2024年4月22日

思い出の家の取り壊し

私がオーストラリアに移民して最初に住んだ家は、うちの夫が当時住んでいた小さなコテッジでした。

義母(夫の母親)の家の敷地内にある木造の小さな古い家で、コテッジと呼ばれていました。

部屋が2つと小さなキッチンとバスルームがあるだけのおんぼろコテッジを、その頃パニック障害で仕事が出来なくなっていた夫がリフォームし始めたところでした。私も一緒に住み始めてからは本格的なリフォームになりました。

出入り口となるドアの上には屋根もなく、雨の日には不便なので玄関を作りました。玄関の周りにはツツジを植えました。

家の中の壁を新しくしてペンキを塗り替えたり、バスルームをリフォームしてタイルを自分達で張ったり、キッチンの外にウッドデッキを作ったりして暮らしやすくしました。

私達は、そのコテッジのキッチンで結婚式を上げたんですよ。

牧場の丘の上で結婚式をするつもりだったんですけど嵐が来ましてね、仕方がないから狭いキッチンに家族や友人達が肩を寄せ合って集まり、そこで結婚式をしたんです。

息子が生まれることが分かった時には、増築して家を広くしました。作業はうちの夫が全部一人でやったので、私も出来るだけ作業を手伝いました。だからすべての場所に思い出があるんです。

その後、娘が生まれることが分かった時には、さらに増築して私達夫婦の寝室やオフィスも作ったんですけど、この時は建て増した部分が2階建てでしたからプロの大工さんに手伝ってもらいました。

その時に日本式のお風呂も作ったんですよ。浴槽を取り寄せて作りました。脱衣室付きで、家族4人で一緒に入れる広さの本格的な日本式のお風呂でした。

いろいろ事情があって私達がその家から引っ越した後は賃貸に出されていたんですが、10年前からは義弟(夫の弟)の家族が住んでいます。

海外に住んでいた義弟家族がオーストラリアに戻って来て、この家に住むことになった時には私は嬉しかったんですよ。

当然家族付き合いをすると思っていましたからね、この懐かしい家に食事に呼んでもらうこともあるだろうし、その時にはお風呂に入らせてもらえるだろうと期待していたんです。

しかし、そういうことは一度も起きませんでした。

今ではもうはっきりと分かっていますけど、義弟のスペイン人の奥さんは私達が好きではないのです。もっとはっきり言うと、私が好きではないのです。彼女は好きではない人とは、たとえ家族でも付き合いたくないのです。

私達が食事に呼んでも来なかったですからね、彼女が私達を食事に呼んでくれたりするわけがないのですよ。

今年の1月に初めて義弟がパエリアをご馳走してくれると言うので行ったんですけど、奥さんからは歓迎されていないことは分かりました。

何度も犬の世話をしてあげた私に義弟はお礼をしたかったはずなんですけど、奥さんは仕方がないから嫌々もてなしてくれていると分かるのでね、私は居心地が悪かったです。

義弟のことはとても好きなんですけど、家族付き合いが出来ないのは残念なことですよ。

それはともかく、

私達がリフォームして増築した古いコテッジですが、義弟達が住み始めてからはスペイン人の奥さんの好みに真っ白のペンキで塗られ、同じ家とは思えないように装飾されていたんですけど、先日取り壊されたそうです。

最後に建て増した2階建ての部分以外はすべて取り壊されて何も無くなり、これからその場所に彼等の好みの家を建てるんだそうです。

私達にとっては特別なものだった日本式のお風呂は、ずっと使われていなかったそうですが、取り壊す前にせめて一度でもお風呂に入らせて欲しいという私の願いもむなしく消えて無くなりました。


正直言って、もうどうでもいいと思っていましたけど、取り壊されて全て捨てられたと聞いて、少し寂しい気持ちになりました。思い出は心の中に残ってはいるんですけどね。

うちの夫は、とても残念な気持ちになっているようです。

何年もかけて、大いに苦労しながら、パニック障害が治ってからは仕事と両立させながら、こつこつと一人で建てた家ですからね。それをあっけなく壊されたのですから、私以上に寂しい気持ちなのかもしれません。

板を切ったことや、釘を叩いたことや、ペンキを塗ったことや、タイルを張ったことや、そういう作業の思い出とともに、うちの子供達が生まれた時のこと、赤ちゃんの頃のこと、初めて歩いた時のこと、幼かった頃の出来事がいろいろと思い出されます。

家の周りには私達が植えた木もたくさんあったんですけど、家を取り壊したのなら木も無くなったでしょう。木の一本一本にも思い出がありました。どこに買いに行ったとか、誰にもらったとか。

人生の一部が消えたような気分です。


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