花粉話の続きです。
うちの夫の母親と弟家族は風光明媚なヤラバレーのヒールズビルという町のはずれに住んでいます。私達家族も子供達が幼かった頃は、現在義弟家族が住んでいる家に住んでいました。
その家は義母の家と同じ敷地内に建っていまして、うちの息子が生まれた後は、義母が毎日やって来るようになり、しかも初孫である息子を見せるために親戚や知人や友達を引き連れてやって来るので、私はストレスが溜まったのです。
一人でやって来る時も誰かを連れて来る時も、勝手に家に入って来るのでね、それが耐え難かったんですけど。
娘が生まれてからは、同じ家に同居しているのと変わらない暮らしになりました。ああしろこうしろと指導がすごくて、だんだんと彼女の干渉に耐えがたくなってね。
ヒールズビルからリングウッドという街に引っ越した理由の一つが義母でした。
そして、もう一つの大きな理由は花粉だったんです。
家の隣りは牧場なんですよ。牧場には義母が趣味で飼っている牛がいましたが、食べきれないほどの牧草が育ちますので、年に2回は牧草刈りをしなくてはいけません。
牧草刈りの日には、舞い散る花粉の量が半端ないです。牧草を刈る日よりもそれをベイルと呼ばれる塊にする日の方がもっとひどいです。機械ですべての作業ができるわけではないので、手伝わされるうちの夫は本当にお気の毒でした。夫も草花粉アレルギーがあるのです。
ヤラバレーは牧場だらけですから花粉はいくらでも飛んで来ます。そして、近所の牧場で牧草刈りをしている日には、風向き次第では恐ろしいことになるのですよ。
音が聞こえて来ますし、目の痒さとくしゃみで花粉飛散量が分かりますからね、危険日には私は外に出ないようにしていましたけど、花粉は家の中に入ってくるんです。抗ヒスタミン薬と一日に何度も浴びるシャワーで生き延びていました。
あの頃は、空気清浄機なんて持っていなかったし、子供達が小さかったから部屋にこもっているわけにもいきません。
草花粉アレルギーは、あそこに住み始めて2年目だったか3年目だったかに始まったんですが、始まってからは、毎年9月頃からお正月頃まで苦しくてツラくて惨めでね。
しかし、今思うと、あの頃はまだマシだったんですよ。
現在はあの頃よりも症状が重いんです。ヒールズビルに比べると花粉の少ない所に住んでいますけど、それでも飛散量が多い日には呼吸困難になる程ですからね。
抗ヒスタミン薬を飲んで、シャワーを浴びて、マスクをして、花粉症用ゴーグルを付けて、空気清浄機を置いた自室にこもるしかどうしようもない日もあるのです。
そういう人間がですね、花粉症シーズンに花粉飛散量が多いヤラバレーのような所に行くとどういうことになるかということなんですけど、アレルギーがない人達には分からないんです。
私がとんでもないことになったのを度々目撃しているうちの夫は、自分も草花粉アレルギーがあってツラさを知っているので理解してくれますけど、義母とかは私がくしゃみをしているのや鼻をかんでいるのは目撃していますけど、本当のツラさを分かっていませんからね。
新型コロナのロックダウンも終わったので、義母が会いに来いと言うんです。
しかし、夫も私も、この時期には義母の家には行きたくないのです。夫はなかなか仕事が休みの日が無いですし、私が運転しないと行けないのですし、私は花粉症シーズンは怖くて義母の家には行きたくないですから、私も夫も行く予定はありません。
牧場にある小高い丘の上からの眺めです。素敵ですよねえ。私もこの場所が好きですし、ここでダッチオーブンを使った料理したりBBQをしたりするのは楽しいです。うちの夫の家族は、よくここで野外パーティーをします。
でもね、ここは草の花粉だらけですから、今の時期に行くには覚悟が必要です。
私の場合、重い症状が出るのは気温が高くて乾燥して風が吹く日。11月から12月までが最悪シーズンですから、これからですよ。
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