ああ...。

夫が仕事でしょっちゅう日本に行っていた頃は良かったなあ。服でも靴でも、オンラインショップで買い、夫の会社の事務所宛に届けてもらい、夫が持って帰ってくれていたのだ。日本製ならば、既製服も靴もぴったり合うのが嬉しいものだった...。

近頃は海外へも送ってくれるオンラインショップが増えたが、高額な送料と手数料を払わされる。

本当に、ファッションの買い物は、まさに頭痛の種ではあっても、楽しみにはならないのであります。

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2012年7月7日

携帯ウォシュレット

今日は、愛用している携帯ウォシュレットについて書こうと思う。

数年前のことだが、理由あってオシリを洗浄する必要が生じたことがあった。

恥をさらす覚悟で書くと、肛門付近の炎症した皮膚がとにかく痛くて、座っていることも困難だったのだが、何が最もつらいかというと排便後の始末なのだった。

紙で拭き取るというのは、もう恐怖すら覚える状況であったので、トイレに流せるウェットティッシュを使い、苦労してその始末をするわけだが、それでも痛みは大変なものであったので、シャワーを利用したりした。

しかし、度々シャワーというのも面倒なことだし、私は、「ああ...、ウォシュレットがあったらなあ...」と、心の底から思ったのだ。

その時、オーストラリアでもウォシュレットが手に入るという話を思い出した。相当な出費が懸念される話ではあるが、もう藁にもすがりたい思いの私は、早速インターネットで調べることに。

「ウォシュレット」というキーワードで検索すれば、当然まずトップに表示されるのはTOTOのウェブサイトである。

「きっと、今ではウォシュレットも進化しているに違いない...」などと考えながらトップページを見ていると、私の目はサイドバーメニューに載っている商品名に釘付けとなった。

携帯ウォシュレット

「これだ!」と確信した私は、商品情報を確認した!

私が持っている携帯ウォシュレット

乾電池で動くのだから、世界中どこにいたって使用可能だ。
携帯に便利な小型サイズ。(しかし、洗浄には十分な水量)
使用方法はいたって簡単。タンク(ブルーの部分)を引き出し、適温のお湯又は水を入れ、ノズルを引き出してスイッチを押すだけ。
水圧は2段階にワンタッチで変更可能。
価格は、5千円くらいだったと記憶している。

即決で購入したのは言うまでもない。

あれから、数年になるが、まだ一度しか電池を交換していない。ずいぶん長持ちするものだ。つまり、あまり電気を消費しないということか。

毎日欠かさず使用しているわけではない。しかし、例の肛門周辺の炎症というのが、冬場に時々発症するものだから必要に迫られたり、気が向いて「今日はウォシュレットしてみるか」と思った日などに使用する。

そして、今、私は、声を大にして、世界中の皆様に、自信を持ってお勧めいたします。

この携帯ウォシュレットという商品は、全くもって素晴らしいの一言につきます!

TOTO様、ありがとうございます、このような素晴らしい商品を開発してくださって。コンセプト、デザイン、品質、文句のつけようがございません。

コンピューター、インターネット、iPhone、自動車、編み針等々、私には無くなったら悲しいものがいくつかあるけれど、携帯ウォシュレットもその一つ。今や、生活に欠かすことのできないものの一つが携帯ウォシュレットなのです。

興味のある方、TOTOのウェブサイトで商品をチェックしてみてください。デザインは新しくなっています。アドレスはこちら。
http://www.toto.co.jp/products/toilet/washlet/travel.htm

私は、Amazonで買いました。



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2012年7月6日

カリース・イーデン

オーストラリア版「ザ・ヴォイス」にすっかりはまってしまった私が、サポートし続けずにはいられなかった、その出場者の名前は、カリース・イーデン Karise Eden という。

最初の「ブラインド・オーディション」で、ステージに背を向けて座っていた4人のコーチが、彼女が歌う最初のフレーズを聴いただけで、ビックリ仰天!「うわっ!すごい!」っと雷にうたれたような顔をして即断でボタンをたたき押す!ところをご覧ください。

このビデオは、YouTubeで百万人以上が見ている短いバージョンではなくて、コーチのコメントも入った長いバージョンの方!最後までご覧ください。


名前をたずねられたカリースが、自信のなさそうな小さな声で「私の名前は、カリース・イーデンです。」と答えると、「ちょっと待ったぁ!あんなパフォーマンスの後でそんな声でしゃべるわけ?」と言われてはにかむ。

本当のカリースは、小さな声で自信なさそうにしゃべる、おびえた子供のような、あの姿のままの女の子だったのだ。

まだ19歳…。

彼女と一緒にオーディションに来て、ステージ裏で様子を見ているのは、彼女がもっと若かった頃に面倒を見てくれた里親の夫婦である。

このパフォーマンスの後、当然メディアが彼女のことを調べて報道した。

どんなにつらいことがあったのか、家庭環境の詳細までは報道されないけれど、「ザ・ヴォイス」のオフィシャルサイトでのカリースのコメントを読むと、歌手になる夢が叶わなかったら、家庭内暴力で苦しむ女性たちのために働きたいと言っているところから、家庭でつらいことがあったのだろうと想像できる。

「自分には何もない」「自分には何の価値もない」…幼い頃ずっとそう思っていたそうだ。

そして、11歳で自傷行為を始めた。今でも傷跡がたくさん残っている。

13歳で家を出た。

里親を転々とし、20以上の保護施設で暮らしたそうだ。

働ける年齢になって、求人に応募し続けるが、彼女を雇ってくれるところはなかなか見つからない。やっと面接までこぎつけた唯一のところがアダルトショップ。ポルノ商品などを扱うその店に、ようやく就職できた。

しかし、自立して生活していけるはずもなく、彼女には自分の家というものがずっとない。「ザ・ヴォイス」に出場する前は、友人の家に住まわせてもらっていたそうだ。

オーディションに一緒に来てくれた里親だったという夫婦は、ミュージックショップを経営していた。楽器に興味をもったカリースが、里親のお父さんにギターを教えてと頼んだ。お父さんは、やるからには必ずまじめに練習をすること...という条件で教えてくれた。これが、カリースの人生を変えたのだ。

ギターが弾けるようになると、自分の思いを歌にしてみたり、人前で歌を歌ったりもするようになった。音楽が、苦しむカリースの「声」つまり「ヴォイス」になったのだ。そして、自分自身を傷つける行為をしなくなったとカリース本人が言っていた。

オーディションの様子を見ながら涙ぐんでいる里親のお父さん。この人が、カリースにギターを教え、音楽で自分を表現する喜びを教えてくれた人だ。

彼女の生きてきたつらい過去が知られるにつれて、ファンが急増した!

しかし、それは、彼女の苦しみとトラブルだらけの人生に同情したからではない。彼女の歌を聴くと、心が揺さぶられるからだ。歌詞にこめられたメッセージが、聞いている人に強く届くからだ。

確かに、他の誰も持っていないような声と歌唱力を持っているカリース。

次のビデオは、バトルラウンドでのパフォーマンス。対戦しているマオリのお母さんもオーディションでの歌唱は素晴らしかった。でもね、カリースは、やっぱり特別とわかるんです、彼女が歌いだすと直ぐに...。


ライブ・パフォーマンスで最も素晴らしかったのが次のビデオ。

あまりに多くの歌手にカバーされすぎている感のある「ハレルヤ」を歌う。

コーチであるシールにアドバイスを受けながら練習した後、レコーディングを行ったスタジオでの様子を録画した映像では、カリースの歌う「ハレルヤ」を聴いて、音響エンジニアのスタッフが涙を流しているシーンがあった。


この生放送パフォーマンスも、非常に多くの視聴者に涙を流させた。私もその一人...。そして、コーチのシールも泣いていた。

そして、いよいよファイナルでの2曲目、つまりまさに最後の最後のパフォーマンスが次のビデオ。カリースが一番好きな曲だという「ステイ・ウィズ・ミー・ベイビー」。 行かないで、一緒にいて...と歌う。


そして、優勝したのは...

もちろん、カリース。

2012年の「ザ・ヴォイス・オーストラリア」の名誉とレコーディング契約を獲得した!

現在、彼女が、番組で歌った曲の数々が、オーストラリアのミュージックチャートの上位を独占状態である。

良かったねえ、カリース。これがきっかけで、アーティストとしての人生が始まったのだよ。本当に素晴らしかったし、これからの彼女が楽しみでならない。


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2012年7月5日

The Voice ザ・ヴォイス

チャンネル9が放送して大ヒットした「The Voice」というオーディション番組がある。

クリスティーナ・アギレラがコーチの一人として出演したUS版をご存知の方も多いだろうが、今年オーストラリア版が制作されたのだ。

オーストラリア版「ザ・ヴォイス」のコーチは、英国人アーティストのシール、アメリカのロックグループ「グッド・シャーロット」のヴォーカルで二コール・リッチーの夫としても有名なジョエル・マッデン、オーストラリア生まれのカントリー歌手で女優二コール・キッドマンの夫でもあるキース・アーバン、そして同じくオーストラリア人歌手のデルタ・グッドレムの4人だった。

音楽オーディション番組は、これまでにもオーストラリア版がいろいろ制作されていて、サイモン・コーウェルがプロデュースした「アメリカンアイドル」や「Xファクター」のオーストラリア版もヒットしたが、今年4月に始まったこの「ザ・ヴォイス」は、まあ空前の大ヒットとなった。

私も毎週夢中になって見た一人であります。

オーストラリア版「ザ・ヴォイス」の4人のコーチ

この番組の特徴は、「ブラインド・オーディション」と呼ばれる一番最初のステージ。「ブラインド=見えない」という言葉のとおり、コーチ達は客席の方を向きステージに背を向けて座っており、出場者を見ることができない。外見ではなく歌声のみに基づいてコーチたちが決断を下すわけだ。

コーチたちは、それぞれ自分のチームに12人のメンバーを選ぶことになっている。歌声を聴いて気に入り、自分のチームに欲しいと思ったらボタンを押す。するとイスが回転し、初めて出場者を見ることが出来るというわけだ。ボタンを押したのが一名以上の場合、出場者のほうがコーチを選ぶことができる。

もちろん、応募者は「ブラインド・オーディション」に来る前に、応募ビデオによって絞り込まれているので、とんでもない音痴やふざけたバカ者がやってきて、不愉快なパフォーマンスにうんざりするようなことは全くない。どの出場者も上手なのだが、ただ歌が上手とか声が良いというだけでは、コーチたちの心を動かすことが難しい。

次のステージは「バトルラウンド」と呼ばれ、コーチたちが自分のチーム内から2人ずつメンバーを選んでスタジオの観客の前で同じ歌を一緒に歌わせ、競わせる。そのパフォーマンスに備えるために、コーチたちはメンバーを指導し、アドバイスを与え、彼らが成功した秘訣を伝授していく。

スタジオでのパフォーマンスの後、コーチは、より優れている方を選ぶ。バトルラウンドの後は、各コーチたちによって選ばれた最強メンバーのみが残り、「ライブ・パフォーマンス」へと進むことが出来る。

最後の「ライブ・パフォーマンス」 では、各チームのシンガーたちが生放送で競い合う。視聴者たちはお気に入りのシンガーに投票し、その投票結果とコーチたちの判断により、誰が残るか、誰が脱落するかが決まっていく。その発表も生放送内に行われるのだ。

そして最後のファイナルでは、各チームでそれぞれ勝ち残った1人ずつのメンバーが「The Voice」の名誉を手にするために競い合い、優勝者には賞金とレコーディング契約が与えられる、というのがこの番組のコンセプト。

ああ、私は、出場者のうちの一人に、一番最初の「ブラインド・オーデション」の段階でフォール・イン・ラブ!毎週せっせと投票したし…、iTunesでその人の歌も買ったし…、一生懸命サポートしました!

その出場者とは、いったい誰か?

それは、また明日…。


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2012年7月4日

Centrelink センターリンク

Centrelink(センターリンク)というのは、オーストラリアの連邦政府の機関でして、人々が自立して生活できるように援助したり、サポートを必要とする人々を助けてくれるところです。老齢年金をはじめとする社会保障給付制度を運営しているのもここです。洪水や山火事など災害からの復旧支援などもしています。

Centrelinkの悪い評判は、何度も聞いたことがありました。とにかく長時間待たされ、尊大な態度のスタッフは、いかにして給付金を出すのを難しくするかという使命に専心しており、必ず惨めな気持ちにさせられ、あれやこれやとレポートやら資料やらを提出させられるから申請そのものが難しく、所詮はお役所仕事なので期待はするな…と、足を運びたくなくなる場所という評判だったのでした、私が聞いたところではね。

しかし、会社が倒産してからずっと続いていた困窮生活でしたが、私が勤めていた会社を腰痛を理由に解雇され、再出発を目指して頑張っていた夫が精神的に打ちのめされて毎日寝ているようになって、とにかく私が仕事を見つけなければ食べていけないわけだし、仕事を見つけるまでの生活費をどうにかしなければならなくなって、友人がCentrelinkへ行くようにと強く勧めてくれたのです。

そして、RingwoodのCentrelinkオフィスに行きました。
  • 広いです。清潔でよく整理されていて、気持ちの良いオフィスです。
  • 入って直ぐにスタッフの人が待ち構えていて、何の用事で来たのかを聞いてくれます。そして、その後どうしたら良いのか、どこで待てばよいかを教えてくれますから、何も心配することがありません。
  • 待っている間、周りを見渡すと、様々なインフォメーションが冊子で用意されていました。移民の国ですから、英語以外の様々な言語で書かれています。
  • 英語でのコミュニケーションに不安があれば、無料で通訳を頼めます。
  • 確かに待たされる時間帯もありますが、それはしょうがないと理解しましょう。
  • インフォメーションは、オンラインでも電話でも手に入りますし、相談もできます。
  • スタッフは、大変親切で、Centrelinkには何度も行ったけど、尊大な態度の人など一人も見たことがありません。本当に助けようとしてくれます。
  • 仕事を探している人には、求職活動の支援もしてくれます。
  • 特に、今年になって「うつ」のために仕事ができなくなって行った時には(もちろん夫が同伴…)、待ち時間を短くするように配慮してくれて、ニュースタート給付金(失業手当とは言わず新しい出発のための給付金と呼ぶ)の再申請をしてくれたスタッフの人など、本当に思いやりを見せてくれて、適切なアドバイスをしてくれました。
困ったら、まずCentrelinkへ相談してみればなんとかなります。家庭内暴力、貧困、病気、突然の失業、災害…と、様々な困難に直面している人々を助けてくれるCentrelink。

しかし、夫はプライドのためかCentrelinkへの給付金申請を拒否。Centrelinkからお金をもらうよりも、自分でアルバイトでも何でもして稼ぐと言うのでした。

ですから申請したのは、私だけ。夫と私ふたりの収入がゼロの場合の2週間分の給付金は、約500ドルちょっと。5万円という感覚ですね。はっきり言って、2週間5万円で全く生活していけません。オーストラリアのインフレは凄まじく、5万円は家族四人が食べていくだけでやっとです。光熱費や子供の学校関係の費用はどうする?家賃はどうやって払う?無理ですよ。

だから、とにかく仕事を見つけて働いて稼ぐしかない。

でも、どうにもならない危機が何度もありました。そうなると、夫は寝続けてしまいます。(「うつ」は眠れなくなると決め付けてはいけませんよ。私の夫のように寝続けるという場合もあるのです。)

その時に助けてくれたのは、やはり家族。私の日本にいる両親、夫の母、そして最大の援助をしてくれたのが、夫の妹のリアナでした。

リアナの精神的&経済的援助がなかったら、私の「うつ」はもっとひどくなっていただろうし、夫も前向きに求職活動に取り組めたかどうか分かりません。夫は、やりたい仕事の分野や会社の倫理観などにもこだわったので、就職するまでに何ヶ月もかかりましたから。彼女の援助のおかげで、私は早く良くなって仕事をしなくてはならないというストレスから開放されて回復に向かうことができたのですし、夫も良い会社にやりがいのある職を得ることができたのです。リアナには心から感謝しています。

私も、早く100%回復してやりがいのある仕事ができるようになりたいものだな。

でも、「頑張れ」ってまだ言わないでくださいね。「頑張れ」って言われると、まだちょっと辛い感じがあるのです。「応援してるよ」「見守っているよ」と言われると「よし、頑張るぞ!」と思えるのは、回復している証拠だと思います。



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