2024年7月27日

美味しいと感じる塩の量

昨日、用事があってリングウッド(Ringwood)の方に行ったので、最近行っていなかったスーパーで食品の買い物をして帰りました。

普段は家から歩いても行ける近くのスーパーで買い物をしますが、昨日行ったのはかつて盲導犬パピーのモリーのトレーニングでよく行っていたスーパーです。

昨年引っ越すまでは頻繁に利用していました。山の中の曲がりくねったでこぼこ道を突っ切って行けばショッピングセンターのスーパーよりも近かったですしね、品揃えが良いので好きだったんです。

コールズ(Coles)というオーストラリア大手スーパーチェーンですが、店によって品揃えは随分違うんですよ。

このスーパーは、店内で巻き寿司を作って売っています。そこのチキンカツを巻いたのが好物なので、久しぶりに買って食べました。

そうしたらもうびっくり!

塩からい!

「味付けを失敗したのか?」と一瞬思いましたけど、おそらく最近の減塩食生活の影響だろうと思いました。

つい先日も、久しぶりにチーズトーストを作って食べたら、いつも買っているチーズなんですけどひどく塩からいと感じたんです。

先週、友人のエクリーさん宅で出されたディップやピザも塩からかったし、買ったサンドイッチ(自分で買ったものではありません)も塩からかったです。入っていたハムのせいでしょう。

塩の味が強すぎて美味しいと感じないのですよ。きっと減塩食生活の影響で味覚が薄い塩味に慣れたんだと思います。


私達人間が健康に生きて行くためには、食べ物からバランスよく栄養素を摂取する必要があるわけですが、身体が必要とするミネラルの一つがナトリウム(Sodium)です。主に塩(塩化ナトリウム)の形で摂取します。塩の40%がナトリウムだそうです。

ナトリウムは細胞の浸透圧を調節し、ミネラルや水分のバランスを保つなどの役割を持っているんだそうですが、少な過ぎても多過ぎても問題ですから、これを腎臓が調整しているんだそうです。

どれだけのナトリウムが必要なのかと思って調べてみましたら、成人が必要とするナトリウムの量は一日あたり0.46〜0.92グラムだそうですよ。中間を取って0.68グラムのナトリウムが必要と考えると、塩に換算すれば1.7グラムです。

それって約小さじ1/4杯なんですよ。

これは私達の食生活から考えると現実的な数字ではありません。食べ物を美味しく食べるために私達は味付けをしますからね、最も使われる調味料が塩です。醤油にしろ味噌にしろケチャップにしろ、全部塩が含まれています。

塩の摂取を一日あたり1.7グラム(小さじ1/4杯)にするのは難しいので、一般的には6グラムくらいまでにしましょうということになっているらしいんですが、それは小さじ1杯です。

うちの夫は腎臓が一つしか無くなっています。生体腎移植プログラムに参加して提供したから一つしか無いわけですが、高血圧、たんぱく尿、脚のむくみといった症状が出たので腎臓がSOSを発している判断しました。

夫のような場合は、塩の摂取は必要最低限に抑えるべきなのでしょうが、一日あたり1.7グラム(小さじ1/4杯)は難しいので、オーストラリア保健省のウェブサイトで推奨されていた3.75グラムを目標にしたわけなんです。

3.75グラムの塩は約小さじ半分、醤油だと大さじ1杯です。一日の合計がです。

かなり難しいと最初は思ったんですよ。白ご飯とおかずと味噌汁という和食だと一食で超えてしまう可能性が大きいですからね。でも、やってみると料理の選択次第ではそんなに難しいことではないと分かりました。

例えば、昨夜のご飯はハンバーグと蒸し野菜だったんですが、ハンバーグ4人分に小さじ半分の塩を使いました。蒸し野菜にかけたホワイトソースに塩をひとつまみ入れました。これで、一人分の塩の摂取量は小さじ1/8杯ほどです。

朝ご飯はポリッジ(オーツ麦のミルク粥)ですから塩はゼロ。夫はお昼ご飯には晩ご飯の残りを持って行きましたが、あれで小さじ1/4杯くらいと考えると、一日の摂取量は小さじ半分も行っていないんです。

毎日こういう調子ですからね、味覚が薄い塩味に慣れて何でもかんでも塩からく感じるようになったんだと思います。

夫の血圧は完全に正常値になりましたし、脚のむくみも無くなりました。もう蛋白尿は出ていないだろうと思います。

時々普通に味付けされた物を食べて塩から過ぎると感じることがあるわけですが、気になるほど塩からい場合はたくさん食べないようにするとか他の物を食べれば良いんですから、対応できます。

私達はこれからもずっと減塩食生活を続けていくつもりです。というか、夫の腎臓のことがありますから続けるしかないんですが、何だかもう慣れちゃってね、薄味で我慢をしているという意識はないんですよ。


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2024年7月26日

結局売れなかったあの家

うちの夫の父親が2年前の8月に売りに出して、ずーっと売れていなかった家が、値下げしたおかげでついに売れたという記事を書いたのは今年の5月のこと。

その家の敷地は31エーカーもあるんですが(1エーカーは約1,200坪)、自然保護のためにその土地を住宅地や農地に開発してはいけないという法律があるので何も出来ません。

ただ広いだけの草と木だけの土地なんですけど、売りに出した以上は見た目を良くする必要がありましたから、うちの夫が息子に手伝ってもらって仕事が休みの日に草刈りや倒れた木の片付けなどのメンテナンスをしに行っていたんです。片道1時間もかかります。

ところがなかなか売れなくてね、その間も草は伸び続けるし木は倒れ続けるしでメンテナンスの仕事は続き、やっと買い手が見つかるまでに1年9ヶ月もかかったわけですよ。

その間、トラクター型草刈り機は故障し続けるから修理費用もかさみましたし、倒れた木の根っこから泥を取り除くためだという高圧洗浄機とかサーフェスクリーナーという大きなブラシを回転させてコンクリートなどを磨くポリッシャーとか(何のため?)を買いましたからね。

生活費を稼ぐためのアルバイトだとか何とか言っていたけど、稼いだお金をそういうものに使ってしまったわけですよ、ホントにもう!

とにかくまあやっと買い手が見つかったのです。その人は家を売りに出した時に一番最初に買いたいと申し出た人でした。その人にとっては、自分の仕事やライフスタイルに最適の物件だったそうですが、手が届かない価格だったのです。

値下げしたことを知ってすぐに購入を決めたそうです。その人が現在住んでいる家が売れ次第代金を支払うという売買契約書にもサインしたと聞いていました。

これで、うちの夫がメンテナンスに行く必要はなくなったのですから、トラクター型草刈り機も高圧洗浄機もサーフェスクリーナーもトラックも早く売って欲しいと私は願い続けて来たわけですが。

その家が再び売りに出されることになったんです!

買い手の方が現在住んでいる家が売れないからです。値下げをすれば売れるでしょうが、そうすると買った家の代金が払えなくなります。うちの夫の父親はこれ以上値下げをする気は無いので、再び売りに出すんですって。

契約書にサインしてからはメンテナンスをしていなかったその家は、草が伸びて木が倒れ、売りに出すには見た目がよろしくない状態になっているらしいです。

こういうことになる可能性があったから、家が本当に売れるまでは道具を売るわけには行かなかったんだと夫は言っています。

暦の上ではまだまだ冬ですが、春の到来を告げるワトルの木が咲き始めていますし、春めいて来ていますから草が伸び始めるでしょう。夫と息子は再びメンテナンスに通うことになったそうです。


仕事が休みの日に肉体労働をすると疲れがたまるんですよ。それでも、うちの夫はこういう身体を動かす仕事が好きなんですし良い運動になりますからね、無理のない範囲でやってくれたらいいですが、夫の目のことは気になります。

さらに見えなくなって来ていますからね。先日はチーズが見えなかったわけだし。両方の目のそれぞれ見える部分で補いながら見ているので、全体としては見えているつもりでも、見えていない物があったりするのですよ。

だからもう自転車に乗るのも危ないわけです。

チェーンソー作業はまだ大丈夫でしょうけど、トラクター型草刈り機の運転は危ないので、それは息子の担当にした方がいいと思います。

うちの息子は、いまだに就職はしていなくて毎日部屋で絵を描いています。最近は、コミッションの仕事でエモーティコンと呼ばれる顔文字のデザインをしているそうです。

まあ本来のやりたい仕事に近い内容の仕事ですからそれはいいんですけど、一つの絵を仕上げるのにかかる時間に対しての報酬が少ないんです。絵以外の仕事もしないと暮らしていけませんよ。

毎日ずっと座ったままで運動不足ですし、メンテナンスの仕事は良いアルバイトにはなると思います。


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2024年7月25日

価値が分からないアボリジニアート

義母(うちの夫の母)がついに家の中の持ち物整理を始めたようです。断捨離とまでは行きませんが、とにかく持ち物を減らそうとしているようです。

アボリジニのアートをうちの夫に譲りたいと言うので、昨日夫がもらいに行きました。

もらって来たのは、絵が1枚、ブーメランが3つ、拍子木のように叩いて音を出す棒が1セットです。

義母の姉であるジョーンが、若い頃にオーストラリア北部準州のアボリジニのコミュニティーで看護師として働いていたのでアボリジニの知り合いも多く、アボリジニのボーイフレンドもいたんだそうですけど、そうした関係でアート作品をもらうことがあったらしいんです。

そうしたアート作品を妹達や叔母達にあげていたそうなんですよ。

アート作品というのはね、なかなか価値が分からないからもらっても困ります。ブーメランと棒のセットの価値なんて私には全く見当も付きません。お土産屋で売っているようなものとは明らかに違いますけど、価値があるのかどうか私には分かりません。

絵の方は作者が分かっています。ロング・ジャック・フィリップス・ジャカマラ(Long Jack Phillipus Tjakamarra)というアーティストの作品です。

このロング・ジャック・ジャカマラというアーティストは、有名な人らしいです。パプニャ芸術運動の創始者であるジェフリー・バードンという人のもとで絵を描いた最初のメンバーの 1 人で、ウエスターン・デザート・アート・ムーブメント(Western Desert Art Movement)という芸術運動に貢献したそうです。

そう聞いても私には何のことやら分かりません。


この絵は、43センチ ✕ 58センチの板に描かれたもので、裏側に作者の名前と1973年7月23日という日付が書かれています。専門家が見れば、ロング・ジャック・ジャカマラの筆跡かどうかは分かるのでしょう。


板は角が傷んでいますし、それほど価値がありそうには思えないんですけど、うちの夫の大叔母のローナは、もらった絵を売って車を買ったそうなんですよ。相当な価値があったわけです。

それを聞いて自分がもらった絵を売ろうとした親戚は、2ドルの価値しかなかったという話です。同じジャカマラの作品だったのかどうかは知りませんけど。

私はこの絵を家に飾りたいと思わないし、こういう絵が好きな人が所有するべきだと思うので、売れるものなら売りたいんですけどね、どうやって売ればいいのか分かりません。

ちなみに、グーグルで調べた結果によると、ロング・ジャック・ジャカマラの作品は、安いもので数百ドル、高いもので数万ドルの値段で取り引きされているようです。過去最高額は 231,800ドルだそうですよ。

英国BBC放送の人気番組で「アンティーク・ロードショー」というのがあります。英国内各地を旅しながら、視聴者が持ち寄ったお宝を専門家達が鑑定するという番組ですが、ああいうのがあればぜひ持って行って鑑定してもらいたいです。


ちなみに、義母の家にはもらえるものならもらいたいと思っていた絵がありました。美しいオーストラリア内陸部の風景が描かれた水彩画で、有名なアボリジニのアーティストの作品だと聞いていました

後で知ったのは、そのアーティストというのはアルバート・ナマジラ(Albert Namatjira)という人で、オーストラリアでは最も有名なアーティストの一人なんです。アボリジニのアーティストの中では一番有名な人です。

主に水彩で風景画を描いた人ですが、実際にオーストラリア内陸部に行ったことがある人なら分かると思いますが、この人が描く風景のユーカリの木、土や岩、空や山、空気感、そういうのが絶妙な色使いで素晴らしいのですよ

義母の家にあるのは小さな風景画ですが、ナマジラの作品なら価値があるんじゃあないかと思ったら、「あれは複製でしょ?本物なわけがない」ということでした。

たとえ複製でももらいたいですけど。


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2024年7月24日

見えなかったチーズと黄斑変性

お肉が無い時によく作る晩ご飯料理の一つが「ジャガイモと鮭のグラタン」です。缶詰の鮭を使いますし、ホワイトソースなんか作らずにマヨネーズを使うので超簡単なんです。

しかもうちの男達に大人気。毎日でもお肉が食べたいうちの夫も、晩ご飯がこれだと喜びます。

英語で書いたレシピをウェブサイトに載せていますが、レシピなんて必要ない調理なんですよ。

一口大に切って茹でたジャガイモを耐熱容器に並べ、好みで塩こしょうをふりかけてから、骨と皮を取り除いた鮭を粗くほぐして散らします。マヨネーズをタラタラっとかけてからチーズを乗せ、220度くらいのオーブンで焦げ目がつくまで焼くという料理です。


私がいつも使うチーズはオーブン料理用のチーズで、チェダーとモッツァレラとパルメザンの3つのチーズをブレンドしてあるものです。

日曜日の晩ご飯に、このグラタンを作ったんですよ。

うちの夫が最初にお皿に取りました。モッツァレラチーズが入っていますから、溶けた熱々のチーズはとろ〜りと伸びます。

まるで納豆の糸の太いやつみたいに長く伸びたチーズは、夫のお皿の端から垂れ下がりました。

盛大に垂れ下がったチーズに気が付かない様子の夫が、そのままお皿をテーブルに置こうとしました。

「あああ!垂れてる垂れてる!」と叫ぶ私。

夫はそのままお皿をテーブルに置きましたから、垂れ下がっていたチーズがどろ〜んとテーブルに付きました。

「ほらあ!テーブルに付いちゃったじゃない!」
「何が?」
「チーズがよ!お皿から垂れてるでしょ!」

困惑してお皿を見る夫。

そして、言いました。

「ボクには見えない…」

白いお皿の端に垂れたチーズは照明の具合で白っぽく見えていましたけど、そのチーズが見えないと言うので私はびっくりしましたよ。食事の時に夫の目が見えていないことに気づいたのは初めてでした。

またさらに網膜の視細胞が死んで、見えない部分が拡大したんだろうと思いました。


夫の目は、遺伝性の黄斑変性「スターガルト病」で、黄斑部周辺の視細胞が徐々に死んで来ているんです。

網膜の中央部には光を感じる視細胞が密集している部分があって、その部分を黄斑と言うんですけど、そこは焦点を合わせる視野の中心でもあります。
 
その部分の細胞が徐々に死んでしまって見えなくなっているわけです。

視能訓練士の方が夫がまだ文字が読めることに驚いたくらい細胞は死んでしまっているんですけど、それはもう2年近くも前のことですよ。今年の1月に撮った写真を見ると、じわじわと全滅に近づい来ているのが分かります。

視細胞が死んでしまったら光も感じることが出来ませんから、視野の中心部は黒っぽくなっているんだそうです。

しかしね、まだ視細胞が生き残っている部分があるのでして、夫はその部分を駆使して見ているそうです。読みたい文字に焦点を合わせると見えないけど、別の場所に焦点をずらすと見えるんだそうですよ。もちろん、強い眼鏡が必要ですけど。

iPhone の小さな画面でも文字を読めるのですが、どんなふうに見えているのか想像できません。

ただし、十分な照明がない場所ではほとんど何も見えないらしいということは知っていますから、薄暗い場所では私も注意します。夫は薄暗くなると懐中電灯を使って歩きます。

玄関前のアプローチには照明を並べてコンクリートの部分と芝生との境目が分かるようにしてあります。転倒の危険がありますからね。

家の中は十分に明るくなるように照明を全部つけますし、最近は見えていないんだなと気付かされるエピソードは無かったんですけど、あのチーズが見えなかったんですよ。

最近さらに見えなくなっているのかと聞いてみましたが、夫はこういうことを聞かれるのが嫌いです。目のことであれこれ質問すると機嫌が悪くなるので、私は聞くのを止めました。

薄暗いと物が見えないように、白い背景に白っぽい物という場合も見えないのだと分かりましたので、これからは食事を取り分ける時にも気をつけるようにします。

今書きながら気が付きましたけど、食器洗い機に入っている食器が汚れているのかキレイなのかが分からないとは言っていました。白いお皿に付いたチーズが見えなかったのも当然ですね。

最近冷蔵庫に物があり過ぎて、欲しい物を見つけるのに苦労している様子です。晩ご飯の残りを詰めたお弁当を、昨日は持って行っていませんでした。見つからなかったから持って行かなかったと言いました。

今日は冷蔵庫の中を片付けます。


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2024年7月23日

レジリエンスのある人

ここ数日、自分のトラウマ経験に関することを書いて来ました。ブログに書くのがはばかられるようなこともいろいろあったんですけど、さすがにそういうことは書けません。

大人になってからうつ病や不安障害で苦しむことになった原因が、幼い頃から日常的に父親に叱られ、怒鳴られ、時には暴言を浴びせられ、暴力を目撃したり聞いたりすることで受けたトラウマのために、常に不安を感じながら緊張して暮らした家庭にあったということを書いて来たわけです。

毎日このブログを読んでくれている母と妹達に知って欲しくて書きましたけど、書いてスッキリしたかといえば全くいそういうことはありません。

子供の頃のトラウマというのは根深く厄介なものです。

さて、今日はレジリエンスということをテーマに、私の妹のことを書こうと思うんですよ。

私は3人姉妹の長女で妹が2人います。

2歳下の妹は優しい子でした。真ん中っ子の特徴でしょうか周囲を気遣う性格で、家族の間を取り持つピースメーカーでした。

この妹は未熟児として生まれ、赤ちゃんの頃は喘息などの健康問題があったそうです。それなのに、父親は私達家族が住んでいた小さな家の中で鳥をたくさん飼っていたので、鳥を飼うのを止めて欲しいと母が頼んでも止めてくれなかったと聞きました。

この妹の幼い頃のことはほとんど覚えていませんが、記憶にあるのは泣いている妹です。どういう理由か分かりませんけど、よく泣いていたんだろうと思います。

下の妹は私が7歳の時に生まれました。その時のことは良く覚えています。私達姉妹のうち、この妹だけは病院で生まれたんです。

当時まだ木造だった町の病院の部屋で、小さな赤ちゃんが保育器に入っていて元気に手足を動かしていました。父親が「男の子だったら良かったのに」と言ったのを覚えています。

この7歳下の妹は、少し大きくなると生意気な子になりました。私との口げんかでも負けませんでした。7歳上の私のほうが泣かされることもありましたよ。そして何がすごかったって、この妹は父親に怒られても黙って我慢してはいなかったんです。

父親に対しては何も言い返せない子供になっていた私にとって、それは信じがたい状況でした。

言い返されて激昂した父親は、怒りのあまり妹を叩いたりロープで柱に縛り付けたりすることもありました。もちろん、そういう時には妹は泣き叫んでいます。妹自身は幼過ぎて覚えていないかもしれませんが、私には恐ろしい光景でした。

言い返すとあんな目に遭うと分かりますからね、とにかく怒られる原因を作らないようにと、あらゆることに注意を払っていました。それでも些細なことが原因で父親に怒鳴られるわけですが、私は黙って耐えることしか出来ません。

中学生になった頃には沈黙することが唯一の出来ることになっていました。その沈黙が父親を怒らせることにもなったのですけどね。

そんな私でしたから、下の妹が父親に言い返すのを見て「よくそんなことができるものだ」と感心したものです。妹のように言い返せたらどんなにスッキリするだろうかと思っていました。

そして、叩かれたり縛られたりするようなことがあっても、翌日にはケロッとしていたりするんです。この妹は悪戯や悪いこともしましたけど、非常にマイペースでタフでした。今ではとても頼りがいのある人になっています。

「レジリエンス」(Resilience)という言葉があります。

Wikipedia にはこう書いてあります。

心理学におけるレジリエンス(Resilience)とは、社会的ディスアドバンテージや、己に不利な状況において、そういった状況に自身のライフタスクを対応させる個人の能力と定義される。自己に不利な状況、あるいはストレスとは、家族、人間関係、健康問題、職場や金銭的な心配事、その他より起こり得る。

脆弱性(Vulnerability)の反対の概念であり、自発的治癒力の意味である。「精神的回復力」「抵抗力」「復元力」「耐久力」「再起力」などとも訳されるが、訳語を用いずそのままレジリエンス、またはレジリアンスと表記して用いることが多い。

簡単に言えば、何かつらいことがあった時にポキリと折れてしまうような弱さの反対の性質のことです。耐える力、持ちこたえる力、抵抗できる力、回復して立ち上がる力、そういう強さを持っていることです。

この性質は育つ環境によって獲得するとも聞きますけど、私は生まれ持った気質というのもあるんじゃあないかと思うんです。下の妹は、生まれつきメンタルの強さを持っていたんじゃあないかと。

私は幼い頃、知らない親戚の人などが家に来ると激しく泣いたそうです。あまりに激しく泣いて泣き止まないので、来客が玄関から上がらずに帰ってしまうこともあったそうなんですけど。

人見知りをして泣いていたということは、不安や恐怖を感じていたということですから、私は生まれつき繊細で怖いことや悲しいことを感知するセンサーが敏感だったのかもしれないと思うんですよ。

7歳も離れた妹と私とでは育った環境は確かに違います。家族の状況も経済状態も違いますけど、何が下の妹をレジリエンスのある人にしたんだろうかと思います。まあ、妹は妹で私が知らない苦しみや悲しみを経験していたのかもしれませんけど。


心理学の研究も進んでいて、子供をレジリエンスのある人に育てるために親はどんなことに気を付けるべきか、どういう言葉かけをすべきかということが書かれた育児書も出ていますし、そういう情報を提供しているウェブサイトもあります。

子育て中の方やこれから親になる方は、勉強されるといいと思いますよ。

私はね、子供を育てる上で一番大事なことは、子供に安心感を与えることだと思います。それがもう基本です。

幼稚園や小学校など家の外の世界では様々な経験をします。嫌な思いをすることがありますよ。外でつらいことがあっても、家に帰ったらお父さんやお母さんが話を聞いてくれて、困ったら助けてくれるという安心感が一番大事だと思うんです。

それなのに、家に帰ったら嫌なことが起きると分かっていてご覧なさい。家の外でつらいことが起きた後、不安と緊張を感じる家に帰って来るとしたら。そして、恐れていたとおりに家でもつらいことが起きて、それが繰り返されたら。

その子供がポキリと折れる枝になってしまうのも無理はないと思いますよ。

若いお父さんお母さん達、子育て経験者である父母や祖父母世代のやり方や考え方は間違っている可能性があることを忘れないでくださいよ。古いやり方は往々にして間違っていますからね。

「男なんだから」「お姉ちゃんなんだから」といった性別や年齢による不公平とか、食べ方から靴の脱ぎ方に至るまでガミガミと厳し過ぎるしつけとか、いい子にしないと鬼だとかオバケだとかが来ると言って恐怖でコントロールしようとするとかね。

子育ての目標は、子供が自立して生きて行けるようにすることです。他者を思いやったり協力出来たり、責任感のある社会の一員として生きて行ってもらいたいですけどね。

社会で生きて行くためには、ポキリと折れる枝よりもしなやかに曲がってまた元に戻る枝の方が生きやすいに決まっています。どうか子供さんをレジリエンスのある人に育てて下さい。


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