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2024年6月23日

ごみ屋敷問題が発覚

仕事が休みだった水曜日、うちの息子にトラックを運転してもらって午前中は店舗間の商品の移動、午後には片道1時間もかかる所まで商品を配達に行ったうちの夫ですが。

配達した商品は建築現場で使う足場材だったんですが、一部に不良品があったそうなんです。それで、仕事が休みだった昨日の土曜日に交換する商品を届けに行ったんですよ。

そういう仕事は休みの日を使ってするしかないと言うんですけど、宅配業者を使えばいいじゃあないですか?

交換する商品を届けに行くと言ってもね、うちの夫はもう車の運転が出来ないんですから自分では行けないんです。誰かがトラックを運転してあげなくちゃあいけません。

昨日はうちの息子は運転が出来ませんでした。じゃあ、誰がトラックを運転したのかと言いますと、

私ですよ、私!

しかも、我が家のガレージに置きっぱなしだったトレーラーを義母の家の牧場に置いておくために、再びトレーラーを牽引しての運転です。

「ホントにもう勘弁してもらいたいです」と度々このブログに不平を書いていますが、あまりに頻繁にやっているのでトレーラーを牽引してのトラック運転にも慣れちゃってね、このおばちゃんはもう結構へっちゃらなんですよ。

助手席に座る夫も私の運転に慣れたんでしょうか、携帯でメッセージを見たり書いたり、時には居眠りをしたりもするのでございます。以前は緊張して、自動車教習所の指導員みたいに常に指示を出し続けていたのに。

トレーラーは、夫の父親が売りに出していた家(買い手は見つかったけどまた売れてはいないらしい)に置いたままにしている道具や機械の移動に必要ですが、それが終わったら売るそうです。それまで義母の家の牧場に置いておくんだそうです。

ということでトレーラーを牽引して行ったんですけどね、牧場ではびっくりすることがあったんです。

牧場がごみ屋敷化していたんですよ!

義母の家には時々行きますが、牧場に行くことはめったにありません。牛を飼っていた頃に牧草を保管していたしていた大きな小屋があって、その横に義母のパートナー(事実婚の夫)の巨大な作業小屋(普通の家1軒分以上の大きさ)があるんですけど、その周辺がすごいことになっていたんです。

私達が持って行ったトレーラー以外に、小さいのも含めてトレーラーが6台もありました。どうしてそんなにたくあんあるんでしょうか。手押し車も数台転がっていましたよ。

まだ使用可能なのかどうか分からない用途不明の機械もたくさんありました。

そうした物以外に、ペンキが塗ってある廃材の木材、トタン板、雨樋、ワイヤーフェンスなど、おそらく現在義弟が家を建てている場所にあったコテッジを解体した際に出た廃材が山積みになっていました。

普通はそういうものは解体した時に廃棄しますけどね、義母達は捨てずに牧場に運んで、種類ごとに分けて積んでおいたのです。

古タイヤもたくさん積んでありました。

どれも何かに使おうと思えば使えるんでしょうが、実際には使い道の無いものばかりです。牧場が広いので、いわゆるごみ屋敷のようには見えませんけど、ものすごい量だったんです。

義母のパートナーは、エンジニアでした。普通の人にはごみにしか見えないような物から自動車を作ったりすることを趣味としていました。そういう人ですからね、彼の巨大な作業小屋は道具や物で溢れているわけなんですけど。

草の上に転がっていた錆びた古い車のボディーが、ピカピカの車に変身したりするのを見て来ました。彼は廃材からエンジンを自分で作ったりもしていたのです。だから、たとえ私にはごみにしか見えなくても一概には言えないんですが。

少なくとも解体した家の廃材はごみですよ。きっと義母が捨てたくないと言ったんだろうと思います。

義母は物を持ち過ぎています。食器だけでも何十人が一度に食事が出来るほどの数を持っています。物がたくさんあり過ぎると分かっていても処分することが出来ない人です。

パートーナーは、彼なりの理由があって物をもらって来たり買って来たりして収集します。増えていくものを処分する気にはならないようで、どんどんため込んでいるわけです。

エンジニアだった頃の習慣で、何でもきちんと種類分けして整理してありますよ。牧場の草の上に置かれている物だってそうです。無造作に投げ散らかしてはいません。しかし、量がすごいのです。

いつの間にこんな事になっていたのかと、うちの夫と私はその場に立ちつくしました。いつかは誰かが片付けなくちゃあいけない時が来るんです。

うちの夫は、正直な話、義母とパートナーが元気なうちはどうしようもないと言っていますが、夫は数年のうちに目が見えなくなるんですから、片付けをするのは夫以外の誰かになりますね。


私達は、昨年の引っ越しの際に持ち物を大幅に減らしました。私の持ち物はもうわずかしかありません。

夫が作り出したごみ屋敷にあった物はほとんど捨てましたが、引っ越しの時には処分できずに持って来た道具や機械も、これから処分して行くと夫は言っています。

今まで何度もそういうことを言いましたけど、今度は本気でしょう。長年大事に使っていたトルメックの水冷式研磨機一式を先日売りましたしね。

義母とパートナーには、自分達の大量の持ち物をこのままにしておくと、いつか誰かが処分しなくてはいけなくなるということを考えてもらって、元気なうちに持ち物の整理をしてもらいたいのですけど。

少なくとも、解体した家から出た廃材は捨てて欲しいです。捨てるのはもったいないと思う気持ちは分かりますが、鶏小屋でも作る以外に使い道は無いですよ。


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2024年6月22日

義母の家の衛生問題

「義母の家で思ったこと」という記事で少し書いたんですけど、先日久しぶりに行った義母の家がとても汚れていました。

掃除機はちゃんとかけてあってカーペットはキレイだったんですが、最初に気づいたのはキッチンの汚れでした。

冷蔵庫の中やパントリー(食品などを収納しておく戸棚)の中がとても汚れていたんです。冷蔵庫のドアは特にひどくて、汚れていると言うよりも「不潔」といえる状態でした。ガスコンロの周囲も汚れが目立っていましたし、食器やスプーンや調理道具などがキレイに洗えていないまま片付けられていました。

バスルームも汚れていてタイルには黒カビが生えていましたし、家の中のいたる所にクモの巣があったりホコリが溜まっていました。

黄斑変性で目が見えなくなっている義母には、汚れもカビもクモの巣もホコリも見えないのですからね、キレイにしようがありません。

ここが汚れていますよと教えるのは失礼な気がしたし、私が掃除をしてあげましょうかとも言えませんでした。お掃除サービスを利用したらどうですかなんてとても言えませんでしたが、あの日以来私は気になっているんです。

先日、義母の姉のジョーンが巻き寿司の作り方を習いに来た時にそのことを話題にしたんですが、義母の姉妹達の間ではこの件はとっくに問題になっていたんだそうです。

ジョーンはよく義母の家に泊まりに行くらしいのですが、キッチンが汚れていることには当然気付くわけですよ。

客用の寝室のホコリやクモの巣やシーツの汚れにも気づきますから、ジョーンは妹である義母に提案して、掃除を目的に泊まりに行ったこともあるのだそうです。

ところが、義母は喜ぶどころか掃除をしてあげるなどと言われると気に入らないらしくて、掃除や片付けが姉妹喧嘩の原因になると言うのですよ。

プロのお掃除サービスを利用したことはあるらしいのですが、料金が高かったしキレイにしてくれなかったからお金の無駄だと言うんですが、それは利用したサービスが良くなかったんじゃあないんでしょうかねえ。

義母は、家の中の物を他人に触られて物の場所が変わることを大変気にしているそうですが、それなら物の場所を変えないようにリクエストすれば済むことなんじゃあないかと思うんですけど。

それから、義母のパートナー(事実婚の夫)ですけどね、彼は目が見えるんだし身体が弱っているわけでもないのに、家事はほとんどしないそうなんですよ。よくある話ですが、困ったことですよねえ。

義母は、目が見えなくなったせいで自分には出来なくなったことを受け入れて、他の選択肢を考えなくちゃあいけないと思いますけど、その話題になると感情的になるので姉妹達も対応に苦慮していると言うんですから、私が口出しできる話ではないです。


本人達がこれで良いと思っていて気にならないのなら、他の者が汚れているとか不潔だとかどうのこうの言う必要もないのかもしれませんけど、見た目の問題を通り越して衛生問題になって来ると、家族は黙っているわけには行きませんよ。

今度行った時に、勝手に掃除をして来ようかなあと思ったりしています。「汚れていたから拭いといたわ!」くらいの感じで勝手にやっちゃうと、たとえ義母が気分を害しても少しはマシになるでしょう。

この件は、うちの夫も義弟(夫の弟)もあまり関心が無いようです。うちの夫なんて、キッチンが汚れていることに気が付いてもいませんでした。まあね、義母と同じ遺伝性の黄斑変性で目が見えなくなって来ているので、汚れなんて見えないんでしょうけど。

「ごみ屋敷症候群」とも呼ばれる物やごみをため込む行動障害が近頃よく話題になりますが、あれなんかも家族の人達は苦労するでしょうね。

ごみ屋敷問題に比べたら、家が汚れているだけなら掃除をすれば済むことなので、早めに何とかしなくちゃあいけません。

やっぱり、気分を害されるのを覚悟でやっちゃおうか…

 
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2024年6月5日

絶対に一緒に暮らせない人

今日の話題については書くつもりはなかったんですけど、いろいろ不愉快なことがあったので書くことにしました。このブログは、私が愚痴をこぼす場所でもありますのでね。

義母(うちの夫の母親)のことなんですよ。

先日の「取り壊された家と壊れた心」という記事にも書きました通り、私達家族は20年くらい前までは義母の家の敷地内にある小さな古い家をリフォームして住んでいました。

言っておきますけど、家の所有者である義母に家賃を払って住んでいたんですよ。

リフォームした家は気に入っていました。日本式のお風呂場も作りましたし、子供を育てるには環境的にも良い場所でした。

それなのに、どうしてその家から引っ越したかと言うと、最大の理由は義母だったんです。とにかく義母からのストレスがひどかったんですよ。

義母にとって、私達が家賃を払って住んでいた家は自分が所有する家ですから「自分の物」という認識でしたし、息子の家族は自分の家族というわけで、とにかく毎日やって来るのですよ。

リフォームや増築の工事をしていた頃は、もちろん作業の進み具合をチェックしに来ていたわけですが、子供達が生まれてからは工事とは関係なくほぼ毎日やって来ました。

ただ来るだけじゃあないんです。しょっちゅう誰かを連れて来るんです。友達や近所の知り合いや親戚の人や姉妹達や、そういう私が知らない人達を引き連れてやって来るのです。

孫を見せたい、あるいは工事の様子を見せたいということなんでしょうけど。

しかも、義母は玄関をノックして返事があるまで待ったりしません。いつも勝手に入って来るんですよ。一応玄関の所で「フーフー!」と声を出して来たことを知らせるんですけどね。

「あっ、また来た」と思ったら、もうそこにいるという状況です。

出産直後は特にストレスがたまりました。オーストラリアでは出産後2〜3日で退院しますからね、私は子供を産んだばかりなのと赤ちゃんの世話とで疲れ果てて寝ているわけです。一日中パジャマを着ていることもありましたよ。

そういう状況で、知らない人達を引き連れてやって来るんですよ。

交友関係が広い義母の家には、しょっちゅう人がやって来てBBQだのパーティーだのやっていましたけど、そういう時には私達家族も参加することを望みます。赤ちゃんを連れて、顔を見せに行くくらいは当然という態度です。

私は本当にストレスがたまって、とてもその家に住み続けることが出来なかったんですよ。それ以外にも理由はありましたけど。

こういう経験がありますからね、義弟のスペイン人の奥さんが10年以上も義母と仲良く暮らしていることに驚いたんですが、上手く行っている理由の一つは、スペイン人の奥さんが我慢をしないで言いたいことは言うし、義母の家での集まりに顔を出したりもしないということでした。

現在、義弟夫婦は住んでいる家(私達がリフォームした家)を取り壊して新しい家を建てているわけですが、義母があまりにも頻繁に、しかも人を連れてやって来て、工事をしている部分だけではなく義弟家族が住んでいる部分にも勝手に入って来るので頭に来たらしいんですよ。

スペイン人の奥さんは、来ないでもらいたいということを義母に伝えたんです。そして、うちの夫にも事情説明の電話をして来ました。私達が土曜日に義母の家に来ると分かっていたからです。

しかし、その土曜日、私は義母には驚かされました。

スペイン人の奥さんから来ないでくれと言われた直後なのに、その日スペイン人の奥さんはお出かけしていて家には誰もいないから、見に行くチャンスだと義母は言うのです。

うちの夫は建て替え工事を見に行きませんでしたが、私は行きました。外から見るぶんには問題無いだろうと思いましたから。そして、木の骨組みが出来上がっているのを見ながら、義母が間取りを説明してくれました。

義弟夫婦が別々の寝室で寝ているから、バスルームも別々のが必要だなんてことまで教えてくれました。

その後ですよ!

取り壊さずに残っている部分を見せるために、家の中に入って行こうとしたのです。誰もいないから平気だと言って。

「ちょっと待って!勝手に入ってはダメでしょ!義弟家族のプライバシーを尊重しなくちゃあ!」と私は言いましたよ。

そして、心の中で「私達が住んでいた頃も、私達が留守の時には人を連れて勝手に入って来て家の中を見せていたのかもしれない」と思いました。

自分が所有する家だとは言え、息子家族が住んでいる家ですよ。自分の家じゃあないんですから、勝手に入ってはダメですよ。

「この家は義弟達の家なんだから」と言う私に、義母が何と言ったと思います?「それでも基本的には私の家よ」と言ったんです。

そういう問題じゃあないんですよ。「ああ、この人とは一緒に住めない」と改めて思いました。


目が見えなくなっていることは気の毒に思うし、彼女のために私が出来ることはしてあげたいとも思っていたんですけど、あの上から目線の自分中心的言動には私も頭に来たのでございます。

こういう人ですからね、私達が昨年引っ越しをした際に手伝いを頼んでもいないのに勝手にやって来て、家の中に残していたものを勝手に持ち出して、「まだ物がたくさん残っているけど一体どうするの!」と私を批判するから、あの時はさすがに私は面と向かって反論したんですよ。

そうしたら、私に反論されてイライラがさらにヒートアップした義母は、私に対して大声で怒鳴りましたからね。

悪い人ではないですが、難しい人です。

絶対に一緒に暮らせません。


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2024年6月3日

取り壊された家と壊れた心

土曜日に義母(うちの夫の母親)の家に行った話の続きなんですが、私には楽しみにしていたことが一つありました。

それは、同じ敷地内にある義弟家族が住んでいる家の建て替えの状況を見ることでした。

その家は、元々は古い小さな木造の家で「コテッジ」と呼ばれていました。部屋が2つ(寝室と居間)と小さなキッチンとバスルームがあるだけの小屋みたいな家でした。

私がオーストラリアに移民した頃、もう30年も前のことですけど、うちの夫がこの家に住んでいたんです。当時パニック障害で仕事が出来なくなっていた夫がリフォームを始めたところでしたが、私も一緒に住み始めてからは本格的なリフォームになりました。

私も手伝いましたけど、ほとんどの作業は夫が一人でやりました。

最初にキッチンとバスルームをリフォームしました。キッチンが狭かったので、キッチンの外にウッドデッキを作り、そこで食事が出来るようにしました。玄関も作りました。

お金が無いのでね、すべて自分達で作業したのですよ。そして、私達はこの家のキッチンで結婚式を上げたんです。突然の悪天候のためやむを得ずでしたけど。

息子が生まれる前には、居住スペースを広げるために大きな部屋を増築しました。壁も天井も板張りにしたのですが、天井に板を張るのは大変な作業でした。

娘が生まれる前にはさらに増築して、事務所を作ったり私達夫婦の寝室を作ったりしました。その時に日本式のお風呂場も作ったのですよ。

私達は20年ほど前にこの家から引っ越し、その後は賃貸に出されていましたが、10年ほど前から義弟家族が住んでいます。そして、義弟夫婦がこの家を建て替えることに決めたのです。

一部だけ残して、キッチンもバスルームもウッドデッキも玄関も日本式のお風呂場も取り壊しました。そこに彼等の好みの新しい家を建てているんですけど、もちろん自分達で作業なんてしていません。

この家は、私がオーストラリアに来てから住み始めた家でしたし、何年もかけて自分達でリフォームしたんですし、子供達が幼かった頃の思い出もありますし。

その家が取り壊されて無くなっているのを見たら、寂しい気持ちになるかもしれないと思っていました。

しかし、実際に見てみると私は何とも思いませんでした。悲しいとか寂しいという気持ちよりも、新しく建てている家がとても良いデザインだったので、完成が楽しみな気持ちでしたよ。

ところが…

うちの夫は、建て替えているのを見に行こうともしなかったんです。

見たくない様子でした。

英語で「ハートブロークン」(Heartbroken)という言葉がありますけどね、心が壊れた状態という意味の言葉ですが、うちの夫はそれだと思います。

何年もかけて大いに苦労しながら自分が建てた家が取り壊されているのを見るのは、そりゃあ悲しいでしょう。

特に日本式のお風呂場はね、私達には特別のものでした。家に継ぎ足すようにして建てたんですが、骨組みを作るのもコンクリートを流し込むのもタイルを張るのも、全部うちの夫が一人で作業したんです。それも仕事と両立させながらですよ。

そのお風呂場にあった日本式の浴槽は、現在義母が植木鉢として使っています。庭の端にポツンと置かれていて、ツバキの木が植えてありました。

あの浴槽はね、オーストラリア製の浴槽だったんですよ。日本式の浴槽を作って販売している会社があったんです。それを手に入れて、床も壁もタイル張りの日本式のお風呂を作ったんです。

二人でタイルを買いに行ったことを今でも覚えています。

うちの夫は、あの浴槽にツバキの木が植えてあるのなんて見たくないだろうと思いますよ。見たくない気持ちは分かります。悲しいですよね。

しかし、住んでいるのは義弟家族なんですから、自分達が住みやすい家に建て替えたいという彼等の気持ちも分かります。(それなのにバイロンベイという街に引っ越すつもりだというのは分かりません。)

うちの夫が建てた一部分はまだ残っていますから、完全に何もかも無くなってしまったわけではないですからね、そんなにがっかりしないで欲しいです。


建て替えている家は、とても素敵な家になると思いますよ。

壁の骨組みはもう出来ていて、ウッドデッキ部分は半分完成していましたが、さすがはプロの大工さんが作っているだけあって、階段なんてすごくいい感じでしたよ。

仕事が遅いので義弟はイライラしているようですが、クリスマスまでには完成するでしょう。


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2024年6月2日

義母の家で思ったこと

昨日、私達家族は義母(うちの夫の母親)の家に行って来ました。

お昼ご飯に呼んでもらっていたんです。1週間前から決まっていたことなんですが、先日義母は階段を踏み外して転落し、歯が唇に突き刺さって貫通するという事故にあいましてね。

彼女を励ますためにうちの娘も行くと言うので、私達家族4人で行ったんですけど、義母の下唇の下の縫った部分は黒くなっていましたが、唇の腫れも引いていて大変元気でした。

ウッドデッキの横にある階段を踏み外したと聞いていたんですが、踏み外したのは自分の家ではなくて義弟(夫の弟)が住んでいる家だったそうです。

同じ敷地内にある家ですが、義弟に会いに行った帰り、その家のウッドデッキの横の階段を下りていて転落したそうです。

階段の数を間違えたと言うんですよ。

義母は、うちの夫と同じ遺伝性の黄斑変性でほとんど目が見えなくなっています。視野の中心部分は黒くて何も見えない状態なんだそうです。

皆さんね、まっすぐ前を向いた状態で目のすぐ前に握りこぶしを2つ近づけると視野の中心部分は何も見えなくなるでしょう?でも視野の外側は、ぼやけていますけどまだ見えるでしょう?

そういう状態らしいんですよ。

そのぼやけている視野の外側部分でものを見て生活しているんですが、やってみれば分かりますが、ものを見て認識するのはとても無理です。

階段を見ながら下りるなんてことも出来ないそうです。義母は階段の数を覚えていたので、その数を頼りに下りていたらしいのですよ。ところが、数を間違えていたんです。思っていたよりも階段は多かったのです。

だから最後の部分を踏み外して転落したということでした。

危ないわ…

その階段はもう二度と使わないと言っていました。


昨日は、義母にお昼ご飯に呼んでもらっていたわけですが、目が見えないのにどうやって料理をするのかと心配で、私達が何か持って行くと言ったんですけど、義母は自分で何か作ると言いました。

行ってみたら、パンプキンスープが作ってありました。

メインディッシュは、ベーカリーで買って来たビーフとチキン2種類のパイと、ブロッコリを茹でたのと、マッシュポテトでした。野菜を切ったりジャガイモの皮をむいだりは出来るんだそうです。

しかし、火加減とか野菜が煮えたかどうかを判断するのは出来ないし、ジャガイモをつぶしてマッシュポテトにしたりするのも出来ないので、そういうのはパートナーに手伝ってもらうそうなんですけど。

義母はロースト料理が得意な人でしたが、もうそういう料理は出来ません。しかし、自分にできる範囲で今でも料理をしていると言うんですよ。目がほとんど見えていないのに、どうやってやっているのか私には想像も出来ません。

昨日は久しぶりに義母の家に行ったのですが、義母の目が見えていないことに改めて気づかされることもありました。

掃除機はちゃんとかけてあって、カーペットはキレイだったんですけど、キッチンがとても汚れていたんです。食器やスプーンなどがキレイに洗えていないまま戸棚に片付けられていたりしました。

パントリーの中も冷蔵庫の中もとても汚れていて、冷蔵庫のドアは特に汚れがひどかったです。もちろんガスコンロの周囲は汚れが目立っていました。

バスルームも汚れていましたし、家の中のいろいろな所にクモの巣があったりしました。

見えないのですからキレイにしようがありません。

ここが汚れていますよとか私が掃除をしてあげましょうかなんてとても言えませんでしたし、お掃除サービスを利用したらどうですかとも言えませんでした。

そういうことは、息子であるうちの夫か義弟が何かの機会に言ってあげるしかないように思います。義母とパートナーは十分な経済力があるので、お掃除サービスを利用すればラクだと思うんですけど。

ひどく汚れた冷蔵庫のドアを見て、私は少し悲しくなりましたよ。

義母の家は大きいし、敷地も広いし、今はもう使っていない牧場もあるんです。家の周囲の草木の手入れや草切りだけでも大変なんですけど、もうすぐあの二人の手には負えなくなると思います。

そういう仕事が得意なうちの夫が助けることができれば問題ないんですが、うちの夫も目が見えなくなって来ていますから難しいです。

同じ敷地内に義弟家族が住んでいますけど、彼等はバイロンベイという街に引っ越したいと言っていますしね。

義母は、家を売る気は無いようですが、自分達で出来ないことが増えて来たら今の暮らしを続けていくことは出来ません。誰もが避けては通れない問題です。


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2021年11月2日

草花粉アレルギーと牧場

花粉話の続きです。

うちの夫の母親と弟家族は風光明媚なヤラバレーのヒールズビルという町のはずれに住んでいます。私達家族も子供達が幼かった頃は、現在義弟家族が住んでいる家に住んでいました。

その家は義母の家と同じ敷地内に建っていまして、うちの息子が生まれた後は、義母が毎日やって来るようになり、しかも初孫である息子を見せるために親戚や知人や友達を引き連れてやって来るので、私はストレスが溜まったのです。

一人でやって来る時も誰かを連れて来る時も、勝手に家に入って来るのでね、それが耐え難かったんですけど。

娘が生まれてからは、同じ家に同居しているのと変わらない暮らしになりました。ああしろこうしろと指導がすごくて、だんだんと彼女の干渉に耐えがたくなってね。

ヒールズビルからリングウッドという街に引っ越した理由の一つが義母でした。

そして、もう一つの大きな理由は花粉だったんです。

家の隣りは牧場なんですよ。牧場には義母が趣味で飼っている牛がいましたが、食べきれないほどの牧草が育ちますので、年に2回は牧草刈りをしなくてはいけません。

牧草刈りの日には、舞い散る花粉の量が半端ないです。牧草を刈る日よりもそれをベイルと呼ばれる塊にする日の方がもっとひどいです。機械ですべての作業ができるわけではないので、手伝わされるうちの夫は本当にお気の毒でした。夫も草花粉アレルギーがあるのです。

ヤラバレーは牧場だらけですから花粉はいくらでも飛んで来ます。そして、近所の牧場で牧草刈りをしている日には、風向き次第では恐ろしいことになるのですよ。

音が聞こえて来ますし、目の痒さとくしゃみで花粉飛散量が分かりますからね、危険日には私は外に出ないようにしていましたけど、花粉は家の中に入ってくるんです。抗ヒスタミン薬と一日に何度も浴びるシャワーで生き延びていました。

あの頃は、空気清浄機なんて持っていなかったし、子供達が小さかったから部屋にこもっているわけにもいきません。

草花粉アレルギーは、あそこに住み始めて2年目だったか3年目だったかに始まったんですが、始まってからは、毎年9月頃からお正月頃まで苦しくてツラくて惨めでね。

しかし、今思うと、あの頃はまだマシだったんですよ。

現在はあの頃よりも症状が重いんです。ヒールズビルに比べると花粉の少ない所に住んでいますけど、それでも飛散量が多い日には呼吸困難になる程ですからね。

抗ヒスタミン薬を飲んで、シャワーを浴びて、マスクをして、花粉症用ゴーグルを付けて、空気清浄機を置いた自室にこもるしかどうしようもない日もあるのです。

そういう人間がですね、花粉症シーズンに花粉飛散量が多いヤラバレーのような所に行くとどういうことになるかということなんですけど、アレルギーがない人達には分からないんです。

私がとんでもないことになったのを度々目撃しているうちの夫は、自分も草花粉アレルギーがあってツラさを知っているので理解してくれますけど、義母とかは私がくしゃみをしているのや鼻をかんでいるのは目撃していますけど、本当のツラさを分かっていませんからね。

新型コロナのロックダウンも終わったので、義母が会いに来いと言うんです。

しかし、夫も私も、この時期には義母の家には行きたくないのです。夫はなかなか仕事が休みの日が無いですし、私が運転しないと行けないのですし、私は花粉症シーズンは怖くて義母の家には行きたくないですから、私も夫も行く予定はありません。



牧場にある小高い丘の上からの眺めです。素敵ですよねえ。私もこの場所が好きですし、ここでダッチオーブンを使った料理したりBBQをしたりするのは楽しいです。うちの夫の家族は、よくここで野外パーティーをします。

でもね、ここは草の花粉だらけですから、今の時期に行くには覚悟が必要です。

私の場合、重い症状が出るのは気温が高くて乾燥して風が吹く日。11月から12月までが最悪シーズンですから、これからですよ。


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2019年12月27日

妻の帰省ブルー

オーストラリアでは、実家へ帰省するのは何と言ってもクリスマスです。クリスマスは、家族や親族が集うという点で、日本のお正月のようなものです。

クリスマスに夫の実家に行くことにストレスを感じる妻の話というのはあまり聞かないのですが、妻の帰省ブルーがオーストラリアには無いというわけじゃあないはず。

何を隠そう、私はかつてストレスを感じていました。

まず、クリスマスっていうのがイコール「飲み食いすること」になっちゃっていることから来るストレスが原因です。

クリスマスのその朝、義母宅に到着して「ハッピークリスマス!」の挨拶が終わるやいなや、義母から料理の担当が発表され、あなたはコレをやれ、オマエはコレをやれという調子で食べ物の準備が始まります。

しかも、

場合によってはクリスマスの日は猛暑だったりするんですけど、猛暑だろうがなんだろうが、義母にとってクリスマスのランチはローストと決まっているのでして、森林火災の警告が出て屋外での火の使用禁止になっていても、BBQでローストしようとしたりするのです。

もちろん家の中のオーブンでも肉やイモが焼かれておりますので、エアコンのない(小さいのがあるけど使わない)義母の家の中はサウナ状態になるのでして。

オーストラリアの暑いクリスマスは、それにふさわしい食べ物でお祝いすれば良いと私なんか思うんですよ。

それに、あそこまで大量の食べ物は必要ないだろうに。

とにかく、ワインなど飲みながら、準備したおつまみなど食べながら、ランチの準備に追われるのがクリスマスの朝。義母のパートナーはたいていBBQ係として働いているけど、うちの夫なんてほとんど何もしません。

女ばかりが働いて男は酒を飲みながらくつろいでいる状況というのが一番腹が立つから、それについては私は意見を述べますよ。

夫にも言いましたから。夫が何もしなくていいのなら私も何もしなくていいはずだと。

ということで、慌ただしく食べ物の準備に追われ、途中プレゼントの交換などをやって、いよいよ肉が焼けてランチの時間になる頃には、皆んな結構お腹がいっぱいになっているのですが、

それなのに食べる!

食事の後は満腹を通り越しているのとお酒の影響で眠くなる。

汚れた食器が山ほど積まれているのは毎度気になるけど、私は洗いません。クリスマスのような特別な食事の際にはですね、食器洗い機に入れられない上等なウェッジウッドの食器を使うものですから、私は洗いたくないの。

何と思われているかしれませんけど、

そんなの知るか!

洗い物が大変なら、食器洗い機に入れられる食器を使えばよろしい。

それにね、

食べ物に焦点を当てすぎなのよ!

クリスマスは「大量飲み食い会」じゃあなくていいのです。家族が集って楽しい時間を一緒に過ごす、それでいいわけでしょ?

ところで、

帰省ブルーでお悩みの方には、悩むくらいなら「行くな」と言いたいですね。

家事労働でクタクタになるのがイヤなら、自分ばかりが働かされることに不満なら、ちゃんと言葉にして不満を伝えるべきなんです。

何もしない夫に不満があるのなら、普段からそうしたことを話し合って解決しておくべきですよ。

不満があってストレスになっているのに我慢しているから帰省ブルーになっているんでしょ?

周囲との平穏を保つために不満があっても何も言わないで我慢するという日本の美徳とされる慣習は、物事の問題を解決しない一番の問題なんです。

日本の男達が家事や育児をしないというのが今の時代も続いているのは、それを許している社会のせいで、問題は女側にもあるのです。

意見をしっかりと述べることが重要なんです。

世の中の不平等は、いつかは無くなってくれるものじゃあないんですよ。無くしていくものなんです。変化を起こそうとすると反感や反発を買うのでね、闘って平等を勝ち取っていく必要があるのです。

それもイヤなら、

不平等を耐え、ストレスの元になることを避けて生きるしかないんじゃあないですか?

私も我慢して頑張っていた時期がありますがね、もう止めたの、そういうこと。

イヤなことはイヤだと言うんです。

したくないことはしないんです。

不満があればそれを伝え、改善の提案をするのです。

そのせいで相手が怒っても、アレコレ言われても、それはもう仕方がない。ストレスを溜めて具合が悪くなるよりよっぽどマシなのよ。


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2019年12月3日

育ちが違うという話

うちの夫や夫の家族の話ですけど、ほぼ無宗教のオーストラリア人の文化と日本の文化とのギャップというのは、私はあまり感じません。

しかし、人種とか国民性とか文化の違いよりも、育った環境の違いというのをひしひしと感じることがあります。

例えば、

洗濯物の干し方。なぜシワを伸ばしてから干さないのか!なぜ端と端、角と角を合わせて、水平に干さないのか!

義母なんてシワシワのをそのまま干して、シワシワのまま斜めに曲がった状態に乾いて固まったのを、下着に至るまでアイロンをかけていましたけど、オーストラリア人皆んながあんなふうに洗濯物を干すわけではありません。

家族の会話が怒鳴り合い風というのも、夫の家族を知った頃には大きなストレスでした。私には父親に怒鳴られて育ったトラウマがあるものですから、大声を出されると恐怖を感じて心臓がバクバクするのですが、当時のうちの夫の家族は常に大声で怒鳴り合っていましたから怖かったです。

何か物を取ってくれと頼まれて、それを手渡さずに投げてよこすというのも衝撃的でした。夫は、今でも投げてよこすことがあります。

ところで、

つい先日、ベーカリーでさくさくのクロワッサンを買ったのですがね、いつも買っているスーパーのクロワッサンとは雲泥の差でした。ところが、夫はベーカリーで買ってきたその美味しいクロワッサンを食べないのです。

何故食べないのかと聞いたところ、「メッシー(Messy)だから」すなわち「パンくずがポロポロと落ちる」のが嫌だからと言うので、私は目が点になりました。

夫は、魚料理も好みません。

肉を食べて育っていますからね、食事といえばまずは肉です。焼いたりローストしたりした肉とジャガイモをどうにかしたのと野菜を蒸したの(あるいは茹でたの)というのがお気に入りのメニュー。

サバやツナといった青魚は、缶詰であろうが新鮮なやつであろうが「フィッシー(Fishy)」すなわち「魚臭い」と言って食べません。

ところが、つい先日、私は魚屋で美味しそうなサワラを見つけて買って来まして、これを日本酒と生姜たっぷりで濃いめの味付けで煮付けました。私としては魚臭さはほぼ無しという自信作だったし、熱々のご飯と一緒ならこれは食べるだろうと思ったのですがね、夫は食べないの。

何故食べないのかと聞いたところ、骨があるからと言う。

骨かあ〜!

というわけなので、夫が喜んで食べる魚は、骨を完全除去した鮭の切り身を焼いたのくらいなのです。(スモークサーモンはもちろん食べます。)

また、

夫は晩ご飯終了直後に甘いものを作って食べる。

と言っても、夫が自分で作れる甘いものと言えば、ポリッジ(オーツ麦のドロドロ)に干しぶどうやフルーツを入れたのとかグラノーラとヨーグルトを混ぜたものとかそんなものですが。

義母がかつて自慢していましたけど、彼女は食後のデザートを一日も欠かさず必ず毎日作ったそうでございます。

肉中心の晩ご飯の後に必ず甘いものを食べて育った夫は、食後の甘いものがなくては我慢ができないらしいです。

一緒に暮らし始めて、私もそうした習慣に付き合っていたところ、体重が激増しましたからね、私はもう食後にデザートを出すなんてことはめったにしません。

現在はキッチンが使えないのでケーキもクッキーも作れませんが、普段は作ったりしますよ。時には買ってきたりもしますが、

あっという間に無くなるんだわこれが!

忘れもしない、

いつだったか20センチのケーキ型で作ったバナナケーキを、夫が半日のうちに一人で全部食べ尽くしたことがありました。

甘いものが食べたいにも、

度が過ぎるの!

育ちが違う赤の他人が一緒に暮らすと、色々びっくりすることがあるものです。


甘いものはね、私が作らないし買っても来ないという時は、以前は自分で冷凍デザートやアイスクリームを買って来て食べていましたが、現在体重2桁を目指してダイエット中の夫は、干しぶどう入りポリッジかグラノーラとヨーグルトで我慢しているようです。

ポリッジには、ゴールデンシロップというのをたっぷりと掛けて食べていましたが(あんな甘いものがよく食べられるものだ!)最近はそれも我慢している様子です。

食後はお茶とか果物で十分じゃあないのかと思うのは、そういうので育っているからなんですよね。


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2018年10月30日

夫の母親70歳の誕生日

義母(うちの夫のお母さん)の70歳の誕生日を祝う野外パーティーは、夕方4時頃から集まりましょうということになっていました。

集まる場所は、義母の住む牧場内の小高い丘の上。

この場所からの眺めは素晴らしく、夫と私も結婚式をここでする予定だったんです。あいにく物凄い嵐が来たので、何もかも吹き飛んでびしょびしょに濡れてしまい、仕方なくセレモニーは私達が住んでいた小さな家のキッチンでやったんですけど。

それはともかく…

義母の誕生日をお祝いした日曜日は、これ以上望むことが出来ないほど最高の天気でした。快晴で涼しくて、牧草に囲まれているわけですが花粉の影響がほとんど無く、くしゃみも出ないし鼻水も垂れないし目も痒くなりませんでしたから。


総勢何十人いたんでしょうか。

遠いところでは、オーストラリア大陸の反対側の街パースやクイーンズランドから来た人達もいました。

ヤラバレーの有名ワイナリーであるドメイン・シャンドンのスパークリングワインをはじめ、美味しいワインが飲み放題でしたよ。

ケイタリングはキャンプ料理でした。火の中でローストしたお肉やダンパーと呼ばれるパンや野菜や芋のロースト料理で、とても美味しかったのですけど、作った人達は大変だっただろうと思います。


私にとっても、数年ぶりあるいは十数年ぶりに会う人達とのお喋りはとても楽しかったです。

日が沈むと急に寒くなり、みんなで火を囲みました。

義母もとても楽しそうで、集まった人々の多さや話題からも彼女の社交的な人柄がよく分かりました。

うちの夫はこの日も仕事、翌日も仕事でしたから、私達家族はデザートとバースデーケーキを待たずに帰ったのですが、野外パーティーは夜遅くまで続いたことでしょう。

それにしても、初めて会った時はまだ45歳だった彼女が70歳とはちょっと信じがたいです。自分の歳を考えたらそれも当然なのですけど。

これまで、いろいろありましたけど、義母は基本的には大変良い人です。

これからも元気で、パートナーのロジャーと一緒に更に人生を楽しんでください。


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2018年10月29日

ヤラバレーへの道とデンタルフロス

うちの夫の母親は、ヒールズビル(Healesville)という町の外れの牧場に住んでいます。


この町は、メルボルンの東に広がる緑豊かな田園丘陵地域ヤラバレーの中心でもありまして、私はこの町の小学校の先生としてオーストラリアでの暮らしをスタートさせたのでございます。

この義母が30日に70歳の誕生日を迎えるのです。

「ヒロコさんの夫さんは50歳を超えているんじゃあなかったんでしたっけ?」

と思った貴方は正しいのですよ。うちの夫は50歳を超えておりまして、義母はもうすぐ70歳になるのです。

それはともかく…

70歳のお誕生日をお祝いするために、日曜日の昨日、家族親戚はもとより大勢の友人達がオーストラリア中から集まりました。私達家族も四人揃って出かけました。

運転は、まだ運転免許を持っていないうちの息子。練習中を表す黄色のLプレートを付けての運転です。久しぶりの運転で緊張しているのか完全に無言。

娘は出発直前に突然ご機嫌が悪くなり、暗い顔で終始無言。

仕事から早めに帰ってきた夫もお疲れなのか機嫌が悪いのか、完全に無言。

車中のムードは最悪なのでした。

ところが、

私は自分の車の後部座席に座っていて、息子の運転のせいか(急加速と急減速)10分も経たないうちに車に酔ってしまい、車酔い対策として一人お喋りを全開していたのですが、吐き気がひどくなって来ました。

私「やっぱりダメだわ、ワタシ車に酔っちゃったわ」
娘「(暗い声で)お母さん、そんなに喋らなかったら気分も悪くならないわよ」
私「何よ、その言い方は!」

気持ちが悪いからしゃべっているのよ!

「どうしたのよ、皆んな黙っちゃって!」

すると、突然夫が口を開きました。

「ヒロコが買ってきたデンタルフロスは開けにくい!」

デンタルフロス?

突然何を言い出すのよ!

「あのデンタルフロスは開けにくい」
「そうそう、フタがものすごーく固いんだよね」
「その前に買ってきたやつは小さ過ぎたし」
「小さすぎて使いにくかったし、すぐに無くなった」
「なんで以前買っていた Oral-B の大きいやつを買わないんだよ」

ここで、お母さんは切れちゃったんです。

「同じデンタルフロスを売っていたらそれを買いますよ!散々探した挙げ句、Oral-Bのは、あの小さいやつしか売っていなかったからあれを買ったんですよ。スーパーだけじゃなくてケミストウェアハウスまで探しに行ったんですからね。確かに小さくてすぐに無くなっちゃったから、今度は一番大きいColesブランドのを買ったけど、そんなに開けにくいのならもう買いませんし、皆さんも自分の好きなのを自分で買いに行ったらいかがです?」

お母さん噴火!

ここで、息子がデンタルフロスとはいかなる繊維でできているのかなんてことを質問し、何でもよく知っている夫がデンタルフロスの繊維について話し始めまして、これをきっかけに夫も息子も、そしてご機嫌の悪かった娘も口を開き始め、車中には家族の明るい声が響くようになったのでございました。

よかった、よかった。

でも…

お誕生日のお祝いのことを書くにはちょっと長くなりすぎたので、続きは明日。


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2018年10月20日

食後に欲しくなる甘い物

かつて、義母(夫の母親)が自慢していたのを覚えている。

「私はねえ、これまで毎晩必ず食後のデザートを作ってきたのよ。これだけは自慢できるの!」

私は、それを聞いて「日本では、晩ご飯の後にデザートを食べるという習慣はありません。果物を食べたりお茶を飲んだりはしますけど」と応えつつ、「じゃあ私も夫や子供達にデザートを作ってやらないと」などと思ったのでした。

晩ご飯を腹いっぱい食べても欲しくなる甘い物。

うちの子供達も私も、この「食後の甘い物」に対する欲求はそれほど強くないし果物で満足できたりするんですけど、毎晩必ず食後のデザートというものを食べて育ったという夫は、どうしても欲しくなるらしいんですよね。

しかし…

歳もとって、体重も3桁になって、コレステロールや心臓疾患の心配などもあるうちの夫には、もうデザートはオススメしたくないんです。

オススメしたくないんですが、先日は私自身も何か甘いものが食べたくなりまして、それもケーキ系の甘いものが。

夜の8時頃でケーキを焼くには遅すぎるし、そんなに待てないし。でも一旦ケーキが食べたいと思ったらどうしても食べたくなって。

そんな時には、

電子レンジケーキでしょう!

ということで、作ってみました。

クリームチーズが50gほど残っていたので、それにチーズケーキを作る時の材料をテキトーに混ぜて、耐熱容器に入れてチンすること2分。

出来たのは、蒸しパンのようなチーズケーキをベトベトにしたようなもの。

ところが、

美味しかったんですよ、これが!

材料の配分がよろしくなかったようです。ベトベト感をなくして、もう少しチーズケーキ味を強くしたら、十分に通用するケーキになる味でした。

レシピとしてご紹介できる出来上がりになったら、是非ウェブサイトに追加したいと思います。

直径18センチ高さ4センチほどのケーキになりましたが、あっという間にほとんど一人で食べてしまった人がいます。私ではありません。


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2017年4月11日

冷凍庫の牛肉と心の友

先日のこと、フリーザー(我が家のは冷蔵庫とは独立した冷凍専門の小型冷凍庫)を開けてびっくり!

大きな肉の塊がごろごろ入っていたんです。夫の誕生日の翌日だったから、義母が持ってきたのだろうと思いましたけど、カチンカチンに凍ったでっかい肉の塊は、買えば大した額になりますのでありがたいことです。

肉が大好きな夫は嬉しかったことでしょう。

それにしても、あの複数の塊肉は、色的には豚ではないと思ったんですけど、牛肉なのか子羊なのか。夕食のビーフシチューを食べながら夫にたずねました。

「ああ、あれは全部ビーフ。一つはロースト用の塊で、あとはタフな硬い肉。このシチューはあの肉を使った?」
「いいえ、これは Coles で買ったオフカットの安い肉」
「母さんのところには牛肉が食べきれないほどあるんだよ」
「それはまた、一体どういうわけで?」
「一頭、殺して肉にしたから」
「ペットの牛を?」

義母とパートナーは、ホビー(趣味娯楽の意味)牧場で牛を数頭飼っているのです。全部名前を付けていますし、出産の手伝いもして可愛がっているし、オスは売りに出して収入の足しにするとは聞いていたけど、

まさか殺して食べるとは!

その話を聞いて思い出したのは「ブラウンボーイ」のことでした。

「ブラウンボーイ」の出産は難産で、獣医や家族の奮闘の後、やっと生まれた子牛でした。一頭だけ毛色が明るい茶色で目立っていました。

当時、私と夫は、義母の家の敷地内にある小さなコテッジに住んでいたんですけど、ストレスをためつつあった私は、辛い時には牧場に行って子牡牛の「ブラウンボーイ」に語りかけていたのです。

美味しい牧草を食べてすくすくと育ち続けた「ブラウンボーイ」は、私を怖がらず(だってしょっちゅうやって来ては何か話しかけてくる人間ですからね、干し草もくれるし)、私にとってはまさに心の友だったのです。

しかし、家畜の世界でオスに生まれた運命は悲しいのよ。

ああ、忘れもしない、あれはアトランタオリンピックの1500m自由形で、キーレン・パーキンスが、パニック発作で8位に終わった予選の後、決勝の第8コースを独泳し、見事金メダルを獲得してオリンピック2連覇を果たした時だった。

住んでいたコテッジの外で鳴り響いた「パーン!」という音。

「ヒロコは外を見ないほうがいいよ」と、夫が言いました。

その理由はもちろん知っていました。

その日は、私の心の友「ブラウンボーイ」が肉にされる日だったのです。

「ブラウンボーイ」の切り離された頭は、解体されて肉にされたその場所(コテッジの隣りの草むら)に随分長い間放置されていました。私は、通勤のたびに、その横を通って車を停めているカーポートまで行かなければなりませんでした。

心の友「ブラウンボーイ」の頭が草むらに転がっているところだけは、見たくなかったから、絶対に草むらの方に目を向けることはしなかった。

義母からは、大量の牛肉差し入れのオファーがありましたが、私は夫に「絶対にもらうな!」と固く申し渡したのでした。心の友をどうやって食べることができるというのだ!

私は肉を食べますよ。

でもね、友達やペットは食べられないの。


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2016年12月25日

二人きりのクリスマス

天気予報通りの猛暑となったクリスマスの今日。夜の9時を過ぎても外はまだ暑いです。

今朝の10時頃、まだパジャマ姿の娘を一人家に残して、夫と息子と三人で「じゃあ行ってくるよ〜!」と出かける先は、総勢20人以上の家族親戚が集まる義母の家。

エンジンをかけて車庫を出ようとしたその時、玄関の方から娘が走ってくるのが見えました。パジャマのままです。

「あれっ、どうしたの?」

娘は、私が座っている助手席側のドアを開けると、何も言わずただ私に抱きついてきました。黙って、ただギュッと私に抱きついて、しばらくすると小さな声で「いってらっしゃい」と言い、家の方に戻っていきました。

「サチ、大丈夫? お母さん、行くのをやめてもいいよ」
「だいじょうぶ、いってらっしゃい」(日本語で言った)

ちょっと、これは、とても娘を一人だけ家に残していく訳にはいかないと夫と相談して、私は義母の家に行くのをやめました。

私が家に残ってくれたのが嬉しかったのかホッとしたのか、娘はとても明るく元気で前向きな様子になりましたので、私達はこれから一緒に取り組む予定の「認知行動療法」について話し合い、計画を立て、一緒に映画を見たりおしゃべりをして、クリスマスの一日を過ごしました。

ご馳走は何もなかったけど、母娘二人きりのクリスマスは、エアコンのきいた居間で快適でしたし、何より私はとても幸せな気持ちでした。

夕方帰ってきた夫と息子によると、予想通り、ありとあらゆる食べ物がありすぎる「食べて食べて食べて」のクリスマスだったそうです。

私が心配していたとおり、肉をローストしたそうです。それも、鶏と七面鳥(この2つは丸焼き)と豚のモモの骨付き塊肉の3つも。これらに加えて、巨大骨付きハムもあり!

オーブンは朝からフル稼働で、さらにガスコンロでも料理しているから家の中は暑くなり、外は猛暑だから窓を開けるともっと暑くなるし、その部屋に20人もの人がいるせいで更に暑くなり、耐え難い暑さだったんですって!

ああ...。

もちろんエアコンは付けませんでした。

やっぱりな...。

随分後になってからやっとエアコンを付けてくれたらしいですが、誰かが頼んだんでしょう。

義母の家でのクリスマス・ランチに行かなくて残念だったのは、もちろん義妹に会えなかったことや夫の従弟妹たちに会えなかったこともありますけど、一番はデザートの「トライフル」を食べられなかったこと。

「デザートにトライフルがあったの?誰が作ったの?」
「ジョーン」
「ジョーンは来ないっていう話じゃなかったの?」
「そう聞いていたんだけど、来たんだよ。ヒロコのために作ってきたって言ってた」
「もう!そういう時は、少し持って帰ってくれたらいいのに〜!」

写真だけは撮って来てくれました。


ジョーンの「トライフル」はいつも絶品なのですが、今回のはスポンジケーキがしっとりと湿っていなくて今一つだったそうです。それよりも、ジャガイモを丸ごと蒸したのみたいに見える白桃と黄桃のコンポートが絶品だったそうです。

また、写真には写っていませんが、毎年ジョーンが作る「家族代々受け継がれたレシピで作るクリスマスプディング」が超美味しかったそうです。

でもね、とにかく大量のご馳走だったので、前菜として出されたスモークサーモンやシーフード類も、ロースト肉も、10種類近くあったというサラダや野菜の付け合わせ料理も、デザート類も、い〜っぱい残ったんですって。

そうですか...。

そんなにたくさん残っているなら、家にいるお母さんと娘のために少し持ち帰ってあげようというようなことは考えないんですね。気が利かない男達です。


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2016年12月24日

夏風邪と猛暑

昨日は、親しい友人夫婦主催のクリスマス・イブイブ・パーティーの日でした。毎年恒例のこのイベント、一年でこの日にだけ会っておしゃべりする知り合いも幾人かいるし、友人の作るパーティーフードも、気合いの入ったクリスマスデコレーションを見るのも、とても楽しみにしていたのです。

それなのに、風邪を引いてしまった私。

夜までに何とか良くなるようにと朝からベッドで横になり、回復を目指す私の期待を裏切り、くしゃみは更にひどくなるし、頭も痛くなり、もうすっかり本物の風邪。

いやに寒気もすると思ったら、熱が出ていたのでした。38度も...。

パーティーは無理でした。

それにしても、昨日は最高気温34度。布団にくるまって寝ているのもつらい暑さでしたけど、布団にくるまっていないとくしゃみが出るし、くるまっていると暑くて汗が出るし。

夏風邪はしんどいです。

今朝は、熱は下がり平熱になりました。くしゃみも出ていません。咳も出ていません。明日のクリスマスまでには良くなるといいのですが。

それにしても、今日も暑くなりそうです。今夜からトータル・ファイア・バン(屋外での火の使用全面禁止)となり、夏さは来週の水曜日までずっと続くそうです。

クリスマスの日は、州内各地で40度超えとなるんですって。

絶対にロースト料理はやめてもらいたいものです。義母の家は、今年もエアコンを付けずに扇風機一つで乗り切るつもりでしょうか。骨董品のようなエアコンですが、あるにはあるんですよ。

まさか、外のデッキで食べたりしないよなあ。20人以上が座れる大きなテーブルは、家の中にはないぞ。

暑さと花粉が心配な私です。

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2016年12月21日

今年も猛暑のクリスマス

クリスマスは、今年も義母の家で過ごす予定です。昨年は義母と長年のパートナーであるロジャー、義弟家族3人と私達家族の4人、合計9人のささやかなクリスマスでしたが、とにかく暑かったんです。

あの日はブッシュファイヤ(森林火災)の危険日で、屋外での火の使用が全面禁止となるトータルファイアバン(Total Fire Ban)と呼ばれる日でした。

ところが、彼女の家に着いた時、我々の目に入ったのは、ウェバー(ケトル型BBQ)から立ち上がる大きな炎! 家の中で肉をローストすると暑くなるので、家の外でローストしようとしていたのでした。

うちの夫が義母を説得して七面鳥のローストを諦めさせ、我々が持参した重さ10キロのハムだけで十分と言ったんですが、義母は豚のローストだけは諦めず、結局外のガスBBQで焼いたのです。本当は使っちゃダメなのに…。

ロースト料理はクリスマスの伝統と言っても、それは寒い冬のヨーロッパの話でしょ?ここは南半球で季節が逆なんだから、ヨーロッパと同じことをしようとしても無理があるんですよ。

しかし、ヨーロッパからの移民の(先祖を持つ)皆さんの冬のクリスマスへの執着と憧れは根強いんです。義母のように「何としてもクリスマスはロースト料理」と考える人が多いのです。

今年は、義母の妹の一族が大挙してやってくるし、視力の衰えもあって義母は料理をしないと言っているようですので、20数人分の料理を誰がどう率いて準備するのか、いまだに私は知りません。

一週間予報でクリスマスの天気を調べると、天気はずっと晴れで、ヒールズビルの予想気温は、クリスマスイブが35度、クリスマスの日は36度、翌日のボクシングデーが34度だそうです。(その翌日は37度!)

まさか、その暑さの中で今年も肉をローストするんじゃなかろうな...。

あの家はエアコンを付けないから暑いのよ。それに、牧草地に囲まれているから花粉がすごくて、私は例年ティッシュの箱を空にして帰ってくるのです。

最近、喘息気味で咳が止まらないし、心配だわ...。

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2016年4月14日

理解されない非定型うつ病

「うつ病」という名前から通常思い浮かべる症状というのは「メランコリー型うつ病」の症状でして、その場合は沈みっ放しで嬉しいことがあっても気分が改善することはありません。ところが、嬉しいことがあると気分が改善するという特徴をもつ「うつ病」もあるのです。「非定型うつ病」と呼ばれる病気で、世の中の変化にともない増えてきているそうです。

「非定型うつ病」の症状には、メランコリー型の真反対とも言える食欲増進および著しい体重増加と眠り過ぎという特徴もあります。また手足が鉛のように重く感じるとか拒絶過敏性という特徴もあります。

嬉しいことがあると気分が改善するといった特徴は、うちの夫がコミュニティー奉仕活動にのめり込むところにもその特徴を見ることができます。やりがいを感じる仕事や自分が好きなことは問題なくできるんです。それ以外の時間は眠り姫のごとく眠り続けているわけですから、この病気についてしっかりした知識のない人にはただの怠け者に見えるのです。

イライラした家族や周囲の者が、そうした怠け者態度を批判したり不満を述べるとですね、「うつ」がさらに悪化したり、逆に言葉を悪くとらえてキレるという症状も見られます。誰でも人から批判されたり拒絶されたりすると多少なりとも傷つくし落ち込むことがありますけど、「非定型うつ病」の人は傷つき方が激しいの。ちょっとしたひと言で落ち込んで何日も寝込んだりします。

また、逆ギレして攻撃的になる場合もありまして、褒めたつもりで言った言葉や単純に心配して尋ねたひと言を、皮肉を言われたように悪くとらえるんですね。こうした被害妄想的な態度のために、家族や会社の人や友人との人間関係を損ないます。うちの夫は、度々仕事を辞めざるを得ないことになりました。

せめて家族の者は、こうした病気の特徴を理解して接したいところですが、病気のことをよく理解していないとそれは難しいです。理解していても難しいのだから。

昨日は、義母が夫に電話をしてきて、ヴィクトリア州の田舎の方のある町のキャラバンパーク(トレーラーハウス用駐車場&キャンプ場のようなところ)でマネージャーを募集しているから、それに応募して家族で引っ越して行ってそこのトレーラーハウスに住めと言ったそうです。娘のサチは、まだハイスクールがあるので、義母の家に住みそこから学校に通えと。収入が途絶えた我々家族には(途絶えていないんだけど)良いアイデアだと思った義母は、そんなことを言われてますます息子が将来を悲観して落ち込んでしまうことなど想像もしていません。義母の目には、コミュニティー奉仕活動はできるのに働かない夫は、ただの怠け者。義妹が経済的に助けたりするから、ますます甘ったれてやる気を出さずダラダラ生活していると思っているのです。叱咤激励あるのみ!

夫がこの病気になったのには、複雑な家族の事情があって義母の影響も大きかったのに...。

私ね、その話を聞いた時に猛烈に腹が立って、自分の母親から理解されない夫の気持ちを思うと気の毒で泣けてきて、とても辛かったです。

「夫の病気についての理解がなさ過ぎる。義母さん、もっと勉強しなさい!」と、メールを送りました。波風立たせたくなくて、これまでは口数の少ない義娘だったかもしれませんけど、いつまでも黙って見ていられません。メールには、実はもっと色々書きました。いいかげん子離れしてくれとも書きました。誰かが言わないと彼女は変わらないと思うし。

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2013年2月7日

義母との確執とヤマザキマリさん

夫のお母さん(義母)は良い人なのだけれども、長年学校の先生だったせいか、何事につけても指導せずにはいられない人だ。あらゆることについて「こうあるべき」「こうするべき」という確固たる考えを持っているので、自分の考えに沿った行動をとらない人に対しては、その指導は厳しさを増す!

まさに「仕切るタイプ」であって一緒にいると息苦しい。

以前は同じ敷地内に住んでいたのだが、息子のカイが生まれた後、産後うつ気味でプライバシーがほしい私のことなど気にもかけず、友達や親戚や知人や姉妹やご近所さんやを連れて毎日やって来た。子育ての経験者としてアドバイスをくれるのはいいが、それが指導的になって「あなたはこうするべき!」みたいになると「ほっといてよ〜!」という気分になるのだった。

彼女は、私に対しては常に上から目線でものを言うから、人に命令されたり指図されたりするのが大嫌いな私は、

カチン!とくるのだ。

「うつ」気味の私は、とにかく毎日やって来て「ああだ、こうだ、ああしろ、こうしろ、ああするべき、こうするべき」という義母の干渉で精神的にまいっていった。

ストレスに耐えられなくなってリングウッドに引っ越したのは10年も前のこと。最近は、「あれしろ」「これしろ」といわれるのが嫌で、また質問攻めにされるのがたまらなくて、すっかり足が遠のいている。

そう、彼女は家族や友人知人のことに関して普通ではない強い関心があり、質問攻めにして知ろうとするのだ。ゴシップ話が大好きで、どこそこの誰々がどうしたこうした、そんな話ばっかりするのもホントに耐えがたい。

義母へのストレスがたまって精神的にまいっていた頃に、偶然見つけたマンガ本がある。

ヤマザキマリさんの「モーレツ!イタリア家族」


ヤマザキマリさんが「嫁姑の確執」でストレスがたまっていた時に、誰かに「それをマンガにしてみたらストレス発散になるのでは」と勧められて描き始めたとのことだった。早速Amazonで取り寄せて読んでみた。

読んでみると、ヤマザキさんのイタリア家族はとってもユニークで楽しそうである。

「嫁姑の確執問題なんて大したことないじゃん!」とも思ったが、時々絵の描き方から彼女の本音が伝わってくる。そりゃあまあ、凄まじくおどろおどろしい義母さんの顔がアップで出てきたりするのですよ!

それを描いた時のヤマザキさんの心情を想像すると、やっぱりストレスを紙にぶつけているのが見えるようでもある。

おそらく私がブログには義母のことに関しては書きたいことの10%も書けないのと同じで、オブラードに包み込んじゃっているのだろうな。本当は、この何倍もすさまじいのだろうと思う。

やはりですねえ、ブログに書くなり、マンガに描くなり、特定の人のことを世間一般に公開するというのは、なんだか陰でコソコソ悪口を言っている気がして、その...、モラル的にね、やはり正しくないのではないかと思ったりするわけです。

そのヤマザキマリさんのマンガが映画になったそうですね。いえいえ、この「モーレツ!イタリア家族」ではなくて「テルマエ・ロマエ」というマンガです。

私、「テルマエ・ロマエ」というマンガのことなど何も知らなかったのだけど、昨年の邦画大ヒット作ということで新聞サイトなどでたびたび目にしていて、原作者がヤマザキマリさんと知って納得!

彼女の旦那さまベッピーノさんは歴史を研究する学者で、ローマ帝国の歴史オタクとどこかで読んだことがある。

有名なローマ皇帝ハドリアヌスの時代を背景にした、お風呂文化がテーマの映画とは面白そうだと思い、遅ればせながらDVDを買いました。昨年の発売時に買いたかったけど、何しろ経済的にDVDを買うなんて余裕はなかったから、今やっと買えたんです!

その映画のことはまた明日。

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2012年9月29日

サプライズいっぱいのゴールドコースト

夏のゴールドコーストから冬のメルボルンへ帰ってきた。

今回のゴールドコースト旅行は、義妹リアナから私達家族へのプレゼントだったのだが、滞在したアパートというのがサーファーズパラダイスから少し南に外れた所で、まさにビーチに建つこじんまりとしたマンション風。ベッドルーム2つの大変エレガントな美しいアパートだった。

私達家族の部屋は7階にあり、すべての部屋がビーチに面しているので一日中美しい海を眺められるのだった。夢見たいな一週間だった。

到着した日のバルコニーからの眺め

到着早々、目の前の海で何かが跳ねた。

「ああっ、クジラだ!あそこっ!クジラが跳ねてる!」

クジラを見るというのは、この旅行でしたいことの一つだったので、到着早々その夢がかなったのだった。

サプライズいっぱいの一週間だったが、最大のサプライズは、

義母が付いて来たことと、この旅行中ずっと我々と一緒だったことだ!

義母のことは、昨年のクリスマスのエピーソードでも紹介したのだが、彼女は今回私達家族のためにレンタカー料金とテーマパークのチケット代を払ってくれると聞いていた。「なんて気前がいいのだろう、ありがたいことだ」と思っていたのは私だけではない。まさか、ずっと一緒について来るとは誰も知らなかった。

この旅行は、私達家族と義妹リアナ5人だけの楽しい旅行になるはずであったのだ。みんなそう思っていたのだ。

義母は、前のエピソードでも書いたが、長年学校の先生をしていたから、何事につけても「指導」せずにはいられない。さらにあらゆることについて「こうあるべき」「こうするべき」という確固たる考えを持っているので、自分の考えに沿った行動をとらない人に対しては、その指導は厳しさを増す。

食品の買い物一つにしても、私がサラダ用の野菜がミックスされてドレッシングも入っている袋を買おうとすると、「そういうのは割高である!野菜はバラで買うのが最も安いのだ!」と指摘する。

丸ごとのレタス、ジャガイモ2キロ入り袋、トマトソース1瓶、スライスチーズお徳用特大パック...と、彼女は旅行に来ているとは思えない普通の買い物をしようとする。しかも、あまりにも大量の食品を買い込むので、私が「こんなにたくさん買うと食べ切れなくて無駄になる」と反論すると、平気な顔でこう答えた。

「大丈夫よ!余ったものはトニーの所へ持って行くのだから」

トニーというのは彼女のボーイフレンドの息子だ。ゴールドコーストから高速道路で1時間ちょっとの街に住んでいる。この旅行中、そのボーイフレンドは息子の家に滞在しており、最終日に我々全員がその息子のトニーの家に行ってバーべキューをおこない、彼女はボーイフレンドとそこで合流するという手はずであった。

もちろんそんなことは誰も知らなかった。

旅行中のアクティビティーも彼女はチケットを手配済みであり、我々はそれをどの順序で行うか、そこのところだけは自由なのだった。

彼女は、そういう人だ。

何事も手配根回しが重要であり、しっかりと予定を立ててせっかくの時間を無駄にしないようにテキパキと行動することが肝要なのである。

我々は気落ちし「何でこんなことになってるんだ...」と落胆したが、うれしそうな義母には誰も反抗できず、興奮して大声ではしゃぎ続ける彼女に順応するしかなかったのだった。

しかし、無理して我慢しているんだから、フラストレーションが次第に高まって行くのは避けられない。3日目の午後には我々と義理母の間にギクシャクとした険悪ムードが漂い始めた。

ああ、ここから後のことを書くと、このブログはさらに何ページも必要となってしまうので、もうここで止めることにする。

結局は、我々が彼女の期待したとおりにボーイフレンドの息子の家でバーベキューをして、彼女のご機嫌が直り、彼女のボーイフレンドもハッピーで、全員が何とか気持ちよく旅行を終えることができた。そうならなかった可能性も大きかったのだから、まあよかったよかった。

それにしても、義妹のリアナには本当に感謝してもしきれない。生活に困窮していた私達を救い、さらにこんなプレゼントをくれるとは。

本当にありがとうね、リアナ。

朝早く、散歩する夫と子供達
まだ全員ご機嫌の2日目、ムービーワールドで

屋上にあるスパで6年ぶりのお風呂気分
シュノーケリングが得意のカイ
乗り物を楽しむカイとサチ
スリル満点のトルネード
私は、バルコニーでシャンペン飲みながら
こういう景色を眺めてる時が最高!


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