2025年12月2日

新しくオープンした中華料理店

寒いです。

昨日は、最高気温がたったの15度ですよ。山の上は雪が積もったそうです。お日様が出た時に暖かくなった瞬間がありましたけど、冷たい雨が降る冬のような一日でした。暦の上では夏なんですけど。

明日は29度、明後日は34度になるそうです。10日間予報を見ると冬のような天気になる日は無さそうですが、いつどうなるか分からないのがメルボルンの天気です。

現在の気温は10度。もちろん暖房をつけています。

ところで…

いつも食品の買い物に行っている近くのショッピングスクエアに、新しい中華料理店がオープンしました。レストランというよりも、ファーストフード店という感じの店です。

手軽に「本格中華」の味を堪能できると宣伝していて、オープンしたばかりの今月は全品20%オフということだし、何か食べてみようかなあと思ったんですけど、

機械で注文しなくちゃあいけないのだった!

日本に行った時に、多くのレストランではテーブルに置いてあるタブレットで注文しなくてはいけなくて苦労したんですけど、この中華料理店はもっとひどいんです。

入り口付近の壁に機械が埋め込まれていましてね、それで注文をするようになっているんです。機械で注文するとか、QRコードをスマートフォンでスキャンしてオンラインで注文するとか、そういうのが私にはハードルになるんですよ。

それに、客の一人が食べようとしていた料理を見て、私はこの店で食べてみたいという気が失せました。だって、その人が食べていたのは「本格中華」とはほど遠い、チキンカツ丼みたいなものだったからです。

チキンカツは、いかにも冷凍のを油で揚げただけという感じのやつで、それが白ご飯に乗っているだけでした。かかっているソースは、胡麻味噌ダレと言うよりもキューピーの胡麻ドレッシング。さらに、そのチキンカツ丼にはポテトフライが乗せられていたのでございます。

何だそれ!

家に帰ってからこのお店のレビューを読んでみました。非常に低評価でした。

「塩が足りなさ過ぎる」「味付けが悪い」「美味しくない」「中の方がまだ冷たかった(チキンカツのことか?)」「写真で見たのと全く違う」などなど、料理への不満ばかりが投稿されていたのでございますよ。

オープンしたばかりの土曜日にはそれなりにお客さんがいましたけど、昨日のお昼に店の前を通った時には、お客は3人しかいませんでした。お昼にたった3人というのは、これからが心配になりますね。

オーストラリアでは、こういうお店も安くはないんですよ。少々高くてもサービスが悪くても、食べた物が美味しかったらまた来ようと思うかもしれませんが、美味しくなかったらもう来ませんよ。


このお店の向かいには、かつて私が大好きだったベトナムのパン屋があります。ショッピングスクエアの改修工事が終わって新しくオープンしたら、めちゃくちゃ値上げされていて、バインミーも生春巻きも以前ほど美味しくなくなっていました。だから私はもう行っていません。

そのパン屋の近くには中国人がやっている小さなパン屋もあります。好きなパンをトレーに乗せて買うスタイルのお店ですけど、買いに来ている人を見かけたことがほとんどありません。売っているパンの種類も減って来ていますし、いつ閉店しても驚きませんよ。

刺し身やお寿司を売る店もあるんですが、ヘンテコ日本語掲載のポスターが貼ってあったりする中国人経営の店ですけど、先日私が病気だった誕生日に、うちの夫が刺し身とお寿司を買いに行ってくれたんです。そうしたら、刺し身は鮭しかなかったそうで、お寿司は「小さい、不味い、ご飯が酸っぱい」と最悪でした。それですごい値段なんですからね、もう買いません。

やっぱりね、食べ物を売る店は、売っている物が美味しくないとお客は来ませんよ。


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2025年12月1日

フォークリフト免許取得へ

うちの息子がフォークリフト免許を取得することになりました。夫と私にとっては、ここ10年間で最も嬉しいニュースです。

息子は、ハイスクール卒業後に、ビデオゲームのグラフィックスを作るアーティストになるために専門学校に行って勉強したんですが、そうした産業が盛んではないメルボルンでは就職が上手く行きませんでした。

さらに勉強を続けながらフリーランスのアーティストとして仕事をしていた頃、健康問題が発覚したんです。息子はハイスクールの頃から痔の問題を抱えていたんですよ。しかし、そのことは息子以外の誰も知らなかったんです。

本当に可哀想なことをしたと悔やんでも悔やみきれないのですけど、息子の痔の問題は私達が経済的に困窮していた頃に始まっていたんです。夫も私も精神的な病気で苦しんでいました。うちの娘も不安障害で具合が悪くなりました。

食べて行くことにも困っていた当時、娘の治療費だけは何とか工面しなくてはいけないと苦労している私達を見ていた息子は、自分の痔の問題など話すことが出来なかったそうです。手術をすることになれば高額な費用が必要になると思っていたから。

誰にも言わずに我慢しているうちに次第に悪化して、ついに医者に相談しに行ったのが2019年の12月でした。診察を受けて重症であることが分かった後、私達に教えてくれました。

専門医の診察の結果、クローン病の疑いがあったために何度も検査をすることになりました。やっとクローン病ではないと分かって手術をすることが決まった時に、新型コロナが始まったんですよ。

命にかかわらない手術は中止になり、息子の痔はさらに悪化して、一時は痛みのせいで寝たきり状態になりました。結局は手術費用を全額自己負担して民間の病院で3回も手術を受けることになったんですけど、回復には何年もかかりました。

このことは息子のメンタルヘルスに大きな影響を与えました。自信を失い、不安のために家から出ることすら難しくなっていた時期も長かったんですけど、本当にいろいろな小さな経験の積み重ねと心理カウンセリングのおかげで徐々に回復しました。

車の運転が出来るようになったきっかけは、私が回転する目まいで倒れて入院した時でしたよ。あの時は、引きこもり状態になっていた息子が救急車を呼んでくれたんです。うちの夫はすでに車の運転が出来なくなっていましたから、病院へ行くのに息子が運転するしかなかったんです。

運転が出来るようになり、自分で家から出ることも少しずつ増えて、趣味の山歩きに行ったりもするようになり、アルバイトにも行けるようになりました。

治験のアルバイトでお金を稼ごうとしたこともありました。いつも何か問題が起きて結局治験でお金を稼ぐことは出来ませんでしたが、あれも良い経験だったと思います。

治験を行っている会社の人達と電話で話をしたり、病院まで行って検査を受けたり、知らない人達とのやり取りの中で未知のことに取り組んだことは、全てが良い経験だったと思います。

アルバイトで貯めたお金で、今年は日本旅行に行くことも出来ました。息子の日本旅行は、鹿児島の南にある屋久島からスタートして東京で終了するまで、1ヶ月間の大旅行だったのですよ。そういう事が出来るまでに回復したわけですから、私は嬉しかったです。

旅行から帰って来てすぐに風邪を引いたり腰痛に悩まされたりしていましたが、先週は以前時々やっていたドリルビットを組み立てる内職をしていました。

そんな息子に、正社員として就職するチャンスが巡って来たんです。その仕事をするためには、フォークリフトの免許が必要なんです。それで、息子は免許を取りに行くことを決めて、教習所に申し込みをしたんです。

それを知ったうちの夫も私も、叫びたいくらいに嬉しかったのですよ。


息子はアーティストの仕事も再開して続けたいそうですが、グラフィックスを作る仕事はAI(人工知能)に取って代わられている現状があります。

現実的にアートの仕事だけでは暮らしていけないし旅行も出来ないと分かっていますから、正社員として雇用されるその仕事に挑戦してみようと思ったわけです。

フォークリフト免許は、うちの息子には難しいことではないと思いますから、教習所に行って講習を受ければ取得出来るでしょう。上手く行って欲しいと祈っています。

身体と心の両方が、ここまで回復するのに随分時間がかかりましたけど、棒に振ってしまった20代をこれから取り戻して欲しいというのが、私の希望です。


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2025年11月30日

オーストラリア首相の結婚式

毎日、気が滅入るような悲しいニュースや痛ましいニュースばかりですが、昨日はおめでたいニュースがありました。

アンソニー・アルバニージー首相(62歳)が、首相官邸で結婚式を挙げたというニュースです。お相手は、5年間ほど事実婚関係だったジョディー・ヘイドンさんという方で、この方は首相のパートナーとして国際的な行事にも同行されて来ました。

昨年のバレンタインデーに、「彼女はイエスと言った♥️」とSNSに投稿して婚約を発表したのがニュースになりましたが、まだ結婚式を挙げておられなかったんですね。オーストラリア史上、首相在任中に結婚した最初の首相になったそうですよ。

アルバニージー首相は、これが初婚ではありません。政治家だった前の奥さんとは20年間も連れ添われましたが、奥さんの方から離婚を求められたことは大きなショックだったそうです。

その後、スーパーアニュエーション(老後のために積み立てていく義務的な貯蓄制度)関係の金融スペシャリストであるジョディー・ヘイドンさんと知り合って事実婚関係になっておられたわけですが、昨日やっと正式に結婚されたということです。おめでとうございます。


アルバニージー首相は、中道左派政党であるオーストラリア労働党の党首です。連邦選挙で労働党が勝利して首相になった時に、「シングルマザーの息子で公営住宅で育った者が首相として皆さんの前に立つことができるオーストラリアは素晴らしい国だ」とおっしゃったんですよ。

その言葉が示すように、経済的に苦しい家庭で育った方です。お母さんはシドニーから英国に行く船で乗客係として働いていたイタリア人の男性と知り合い関係を持ったんだそうですが、妊娠したことを告げた時、その男性から自分は結婚していてイタリアに奥さんがいることを告げられたんだそうです。

二人の関係は続かず、お母さんはシングルマザーになったわけですが、当時は婚外子を産んだ若い女性への偏見も強かったし、経済的に子供を育てることは大変困難だったので、生まれる子供は養子に出すことを考えていたそうですが、自分で育てると決めました。

お母さんは、生まれ育った低所得者向け公営住宅に両親と一緒に住み、パートタイムの掃除人として働きながら息子を育てたそうですけど、関節リュウマチで苦労され、病気になられてからは自身の障害年金と母親の老齢年金で生計を立てていたそうです。

お金はなかったけれど、無条件の愛情とサポートを与えてくれたというお母さんに労働の倫理観を学んだというアルバニージー首相は、ハイスクールでは様々なアルバイトに励みました。

大学生時代に政治活動に参加するようになり、その後は左派運動家として活動してこられたのです。お母さんが病気で苦労されたことや貧困の経験から、政治家としては医療制度や福祉の充実を重視しておられます。

私は、この方の政策や主張の多くに賛同しています。共和制主義(英国の国王を元首とする立憲君主制から共和制への移行を支持)もそうですし、中絶権利の擁護、LGBTの権利の擁護、同性婚を支持、気候変動対策や再生可能エネルギーの積極的活用に賛成、多文化主義の推進などは、私が労働党を支持する理由です。

昨日の結婚式は、トップシークレットで準備されたんだそうですよ。お二人の現在の住まいである首相官邸で行われましたが、結婚式に関わる費用の全額はお二人が負担し、税金は使われておりませんのでご安心ください。

招待客は多くなく、家族や親しい友人や同僚だけが集まった小さい結婚式だったそうです。トップニュースが首相の結婚式というのはいいもんです。


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2025年11月29日

蛍光灯が見つからない

私達はこれまでずっと引っ越し暮らしで、いろいろな家に住んで来ましたけど、蛍光灯のある家はあまり無かったです。一昨年、現在住んでいる家に引っ越して来たら、キッチンの照明が蛍光灯だったので懐かしく感じたくらいでした。

その蛍光灯は、スイッチを入れてから点灯するまで数秒もかかることがあるので、「いかにもこれは蛍光灯だ!」などと話していたんですけど、昨日突然ついたり消えたりし始めたんです。

蛍光灯の寿命が来たんだなと思ったので、近くのホームセンターに新しいのを買いに行くことにしました。同じのを買って来るために、脚立を持って来てカバーを外し、蛍光灯を取り外しました。


こういう環形の蛍光灯でした。NECの製品で外径が30センチです。


他のメーカー製でも、これと同じのを買えばいいんだと思いましたから、蛍光灯に印刷されていた「5000K、QUAD-PHOSPHOR、T9、32WATTS、x218 」というのをメモしました。

「5000K」というのは色のことらしいです。クールな白色です。「QUAD-PHOSPHOR」は4種類の蛍光体を組み合わせた蛍光灯という意味らしくて、「T9」は管の太さらしいです。3センチくらいの直径です。「32WATTS」は32ワットですね。「x218」は何のことやら分かりません。

「バニングス」というホームセンターに行く前に、一番近くの店舗にちゃんと在庫があるかどうかを調べようと思い、ウェブサイトで蛍光灯を探したら、

同じサイズの環形の蛍光灯がない!

直径30センチの商品は2つあったんですが、どちらも管が細過ぎました。

そこで、蛍光灯を売っていそうなお店のウェブサイトを片っ端から見てみましたが、蛍光灯を売っている店は少なかったです。そして、売っている商品の種類が非常に少ないです。

これは困ったとパニックになりながら調べていたら、驚くようなことが書いてあるのを見つけたんですよ。

「蛍光灯の製造・輸出入は、国際条約に基づき、2027年末までに廃止されます」

皆さんご存知でしたか?

2026年1月から段階的に規制されるそうですけど、それってもうすぐじゃあないですか?製造についてはですね、多くのメーカーがすでに終了したそうですよ。

蛍光灯に含まれる水銀による環境汚染を防ぐための取り組みだそうです。規制が始まった後も、蛍光灯を継続して使用したり在庫商品を売買したりすることは可能なんだそうですけど。


夫に相談すると蛍光灯だけではなくて新しい「スターター」も買って来てくれと言ったんですが、何のことやら私には分かりません。一人では買いに行けないと思ったので、夫が仕事から帰って来てから一緒に買いに行きました。

やはり同じサイズの蛍光灯は見つかりませんでした。蛍光灯は、本当にわずかな商品しか売っていませんでしたよ。しかし、同じ棚にずらりと並べて売られていた商品があったんです。

外径29.8センチ、管の直径3センチと、私達が探していた蛍光灯とほぼ同じサイズの環形のLEDランプでした。20Wでしたが、32Wの蛍光灯に相当する明るさだと書いてありました。


色が2種類ありました。少し青っぽい「クール・デイライト」と真っ白の「クール・ホワイト」です。真っ白の方にしました。

箱にはLEDランプ用の「スターター」も入っていましたので、夫が蛍光灯用の「スターター」と交換しました。「スターター」というのは、点灯管のことです。蛍光灯を点灯させる方法として、最も普及しているのが「スターター」を使う方法なんだそうです。

蛍光灯が切れた時には、蛍光灯だけではなく「スターター」も交換しないといけないんですって。私達はLEDランプを買いましたから、LEDランプに付属していた「スターター」に替える必要があったわけです。

キッチンはいい感じの白色になって、とても明るくなりました。LEDランプはスイッチを入れると瞬時に点灯しますからいいですよ。ただし、照明器具の種類によっては蛍光灯の代わりにLEDランプを使うと問題が生じる場合もあるそうですから、注意が必要です。

これをお読みの皆さんの中にも、蛍光灯をお使い方がいらっしゃるでしょう。2027年末までに製造と輸出入が段階的に廃止されますので、流通する蛍光灯の品不足や値上げが予想されるそうですよ。LEDランプへの切り替えを考える時期でしょう。

蛍光灯には、発光に不可欠な水銀ガスが封入されているんだそうです。これは有害なガスなんです。もしも蛍光灯が割れたりした時には、水銀ガスを吸い込まないようにしなくちゃあいけないそうです。

そして、廃棄する時は法律に従って正しく処理する必要があります。オーストラリアにお住まいの場合は、お近くの廃棄物処理センターか自治体が指定した処理センターに持って行きます。一般ごみの収集容器に入れて出してはいけません。

私は、蛍光灯が廃止されることも知らなかったけど、水銀が問題であることも昨日まで知りませんでした。岡山の実家で片付けをした時に、不要になった蛍光灯がたくさんあったんですが、取り扱いに注意が必要だったんですねえ。


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2025年11月28日

ホームレスのアフリカ人女性の今

9月に「ホームレスのアフリカ人」という記事を書いています。

この辺りでは見かけることが珍しい、墨のように真っ黒い肌のアフリカ系の女性が、近くの公園や路上でテント生活をしているという話でした。

記事を書いた時には、私達が住んでいる家の前の道路と歩道の間の芝生帯にテントを張っていたんですけど、ショッピングスクエアの横にある自然保護公園にテントを張っていることが多かったです。


気の毒に思った私は、その女性の力になりたいと思って、暮らしに困っている人が相談できる電話相談窓口の情報とか無料で食事を提供している場所の情報とかを紙に書き、次に会った時に渡そうと思ってバッグに入れて持ち歩いていたんですけど、会うことはありませんでした。

その後、私が日本に行っている間に、うちの夫は地域の「町内会」のような組織の人と知り合いになって、この女性のことが話題になったんだそうですよ。

メルボルンには経済的に困っている人達を助けてくれる公的な組織もありますし、宗教団体が行っているサービスもいろいろあって、この女性に支援を申し出た人が何人もいたんだそうです。

一時的な避難所も紹介してもらえるし、センターリンクという福祉機関を通して経済的な援助も受けられるし、就職支援もしてもらえると思うんですよ。家庭内で暴力等の問題が起きていたのなら、その相談にも乗ってくれるはずなんです。

ところが、この女性はあらゆる申し出を断り、テント暮らしを続けているんですって。最近、私も何度か女性を見かけましたけど、とてもキレイらしい外見でしたから、どこかで洗濯をしたりシャワーを浴びたりしていると思いました。

自治体に電話をする人もいるらしいですが、この女性が法律を犯していない以上、強制的にどこかに移動させることは出来ないそうです。無断でテントを張っていることだけが問題だそうですが、非常に頻繁に場所を変えていて、常に素早く移動しているので、何も出来ていないそうです。


昨日の朝6時頃、うちの夫が歩いて仕事に行っていると、道路脇の芝生帯にテントがあったそうです。女性がテントを片付け始めていました。夫は早足で歩いて行って女性がそこから移動する前に到着し、「グッドモーニング」と声をかけたんですって。

そうしたら、女性はびっくりして夫の顔を見て「グッドモーニング」と言い、「How are you?」(元気?)と応えたんだそうです。あの女性は英語が話せることが分かったと夫は言っていました。髪も着ている服もキレイだったそうです。

話しかけて言葉を交わしたうちの夫は、これが何かのきっかけになるかもしれないと言っていました。度々会って挨拶をしているうちに女性の気持ちに変化が生まれて、自分が何かしてあげることが出来るかもしれないと思っているようです。


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2025年11月27日

陰謀論と反イスラエル化した友人

うちの夫は少し元気が出てきた様子です。昨日の朝は、早起きをして献血に行きました。献血が終わってから、バスで父親が住む家に行ったそうです。一昨年まで私達が住んでいた、義妹(夫の妹)が所有する山の中の家です。

そこへ友人から電話があって、久しぶりに会うことになったんだそうですけど、その友人というのがこのブログでも何度か話題にしている陰謀論に取り憑かれてしまった人なんですよ。

この友人とは20年近く家族ぐるみで親しくして来たんですが、ここ数年、米国の右翼保守系政治インフルエンサー達の動画を見続けてすっかり洗脳されてしまい、ドナルド・トランプに取り憑かれたようになりましてね、ある出来事をきっかけに会わなくなって来たんです。

ある出来事とは「陰謀論に洗脳された友人」に書いたことですけど、ハイチからの移民が近所の犬や猫を捕まえて食べているなんていう根拠のない話まで本気で信じていたのですよ。

その後、何度か会う機会がありましたが、会う度に陰謀論を話題にするようになりましてね。フランスのマクロン大統領の妻であるブリジット・マクロンさんが元は男性だとか、飛行機雲というのは邪悪な目的で政府機関や闇の勢力が飛行機から有害な化学物質を散布しているのであって、日本の人口減少もそのせいだとか。

こんな話を聞いていると、私は気持ちが悪くなるんですよ。だからもう会いたくなくなったんです。定期的にお互いの家で晩ご飯を食べる関係だったんですけどね、今年は一回も我が家に招いていません。

さて、昨日久しぶりにこの友人に会ったうちの夫によると、友人はキャンディス・オーウェンズという人に心酔しているそうです。オーウェンズ氏は、米国人の黒人女性ですけど、オーストラリア政府が「ヘイトメッセージを拡散し社会の不和を煽り立てる人物である」として入国ビザを出さなかったことで世界的なニュースになった人です。

フランスのマクロン大統領夫妻からは名誉毀損で提訴されていますよね。ブリジット・マクロンさんが元は男性で、小児性愛者だったので高校の教師の時に当時生徒だったマクロン大統領と関係を持ったと執拗に主張し続けたからです。

このオーウェンズ氏が広めている陰謀論には、アポロの月面着陸がでっち上げだったなんていうのもあるんですよ。友人はそんな話も信じているんです。

そして、最近のオーウェンズ氏のイスラエル批判やトランプ政権批判にも完全に影響されていて、今では反トランプなんだそうです。「トランプだけが米国に残された唯一の希望だ」なんて言っていたのに。

そして、以前は親イスラエルだったのに、意見が180度変わって反イスラエルになり、チャーリー・カーク氏の暗殺にイスラエルが関与しているとか言っていたそうです。それもオーウェンズ氏が主張している根拠のない話ですけど。


イスラエルについてはですね、私はずっと批判して来たんです。そもそも、パレスチナの地にイスラエルという国を建国させてあげることにした過程に問題があったわけです。

迫害され、ナチスに虐殺されたユダヤ人達が気の毒だからと言って、千年以上もアラブ人が住んで来たパレスチナの土地に国を作って住んで良いというわけには行かないと思いますけど、それを国際社会が承認したわけですよ。

そこに住んでいた人々にとっては受け入れがたいことでしょ?ある日突然、家も土地も奪われて去らなくちゃあいけなくなるんですよ。アラブ人達が反発するのは当然じゃあないですか?しかし、イスラエルは世界最大の軍事大国である米国に擁護され続けます。

建国以来イスラエルがやってきた行為は、領土獲得及び拡張のための侵略と殺戮と略奪行為ですよ。国際法違反を繰り返して来たにもかかわらず、それを許してきた国際社会にも問題があるんです。

ところが、社会的地位と経済力を持つユダヤ人達の影響力が大きくなるにつれ、少しでもイスラエルを批判すると「反ユダヤ主義」だと言って非難されて大きな犠牲を被るようになったために、いつの間にかイスラエルを批判することが出来なくなりました。

ここに本質的な問題があるんです!

私がこういうことを言っても、友人は鼻で笑っていましたけどね、オーウェンズ氏のせいで反イスラエルになったんですか。オーウェンズ氏は、どんなイスラエル批判をしているんですかねえ。聞いたことがないから分かりませんけど。

まあとにかくね、私はもうこの友人と議論をしたくないんです。陰謀論を聞かされるのもまっぴらなんです。

ところで…

うちの夫はこの友人と2時間近くも話をしたそうなんですが、カフェを後にする時に友人が「車はどこに停めたの?」と聞いたんですって。「車は運転出来なくなったから、今日はバスで来た」と夫が言うと、友人は驚いたそうですよ。

うちの夫が視力のせいで車の運転が出来なくなったのは、もう4年以上も前のことです。友人はもちろんこのことを知っていましたが、忘れていたことが何度かありました。びっくりした私達は、友人が認知症なのではないかと疑ったわけですが。

覚えていたこともあるんですけどね、また忘れてしまったようです。やはり認知症が進行しているようですよ。


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2025年11月26日

メンタル不調の夫

今月の初め、私が日本から帰って来た時に、うちの夫は元気が無いように見えたんですが、「寝不足か?」くらいにしか思いませんでした。

すぐに私は病気になり、寝込んでいた1週間は自分の体調のことしか考えていなかったし、夫とはほどんど話もしなかったので、夫の体調のことなど考えもしなかったのですけどね、

どうも様子がおかしい…

朝、目覚ましが鳴って起きる時間が来ると、寝室から「ああああ」「うううう」と唸る声が聞こえて来ます。話しかけてもほとんどしゃべらないし、家にいる間は寝ているかテレビを見ているかのどちらかです。

土曜日にうちの娘の親しい友人のLさんが来た時も、夫はほとんどしゃべりませんでした。Lさんとは、自分のトラックを売ったことや家のリフォームの相談に乗ったことで親しい関係なのに。

毎日元気がなくて、時々話すことはネガティブなことばかり。

こりゃあ「うつ期」に入っちゃっているのかもしれないと思って本人に聞いてみましたらね、やっぱりそうでした。それも今回のは、かなりきつい「うつ期」なんだそうです。

このブログでも度々話題にしていますが、うちの夫は双極性障害2型なんですよ。薬のおかげで普通に暮らしていますが、元気いっぱいになる「躁期」と元気がなくなる「うつ期」が周期的にやって来ます。

どうやら、息子と娘と私の3人が日本旅行を楽しんでいた10月にメンタルが不調になったようです。

一人暮らしをしていた間の食生活はやはり良くなかったようで、体重がかなり増えたように見えます。簡単に食べられるチーズやクラッカーやミートパイを買って来て食べていたんでしょう。

落ち込んだ気分を紛らわせるために食べ過ぎていたのかもしれませんし、栄養の偏りがメンタルに及ぼした影響も考えられます。

もっと早く気がついてあげたら良かったです。


「うつ期」に入っていると分かってから、いつも以上に栄養とカロリーに気をつけて晩ご飯を作っています。昨夜は野菜大盛りの「冷やし中華」でした。

夫は、晩ご飯の後に甘いものが食べたくなって、ジャムやピーナッツバターをたっぷり塗ったトーストを食べたり、自分で買って来たチョコレートを食べ過ぎたりするんですけど。

そういうことをしないように、果物を切っておいて、それを食べてもらうようにしています。昨夜はスイカを出しました。

あれこれ言うと腹が立つようですが、体重の増加については自分でも気がついているので、今のところは文句を言わずに出された物を食べています。

昨日は腎臓の定期検診があったので、それを理由に仕事を休みました。一つになった腎臓は正常に機能しているそうですが、2種類も薬を飲んでいるのに血圧が高いままなので、薬の量を増やすことになったそうです。

今日は水曜日で仕事が休みの日ですから、2日続けて休みです。今朝は献血に行くために早起きして出かけました。昨日までよりも少し元気が出たように見えました。

明日からまた仕事です。「うつ」の時には仕事に行くのはしんどいと思います。難しいお客が来たり問題が起きたりすると、ストレスに耐える力が出ませんしね。しんどくても仕事に行き続けてくれていることに、感謝しないといけません。


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2025年11月25日

花粉症シーズンはこれからか?

例年、私の花粉症シーズンが始まるのは10月です。年によっては8月の終わり頃から始まることもありますけど。

私がアレルギーのあるのはイネ科の草の花粉です。芝生も牧草もイネ科ですけど、私が一番恐れる草はこれ。どこにでも生えていますよ。


10月から11月にかけて気温が上がり乾燥した日が増えて来ますと、草は半分枯れたみたいになって草地は緑が失われて行きます。そういう時期が一番いけないんですよ。風が強い日は最悪です。

だいたいクリスマス頃には花粉症シーズンは終わるんですけど、毎年10月から12月までの3ヶ月間は毎日のように抗ヒスタミン薬を飲み、花粉よけのマスクやゴーグルが必需品なわけで、症状がひどい日には空気清浄機を付けた部屋に籠もるしか無いのですが。

今年は10月から11月にかけて日本に行っていましたからね、花粉症シーズンの半分くらいは避けることが出来たと思っていたんですよ。メルボルン空港で飛行機を降りた途端にくしゃみ連発なんてことになるかもしれないと覚悟して帰って来たんです。

ところが、帰国した日は冷たい風がヒュウヒュウと吹く冬のような天気でした。うちの夫の話では、10月は雨ばっかり降っていたそうです。そのおかげで、水やりをしてくれていなかったユズの木もハーブの鉢も無事だったわけですけど。

私が帰って来てからも寒い日が多かったんですが、11月も下旬になり最高気温は20度を超えるようになりましたし、昨日は28度と暑かったです。それなのに、くしゃみも出なかったし目が痒くなったりもしませんでした。

花粉が飛んでいません!

このブログを読むと、去年の今頃は最高気温が40度に迫る猛暑になっていますし、目が痒くてゴーグルを付けたとか、空気清浄機やクーラーのことを話題にしています。今年はと言うと、未だに朝は暖房を入れているし、空気清浄機も扇風機もまだ出していません。


例年10月の終わり頃(つまり春)に花を咲かせるユズの木に、今頃になってやっと蕾が出始めました。


これらの蕾がこれから膨らんで、花が咲き始めるのは12月に入ってからでしょう。イネ科の草もこれから花を咲かせて花粉を飛ばすんでしょうかね。

12月になってから今年の花粉症シーズンが始まるなんてことになったらイヤだなあ。もうこのまま、花粉を飛ばさないまま終わって欲しいです。

天気予報を見ると、明日からまたずっと最高気温が20度前後で雨の多い日が続きます。今年の夏も平年よりも暑くなるそうですが、「本当に?」っていう感じです。


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2025年11月24日

和食三昧の週末とLINE

週末にまたうちの娘が帰って来ました。土曜日に親しい友人のLさんを招いて「すき焼き」をご馳走したいということでした。娘が住んでいるシェアハウスではそういう事が出来ないので、私達の家ですることにしたようです。

Lさんはベテランの臨床心理士です。娘にとっては「メンター」(Mentor)とも呼べる人で、仕事の面でも相談に乗ってもらったり助言を受けたりしているそうです。私が何年も苦労させられた夫のトラックを買ってくれたのが、このLさんなんです。

Lさんが来るのは5時頃とのことでしたが、なんとうちの娘は4時頃に手ぶらでやって来て、それから「すき焼き」の材料を買いに行くので私に一緒に行ってくれと言いました。

行ったのは韓国食品店で、すき焼き用の牛肉など売っていませんから、プルコギ用の薄切り肉を買いました。牛肉以外の材料もそこで手に入りました。この時、娘は「ちりめんじゃこ」を見つけたので買いました。

家に帰ったらLさんがもう来ていたのであわてました。おしゃべりをしながら慌ただしく準備をして、私達は久しぶりのちゃんとした「すき焼き」を楽しみました。

日曜日は、娘の予定が変更になり、することがなくて退屈だと言うので、車で15分くらいのところにある日本食品店に買い物に行きました。ここで、娘は「冷凍のごぼう」や「冷凍のアジのフライ」、岡山の実家でうちの母が使っていたような「出汁パック」や美味しそうな「豆腐」を見つけて買って帰りました。

そして、家に帰るやいなや、娘はお料理を始めたんです。

岡山の実家でおばあさんと一緒に作った「ごぼうのきんぴら」を作り、おばあさんが揚げてくれた「アジのフライ」や出汁パックで取った出汁で作る「豆腐と卵のお汁」を作り、「白菜の浅漬け」と「ちりめんじゃこの佃煮」をものすごいスピードで作り、見事な和食のお昼ご飯が出来上がったのでございますよ。

そして、それをどうしてもおばあさんに見せたかったらしくて、娘はLINEでおばあさんにビデオ電話をしたのです。

その時、私は別の部屋にいたんですけど、娘が誰かと日本語でしゃべっている声が聞こえて、行ってみるとうちの母としゃべっていました。作った料理を見せながら母と話しているのを見て、私はとても嬉しかったです。

こういう事ができるようになって欲しかったから、何とかラインでつながってくれと頼んでいたんです。先週やっとLINEがつながったので、気軽にビデオ電話が出来るようになったわけですよ。良かった良かった。


ちなみに、娘が電話をした時、母は数独パズルをしていました。毎週日曜日の新聞に掲載されるのです。

写真に撮って送ってもらって、私もその数独を楽しみました。また来週も送ってくれるそうです。

顔を見たり作った料理を見せたりしながら話が出来て、撮った写真や動画を瞬時に送って共有したり、テクノロジーの進歩のお陰で便利になりましたね。

90歳の母が、こういうことを苦手だからと言って敬遠したりせず、自ら学習して利用しているのが素晴らしいと思います。何か分からないことや知りたいことがある時には、携帯に向かってしゃべって音声検索をしていますから、私は負けそうですよ。

身体が元気なだけではなくて、頭が冴えていて、知識も豊富で、記憶力も凄いんです。私達姉妹の自慢の母です。寒くなって来たようなので、無理をしないで楽しく過ごしてもらいたいです。


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2025年11月23日

乳がんのセルフチェック

うちの夫には従兄弟姉妹が大勢いるんですが、一番年長がうちの夫で、一番若いのがAちゃんです。まだ30代なんですけど、そのAちゃんが乳がんと診断されたというニュースが入って来ました。

Aちゃんは、世界中を旅行して回ることを楽しみにしている人です。経済的にどうやってそれを可能にしているのかよく知りませんけど、Aちゃん夫婦に子供はいません。

時には夫婦で、時には友達と、あるいは両親と、Aちゃんはしょっちゅうどこかの国に行っています。

何ヶ月か前に胸に硬いしこりがあることには気づいていたそうですが、大して気にもせずに予定していたモロッコ旅行に行ったそうなんですよ。

モロッコ旅行から帰って来てしこりが大きくなっていることに気づいたので、念の為に医者に相談に行ったそうです。ちなみに、Aちゃんはこれまでマンモグラフィ(乳房のX線撮影)は一度も受けたことが無かったそうです。

医者からマンモグラフィを受けることを勧められて、その結果、悪性である可能性があったので腫瘍の一部を採取して生体組織検査を受け、しこりが乳がんであることが分かったそうです。

乳がんと言っても種類がいろいろあるそうですね。早期発見なら治りやすい種類もあるそうです。近年は治療法も進化していますから治る可能性もあると思いますが、うちの夫の母親やその姉妹達はショックを受けているそうです。


マンモグラフィは、私は1回だけ受けたことがあります。乳房を板状の機械で圧迫して薄く平らな状態にして撮影するんですけど、あれは痛かったですよ。

私は乳房がそんなに大きくないので、それを無理やり機械に挟んで圧迫するのが耐え難かったです。1回受けてもう二度とごめんだと思って、その後は自分でセルフチェックをしていますけど。

Aちゃんはマンモグラフィを受けたことも無かったけど、セルフチェックもしていなかったそうです。旦那さんが偶然しこりに気づいたんだそうですが、旅行を優先していたので検査を受けるのが遅れました。

これをお読みの皆さん、若い方でも乳がんになる可能性はありますよ。セルフチェックは簡単に行えますからやった方がいいです。私は若い頃にしこりが出来て検査を受けたことがあるんです。乳腺が詰まって出来た良性のものでしたから、手術で摘出して終わりでした。

誤った判断を避けるためにも、セルフチェックで気になることがあったら早めに受診しましょう。


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2025年11月22日

外掃除と草取り終了

10月から11月にかけて1ヶ月間日本に行っていて、帰って来たら家は思っていたよりもキレイでした。タイルの目地が黒カビで真っ黒になっているんじゃあないかと思っていたシャワーもキレイだったし、キッチンのガスレンジ周りもキレイでした。

明らかに、うちの夫は私が帰る直前に大掃除をしたようでした。

枯れているんじゃあないかと心配だったユズの木もハーブの鉢も、雨続きだったそうで無事でした。

しかし、びっくりしたのは家の周りだったんです。たったの1ヶ月で落ち葉や雑草で凄いことになっていたんです。家の外の掃き掃除や草取りなんて、夫は考えもしなかったようです。

帰国直後にひどい風邪を引き、1週間も寝込んでいた間に家の中も散らかって行きましたが、家の外がますます凄いことになりました。風邪から回復して、まず裏庭の掃き掃除をしました。

体力が戻ってから家の中に掃除機をかけました。夫が出しっ放しにしていた大量の物で家の中は散らかっていましたが、夫の伯母のジョーンが来ることになって夫が片付けをしましたので、家の中がスッキリ片付いてキレイになりました。とても気持ちがいいです。

家の中がキレイになったので、今度は家の外です。

再び掃き掃除をした後、ここ数日は草取りをしていました。この草取りが一番大変だったんですよ。

朝晩はまだ冬のように寒いとは言っても一応春ですからね、日中は気温が上がる日もあるし、雨が多いので雑草が成長しちゃって、草刈り機で切れない家の周囲は大草だったんです。

家の周囲や塀沿いに、木が植えてあるこういう部分があるんですよ。ここに大草が生えるわけです。この写真は草を抜いた後に撮ったもの。


裏庭の地面に敷き詰めてあるレンガの間にも、草がいっぱい生えて来ていました。それも全部抜きました。


草刈り機で切る芝生の中にも、葉っぱを地面に茂らせた雑草が至る所で長い茎を伸ばして花を咲かせていました。この種類の雑草は太くて長い根っこがあるので、抜くのは力仕事なんですよ。

特別な道具を使って抜きましたけど、右の手のひらの皮がむげました。

しゃがむと膝に来るし、膝を伸ばして前かがみになれば腰に来るしで、大いに苦労しましたけど、気になる部分の草取りは終了しました。

ああヤレヤレ!

抜いても抜いてもすぐ生える雑草。草取りに終わりはありません。ホントにやりたくないです。


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2025年11月21日

新しい炊飯器を買いました

もったいない話ではあるんですよ。だって、古い炊飯器は問題なくご飯が炊けるんですから。

写真の左のが古い炊飯器です。もう20年くらいずっとこのパナソニック(Panasonic)の炊飯器を使っていて、これが2台目です。

家電販売店で買える炊飯器の中では最も気に入ったのがこの炊飯器だったんですが、最初に買ったのは内釜のコーティングがすぐに剥がれてしまったんです。


買い替えることに決めて、どの炊飯器を買おうかといろいろ調べたんですが、結局同じパナソニックの炊飯器にしたのは、多機能が気に入っていたのと、この製品が新仕様になって内釜が6層構造と厚くなり、コーティングが改良されたと知ったからでした。

ところが、買うのに失敗したんです…

「アプライアンスィズ・オンライン」(appliancesonline)というオンラインショップが一番値段が安かったのでそこで買ったんですけど、安いのには理由があったんですよ。

届いたのは新仕様の製品じゃあなくて、

古い仕様の製品だったんです!

在庫のある古い製品を売り切るために安くしていたんですね。買った炊飯器は、心配したとおり使い始めてすぐに内釜のコーティングが剥がれ始めました。今じゃあもうハゲハゲです。

この製品はコーティングが剥がれると知っていましたから、買ってすぐにスペアの内釜を買おうと試みたんですけど、内釜だけを売っているところがなかなか見つかりませんでした。

やっと見つけて問い合わせたら、仕様変更で内釜の大きさが変わったから、販売している内釜は私が買った炊飯器には入らないと言われたんですよ。見た目は全く同じ炊飯器だったんですけど。

内釜が簡単には手に入らないようにして、消費者に新しい炊飯器を買わせるようにしているんですね。

まあとにかく、内釜のコーティングがハゲハゲになっても、この炊飯器の機能には何の不満もありません。ご飯は美味しく炊けるし、ケーキ設定でケーキやフリッタータも焼けるし。

しかし、剥がれたコーティングがご飯に混ざっているのを見てついに買い替えを決心しました。そして、実はもう一つ理由があったんです。

コントロールパネルの窓の中に、ゴキブリの赤ちゃんが入っちゃったんですよ。そして、そのゴキブリの赤ちゃんはこの窓の中で死んで、窓の内側が汚れたんです。


死んだゴキブリがいる内側が汚れているんですから、拭いたってキレイにならないんですよ。そして、ご飯を炊く度にこの死んたゴキブリを見るんですから気持ちが悪いんです。

ちなみに、この虫がゴキブリの赤ちゃんだと確信を持って言ったのは、うちの息子です。ご飯を炊こうと思って炊飯器の蓋を開けたら、蓋にいたんだそうです。「あっ!」とびっくりして、何とかしなくちゃあいけないと思っているうちに、ゴキブリはこの窓の中に逃げ込んだんだそうです。

そして、そこで死んでしまったのでございます。

うへっ…


新しく買った炊飯器は、同じパナソニックの製品ですが、デザインが一新されています。持ち運び用のハンドルがなくなり、コントロールパネルが蓋の上に付いていて、文字が小さくなったので見にくいです。


少し使いにくそうですが、ご飯を炊くのとケーキやフリッタータを焼くことにしか使いませんから、すぐに慣れるでしょう。

10合炊きです。10合もご飯を炊くことはありませんけど、ケーキやフリッタータを焼きたいので、内釜の直径が20センチの10合炊きにしました。

マイヤー(Myer)というデパートで買いましたので、ちゃんとした新仕様の製品です。内釜が分厚いです。備長炭入りのコーティングは長持ちしそうです。

通常は249ドルのところ、ブラックフライデー価格だったので50ドル安かったです。もっと安く売っているオンラインショップもありますが、交換や返品が必要になった時の手間を考えると、もうそういうところでは買いません。

マイヤー(Myer)で買うと、何か問題があった時には店舗に持って行けば済みますし、交換や返品には迅速に対応してくれるので安心ですからね。

古い炊飯器はどうしましょうか。廃棄するのはもったいないです。まだ美味しくご飯は炊けるんですから。内釜がハゲハゲでもゴキブリが入っていても欲しいと言う人がいたら、タダであげるのになあ。


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2025年11月20日

NHKの朝ドラ「ばけばけ」

岡山の実家にいた10月から11月にかけて、大いに楽しんだことの一つがテレビでした。特にMLB(メジャーリーグベースボール)のポストシーズンを大型画面のテレビで観れたのはサイコーでした。

野球はオーストラリアでは人気がないので、MLBの試合はFoxtel(フォックステル)という有料テレビサービスと契約していない限り観ることは出来ません。

ですから、私はMLBのウェブサイトで試合のライブスコアを見るか、後からYouTubeで動画を見るかしか無いんです。

うちの家族は野球どころかスポーツに関心がないので、野球の話は通じません。大谷選手がホームランを打とうが、山本選手がノーヒットノーラン目前の9回にヒットを打たれて降板した後で逆転負けをしようが、嬉しさも悔しさも興奮も、共有できる人がいないんですよ。

ところが、岡山の実家ではNHKの衛星放送(BS)の受信契約がしてあるし、うちの母がMLBに関心があったしで、大いに楽しんだのでございました。

そして、朝の連続テレビ小説「ばけばけ」も楽しんでいたんです。面白くなってきた頃にメルボルンに戻りました。もう見れません。

海外在住の私のような者が、NHKの番組を合法的に見ることは出来ないようですけど、ちょっとずるいことをすれば見れないわけではないようです。

NHKプラスとかNHKオンデマンドとかいうサービスを利用すればオンラインで番組を見ることが出来るのですが、日本国外からはアクセスが出来ませんのでね。VPN接続サービスというものを利用して、日本国内からアクセスしているように見せかけることで視聴が可能になるんだそうですよ。

VPN接続サービスを提供する会社はたくさんあるそうで、もちろん有料ですから契約をしないといけないし、アプリもインストールしなくてはいけないんだそうです。そういうこと、私はしたくないんですよね。

たとえ、VPN接続サービスを利用して日本国内からのアクセスに見せかけたとしても、NHKの受信契約をしていませんからNHKプラスは利用できないし、NHKオンデマンドの会員登録も出来るのかどうか分かりません。

まあとにかく、「ばけばけ」のためだけにそんな面倒くさいことをする気はありませんので、NHKのインスタグラムで番組の写真やクリップを見たり、NHK ONEであらすじを読んだりしていますけど、面白そうですねえ。

昨日のお話には「蚊帳」のエピソードが出てきたそうです。蚊帳を吊っておいてくれたおトキちゃんが残していた使用説明の絵を見たヘブンさんが笑顔を見せるシーンがインスタグラムに載っていました。

蚊帳かあ…

懐かしいなあ!

私は子供の頃、夏になると蚊帳の中で寝ていましたよ。「となりのトトロ」でもサツキとメイが蚊帳を吊った部屋で寝ている様子が描かれていますけど、あの蚊帳と同じような青緑色の蚊帳でした。

子供の頃の思い出の一つですけど、あれを毎晩吊ったり片付けたりしていた母は大変だったでしょう。

「ばけばけ」の舞台は島根県の松江ですが、松江はとても好きな街で、私は若い頃に3回も旅行に行っています。鯛めし、しじみのお汁、上品な和菓子と、美味しいものがいっぱいでした。

懐かしいです。「ばけばけ」出来るものなら見たいです。


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2025年11月19日

キューピーのごまドレッシングがすごかった

口唇ヘルペスが出ています。免疫力が弱るとお決まりのように出ます。しかも下唇の同じところに。

風邪で1週間も寝込んだ後、先週の木曜日には通常通りの暮らしに戻りましたが、金曜日に下唇がチクチクし始めて、土曜日には水ぶくれが出ました。ゾヴィラックス(Zovirax)の軟膏をせっせと塗ったので、ひどい水ぶくれにはなりませんでしたが。

鼻の下が擦れたのにバイキンが感染して「とびひ」のようにもなっていますしね。

しかし、今日の話題はそれじゃあないの。今日は、ごまドレッシングの話です。

私は、サラダ用のドレッシングを買うことはありません。買っていた頃もありますが、ここ10年くらいは買っていませんでした。

ドレッシングなんて簡単に作れるからですけど、簡単に作れても作る元気が出ないこともあるんでしてね。そんな時は、オリーブオイルをかけて塩コショウするだけとか、マヨネーズとお醤油をかけておしまい、なんてこともあるんです。

先月岡山の実家に帰った時に、うちの母が市販のソースやドレッシングを手軽に利用しているのを見て、「こういうのも有りだな」と思ったんですよ。「おいしい酢」という甘い酢は、特に便利だと思いました。あれを混ぜるだけで酢の物があっという間に作れます。

便利なものは利用すればいいんですよね。

最近は晩ご飯を2人分しか作らなくなっていますから、サラダも少ししか作りません。ドレッシングを手作りする気にならないことも多いので、市販のドレッシングが冷蔵庫にあったら便利だろうと思い、10年ぶりくらいに買ってみました。

買ったのは、キューピーの「焙煎ごまドレッシング」(Roasted Sesame Dressing)です。これね、近頃はどこのスーパーでもアジア食品店でも売っているんですよ。相当人気があるんでしょう。


そう言えば、うちの娘の親しい友人Jさんは、このドレッシングが好き過ぎてサラダにはいつもこれをかけて食べるようになり、今では一人暮らしの冷蔵庫に大瓶のごまドレッシングがいつも入っていると言っていました。

私は自分のごまドレッシングのレシピを持っていますし、簡単に作れるんですけど、冷蔵庫にこれが一瓶あれば便利かもしれないと思いまして、初めて買ったんです。

そして昨晩のこと…

私はしょっちゅう晩ご飯に「蒸し野菜」を作ります。ニンジン、カリフラワー、ブロッコリーを使うことが多いです。ただ蒸すだけで味付けはしません。「肉を焼いたの」の付け合せに作ることが多いので、各自が好きなように塩コショウして食べるんです。

先週私が病気で寝込んでいた間、ほとんど野菜を食べていなかったうちの男達のために作ったんですけどね、これがたくさん残っていたんですよ。

残っていた「蒸し野菜」は一昨日の晩ご飯に出しましたが、ほとんど減りませんでした。それを、また昨夜の晩ご飯に出したんです。ただし、今回はキューピーのごまドレッシングをかけて出しました。これでまた残るようだと、そろそろ廃棄するしかないかと思っていたら。

あっという間に全部なくなった!

作ってから3日も経った「蒸し野菜」を、夫と息子がバグバグ食べました。

恐るべし、キューピーのごまドレッシング!


このドレッシングはですね、私が胡麻を擦ったのとマヨネーズと酢・醤油・砂糖で作るごまドレッシングに比べると、かなり甘いです。「蒸し野菜」にかける前に味見をして、「うっひゃあ、こんなに甘いの?」とびっくりしたんですから。

ところが、野菜にかけて食べたらとても美味しく感じられて、甘さは気にならなりませんでした。

まあとにかく、このごまドレッシングのせいでうちの男達がもっと野菜を食べるようになるかもしれませんよ。

キューピーの和風醤油味ドレッシングも売っていたから、あれも買ってみるかな。


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2025年11月18日

次の日本旅行計画

先日、うちの娘が家に帰って来た時に、次の日本旅行の話になりました。

息子も娘も行ってみたい国はいろいろあるんでしょうが、今回の日本旅行が楽しかったということと、久しぶりに会ったおばあさんにまた会いに行きたいということで、再び日本へ行くことを考えているようです。

うちの息子は、費用がたまり次第すぐにでも行くつもりのようですよ。富士山に登りたいし、東北や北海道の山歩きもしたいそうで、富士登山のためには暑くても夏に行くべきか、やはり涼しくなってから行くべきか悩んでいるようですけど。

東北や北海道で山歩き?

いやあ、それはちょっと、

クマが心配ですよ!

クマの出没が増えるのは、冬眠明けの春と冬眠前の秋だそうですから、東北の山を歩きたいのなら、やはり富士山の登山シーズンに合わせて夏に行く方がいいでしょう。暑いですけどね。

うちの娘は、来年東京で開かれる臨床心理学の国際会議に出席して、そのついでにおばあさんに会いに行くという計画について話していました。一緒に会議に参加しようと考えている知り合いとの間で、そういう話題になったという程度の話ですけど。

それでも、仕事で日本に行って、そのついでに岡山まで行っておばあさんに会って帰るというようなことが出来るといいですよねえ。


私はと言いますとね、もちろん母や妹達には毎年でも会いに行きたいですが、経済力が問題です。

それに、今回実家の片付けをして膝を痛めましてね。それをきっかけに切実に思ったのが、一度も行ったことがないヨーロッパに「足腰が弱ってしまう前に行きたい」ということなんですよ。

一緒に行きたい友人がいます。その友人は岡山在住なので、まず私が日本に行って実家でしばらく母と一緒に過ごした後で、その友人とヨーロッパ旅行に行くというのはどうかと考えたりしているんです。

ヨーロッパは、メルボルンから行くと遠いんですよ。地球の裏側ですからね。例えばロンドンまで行くのにも、飛行機を乗り継いで24時間はかかります。でも、日本からだと直行便でその半分の時間で行けるんでしょ?

とても一人でヨーロッパ旅行なんて出来ませんから、行くのなら誰かと一緒でないと無理です。その友人と一緒に旅行するなら、現地で合流するのではなくて岡山出発から一緒というのは安心ですけど、日本旅行1回分の余分の費用がかかりますからね、それが問題。

「行きたいなあ」と考えているだけでは実現しないから、計画を立てろと娘に言われました。実現させるために行動しないと、「行きたい、行きたい」と思っているうちに足腰が弱って行けなくなるぞと。

体力のことはホントに問題です。あと5年で私は70歳ですよ。足腰のことだけではなくて私には目が回るという心配があるし、体力は年々衰えて来ていますから、まだ元気があるうちに行かないと行けなくなるとは思います。


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2025年11月17日

やっとつながったLINE

10月に日本に行った時、いつまでも夏のように暑い日が続いてびっくりしましたが、メルボルンではその逆で、冬のような寒い日が続いています。今朝も暖房を入れています。

日本では10月中旬になって突然寒くなりましたが、メルボルンでもある日突然暑くなるんですかねえ。一応、今年の夏は暑いという予報です。

週末にうちの娘が帰って来ました。娘に会ったのは、10月に岡山の実家で会って以来でした。

娘は仕事の関係でそんなに長くは旅行が出来ませんでしたから、息子と私よりも2週間近く早く帰国していて、私達が帰って来た週の土曜日には私達に会いに来たかったようですが、私が病気になってしまいましたのでね。「病気がうつると大変だから来るな」と言っておいたんです。

久しぶりに会って、早速次回の日本旅行の話になりました。

息子は、費用がたまり次第すぐにでもまた日本旅行をするつもりのようです。娘は、岡山の実家にわずかしか滞在しなかったことを後悔しているようです。来年東京で開かれる臨床心理学の国際会議に出席して、そのついでにおばあさんに会いに行きたいなんていう話をしていましたよ。

そういう話を聞きながら、私は、おばあさんにはもっと頻繁に会う方法があると言ったんです。息子や娘がおばあさんとLINEでつながれば、いつでも顔を見ながら話せるじゃあないですか?

これね、数年前から言い続けて来たことなんですけど、本気で取り組んでいなかったんです。旅行直前になってやっとその気になり、やってみましたがつながりませんでした。

息子の場合は、iPhoneを新しくしたのでアカウントの移動が出来ていないため、新しいiPhoneではLINEが使えないとも言いました。

今日中に何とかしてくれと私がしつこく頼んだら、息子は新しいiPhoneのAI(人工知能)が教えてくれる通りにアカウントの移動を完了し、おばあさんとLINEでつながることが出来ました。早速、メッセージを書いていました。

ところが、娘の方は何をどうやっても上手く行かないんです。何か不具合が発生しているようで、どうやってもつながりません。一度電源を切ったらどうかと言って、iPhoneを再起動してみましたが問題は解決しません。

LINEのアプリを削除して再インストールしたら、それまでつながっていた私ともつながらなくなりました。何をしようとしてもエラーが出るようになりました。もうお手上げです。

ところがその後、娘のiPhoneを手にして何やらやっていた息子が、数分後に「はい、おばあさんとつながりました」と言ったんです。確かにつながっていました。私とテスト通話しましたが、何の問題もなくLINEの機能が使えるようになっていました。

どうやって直したの?

答えは簡単でしたよ。

娘のLINEは、最初にアカウントを作った時からずっとトラブル続きだったんです。そのトラブル続きのアカウントを削除して、新しいアカウントを作り直しただけだそうです。

まあとにかく、息子も娘もやっとLINEが普通に使えるようになりました。

うちの娘は日本語の読み書きが不得意なので、漢字が混じったメッセージは読めません。日本の家族には、娘には「ひらがな」と「カタカナ」でメッセージを書いてくれるようお願いします。

娘は、おばあさんとつながってすぐにビデオ通話を試みていました。おばあさんは電話に出ませんでしたが、これからはいつでもおばあさんの顔を見て話が出来ますからね。良かった、良かった。


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2025年11月16日

毎日大洗濯!

風邪から回復した木曜日から、毎日大洗濯をしています。

高熱が何日も続いて体力が落ちていましたから普段通りに家事は出来ませんでしたけど、木曜日には溜まりに溜まっていた洗濯物を何とかしなくちゃあいけなかったんです。金曜日も土曜日の昨日も、3日連続の大洗濯でした。

うちの男達は、私のために私が頼んだ食べ物を買いに行ったり、自分達が食べる晩ご飯を作ったりはしていましたけど、それ以外のことは気がつかないようで、洗濯なんてしていなかったんですよ。

病気になる前に私が洗濯して干した服が、ずっとそのまま干してありましたよ。たたんで片付けようとか、普通なら気づくと思うんですけどね、うちの男達は何事も言われないと気が付きませんから。ホントにもう。

病気で1週間寝ていた自分の寝具のシーツやカバーも洗いたかったわけですが、気になっていたのはうちの夫のシーツ類。私が日本に行っている間にシーツを洗濯したりしないだろうと思って、行く前日にきれいなものと交換しておきましたけど、帰って来たら夫の寝室から漂って来る臭いがすごかった!

ところが、帰って来てすぐに私が病気になったから洗濯ができず、さらに1週間そのままになっていたのです。昨日は夫が仕事が休みで家にいたので、夫にシーツを剥がしてもらって、洗濯して干しました。



あんなに臭くなっていたのに平気で寝ていたというのが、私には考えられないことですが、気にならない人は気にならないんですね。

ちなみに、きれいになったシーツを取り付けるのは自分でやってもらいましたよ。クイーンサイズのベッドなので体力がいるんです。シーツの取り替えなんて、自分でやって当たり前なんですから。

そう言えば、昨日の朝、私が洗濯を始めた時にテレビを見ていた夫に「仕事のズボン(黒色)は、ちゃんと洗濯していたの?」と聞きましたらね、あわててそのズボンを洗濯に出しましたよ。

まさか、1ヶ月間洗濯せずにはき続けていたんじゃあなかろうな!


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2025年11月15日

夢のようだった日本のスーパー

風邪で1週間も寝込んでいましたが、昨日はほぼ普通の体調に戻りました。体力をつけるためにも栄養のあるものを食べなくちゃあいけないし、私が病気だった間ほとんど野菜を食べていなかったうちの男達に野菜を食べさせなくちゃあいけませんから、昨日は食品の買い物に行ったんです。

我が家から歩いて行けるショッピング・スクエアに行きましたが、さすがに歩いては行けませんので、頭がフラフラしているのに車を運転して行きました。

最初に八百屋に行きました。


この八百屋はですね、地中海系、中東系、インド系、そしてアジア系と、多様な民族のお客さんが買いに来ますから、売っている野菜も果物も種類が豊富です。見たこともないような野菜や果物を売っています。

デリカテッセンもあって、ハムやチーズは大変種類が豊富です。洋風惣菜もいろいろ売っていますが、私は買ったことがありません。

野菜や果物はすべて山盛りにして売っています。大変人気があっていつもお客さんでいっぱいなので、売っている商品はおおむね新鮮で満足出来ますが、残念なのはニラが直径10センチ近い束で売られているから量が多過ぎて買えないことくらい。

このショッピング・スクエアにはオーストラリアの最大手スーパー3社の店舗が入っています。野菜と果物を買ってから、隣りのコールズ(Coles)というスーパーに行きました。

そうしたら、

買って食べたいと思うものがない…

私は岡山の実家にいた間、毎日のように魚を焼いたのを食べていました。母が焼いてくれる塩サバや子持ちシシャモを食べていました。サンマは3回も続けて食べた後、もう当分食べたくないと思いましたけど、今なら食べたいです。

お刺身や鰹のたたきも何度も食べました。今食べたいのはそういう物です。しかし、オーストラリアのスーパーの魚介類売り場は悲しい。売り場そのものが小さくて、売っているのは鮭、スモークサーモン、エビ、イカ、それからわずかな種類の魚の切り身、そんなもんです。

日本のスーパーの魚介類売り場は夢のようだったな…

私はしみじみと思いましたよ。本当にね、買って食べたいものだらけでしたもの。魚介類だけじゃありませんよ。海藻類も種類が豊富でした。

「数の子入り野沢菜昆布が美味しかったなあ」「三杯酢もずくが今すぐ食べたい!」私は日本で食べた物を思い出しながら、鮭の切り身を買いました。


オーストラリアのスーパーと日本のスーパーの最大の違いは、やはり魚介類売り場です。人気がないせいか非常に貧弱なんです。肉売り場は充実していますけど。

ただし、これには店舗によって大きな違いがありましてね、同じコールズ(Coles)のスーパーでも我が家から車で10分くらいのところにある店舗は、地中海系のお客さんが多いせいか魚介類売り場が魚屋並みです。

あそこまで頑張って行った方がいいかもしれません。

昨日は鮭の切り身と豚バラの薄切りを買って帰りましたが、近いうちに日本食品店に行ってこよう思います。一番近いお店は車で15分くらいで行けますから。

昔ながらの「町の小さな商店」といった感じのお店ですが、そのお店にはイカのお刺身も子持ちシシャモも塩サバも売っているんですよ。ちゃんとした握り寿司も売っています。

和菓子も売っているんですよ!

日本で買う数倍の値段になりますが、それはもう仕方がない。いろいろ買って来て冷凍しておきましょう。


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2025年11月14日

へその緒はどうなったのか?

日本から帰って来てすぐに病気になり寝込んでいたせいで書く機会を逸していましたが、今日の話題は「へその緒」(Umbilical Cord)のことです。

「へその緒をオーストラリアへ持ち帰る」という記事に書いた通り、実家に帰った際に母から私のへその緒をもらったんです。母は、私達3人姉妹のへその緒をそれぞれ長年大事に保管してくれていたんですよ。

「へその緒があるけど欲しいか」と聞かれて、私は「いらない!」と即答したんですけど、うちの娘が欲しいと言うのでメルボルンに持って帰ることにしたんです。

しかしね、へその緒など持ち込めないだろうと最初は思いました。オーストラリアの検疫は厳しいんです。動物性の物の持ち込みは厳しく規制されているんです。検疫で廃棄処分になるのが落ちだとは思ったんですが、とりあえず持って帰ることにしました。
 
さて、オーストラリアへの入国の際には、入国カードというのを提出しなければなりません。これはオンラインで行うことは出来なくて、いまだに紙のカードにボールペンで記入しなくてはいけません。老眼で小さな文字が見えない私には大変な作業でした。

入国カードは機内で配布されます。税関申告書も兼ねていて、持ち物に関する質問があります。持ち込みが禁止あるいは規制されている食品、植物、動物製品、医薬品などを持っている場合は、該当する項目の「はい」に印をつけて正直に申告しなくてはいけません。

へその緒がどれに該当するのかよく分からなかったので「動物の一部」の項目に印をつけました。

入国カードで「はい」に印を付けていた私は、入国審査の後で検疫に行くようにと指示されましたが、検疫に並んでいる人など私以外に誰一人いませんでした。

係官に「何を持っているんですか?」と聞かれて「私のへその緒です」と答えたらびっくりされました。その係官は、へその緒を持っていると言う人に遭遇したのは初めてだったようです。

日本にはへその緒を保存する習慣があることや、これは自分のへその緒で私の母が65年も保存してくれていたものだということを説明すると「どういう状態ですか?」と聞かれました。乾燥した昆布のように干からびていますと答えました。

「これをどうするんですか?」と聞かれたので、「何もしません。保存するだけです」と答えました。係官は「おそらく問題はないと思いますけど検査に進んでください」と言い、カードに何やら記入しました。

次の係官にカードを渡すと「人の一部」「食べ物」とのメモが書かれていたらしくて、随分びっくりして変な顔をして「何を持っているんですか?」と聞きました。再び同じ説明すると検査テーブルへ行くようにと言われました。

検査テーブルでは「申告された物」を実際に見て検査します。ここの係官にも同じ説明をしました。へその緒が入っていた和紙を開いて中身を出しました。

「白い粉に覆われていますが、白い粉はベビーパウダーだろうとうちの母は言っていました」と私が言いますと、「ああそうですか」と言っただけで粉が何であるか調べもしませんでしたよ。

係官は、白い粉に覆われたくしゃくしゃの昆布みたいな物をちらっと見ただけで「これは大丈夫です」と言いました。検査はそれで終了でした。「へその緒を見たのは初めてですか?」と私が係官に聞くと、「はい、初めて見ました」と言いましたよ。

というわけで、へその緒をオーストラリアに持ち込もうと思っている皆さん、ちゃんと申告すれば問題なく持ち込めますよというのが、今日の話題でございました。

それにしても、あの白い粉は本当にベビーパウダーだったんですかねえ。


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2025年11月13日

やっと風邪が治りました

昨日は解熱薬を飲まなくても熱が37度以下まで下がり、午後からは食欲が出て来て、塩味のポテトチップスが食べたいと思い始めました。これは私が風邪を引いた時によくある回復の兆しなんです。

うちの夫は、あの人なりにいろいろ頑張ってくれましたけど、やっぱり分かっていないと言いますか、未だに学んでいないと言いますか。高熱を出して寝込む私に作ってくれたのは、夫にとっての定番の病人食「チキンスープ」だったんですよ。野菜が少なめで鶏もも肉がたっぷり入っていました。

高熱でふうふう言っている時に食べたいのはね、

そういうのじゃあないんです!

食べたいのは冷たくて喉に気持ちいいもの。例えばヨーグルトとかゼリーとかプリンとかアイスクリームとか。頼んだら買いに行ってくれましたけどね。果物も頼んだらいろいろ買って来てくれたんですが、果物は結局食べませんでした。

だってね、リンゴにしろオレンジにしろマンゴーにしろ、高熱を出して寝ている人間には、そういう果物は皮をむいで食べやすく切ってもらわないと食べられないんですよ。スイカまで買って来てくれていましたけど、切ってくれといちいち頼む気にならなかったから、食べませんでした。

塩味のポテトチップスが食べたくなった昨日は、夜になってビーフステーキを焼いたのに少し塩を振ったのが食べたくなりました。これまた良くあることなんですが、2〜3切れで十分なんですけど。夫に頼もうかどうしようかと思っていたら、夫がビーフカレーを大鍋いっぱい作っていたんです。

カレーに入っていた牛肉を3切れほど食べたら満足しました。しばらくすると牛肉の栄養が体にじわ〜と効いて来るのが分かるようでしたよ。


まあ、私が病気になる度に、うちの夫の気の利かなさや、これは文化の違いとも言えるでしょうけど「病気の時は鶏肉」というのに呆れるやらうんざりするやらなんですが、今回は夫なりに頑張ってくれたんです。今朝はありがとうと伝えました。

いつの間にか冷蔵庫がパンパンになっていますよ。今日から普通の食事が出来ると思いますが、冷蔵庫にはヨーグルトやプリンがまだまだいっぱいあります。

なんとヤクルトまで買ってあったんですよ。甘すぎるヤクルトは好きじゃあないです。誰が飲むんだろう。

病気になってから1週間も経ちました。ひどい風邪でした。まだ体力がないのでボチボチやります。

今日の晩ご飯は、何か酸っぱいものが食べたいので春雨サラダを作るつもりです。ビーフカレーがいっぱい残っていますから、他には何も作らなくて済みそうです。


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2025年11月9日

良くなってはいなかった

熱も下がってかなり治ったと思ったのは薬のせいでした。

薬が切れるとまた高熱が出る。

咳は出なくなりましたが、今度はくしゃみが出ています。くしゃみも体力を消耗しますね。花粉のせいかと思って抗ヒスタミン薬を飲んでみたけど、やっぱりくしゃみは出る。

私が旅行から帰って来て、晩ご飯作りの苦労がなくなるはずだったうちの夫は、連日お料理をしています。昨夜はハンバーガーを作っていて、肉を焼くにおいが臭くてたまらなかったですよ。

昨日は息子の誕生日でしたが、何も出来ませんでした。

早く元気にならなくちゃ。


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2025年11月8日

風邪はかなり良くなりました

昨夜は38.6度の熱が出て、激しい咳が続いていたせいで喉が痛くて頭痛もひどく、さんざんな誕生日でしたが、「Nurofen」という薬を飲んだら楽になりました。

「Nurofen」はイブプロフェン薬ですけど、解熱・鎮痛効果に加えて抗炎症作用もあるということなので、それが喉の炎症に効いたんでしょうか。熱も下がったし、今朝は楽になりました。

楽になったとは言え、ケーキを焼いたりは出来ません。今日はうちの息子の誕生日ですが、ご馳走とバースデーケーキは元気になってからです。


しかしねえ、咳がひどかったので体力を消耗しましたよ。息が苦しかったし高熱が出たのもつらかった。

メルボルンの家に帰ってから病気になったのは幸いでした。岡山の実家にいる時に病気になって、90歳になる母にこの風邪をうつしていたらと思うと怖いです。

うちの息子が東京のどこかでウイルスに感染して病気になったのが始まりですけど、どこでどんなウイルスをもらうか分かりませんね。人が大勢いる場所や電車のように密集している場所ではマスクをした方がいいですよ。


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2025年11月7日

旅行中でなくて良かった

日本からの帰りの機内で風邪を引いたようだと言っていたうちの息子は、終始マスクをしていましたが、次第に鼻水、くしゃみ、咳の症状が出始めまして。

「寒くてたまらない」とパーカの上にダウンジャケットを着て、さらに毛布までかけていたから熱も出ていたんでしょう。翌日から寝込んでいます。旅行中でなくて良かったですよ。

実は今日は私の誕生日なんですが、息子は病気なのに私のためにケーキを焼くとか晩ご飯は自分が作ると言うので、そんなことは気にせずにしっかり寝ろという話をしたのが昨晩のこと。

その頃から私も咳が出始めていたんですけど、咳はどんどんひどくなり、今朝は熱も出ています。息子の風邪をもらったと思います。

私の誕生日はどうでもいいんですけど、明日は息子の誕生日なんですよ。毎年必ず作って来たバースデーケーキ、今年は作れないかもしれません。

とにかく寝なくちゃ…


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2025年11月6日

こんな偶然あるか?

今日の話題は、一昨日、日本からメルボルンに帰って来た時に起きた「信じられないような出来事」についてです。

品川駅での大パニックの後、何とか無事に成田空港で待つ息子と合流し、1ヶ月間借りていたポケットWiFi(これは超絶便利だった!)を返却してから、ヤマト運輸の空港宅急便で送っていた荷物もちゃんと受け取りました。成田エキスプレス運休以外はすべてが順調でした。

カンタス航空カウンターで荷物を預け、出国手続きも終わって、あとは搭乗を待つだけということになってやっと安心出来ました。ホントにねえ、岡山の田舎からは、ここまで来るのが一苦労なんですよ。

機内で晩ご飯が出ると分かっていましたが、少し腹ごしらえをしました。これは正解でしたよ。気流の関係で飛行機が揺れて食事の提供が遅れたので、この時に食べておいて良かったです。

搭乗ゲートの前は多くの人で混雑していました。有難いことに座ることが出来たので、息子としゃべりながら搭乗時間が来るのを待っていた時です。眼の前に誰かが突然しゃがみ込み、私をじっと見ながら「あのう…」と言ったんです。

「誰?」と思いながらその人の顔を見ました。

えっ!どうしてここにいるの?

それは、長年の友人Hさんだったんです。Hさんが日本語の先生だった関係で30年近く前に知り合って、以来家族ぐるみで親しくして来たんです。

Hさんの旦那さんは日本人で、実家が埼玉にあります。息子さんは日本の企業に就職したので、首都圏で暮らしています。

その人が突然目の前に現れたんですからもうびっくりですよ。

息子さんと旦那さんのお父さんに会うために夫婦でやって来て、Hさんだけが一人早めに帰国していたんです。

同じ日に同じ便に乗るというのもすごい偶然ですけど、多くの旅客で混雑していたゲート前でばったり会うのもすごい偶然で、しかも私達は、

座席が同じ列だったんですよ!

こんな偶然あるか?

Hさんに会ったのは2年ぶりぐらいでした。久しぶりに家族のことなど話が出来て楽しかったです。


旦那さんが仕事を退職されたのでHさん夫婦はリタイヤ生活となり、今は自由に旅行を楽しめる暮らしだそうです。

今回の旅行では、息子さんのアパートに滞在した後、埼玉の実家に滞在しておられたそうで、旦那さんは92歳になったお父さんともうしばらく一緒に過ごしてから帰国するそうです。

お父さんは今も大変お元気だそうです。身体の方は弱くなって来たけど、頭が切れて記憶力もすごいと聞いて、私もうちの母親のことを自慢しましたよ。

Hさんの旦那さんがメルボルンに帰って来たら、久しぶりに集まって一緒に食事をしようと話しました。楽しみです。


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2025年11月5日

成田エクスプレス運休でパニック

今朝、無事にメルボルンの自宅に帰って来ました。

自宅に着いたのは日本時間の8時頃。前の日の朝9時半頃に岡山中西部の実家を出たんですから、一日がかりの旅です。この旅のうち最も大変なのは、成田空港までの移動なんです。

今回は行きも帰りも新幹線を利用したんですが、飛行機を利用するのと時間的には大差が無いのと、乗り慣れているJRの方が目まいの心配がある私にはいいだろうと思ったからですけど、次回は飛行機を利用しますよ。

鉄道を利用した場合のリスクを、私は考えていませんでした。天気が良好でも鉄道は運休することがあるのです。

新幹線から成田エキスプレスへは、以前は東京駅で乗り換えていたんですけど、品川駅の方が乗り換えが簡単だとJRの人に勧められたので、品川駅での乗り換えにしました。成田エキスプレスが発着する13番線まで、時間通りに進みました。

ところが、ホームに行ってみると電光掲示板に成田エキスプレスの発車案内が出ないんです。これはおかしいと思って駅の人に聞こうと思ったんですが、誰もいませんでした。

駅の窓口まで行っている余裕がなかったので、私は警備室と書かれた小さな建物の鉄のドアをノックしたのでした。そこに女性の駅員さんが入るのを見たからです。

ドアが開いて現れた駅員さんに、成田エキスプレスの切符を見せながら聞きました。

「すみません、この列車に乗りたいんですけど」
「ああ、この列車はですね、キャンセルされたんです」
「ええーっ!」
「踏切で事故がありまして、この次の列車もキャンセルされました。まだ復旧の目処は立っていません」

次のにも乗れないとなると、飛行機に遅れてしまいます。息子とは成田空港で落ち合うことになっていたので、一人で行くしかありません。私はもうパニック状態です。

駅員さんは大変ご親切に「京急線で行くのが一番早く着きます」とおっしゃいました。その時、午後2時半頃でしたが、2時39分発の成田空港行きがあるからそれに乗るようにとおっしゃいました。

しかしですね、私には「京急線って何?」「ここからどうやって行くの?」「切符はどこでどうやって買うの?」状態なわけです。

その時、私の後ろで駅員さんと私の会話を聞いていた男性がいました。その方も私が乗る予定だった成田エキスプレスに乗る予定だと分かりました。女性も一緒でしたが、そのお二人は駅員さんがおっしゃっていることがよく分かっているようでした。

JRの切符で「京急線の電車」に乗れると分かるとすぐにそっちに向かわれようとしました。

「すみませんが、私には何が何だかさっぱり分からないので、一緒に行ってもいいですか?」と言うと、「いいですよ、一緒に行きましょう」と言って下さったんです。

ふと見ると、私達の会話を聞いている人がもう一人いました。金髪の外国人女性でした。英語で話しかけてみると、その外国人も私と同じ状況だったので一緒に行こうと誘いました。

こうして、私達は男性に誘導されて京急線の成田空港行きの電車に乗ることが出来たんです。電車を待っている間の話から、なんとその男性は岡山の倉敷出身だということも分かりました。

金髪の女性はアメリカ人でした。その方が乗る飛行機は5時半発でしたが、京急線の電車は4時に成田空港に着くことが分かったので、なんとか間に合うということで大変安心されていましたよ。

私は親切に助けてくださった男性と連れの女性に心からのお礼を申し上げて、成田空港第2ビル駅で降りました。息子はすでに成田空港に到着していて、私は無事に約束の場所で息子と合流することが出来たんです。

空港には早めに着くように家を出ていたので、トラブルがあっても影響はありませんでした。それでも、あの親切な男性に会わなかったら、私はどうなっていたか分かりません。相当な苦労をしたでしょう。だって、本当に品川駅で成田エキスプレスに乗り換えるということしか知らなかったですからね。


いろいろ調べてみると、カンタス空港を利用することにこだわらなければ、日本航空のメルボルンからの直行便で成田まで行き、羽田に移動してその日のうちに岡山空港まで来る方法があるようです。

早朝の出発で深夜の到着ですから、いずれにしても体力はいります。

それでも、今回20年ぶりに息子と一緒にですけど旅行してみて、次回は一人でも来れそうだと思いましたので、次回は飛行機での移動を考えます。

それにしても、本当に助かりました。

誰かに親切にされると、自分も誰かに親切にしたいと思いますね。


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2025年11月3日

日本滞在最終日

10月6日から岡山の実家で過ごして来ましたが、今日が最終日です。明日の朝9時半に家を出て6時間がかりで成田空港まで行って、東京で旅行を続けている息子と空港で落ち合って一緒に帰ることになっています。

昨日の日曜日には私の2人の妹達も実家に集まり、母と私達3人姉妹との4人で楽しい一日を過ごしました。もちろん、母は朝から大張り切りで美味しい料理を次々と作り、先日作ったこしあんで柏餅まで作ってくれたんですが、その手際の良さには目を見張らされましたよ。すごいんですから。

柏餅を作ると言うので葉っぱはどうするのかと聞くと、葉っぱはちゃんと冷凍庫に保存されていました。あんこはお団子やお餅を作る場合の1個分を30グラムとして、10個分ずつを棒状にして冷凍保存してありました。これを解凍している間に生地を作って、あっという間に柏餅を作ったんですよ。

昨日は私のリクエストで「五目おこわ」も作ってくれました。もちろん前日から材料は仕込んでいました。

私は「五目おこわ」は炊飯器で作るんですが、蒸し器で蒸して作る母の「五目おこわ」は比べ物になりません。母から一度ちゃんと習いたかったのに一緒に作って習う機会はこれまでなかったんです。昨日はメモを取りながらちゃんと習い、妹に蒸し布も買って来てもらいましたので、メルボルンに帰ってから作ってみます。

妹達とはいろいろな話をしました。思い出話や家族のことなども話しましたが、現実的な話もしました。実家の家の名義変更のことなどです。現在は今年亡くなった父の名義になっていますが、これをどうするかという話です。

実家のある岡山県中西部の町周辺は過疎化が進み、空き家が増えています。実家の近所も空き家だらけです。現在90歳になる母が一人で暮らすこの家もいつかは住む人がいなくなる時が来るわけですけど、その時どうするかという現実的な問題を話し合っておかなければいけませんでした。


実家滞在最終日の今日も、母は私に美味しいものを食べさせようと朝からずっとお料理をしています。ちらし寿司を作ろうとしているようです。晩ご飯は、そのちらし寿司と焼いた塩サバだろうと思います。最高のご馳走です。

滞在中ずっと美味しいものを作り続けてくれた母に感謝です。とにかく元気で頭脳明晰な母ですから、転んで骨折するとか新型コロナのような厄介な病気に感染したりしなければ、まだまだ元気に長生きしてくれそうな気がします。

私も目が回っていなければ一人で旅行が出液そうなので、次回は息子の助けなしで来れそうです。毎年会いに来れるほどの経済的な余裕はありませんが、出来るだけすぐにまた来ようと思っています。


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2025年10月31日

母のあんこ作りと親心

10月だというのにいつまでもだらだらと夏が続いていたのが、ある日突然寒くなり、秋を通り越して冬が来たみたいな岡山の田舎の実家で、毎日特に何かするわけでも無く過ごしています。

昨日の朝も冷え込みましたが、日中は20度以上まで気温が上がりました。気持ちがいいので、散歩を兼ねてセブンイレブンまで歩きました。田舎にもセブンイレブンはあるんです。実家からはゆっくり歩いても15分もかかりません。のんびり山沿いの道を歩いて行きました。

行った目的は、「きんつば」を買うため。数日前からあんこ系のお菓子が食べたくてたまらなかったのですよ。先週その店で買った「きんつば」が美味しかったのでもう一度買おうと思って行ったんですが、売り切れていたので大福餅と草餅を買って帰りました。

それを見たうちの母が、私に柏餅を作ってあげると言って、今朝早くから小豆を煮ていました。800グラム入り袋を全部煮たそうでかなりの量になっていましたが、それをこしあんにしていました。

私もメルボルンであんこは良く作りますが、こしあんは面倒なので作るのはいつも粒あんです。しかし、母は実に簡単にこしあんを作ったんです。

大きな鍋に手ぬぐいで作った袋を敷き、その上にざるを置き、軟らかく煮た小豆をざるに移してすり棒でつぶしていました。皮はざるに残り、あんこは手ぬぐいで作った袋に残り、鍋には水だけがたまるという仕組みなんです。

母がこしあんを作るのを本気で見て習ったことがなかったのですが、なるほどこうやって作っているのかと今更ですけど勉強になりました。私がフードプロセッサーで皮も全部ガッガーとつぶして作るこしあんよりもやはり舌触りがいいです。

メルボルンに帰ったら、母のやり方でこしあんを作ってみようと思いました。


母は90歳を超えていますが、お料理の手際がすごいです。あっという間にいろいろ作ります。65歳の娘に食べさせてやりたいと、毎日美味しいものをたくさん作ってくれます。

母と娘の関係というのは、歳をとっても変わらない特別なものがありますね。うちの娘が家に帰って来る時に、私が娘の好きなものを作って食べさせてやろうと思うのと同じ気持ちなのでしょう。

うちの娘は料理が好きでとても上手ですが、それでも一緒に料理をしていると私が教えてやれることはいろいろあります。

メルボルンに帰る日が近づいてきました。帰る前に私の大好物の蒸し器で作る五目おこわの作り方を習おうと思っています。


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2025年10月30日

みどりの窓口がない!

岡山市に本店を置く「中国銀行」は、岡山県でトップのシェアを誇る銀行なんですが、私の実家ある中西部の町は過疎化が進み、この町にあった支店が無くなったそうです。

振り込みとか支払いとか、大抵のことはオンラインで出来る時代ですが、うちの母にはそういうことが出来ません。用事がある時には一番近い支店がある高梁市まで行かなくてはいけません。

昨日は銀行に用事があったので高梁市まで私も一緒に行きましたので、ついでに来週帰国する時の成田空港までの列車の切符を買っておこうと思い、高梁市にある備中高梁駅に行きました。

実家から成田空港までは、5時間以上かかる大旅行なんですよ。備中高梁から岡山まで行き、そこから新幹線で品川まで行き、品川から成田エクスプレスで成田空港まで行くのです。3つの特急券が必要で、すべて座席指定が必要です。時間がかかる新幹線はグリーン車を利用して窓側の席を頼むつもりでした。

何かあった時のことを考えて早めに空港に着くようにしたいと思いました。備中高梁駅の「みどりの窓口」で相談しながら時間を決めようと思っていたら、

「みどりの窓口」がなかったんです!

改札口の近くで掃除をしていた人に「すみません、この駅にはみどりの窓口はないんですか?」と聞いたら、「みどりの窓口って何ですか?」と言われました。20年近くも日本に来ていなかったので知らなかったのですが、多くのJRの駅で「みどりの窓口」は廃止されたんだそうですね。

岡山県には、人が対応してくれる切符売り場のある駅は4つしかないんだそうです。

備中高梁駅には、私が買いたい切符を売る機械は一つしかありませんでした。私の前の人がその機械で切符を買おうとしていましたが、機械に取り付けられていた受話器でオペレーターと話しながらやっていましたが、結局その人は切符を買うことをあきらめたようでした。

私は「みどりの窓口」で相談しながら時間を決めるつもりでしたが、それは諦めてiPhoneで列車の時間を調べました。その時間で切符の購入を試みたんですけど、

わけが分からん!

そうこうしているうちに私の後ろに人が並ぶし、発券機が1台しかないんですから、もたもた時間をかけてやっていられないんですよ。操作を取り消してしばらく待っていました。そして他の人がいなくなってから再び挑戦したんですが、よく分からないんです。

そこでオペレーターの助けを借りようと思ったら、順番待ちが3人と表示されました。待っているうちに再び私の後ろに人が並び始めましたから、もう機械で買うのは諦めました。

人が対応してくれる切符売り場のある4つの駅の1つは倉敷駅です。私は倉敷まで行くことにしました。そうしたら、次の普通列車まで待ち時間が1時間!

そんな…

仕方がないから特急「やくも」に乗ることにして特急券を買おうとしたけど、これも買えず。結局、特急列車の中で割高料金の特急券を買いましたから、倉敷まで行くだけで1880円もかかったんです。(泣)

切符は、倉敷駅の「みどりの窓口」の行列に並んで、スタッフの方と相談しながらちゃんと買えました。私以外の方は、来週の新幹線の切符とか、私が買ったような複数の切符を家族分とか、機械では買いにくい切符を買っていらっしゃいましたよ。

切符はインターネットで簡単に買えるとJRは宣伝していますが、インターネットやスマホの操作に不慣れな高齢者には、1台しかない発券機で複数の切符を座席指定しながら買うなんて無理です。

不便になったものですね。駅が無人になって、切符を買うのに苦労している方が大勢いらっしゃることでしょう。

今日の新聞にJR西日本の全線が赤字だという記事を読みましたが、利用しにくいJRを避けて費用が高くついてもタクシーを利用する人が多いのも納得です。


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2025年10月29日

悪夢の国際郵便小包とパニック

家の片づけをしていて見つかった古いアルバム、そしてアルバムに貼れてもいない大量の写真。

日本に来てから購入した22センチの靴(日本でしか手に入らない!)やユニクロの長袖の服(オーストラリアのユニクロは同じ商品でも日本で売られている商品よりも袖が4~5センチ長い!)や母から譲ってもらった服やエプロン。

アマゾンで買った調理器具や娘が備中国分寺で買った絵や息子の荷物。

日本滞在中に荷物がかなり増えましたので、箱に詰めて送料の安い船便で送ることにしていたんですけど、

日本郵便の国際小包が面倒くさすぎる!

紙の送り状というのがなくなっているんですね。オンラインで全部やらなくちゃあいけなくなっているんですけど、「国際郵便マイページサービス」というやつにアカウントを作って送り状と必要な書類を作らなくちゃあいけません。

依頼主とか送り先の記入は簡単ですけど、内容品リストの作成が完全に悪夢のレベルなんですよ!

私が箱に詰めた物は全て個人的なもので、多くには値段なんて無いんですけど、いちいち品名や値段を登録しなくちゃあいけないもんですから、あまりに面倒で郵便で送るのはやめたんです。

実家のある町では郵便以外に海外に荷物を送る選択肢がありません。そこで、全部の荷物の重さを量ってみたら何とか機内に持ち込める30キロ以内に収まりそうだったので、箱はヤマト運輸で成田空港あてに送ることにしました。

その箱詰め作業のついでに、昨日はスーツケースを整理したんです。

そうしたら、

パスポートが見つからないの!

パスポートは滞在中には持ち歩く必要がないので、スーツケースに入れたままにしていたんです。ところが、いくら探してもない!

全てのポケットを探したけどない!

ハンドバッグや小さい旅行かばんの中もあらゆるポケットも探したけど、どこを探してもパスポートは見つからなかったんです!

成田空港に送る箱も開封して中身を全部出して調べたけどない!

そうこうしているうちにヤマト運輸の方が集荷に来てくださいました。パスポートが無いと帰れないけど、成田空港に送った箱は出発日に受け取らなくてはいけません。しかし、予定通りに帰れなくなる可能性が出て来たから、箱が受け取れなくなる可能性も出て来たわけですよ。

私は心臓がバクバクして来て、顔が真っ赤にほてって、喉はカラカラになって上手く喋れないほどになって、完全にパニックモード!

パスポートが見つからないことを知った母も心配して一緒に探し始め、実家の金庫の中まで探し(そんな所に入っているわけがないのに!)、座布団や布団の下や絨毯の下まで探し(そんな所にあるわけがないのに!)、オーストラリア領事館にパスポートの再発行を頼むしかないと思い始めた時ですよ。

母が私がデスク代わりに使っている座卓の上にあった小さなポーチを指さして、「それは何?」と聞きました。その小さなポーチには、私の薬が入っていたんです。

「これには薬を入れているのよ」

そう言ってポーチのファスナーを開けたら、中には薬と一緒にパスポートが入っていました。

なんでこんなところにある!

「誰が入れたの!」と言っても、私以外に入れる人はいないわけですけど、私にはそのポーチにパスポートを入れたことなど記憶にないんです。

いやあ…

見つかって良かったですけど。

心臓も胃もおかしくなりましたよ。おかげでドジャーズが18回の裏にサヨナラ勝ちするところを見逃しました。


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2025年10月28日

秋晴れの日の干し柿作り

私の下の妹の義父さんは、80歳を超えても大変お元気で、同居しておられる長男夫婦を含めた家族のために毎日のご飯作りにも奮闘されておられるそうです。

お料理の味付けがいつも大雑把で、お寿司を作る時でさえ寿司酢を目分量で作るため味が作るたびに違い、先日作った1升のお寿司はご飯が酸っぱい上に具材の味付けが薄くて、正直美味しくなかったと妹は言っていました。

味はどうかと聞く義父さんに妹は正直な感想を言ったそうで、妹はこの義父さんとは大変良好な関係なのでございます。義父さんから「フミちゃん、フミちゃん」と何かと頼りにされている妹の話を聞くたびに、うらやましくなるような仲良し家族なんですけど。

この義父さんは、農業にも励んでおられて、家族だけでは食べきれないお米や野菜や果物を妹に言づけて、うちの母に下さるのでございます。

昨日、早い昼食を終えて食器を洗っていたら台所の勝手口が突然開いて、その妹が入って来ました。大きな袋いっぱいの野菜を抱えていたんですけど、持って来たのは野菜だけではありませんでした。大量の柿を持って来ていたんです。

干し柿用の渋柿です。大きなコンテナ2個分でしたから、200個近くあったのではないでしょうか。

「うわっ、こんなにもらっても困るじゃん」と思ったのは私だけ。毎年この時期に干し柿を作っている母にとっては、ありがたいことなのです。

妹が帰った後、母は早速干し柿作りを始めました。母は包丁で皮をむき始めましたが、義父さんが下さった柿はとても大きくて包丁では大変だったので、ピーラーでむいた後に包丁で仕上げていました。

手が痛い私は、柿の皮むきは手伝いませんでした。皮をむいた柿を熱湯に通すとカビが来にくいという義父さんからのアドバイスを聞いて湯通しをすることにしたので、私がそれを担当しました。あとは、洗い物を立てだっただけで私はほとんど何も手伝っていません。

夕方が近づいたので、昨日は50個吊るしたところで作業は終了しました。


今日、次の50個を吊るすそうです。もらった柿はご近所の方にも分けたので、我が家の分は100個ほどになりますが、100個も誰が食べるんでしょうか。

まあとにかく、うちの母は活動的だし何でも作れます。ただね、干し柿作りの作業は母一人では難しかっただろうと思いますよ。柿の皮をむいたり熱湯に通したり紐に取り付けたりという作業は一人でも出来たでしょうけど、とにかく重いんですよ。

洗濯物を干す竿にかけているんですが、竿を持ち上げながらそれぞれ10個もの大きな柿が付いた紐をひっかけるのは簡単ではありません。そこのところは、私が手伝えて良かったです。


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2025年10月27日

へその緒をオーストラリアへ持ち帰る

膝を痛める原因になった実家の2階の大片付けから2週間が経ち、膝も回復したので2回目の片付けをしました。まだ残っていた不用品を燃えるごみと燃えないごみに分類して袋に詰めました。

うちの母は90歳ですが、この歳になると親戚の人が亡くなったり介護施設に入ったりすることも多いですけど、そういう時に処分に困った家族から引き取って保管して来た衣類もたくさんありました。

今後使うことは無い衣類ですからね、処分した方がいいと母を励まして、私が袋に詰めました。この家には、まだまだ不要な衣類が山ほどありますが、2階の2部屋はほぼ空っぽになりました。

実家での滞在もあと1週間となった今朝、母が突然言いました。

「へその緒があるけど欲しい?」

「いらない!」と即答した私ですが、日本では子供が生まれた後、取れたへその緒を大事に保管しておく伝統があるんですよね。うちの母は、私と2人の妹のへその緒を大事に保管していました。

家で生まれた私と上の妹のへその緒は和紙に包んでありました。病院で生まれた下の妹のへその緒は桐の箱に入れられて、生年月日や生まれた時の体重や身長などの記録も書かれていました。

和紙の包みを開けてへその緒を見てみましたが、65年も経ったへその緒は白い粉が付いた黒い干からびた物体で、くしゃくしゃの塩昆布みたいでした。あの白い粉は何なんでしょうか。乾燥剤かカビでしょうか。

私はそれをもらいたいとは思わなかったんですが、うちの娘が欲しいと言うので、とりあえず家に持って帰ることにしました。

オーストラリアには動物性の物の持ち込みは出来ませんから、へその緒など持ち込めないだろうと思いますよ。検疫で廃棄処分になるんじゃあないかと思います。でも一応持って帰ってみます。

母は「カバンの中に入れておいて黙っていれば分かりはしない」と言いましたが、そういう違法なことはしたくない性分ですから、ちゃんと申告して検疫でどのような判断になるか、またこのブログで報告します。


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2025年10月24日

足腰を鍛えなくちゃ

日曜日から岡山の実家に滞在していたうちの娘がメルボルンに帰るため、今朝早く岡山空港に向かいました。バスや電車を乗り継いで行くとかなり時間がかかるんですが、うちの母がタクシー代を払ってあげると言ってタクシーを手配してくれたので、直接岡山空港に向かいました。

やって来たタクシーの運転手さんは、以前この町で写真館をされていた方でした。20年以上も前に、私達家族はその写真館で家族写真を撮ってもらったことがあるんです。髪の毛を日本髪に結うのと着物の着付けで疲れた当時2歳の娘がぐずって言うことを聞かないので、写真撮影は大変だったんです。

その方のお母さんも一緒になってあれこれ道具も使ってカメラの方を向かせたり、バッグを振り回さないようにと叱ったりおだてたりと、苦労の末にいい写真を撮ってもらいました。今朝は、空港までの1時間ほど、娘はその方とずっとおしゃべりをしたそうです。

息子に続いて娘もこの家からいなくなり、母は少し寂しそうでしたが、すぐに活動を始めましたよ。今日の新聞に載っていた「脳トレ」のパズルを解いた後は、お昼に茶わん蒸しを作ると言って準備を始めました。本当に活動的です。


ところで、私の膝なんですけど…

私が実家に置いたままにしていた本や書類、古い衣類などの不用品の大片づけをした時に、急な階段の上がり降りをし過ぎたせいで膝を痛めてしまったわけですが。あれから2週間が経ち膝の痛みは良くなったんですけど、実家での暮らしで足腰が弱っていることを実感しているんです。

床に座ることが多い暮らしのせいです。寝るのも床に敷いたお布団で寝ていますし、テレビを見る時にも床に座ります。これを書いているノートパソコンも座卓に置いて座布団に座っていますし、家族が集まって食事をする時にも座卓です。

正座なんて私にはもう出来ません。お行儀は悪いけど足を延ばした状態で座るしかありません。そして、床に座ったり寝転んだりした状態から立ち上がるのに、めちゃくちゃ苦労するんです。簡単にひょいっと立ち上がるうちの90歳になる母の方が、よっぼど脚力があるのでございます。

先日一緒に買い物に行った時もそうでした。帰りのタクシーを待っている時にベンチか椅子に座りたくてたまらなかった私に比べて、うちの母はへっちゃらで立ち続けていたんです。「ヒロコより私の方が強いなあ」と母は言っていましたが、悔しいけどその通りなんです。

先日は、岡山の友人と来年あたりヨーロッパ旅行に行こうという話をしたんですけど、その友人も私もヨーロッパに行ったことがないので足腰が丈夫なうちに行っとかないと行けなくなるからそういう話になったんですが、今の私にはちょっと無理です。

まだ64歳なのに(あと2週間で65歳ですけど)、この歳でここまで歩くことに苦労していたんでは老後が心配です。膝の痛みが無くなりましたので、少しずつ足腰を鍛えなくてはいけません。

早速うちの母に教えてもらった簡単な運動をしました。「この運動を20回、次はこの運動を20回、…」と言われてやってみて、今朝は腿が少し筋肉痛です。

ホントやばいわ…

本気で頑張って続けます。


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2025年10月23日

突然に夏から冬へ

今回の日本への旅行は、暑い時期を避けるために10月を選んだのに、到着した4日からずっと真夏のような蒸し暑い天気が続いていました。

実家の片づけをした一週間は連日10月とは信じがたい暑さで、首に手ぬぐいを巻いて汗をふきながらの大仕事でした。2階の部屋が危険な暑さになる午後は、片付けなど出来ないほどでしたよ。

赤穂の温泉ホテルに行った時も暑かったし、牛窓に行った日も暑かった。10月も中旬を過ぎたのにまだ半袖シャツで汗ばむような天気は全く異常でしたが、昨日突然冬になりました。家の外の気温は、午後になっても14度でしたよ。

今朝は8度と寒かったんですが、今日は快晴の素晴らしい天気になっています。午後には23度になるそうですから、今、大洗濯をしているところです。

今朝、うちの息子が次の目的地に向かって出発したんです。だからシーツ類を洗っているんですけど、出発した時に息子はバスの中で涙が出たそうです。

でもね、日本には行ってみたい所がたくさんあるので、出来るだけすぐにまた日本に来ると言っています。その時には母に会いに来ることでしょう。母も来年は91歳ですが、自分が元気なうちはいくらでも泊まりに来ていいと言ってくれていますから。

19年ぶりに日本に帰って来て、妹達やすっかりいいお母さんになった姪達とその子供達、大切な友人などとの幸せな再会が続きました。メルボルンに帰る日が近づいて寂しい気持ちにもなりますが、元気でいればまた会いに来ることが出来ますからね。

そのためにも、私は足腰を鍛えなくてはいけません。その話はまた明日。


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2025年10月22日

携帯電話が絶好調に!

昨日の朝、うちの母の携帯電話、ドコモの「らくらくスマートフォン」が絶不調で、ラインが起動しないだけでなく、画面が真っ黒になったりして困っていると、

突然フリーズ!

どこをどうしても動かなくなりました。

「こういう時は一度スイッチを切ると直ることが多いよ」と提案してみましたら、スイッチを切るとか再起動するというコンセプトを母は理解していないんですから、それをどうやってするかも知らなかったのですよ。

近くに住む妹も私も、使っているのはiPhoneなので「らくらくスマートフォン」のことは良く分からないんですが、どの機種にもスイッチには共通のマークがついていますからね、スイッチボタンはすぐに見つかりました。

そのボタンをiPhoneでシャットダウンする時と同じように長押しするとメニューが現れましたので、「再起動する」を選択してみました。

再起動したドコモの「らくらくスマートフォン」でラインを起動してみると、

一瞬で起動!

電話も何の問題もなく音声が聞こえましたよ。もうタクシーを呼ぶのにスマートフォンに向かって叫ぶ必要もありません。ウソのように絶好調なんですからね、新しいのに買い替える必要もないでしょう。

やっぱり、調子が悪い時には「一度スイッチを切る」なんですよ。どうしてもっと早く気づかなかったのか、私もうっかりしていました。

母には、今度調子が悪くなったらこのボタンを長押ししろと再起動の方法を教えましたけど、忘れるかもしれません。でも、私も「らくらくスマートフォン」の使い方が少し分かりましたから、もし忘れても教えられます。

皆さん、パソコンでもスマートフォンでも、調子が悪くなったら一度スイッチを切って起動し直しましょう。たったそれだけで問題が解決することは多いですから。


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2025年10月21日

携帯に向かって叫ぶ

90歳になるうちの母が使っている携帯電話は、ドコモの「らくらくスマートフォン」というやつで、私の妹達がiPhoneもアンドロイドもお母ちゃんには使いこなせないだろうと相談して、この使いやすい「らくらくスマートフォン」というのを買ったそうなんですが。

うちの母にはローマ字入力の方が楽だろうと思うし、使いこなせなくても日常的に使うインターネットとラインと電話機能だけでもiPhoneの方が簡単だと思うんですけどね、これをずっと使って来たんです。

オーストラリアにいる私とはラインでビデオ通話をしていますが、私の声が聞こえないと言って聞き返してくることが頻繁で、音量を最大にしているのによく聞こえないとはいつも言っていたんです。

昨日、母とうちの息子と娘、そして私の4人で小さなショッピングセンターに行きました。車がないのでタクシーで行きました。実家から10分ほどで行けます。和食のレストランで昼食を食べ、スーパーで買い物をしてから帰りのタクシーを呼ぼうとした時ですよ。

電話がかけられるのは母のスマートフォンだけですから、それで電話をしたんですけど、最初は母が大声で話していましたが「うんともすんとも言わん」と言って私に電話を渡しました。

確かにうんともすんとも言っていませんでした。「おかしいなあ、何も聞こえないよ。これ、通じているの?」と私達が話していると、蚊の鳴くような声がかすかなに聞こえました。

「聞こえていますよ」

「あっ、聞こえているんですか?」

安心した私は名前を名乗り用件を伝えたんですが、何の音も聞こえません。「だめじゃ!何も聞こえん!通じたんじゃろうか」分からないまま電話を切りました。

母が確認のために再び電話をして、大声で「もしもし、もしもし」と叫んでいましたが、すぐに切りました。公衆電話からかけた方がいいかもしれないと思い私が公衆電話を探していると、母は再び電話をかけていました。

今度は声が聞こえたらしく、タクシー会社の方は「先ほどの方ですね?現在向かっています」とおっしゃったそうです。母は度々電話をかけたことを大声で詫びて、確認したかっただけだと言っていましたが、聞こえにくいせいか叫んでいました。

タクシーは3回目の電話の後すぐにやって来ました。

母と私の叫びの電話は3回とも普通に通じていたのです。「だめじゃ!何も聞こえん!」と話す声も全部聞こえていたのですよ。

恥ずかし~!


毎日ラインで家族と連絡を取り合っている母ですが、このラインが起動するのにむちゃくちゃ時間がかかり、突然クラッシュしたりもするし、スマートフォンを買い替える時が来ています。

ドコモの「らくらくスマートフォン」は使いにくいと思うんですけど、母はこれに慣れているので同じタイプのを買うつもりのようです。

スマートフォンの契約が亡くなった父名義のままですし、料金の引き落としが父の口座からだったのにもうその口座もありませんから、請求書が毎月送られて来ていちいち支払いに行かなくてはいけないんだそうです。いろいろ不便をしているようなので早く解決しなくてはいけません。


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