2024年9月16日

大事な友人のことが心配

英語に「Rational」(ラショナル)という言葉があります。筋が通っているとか理にかなっている、あるいは人が道理をわきまえているとか理性的であるというような意味の言葉です。

反対語は「Irrational」(イラショナル)で、道理を逸したとか理性を欠いているというような意味になるわけですけど。

一昨日の、親しい友人との道理を逸した激論の後、うちの夫が言ったんですよ。「You can't have a rational discussion with an irrational person.」(イラショナルな人とはラショナルな討論は出来ない。)

全くその通りだと思いました。

討論することで、自分とは異なる意見を持つ人がいると受け入れることが出来れば、それだけでも討論することに意味があると思いますけど、友人の場合は理性を欠いていました。

根拠のない陰謀論まで信じ込んでいましたから、何とかして私達が間違いに気づくように、友人が知っている「真実」を私達に教えなくちゃあいけないという切迫感がありました。「真実」を知らない私達を気の毒がっている様子さえ見えましたからね。

私達の方もまた、友人がとんでもないことを信じ込んでいるのでこれはヤバいと思いましたから、間違いに気づかせようとしたわけですが、信じ込んでいる人を説得するなんて無理なことでした。

オハイオ州のスプリングフィールドという町で、ハイチからの移民が犬や猫を捕まえて食べているとか人殺しをしているという話もですね、どんなに友人が私達に理解させようとしても信じられる話じゃあないんですよ。真実ではないんですから。

オハイオ州知事やスプリングフィールド町長が、繰り返しメディアを通してこの話を否定しているじゃあないですか。

しかし、友人に言わせると、こういう政府側の人達は事実を隠匿しているんだというのです。「じゃあどこに証拠があるんだ」と聞くと、市民からの通報が証拠だと言うわけですが、その市民からの通報が信頼できるという証拠など無いんですよ。

友人の話す内容は、FOXニュースや保守&右翼のメディアが拡散している内容です。もしも本当にそのようなことが起きているとしたら許されないようなひどい話ばかりですけど、事実を誇張したりねじ曲げたりしたような話や根拠のない作り話ばかりです。

どうして友人がこんな話を信じ込んでしまったのか理解し難いんですが、本気で信じていますし病的なほどに米国の政治を心配しています。

それでもね、この件を除けば今でも普通の人なので、大統領選挙が終わってFOXニュースや右翼のメディアの報道が別なところに向かえば、友人の熱も冷めるかもしれません。


この友人については、心配なことがもう1つあります。食生活に関してインターネットで見つけた情報に支配されやすいんですよ。しょっちゅう特別なダイエットをして来ました。

健康に良いと信じてヴィーガン(完全菜食主義)になっていた時期も長いんですが、体調不良になって動物性タンパク質も摂取するようにと医者に言われたらしく、卵や魚を食べるようになってからは血色も良くなり、健康的に見えていたんですけど。

一昨日、久しぶりに会った友人はガリガリに痩せ細っていました。夫も私も心配になって思わず大丈夫かと聞いたほどでした。再び特別なダイエットをしているに違いないです。

この友人は運動はやり過ぎくらいやっていますけど、60歳を過ぎているのにタンパク質や脂質をちゃんと摂取しないで運動を頑張り過ぎると、健康にはむしろ害になると私は思うんですよ。

昨日は、この友人の奥さんのことが心配になってメッセージを送りました。直ぐに返事が来ました。自分の夫が米国の政治やドナルド・トランプに取り憑かれていることには、心配というよりも怒りを感じている様子でした。

自分がいる場所ではこの話をするなと言ってあるそうです。そして、彼女もまた、大統領選挙が終われば熱が冷めて普通に戻るだろうと期待しているようですけど、そうなって欲しいです。

大事な友人ですから心配です。

 
お帰りの前に1クリックを!



2024年9月15日

陰謀論に洗脳された友人

昨日の夕方、「メディアの偏向報道と洗脳された友人」という記事に書いた友人が道具を借りに我が家に寄りました。随分やせ細っていたのでビックリしました。

最初は、お茶を飲みながら普通の雑談をしていたんですけど、しばらくして「今英国で起きていることを知っているか」と友人が聞きました。この友人は英国生まれなんです。

私はてっきり刑務所の過密状態を緩和させるために受刑者の早期釈放が行われている件かと思ったら、英国がイスラム教徒の国になってしまっただの、イスラム教徒の不法移民による犯罪が激増しているのに政府が真実を隠匿しているだの、共産主義者であると友人が断言するスターマー首相による言論弾圧が行われているだの、英国の警察が腐敗しているだのと、

大真面目で嘆くんですよ!

サウスポートという町のダンス教室で3人の女の子が刺殺された事件の後に偽情報が広がって暴徒化したデモ参加者と警察が衝突する事件がありましたけど、あの時に極右勢力が主張していた移民批判や根拠のない偽情報を頭から信じているようでした。

おいおい…

と思って聞いていると、友人は言いました。

「英国も心配だけど、ボクは米国のことが心配でたまらない。どうかドナルド・トランプが大統領になりますように。トランプだけが米国に残された唯一の希望だから」

私は思わず叫びましたよ。

アンタ、本気で言ってるの?

私に反論されて、「カマラ・ハリスの方が大統領にふさわしいと思える理由が一つでもあるなら言ってみろ」と友人が言うので、私が理由を言い始めますと、友人は苛立って大声で反論し始めました。

おいおいおいおい…

最初は困った顔をして聞いていただけのうちの夫も、途中から友人の言うことを批判し始めました。そうしたら「キミたちは何も知らないのか、情報源が間違っているんだ」と言って陰謀論まで話し始めたもんですからね、私は感情的になってしまって血圧が急上昇しましたよ。

うちの夫は私のようには感情的にならずに根拠を示して論理的に反論していましたが、夫が反論すると友人はそれに対して激しく反論するので、二人はだんだんと大声を張り上げての激論となりました。

こんな話はもうやめよう!私達は友人を失うことになる!

と私が叫ぶと、「いや、やめるわけには行かない!キミ達は間違っているんだ!」と友人は言いまして、私達に本当のことを教えようとするんですよ。しかし、友人が言っていることは陰謀論にほかならないんです。

オハイオ州のスプリングフィールドという町で、ハイチからの移民が近所の犬や猫を捕まえて食べているという根拠のない話も信憑性があると言い、実際はそれよりもひどいことが起きているんだと言うんです。ハイチからの移民は人殺しもしていると。そして政府がその事実を隠していると。

「ああ、キミたちは知らないのか!」と本気で気の毒がり、精神病者や犯罪者がメキシコとの国境に押し寄せていること、不法移民による犯罪で米国が侵略されていること、FBIは腐敗してしまっているから信用できないことなどを話し続けるのです。

もう帰る時間だ!

うちの夫が叫んだので話は突然終わり、友人は帰って行きましたけど、夫と私は目と耳を疑いました。

人が変わってしまったとは、ああいうことを言うんです。

興奮して話している間も、友人は何度も言いたい言葉が出て来なくて困っていましたからね、夫も私も昨日で確信しましたよ。友人は認知症になっています。人が変わってしまったのも、それと関係していると思います。


この友人はですねえ、教育レベルの高い頭の良い人なんですよ。新型コロナのために在宅で仕事をするようになったので毎日家にいるようになり、奥さんの話ではその頃からFOXニュースや保守系の YouTube チャンネルの中毒になってしまったらしいです。

会うたびに根拠のない米政府批判をするようになりましたが、今までは私達は反論したり批判したりはしなかったんです。でも昨晩は、話す内容がとんでもないし陰謀論まで信じ込んでいる様子でしたから、私は黙って聞いていられなくてね、ちょっとだけ反論するつもりがあんなことになってしまって。

友人は自分の情報源が偏っているとは思っていません。様々なメディアで調べていると本人は言いますが、友人の情報源は保守&右翼のメディアばかりなんです。私が政治的に中道なメディアとして勧めたところは全部否定しましたし。

次に会う時にも絶対にこういう話になると思いますけど、どうしたらいいんでしょうかねえ。黙って聞いていることは出来そうにないので、友人がこういう話を始めたら「こういう話題はやめよう」とお願いするしか無いですね。

それにしても、どうしてあんなに頭が良くて常識のある人が、陰謀論を頭から信じ込んでしまったりするんでしょうか。怖いですよ。


お帰りの前に1クリックを!



2024年9月14日

1000キロ運転旅行(5)

旅行最終日、私達は叔父さんの家があるペンズハースト(Penshurst)からバララット(Ballarat)を経由して帰宅する予定でした。

バララットでしたかったことは、私はレイク・ウェンドリー(Lake Wendouree)という有名な湖を見ることで、夫は勤めているツールショップのバララット店に寄ることでした。

そうしましたらね、叔父さんが面白い場所があると教えてくれたんです。

それは、アララット(Ararat)という街にある「Jウォード」(J Ward)と呼ばれる、かつて精神病の犯罪者を収容していた刑務所なんです。建物は保存されていて、現在は博物館になっています。

近くにはかつての精神病院「アラデイル」(Aradale)もあって、どちらも一般公開されています。有料のツアーに参加するようになっているんですが、あいにくこの日は「アラデイル」の方のツアーが行われていませんでしたので、私達は「Jウォード」だけを見学することにしました。

うちの娘が知的障害のある犯罪者のための医療施設で働いているので、私達はこういう施設に興味があるのですよ。ツアーは予約が必要です。


「Jウォード」は大変興味深い場所でした。劣悪な環境だったそうですが、次第に改善されました。しかし、精神疾患に対する理解が不足していた時代ですから、効果のない電気ショック治療なども行われていたんです。

私には、ツアーの最後に観たビデオが最も印象に残りました。それは「Jウォード」を取材した古いテレビ番組でした。収容されている犯罪者達の様子が撮影されていました。インタビューに答える人もいましたが、話している内容や様子から明らかに精神疾患があることが分かります。

しかし、精神疾患があっても犯した殺人に対して責任能力がなかったとはされなかったんでしょうね、絞首刑になった人もいるんですよ。ここは刑務所ですから、建物内にそういう場所もあるのです。


エイズが問題になり始めた頃には、当時は未知の病気だったHIVに感染していることが分かった犯罪者もここに入れられたそうですよ。

アララットの街には、新しい刑務所「Hopkins Correctional Centre」(ホプキンス矯正センター)があります。「父の日のご馳走と重たい会話」という記事で触れた、性犯罪者の隔離村「Corella Place」(コレラ・プレース)もアララットにあります。

私は知らなかったんですけど、アララットは刑務所や精神病院がある街として有名だったようです。とてもきれいな街でしたよ。公衆トイレのきれいさには感心しました。


アララットからはバララットに向かいました。

今から20年ほど前、まだ子供達が小さかった頃にバララットに行ったことがあるんですが、当時は10年間続いた干ばつのためにレイク・ウェンドリー(Lake Wendouree)という湖は枯れた草っぱらになっていたんです。

1956年のメルボルンオリンピックでは、ここでヨット競技が行われたと聞いても信じられなかったですよ。

これが現在の姿です。草っぱらは湖に戻っています。私はこれを見たかったんです。


湖畔のヨットクラブのレストランでランチを食べてから、うちの夫が寄りたかったツールショップのバララット店に行き、メルボルンに帰って来ました。

メルボルンが近づいた頃には夕方のラッシュアワーで道路が混雑したので、バララットから家まで3時間くらいかかりましたよ。

いやあ遠かった!

しかしねえ、1000キロもの長距離運転旅行も、やろうと思えば出来るもんだなあと思いました。

また行きたいとは思いませんけど。


ついでなので、アララットで朝ご飯を食べたカフェをご紹介。


「S.e.d.e. Cafe」 という小さなカフェですが、私はサワードーパンにマッシュしたアボカドとポーチドエッグと野菜がのっているやつ、うちの夫はサワードーパンにベーコンとポーチドエッグと野菜がのっているやつを食べたんですけど。

美味しかったんですよ!

カフェを出る前にわざわざキッチンの方にいるスタッフに「美味しかったです」とお礼を言いに行ったほどでした。

朝ご飯を食べずに叔父さんの家を出たから、アララットに着いた時にはお腹がペコペコでしたからね、余計に美味しかったのかもしれませんけど。


ということで、私の1000キロ運転旅行は無事に終わりました。


お帰りの前に1クリックを!



2024年9月13日

1000キロ運転旅行(4)

叔父さんの家に滞在した2日目は、この地域の中心地であるハミルトン(Hamilton)という大きな街とダンケルド(Dunkeld)という小さな町に叔父さん夫婦が所有している家を見せてもらいました。

そうなんです、住んでいる家を含めて3件の家を所有しているんです。

でもね、このあたりの家は安いんですよ。ハミルトンに所有している2階建ての家は賃貸に出しているんですけど、家賃は週300ドルだそうです。我が家の家賃の半分ですよ。

ダンケルドに住んでいた娘さんが数年前に売った家は6万5千ドルだったそうです。単純計算すると650万円です。私が住んでいる辺りでは10倍出しても家は買えません。

ですからね、ペンズハーストやダンケルドの住人は生活保護に頼っているような人が多いのだそうです。仕事は無いですけど、もう仕事を見つけて働くことなどあきらめているような人達だそうです。

これはペンズハーストのメインストリート。お店があるように見えますが、ほとんどが空っぽです。


この写真は月曜日の朝8時半頃に撮ったんですけど、仕事に行く人も学校に行く子供も見ませんでした。
 
叔父さん夫婦は、以前はハミルトンの街に住んでいたんですよ。奥さんがハミルトンのハイスクールで教えていましたからね。

こんな不便で寂れた町に引っ越した理由は、元小学校の石作りの家が気に入ったからだそうで、叔父さん夫婦はここでの暮らしが気に入っていると言うんですけどねえ。



余談ですが、叔父さん夫婦がダンケルドという小さな町に所有している家は、売るつもりも賃貸に出すつもりもなくて、時々ホリデーハウスとして自分達が使っているそうなんですけど、家からはグランピアンズ国立公園の山が見えるんですよ。

これは玄関前からの眺め。


この素晴らしい景色を自分達の家からも見えるようにしたいと考えたお隣りさんは、フェンスに窓をつけました。ペンキ塗りは途中止めです。


ひどいでしょう?

プライバシーの問題が発生したので叔父さん夫婦は憤慨していますが、この家の住人はどこかに引っ越してしまったそうで、窓付きのフェンスはそのままですし、家自体も急速にボロボロになって来ています。

フェンスの窓から素晴らしい景色を眺めることが出来るようになったこのボロ家は、エアB&Bでレンタルに出ていたらしいですよ。一晩460ドルくらいで借りられたそうですが、借りた人はいません。

どこの誰がこんな家に一晩460ドルも払うか!

お隣りにこんなボロ家と窓付きフェンスがあると、叔父さん達の家の価値も下がってしまいます。

(続く)


お帰りの前に1クリックを!



1000キロ運転旅行(3)

一晩だけ泊めてもらう予定だった叔父さんの家に、1日早く行って二晩も泊めてもらうことになったわけですが、その家はペンズハースト(Penshurst)という小さな町にあります。


上の地図のオレンジ色の星印が1日目に宿泊したアングルシー(Anglesea)で、青色の星印が「トゥエルブ・アポストルズ」がある場所です。ピンク色の星印が叔父さんが住んでいるペンズハーストですから、一日でかなりの距離を運転したんですよ。

ペンズハーストは、2006年の国勢調査では人口が461人だったそうですが、現在の様子から想像すると100人もいないんじゃあないかと思うような町です。

今ではすっかり寂れていますが、この辺りの地域はかつては牧羊業でとても豊かだったんだそうですよ。だから立派な大きな家もあるんです。


叔父さんは、この町にあった古い石造りの小学校を増改築した家を買って、それをリフォームして暮らしています。奥さんと二人暮らしですが、二人暮らしには広過ぎる家です。


ダイニング兼リビングルームは元小学校の建物ですから、天井までが7メートルくらいあって小さな体育館ぐらいの広さがあります。

この大きな家にアンティークショップが開けるほどの様々な収集品を展示しています。

一番多いのは、叔父さんが子供の頃から集め続けたというミニチュアのバスや電車や自動車でしょう。他にも博物館に展示してありそうな、ありとあらゆる古い生活用品があります。

例えば、お客用のバスルームには、古い髭剃り用品が骨董品のキャビネットの上にディスプレイしてあったりするんですよ。家中が博物館みたいな感じなんです。

とにかくもう「物」でいっぱいの家ですが、ごみ屋敷のような状態ではありません。全ての「物」は、ガラスのキャビネットや棚や壁にちゃんと展示してあるんです。ですから家具の数も半端ないです。

叔父さんは、動く電車のセットも制作中です。子供の頃から集めて来たものだそうです。これからは、建物や山など風景の制作に取り組むそうです。


2つある大きなガレージには、合計5台の車を所有していて、そのうちの1台はクラシックカーです。全部ピカピカです。どちらのガレージも数え切れないほどの道具類や収集品でいっぱいですが、全ての「物」がちゃんと展示してあるのがすごいです。

お店は無いに等しく、病気になっても医者はいない不便なペンズハーストですけど、叔父さんはここで欲しかった暮らしを手に入れて、好きな物に囲まれて暮らしています。

でもね、仕事をしているのがメルボルンなんですよ。「夫の旅行の行き先」という記事で少し触れましたけど、叔父さんは毎週3日間メルボルンでバスの洗車と掃除をする仕事をしていているんです。

友人と二人でそういうビジネスをやっているんですが、人を雇うと利益が少ないということで作業を自分達でやっているんですよ。

3日働いて残りの4日は休みですが、そのうちの2日は移動日で家から仕事場まで通勤に片道6時間もかかるんです。車で通えば4時間もかからないそうですが、時間がかかってもバスや電車なら車内で眠れるという理由でバスと電車で通っているそうです。

この叔父さん、私よりも歳上なんですよ。体力的にきついはずですから、リタイヤする時が近づいているように思いますけど。


余談ですが、叔父さんと奥さんはお互いに再婚で、奥さんの最初の夫は羊の毛を刈る仕事をしていたそうです。

奥さんはハイスクールを卒業していなくて、デパートで働いていたそうなんですが、結婚して子供達が大きくなって将来のことを考えていた頃、社会人がハイスクールに戻って教育を受け直すというプログラムが出来たので、自分の子供達が通っていたハイスクールに入ったんですって。

そのハイスクールを卒業した後、大学に進学してハイスクールの先生になったという方なんですよ。英語と歴史を教えていたそうです。リタイアした現在は小説を書いていらっしゃいます。

食品や日用品の買い物には、車で30分のハミルトン(Hamilton)という町まで行くんだそうです。ハミルトンには公立病院もありますが、医療事情はあまり良くなくてGP(一般開業医)に会うのに6〜8週間待ちだと言います。

不便な場所ですが、現在の暮らしが気に入っているそうです。広い敷地にはプールも作っています。インターネットも携帯電話も問題なく使えますし、叔父さんの片道6時間の通勤も慣れているからか問題に感じていないようです。

ウィペットを2匹飼っているので、叔父さんが仕事でメルボルンにいる間も奥さんは寂しくないようですしね。仲良し夫婦で、とても幸せそうでした。

(続く)


お帰りの前に1クリックを!



2024年9月12日

1000キロ運転旅行(2)

旅行2日目の朝、いよいよグレートオーシャンロードのハイライト、「トゥエルブ・アポストルズ」(12 Apostles)や「ロンドン・ブリッジ」(London Bridge)などの奇岩の風景で有名な場所を目指しました。

私はもしも眠れないと翌日の運転が困難になるので睡眠薬を持参していたんですが、心配した通り眠れなかったので夜中に睡眠薬を飲んだんです。朝起きた時は薬のせいでフラフラでした。

しかし、運転は私が頑張るしかないんですから頑張るんです。

持参したポリッジ(オーツ麦のミルク粥)を作って食べ、7時頃には準備が出来てしまい、キャビンにいてもすることがないので出発することにしました。

これが後で功を奏することになります!

ローン(Lorne)ではグレートオーシャンロードのミュージアムを見学する予定だったのに、早過ぎて閉まっていましたから先へ進むしかありませんでした。

アポロベイ(Apollo Bay)のカフェでは、朝日を浴びながら美味しいモーニングティーを楽しみました。まだこの頃はいい天気だったんです。


このアーモンドクロワッサンが美味しかった。うちの夫は帆立貝のパイを食べてソースをセーターの袖にこぼしました。お陰で旅行中ずっとパイのにおいがすると言っていましたよ。


アポロベイを過ぎると、道路は山の中に入ります。

上ったり下ったり、グニャグニャの山道を延々と走り、一度山を下りてから再び山道になります。延々とひたすら山道を走り、とにかく遠いんです、山を出てからさらに走り続け、やっと「トゥエルブ・アポストルズ」(12 Apostles)に到着しました。

ここの駐車場で初めて観光バスを見ました。

聞くところによると、新型コロナのために観光バス業界は廃業状態となり、その後も復活出来ていないんだそうです。

例えば、有名なツアー会社で「AAT Kings」というのがあるんですけどね。かつては、観光地で「AAT Kings」の観光バスを見ないことは無いほど人気のツアー会社でした。

私も30年前に「AAT Kings」のツアーで、セントラルオーストラリア(大陸のど真ん中部分)をキャンプ旅行して一生忘れない経験をしましたけど、この「AAT Kings」の観光バスは消えて無くなってしまったも同然の状態なんだそうですよ。

今回の旅行で観光バスを見たのは、「トゥエルブ・アポストルズ」の駐車場で見た1台だけでした。

グレートオーシャンロードにも、観光客は戻って来ていないそうです。どの町にも空き店舗が多くて、新型コロナが観光産業に与えた被害の大きさがうかがえました。

それはともかく…

「トゥエルブ・アポストルズ」はさすがに素晴らしかったですよ。立っているのも難しいほどの強風が吹き荒れていましたが、駐車場から歩道を歩いて海岸部に出ましたらね、突然目の前に現れました。


スケールの大きさは写真では伝えられません。行って実際に見てみないと分からないです。メルボルンからはかなりの距離がありますけど、行って見るだけの価値はあります。

「トゥエルブ・アポストルズ」の後も、同様の奇岩の風景が続きます。「ザ・レイザーバック」(The Razorback)という剃刀の刃のような岩とか。


ジブリ映画「紅の豚」に登場する入江にそっくりの「ロック・アード・ゴージ」(Loch Ard Gorge)とか。


下まで降りて写真を撮りたかったんですけど、階段が使用禁止になっていたので下りられませんでした。

この頃には雨が降り始めました。

雨はどんどん強くなり、強風も吹いていたので観光には最悪の状況になったんですが、もう1つの奇岩「ロンドン・ブリッジ」(London Bridge)は絶対に見たかったので行きました。


この岩はブリッジという名前が示す通り、以前は橋の形をした岩だったのですけど、1990年に一部が崩落したんです。下の写真は崩落する前の「ロンドン・ブリッジ」です。


崩落が起きた時、この岩の上には観光客がいたんです。そして、2人の観光客が岩の上に取り残されてしまい、ヘリコプターによる大規模な救助が行われました。

もちろん大きなニュースになりましたけど、「ロンドン・ブリッジ」の崩落は別の話で有名になったんです。この時岩の上に取り残された男女2人の観光客は、実は不倫中のカップルだったのですよ。

メディアのヘリコプターがやって来て、岩の上に取り残された2人を撮影して全国ニュースで放送したそうですけど、男性の方は奥さんに内緒でこっそり彼女と旅行に来ていたことが分かったそうです。この岩の崩落によって2人の不倫旅行は全国民に知られてしまったというわけです。

私達が「ロンドン・ブリッジ」を見学中に雨も風もさらに強くなりました。それ以上の観光はあきらめて、私達はこの日の宿泊予定地ワナンブール(Warranbool)に向かったんですが、朝の出発が少し遅れていたら「トゥエルブ・アポストルズ」の観光も強風と雨の中ということになっていたんですよ。

早く出発して良かったです。何とか「ロンドン・ブリッジ」も見に行けましたしね。

強風と土砂降りの雨の中、制限速度が100キロという道路を必死で運転していると、雨は小ぶりになりました。やれやれとホッとした時、道路が通行止めになりました。

木が倒れて道路をふさいでいる!


引き返すことも別の道を行くことも出来ませんから、待つしかなかったです。

木を粉砕する機械を積んだ大きなトラックがやって来ました。幹や太い枝はチェーンソーで切って道路脇にどかしていましたが、枝の部分は結構太い枝もその機械が飲み込むようにして次々に粉砕して行きまして、40分ほどで通れるようになりましたよ。

この後再び大雨になりました。

ひどい天気になっていることを知った叔父さんの奥さんから連絡が来ました。1日早めに泊まりに来たらどうかと言ってくださったので、私達はワナンブールでの観光も宿泊もあきらめて、叔父さん宅に行くことにしました。

ワナンブールでは、古い海辺の村「Flagstaff Hill Maritime Village」を見学したかったんですけどね、お天気が最悪だったからあきらめるしかなかったです。

もう二度と行くことはないでしょうから残念ですけど、仕方がないです。

ということで、予定よりもさらに2時間くらい運転することになりました。再び降り始めた大雨の中をですよ。制限速度100キロの標識が立っている田舎の道をです。高速道路ではありませんよ。普通の田舎の道です。

そんな道を大雨の中100キロで走るなんて危険過ぎるでしょう!

私は80キロくらいで頑張りましたけど、怖かったわ。

(続く)


お帰りの前に1クリックを!



1000キロ運転旅行(1)

1000キロも私一人が運転をする小旅行に行くことを決意したのは、「今年は出来るだけたくさん楽しいことをする」という新年の抱負のせいです。

本当のことを言えば100キロだって運転したくないんですけど、遺伝性の黄斑変性「スターガルト病」で目が見えなくなって来ているうちの夫はもう車の運転が出来ないわけですから、夫婦でどこかに行きたいのなら私が運転するしかないわけで。

運転をしたくないなら、どこにも行けないことに不満を言うべきではないと思いましたので、「だったら私が運転する!」と決めたのでございます。

行き先は、メルボルンに30年も住んでいるのに行ったことがなかったグレートオーシャンロードに決めました。

グレートオーシャンロードだけなら1泊2日でも観光して来れると思いますが、夫の叔父さんの家にも行くことになったので3泊4日の旅行となりました。

旅行1日目の目的地はアングルシー(Anglesea)という町でした。

私達はメルボルンの東側に住んでいるので、ヴィクトリア州の西側に行くためには混雑で有名な「ウエストゲートブリッジ」という橋を通らなくてはいけないんですけど、この橋に入るための道路が大変分かりにくかったです。

一人ではとても無理でしたよ。助手席でうちの夫が指示してくれる通りに走ったんですが、標識とかは目が悪いはずの夫の方が私よりもよく見えるんです。慣れているのもあるでしょうけど、まあとにかくメルボルン市内の道路は分かりにくいし交通量は多いし意地悪なトラックもいるしで怖かったです。

ノロノロ走っていたわけではないのにね、巨大トラックにテイルゲイトされて(後ろにピッタリくっついて走られる)クラクションを鳴らされたりしてビクビクしました。

高速道路に入ってからは、ひたすら時速100キロで走るだけ。真っ黄色の美しいキャノーラ畑がいたるところに広がる景色を楽しみながら最初のストップ、ジロング(Geelong)の街に向かいました。

うちの夫が勤めるツールショップのジロング店に行って、電話でしか話したことがないその店のスタッフに会うというのがジロングに行った唯一の目的です。わざわざそれだけのために行ったのですよ。

夫がスタッフに自己紹介をしてから店内を見学していましたらね、一人のお客さんが高圧洗浄機を見ていました。実際にハンドルを持ったりしていろいろ見ていました。

うちの夫はこれを無視して通り過ぎることが出来なかった!

「高圧洗浄機をお探しですか?ボクは別の店に勤めているんですけど、今休暇中でこっちに旅行に来たついでに店に寄ったんですけどね…」と言って、夫の営業トークが始まったのでございますよ。

高圧洗浄機を購入する時に考慮すべきポイント、各メーカーの商品の特徴や違いなどについて説明するのを、お客さんと私は聞きましたよ。お客さんはいろいろ質問をしたから話は長くなりました。

うちの夫は歩く百科事典とも呼ばれるほどツールについての知識が豊富なんですけど、夫の説明を聞きながら「よくまあいろいろ知っているもんだ」とその記憶力に感心しました。

お店を出て、近くのベーカリーでランチを食べた後、いよいよ海岸に向かいました。

…と思っていました。

クイーンズクリフ(Queenscliff)まで行って博物館でも見ようかと思ったんですけど、それをすると80キロくらい余分に運転をしなくてはいけなかったので気が滅入り、行かなかったんです。せっかく来たんだから頑張って行けばよかったと後悔しました。

その代わりに、ジロングから南の海岸に出て、そこから海沿いの道路を進んでアングルシー(Anglesea)まで行くと私は思っていたんですけど、うちの夫の指示通りに走っていたら、海岸とは程遠いところにある高速道路を走ることになったのですよ。

目的地をグーグルマップに入力しから、グーグルマップのナビゲーションの言う通りに私に指示していたからそうなったんです。「海を見に来たのに高速ばっかり走っていて私は道路しか見ていない」と大いに文句を言いました。

仕方がないのでそのまま高速を進み、サーフィンで有名なトーキー(Torquay)の町を過ぎたところにあるベルズビーチ(Bells Beach)の海岸に行きました。そこは国際的なサーフィンの大会も開かれるビーチだそうです。


この写真ではよく分かりませんが、大勢のサーファーが海に出ているんですよ。サーファー達は黒いウエットスーツを着ていましたから、小さな黒いアリがたくさん浮かんでいるように見えました。


この日は土曜日で天気も良かったので、とても大勢のサーファーが来ていました。天気は良くても気温は低くて寒かったんですけど。


波が大きくて、私なんて数メートルでも海に出るのは怖いような状況でしたが、オリンピックで見たような見事な波乗りを見せるサーファーもいました。

このビーチから宿泊予定のアングルシー(Anglesea)まではあっという間でした。BIG4という食泊施設のキャビンに泊まりました。BIG4はオーストラリアでは大変人気のある食泊施設で、自炊ができる家族用の家みたいなのからホテルのようなキャビンまで、旅行者の好みに応じて様々なタイプから選べます。

キャンピングカーや持参のテントに泊まっている人もいましたよ。宿泊の方法はいろいろで、必要な設備はすべて揃っていますから快適です。うちの夫は、仕事の関係でこれまでに各地のBIG4に泊まっていますが、どこのBIG4も非常によく管理されていると言っていました。

しかし…

アングルシー(Anglesea)という町は小さくてイマイチだったんです。BIG4は海の近くではなく住宅地の中にあって眺めの無いキャビンだったし、町には食事をする場所も限られていました。この町に宿泊するのはオススメしません。

グレートオーシャンロードで宿泊するなら、もう少し行ったところにあるローン(Lorne)かアポロベイ(Apollo Bay)の方がいいですよ。町がもっと大きくておしゃれだし店も多いし、同じBIG4も眺めが良いですから。

アングルシー(Anglesea)では、晩ご飯にこの旅行で食べたかったフィッシュ&チップスを食べたんですけど、これまでに食べたフィッシュ&チップスのうち最も油っこいフィッシュでした。海辺の街なのに、魚の選択肢は2つしかなかったし、衣がサクサクし過ぎてドライでガッカリでした。


しかも天気が最悪だったんですよ。冷たい雨が降っていました。風も強かったし。町を観光しようと思ったけど何も無かったですからね。私達はさっさとBIG4に戻ってテレビを観たのでした。

(続く)


お帰りの前に1クリックを!



2024年9月11日

旅行話よりも大事なこと

昨日の夜、人生最大の小旅行から無事に帰って来ました。全走行距離はおよそ1000キロ。夜ベッドに入って目を閉じると、ルームミラーに映る後続車のことが頭から離れないという、運転に始まり運転に終わったストレスマックスの旅行でした。

ヴィクトリア州は地図で見ると小さく見えるし、今回の旅行で行ったのはヴィクトリア州の南西部だけですが、遠かったですよ。

今日は詳しい旅行記を書く予定ですが、その前に別の大事な話を書かなくちゃあいけません。

先月「スピード違反で罰金247ドル」という記事に書いた件なんですけど、あの記事にコメントをくださった方がいたんです。「2年間スピード違反をしていなくて、違反した速度が10キロ以内だったら免除を受けられる」と教えてくださったんです。

交通違反による処分に納得がいかない人が異議を申し立てる「不服申立」というのとは違うんですよ。

これはですね、スピード違反をした事実に対して受けた罰金と減点という罰則を免除してもらいたいというお願いなんです。詳しいことは、ヴィクトリア州警察のウェブサイトのこのページを見ていただくとして。

超過速度が10キロ未満だったと証明された場合、以下の条件を満たしていれば罰則の代わりに公式警告を受けることが出来ると書いてあります。

  1. 過去2年間に速度違反や交通関連の違反をしていないこと、あるいは公式警告を受けていないこと
  2. 優良運転記録の基準を満たしていること

例外とか考慮してもらうための条件がいろいろあります。

条件等をすべて読んで、自分が罰則の免除を考慮してもらえる可能性があると思ったら、ビクトリア州警察の「交通監視カメラ事務所」(Traffic Camera Office)に手紙を書けということなんです。だから、私は手紙を書いたんです。

まずは、学校の登校時間に制限速度が40キロになっていた区間を6キロオーバーの46キロで走っていたことを謝罪して、自分が安全運転者であること、いつも運転する速度が遅いためにテイルゲイトされる(後ろの車にピッタリついて走られる)から速度を出さないといけないとプレッシャーを感じていること、収入が無いので罰金の支払いが困難なこと、5年ほど前にスピード違反をしているけど(その時も6キロオーバーだった)運転していたのは私ではなかったこと、でもちゃんと私が罰金を払ったし減点も受けたことなどを書きました。

手紙を書いてから1ヶ月になる今週の月曜日に、ビクトリア州警察から罰金と減点の罰則免除の通知が来たんです。家にいた息子が手紙を開けて内容を確認し、旅行中の私に教えてくれました。

罰金を支払い済みだった場合は返金されると書いてありましたよ。私は支払っていませんでした。手紙を書いた翌週には、私の手紙を受け取ったことの確認と、審査中なのでこの違反に関しては連絡が来るまで何もする必要がないと書いてありましたからね。

まあとにかく、247ドルの罰金を払わなくて済んだのです。

罰金と減点の代わりに公式警告をもらいましたので、今後2年間に再び交通違反をすると罰則は避けられません。

もうね、どんなに後ろにピッタリくっついて走られても、制限速度が40キロのところは40キロで行きますよ、私は!


今回の旅行中には、制限速度が100キロとかそれ以上の高速道路や田舎道がたくさんあって、私はホントに苦労したんです。そんなスピードで走るのは怖いんです。旅行2日目には嵐に見舞われたんですけど、悪天候の中では100キロなんて不可能な話ですよ。というか、そんな速度で走るべきじゃあないと思うんですけど。

とにかく私は速度を出せないので、何度も何度もテイルゲイト(後ろにピッタリついて走られる)されてねえ。むちゃくちゃストレスが溜まりましたよ。

そういう私が、時速46キロで走っていて罰金247ドルを食らったというのは、家族や知人の間では笑い話になっていたんですから、ホントにもう。

免除のお願いが出来るということを教えてくださって匿名さん、教えてくださってホントにありがとうございました。助かりましたよ。

うちの夫は、警察からの罰則免除の通知を額縁に入れて飾っとけと言っています。そんなことはしませんが、大事な書類を保管しているフォルダに入れておきました。


お帰りの前に1クリックを!



2024年9月7日

人生最大の小旅行

薬屋が紛失したうちの夫の処方箋の件ですが、昨日も連絡はありませんでした。

ちゃんと防犯カメラをチェックしてくれているのか、私が本当のことを言っていることが分かったから処方箋を探しているのか、この件はすっかり忘れてしまっているのか、私には分かりません。

ところで、うちの夫が水曜日から2週間の有給休暇中で、旅行なんて無理だと分かっているけど、せめてヴィクトリア州内のどこかに行こうよという話をしていてたんですけど。

行くとしたら運転は私がしなくちゃあいけないんです。うちの夫は、遺伝性の黄斑変性「スターガルト病」で目が見えなくなって来ていて、もう車の運転ができないんですから。

どこかに行きたいんだったら自分で運転するしかない。それがイヤならどこにも行けないことを受け入れるしかない。ここで、私は新年の抱負を思い出しました。

お正月に「今年はできるだけたくさん楽しいことをする」という新年の抱負を立てたんですから、楽しいことのためには運転を頑張るしかないと決心しました。

「じゃあどこに行く?」ということになって、グレートオーシャンロードに行くことにしたんです。グレートオーシャンロードは人気の観光地ですが、私はメルボルンに30年以上も住んでいるのに行ったことがなかったんです。

グレートオーシャンロードは、メルボルンからは南西にある海岸沿いを走る道路で、「12 Apostles」(トゥエルブ・アポストルズ)や「London Bridge」(ロンドン・ブリッジ)などと呼ばれる奇岩の風景で有名です。


ちなみに、上の写真の「トゥエルブ・アポストルズ」はですねえ、私がメルボルンに住むようになった頃にはちゃんと岩の柱が12本あったんですけど、波と風雨のためにいくつは崩れ落ちてしまって、現在は何本残っているのか知りません。

グレートオーシャンロードの近くにはオトウェイ国立公園というのもあって、森や野生動物も楽しめるということですが、そういうのは東側にもあるんでして、私はもう森や野生動物には興味がないです。

グレートオーシャンロードの途中から北に向かい、うちの夫の叔父さんの家に行くことになっています。叔父さんと言っても、歳は私と同じくらいの方です。

うちの夫はこの叔父さんの家に何度か行っていますけど、私が行ったことがなかったのは興味がなかったこともありますけど、我が家から片道6時間もかかるからです。(車で直接行けば4時間ぐらいらしい…)

叔父さんは、ペンズハースト(Penshurst)という人口数百人の小さな町に住んでいるんです。


上の地図の三角形になっている海岸線がグレートオーシャンロードですよ。全部走るには数時間かかります。

叔父さんの家に泊めてもらった後、バララット(Ballarat)という街を経由して帰って来ることになっているんですけど、いったい私は何時間運転することになるんでしょうかね。

全行程で1000キロ以上は運転するんですからね。今回の小旅行は、私にとっては人生最初で最後の大旅行と言えるかもしれません。こんな長距離を運転したことはないですから。

これから準備をして行って来ます。最初のストップは、ジロング(Geelong)という町にあるツールショップです。うちの夫が勤めるツールショップのジロング店ですよ。ここのスタッフに会いたいのだそうです。

相変わらず…

ちなみに、最終日の最後のストップは、ツールショップのバララット店なんですよ。この旅行にツールショップのユニフォームを着て行くんじゃあないかと心配です。ドバイに行った時には、ツールショップのユニフォームを着てましたからね。

まあとにかく、そういうことなので数日は記事をアップできませんから、皆さんは古い記事でも読んで行って下さい。


お帰りの前に1クリックを!



2024年9月6日

引き下がらないお客

…というのは、私のことです。

水曜日にうちの夫の薬を買いに行ったんですよ。ショッピングスクエア内にある薬局ですが、道路向かいにあるハイスクールから高校生が大勢出て来る時間でした。

この薬局では、処方してもらった薬は紙袋に入れてくれて、その紙袋に値段が印刷されたシールが貼ってあって、それをレジに持って行って代金を払うというシステムになっています。

最初のうちは毎回袋の中身を確認していたんですけど、何度も買っている薬ですし、最近はもういちいち紙袋の中身を確認していませんでした。

ちなみに、別の薬局ではカゴに入れてくれるので、受け取ったら容易に確認することが出来ました。

家に帰ってから紙袋を夫に渡しました。

夕方、薬の箱がテーブルに出してあるのを見ました。いつも買っている3種類の薬でした。薬局ではいつもと同じブランドのにしてくださいと頼んだので、いつもと同じ薬でした。

紙袋には処方箋のリピートが入っていたはずでした。


ここで、ちょっと説明させてもらいますとね、処方箋のリピートというのは薬局でもらう黄色い紙に印刷された処方箋です。オーストラリアでは、薬を購入するたびに医者に会う必要はありません。医者がくれる処方箋は、薬の種類にもよりますけど、数回購入が出来るようになっているんです。

夫は3種類の薬を服用していますが、1つの薬の処方箋は3回分、残りの2つは5回分です。ちなみに、私の睡眠薬は1回分です。もっと睡眠薬が欲しい場合は医者に相談に行くしかありません。簡単には処方してくれない薬です。

何回か繰り返し購入できる処方箋の場合は、薬を購入するたびに、あと何回購入できるという「リピート数」が印刷された黄色い処方箋を薬屋でもらうんですよ。

黄色い処方箋には最後に購入した日付が印刷されていて、購入日から一定期間は新たに薬の購入が出来ないように決められています。

「リピート数」がゼロになると当然黄色い処方箋はもらえませんから、医者に会って新しい処方箋を書いてもらわなければいけません。


さて…

我が家では、黄色い処方箋は保管用のフォルダに入れて薬と同じ棚に保管していますから、夫の薬の処方箋もフォルダに入れておかなければいけません。

テーブルには薬の箱と紙袋しか置いてありませんでした。黄色い処方箋はどこにあるのかと夫に聞いたら、紙袋に入っていなかったと言いました。

それはおかしい!

私は薬局に黄色い処方箋を2セット(合計5枚)持って行ったんです。1つには2枚の黄色い処方箋がホッチキスで止めてありました。もう1つには3枚の黄色い処方箋がホッチキスで止めてありました。

3枚のうちの2枚は、別のセットの2枚と同じ薬のものです。2枚セットの方が古かったので、2つの薬は古い方の処方箋を使うように頼みました。

夫はもう1つ別の薬が必要です。3枚がホッチキスで止めてあるセットの別の1枚がその薬の処方箋でした。

分かりにくいかもしれませんが、3枚がホッチキスで止めてあるセットのうちの2枚はまだ使っていなかったんです。だから「リピート数」は5回と書いてありました。

とにかく、私は合計5枚の黄色い処方箋を渡したのです。そのうちの2枚は使う予定はなかったわけですけど、ホッチキスで止めてあったので一緒に渡したんです。いつもそうしています。

さて、3つの薬を買ったので、たとえそれらの処方箋が全て「リピート数」がゼロになったとしても、使っていない2枚の処方箋は返してもらうはずですよね。それなのに紙袋には何も入っていなかったのです。

そこで、昨日の朝一番に、私は一人で薬局に行ったんですよ。事情を説明したスタッフは少し混乱していましたが、薬剤師に説明していました。薬剤師は事情が理解出来ないようで、私は何度も説明し直さなくてはいけませんでした。

スタッフがうちの夫のデータベースをチェックすると、最新の処方箋(3枚セットの方)に止めてあったまだ使っていない2枚分の情報が入っていませんでした。

古い2枚セットの方には、まだリピートが残っていたことが分かり、黄色い処方箋を印刷し直すことは出来るけどそれを私には渡せないと言うんです。薬局に置いておくことなら出来ると。どういうことですか?

まだ使っていない2枚については事情が不明だから申し訳ないけど何も出来ないと言います。

「どうしますか?」と言われて私は困りました。

うちの夫が医者に会って新しい処方箋を書いてもらえば済むことだからあきらめようかなと一瞬思ったんですけど、私は「あったはずの使っていない2枚の処方箋を見つけて欲しい」と言いました。

ここから大事になりました!

お客が次々にやって来て忙しくなる薬局で、なにやらもめている難しい客(に見えているはず)の私にお客さん達の視線が集まります。

明らかに薬局の誰かのミスで処方箋が行方不明になっているのに、それもまだ使っていない5回も購入できる処方箋が2枚ですよ。本当は古い方の2枚だって「リピート数」は残っていたのに。

薬局は忙しくなって来たし、スタッフはイライラしていたし、私が我慢して「もういいです」と言えば済むことだったかもしれません。

夫がもう一度医者に会いに行って、処方箋が無くなったことを説明すれば、新しい処方箋を書いてくれる可能性はありますよ。しかし、何らかの規則があって書いてくれない可能性もあります。その場合は大変困ることになります。

やっぱりね、私は納得がいかなかったし、ここで我慢して引き下がるのも悔しいと思いました。だから、少なくとも使っていない新しい処方箋だけは見つけてもらいたいと主張したんですよ。

100%本当のことを言っているので、私は自信もありましたしね。

前日に私が処方箋を渡したインド人女性スタッフが薬剤師に指示されて、処方箋の束を探していましたけど、私が言っていることが本当かどうか分からないというようなことを話している声が聞こえました。

私がウソをついてこんな面倒なことをしていると思うのか?

「昨日の午後のことですよ!ちゃんとアナタに説明したじゃないですか!」

そうしたら、薬剤師が店の防犯カメラをチェックすると言ったんです。

処方箋を渡すカウンターの上にカメラが設置されているので、それを見れば私が本当に処方箋を2セット(合計5枚)を渡したかどうかは確認できますからね。私もそれはいい考えだと思いましたよ。私が本当のことを言っていることが証明されますから。

防犯カメラをチェックするのは時間がかかると言われたので、私は連絡用の電話番号を教えて家に帰りました。

一日中待ちましたが連絡はありませんでした。今日は連絡があるでしょうかね。今度はうちの夫にも一緒に行ってもらいますよ。

アジア人のおばちゃんが来るのと、身体の大きな白人の男が来るのとでは、残念ながらスタッフの本気度に違いが出ますから。

ということで、この話は続きます。


お帰りの前に1クリックを!



2024年9月5日

有給休暇と男子高校生

うちの夫は昨日から2週間の有給休暇です。

多くの人達は旅行に行ったりするわけですが、私達はどこにも行きません…と言うか行けません。経済的に無理です。私が収入がゼロですからね、文句を言える立場ではないんですが、海外旅行は無理でもせめて州内のどこかに行こうという話をしているところです。

州内ということになると、車で行くんですから私が運転をしなくてはいけないわけで、どこに行くにしても遠いから長距離運転になるのでして、それはイヤなんですけど、どこかに行きたいんだったら運転を頑張るしかないわけです。

2週間の有給休暇は、まずは夫がしたかったことからスタートしました。したかったことというのは、

献血です!

「何だそれ!」と思うでしょ?私も思いますよ。

しかし、したいんですからしようがない。昨日の朝、私は夫を献血センターまで送って行きました。私も血圧の薬の処方箋をもらいにリム医師に会いに行ったりしてバタバタと忙しく、3時過ぎに家に帰ったんですけど。

帰る前に夫の薬を買いに近くのショッピングスクエアに寄ったんです。3時頃でしたから、ちょうど学校が終わった時間でした。高校生達がドドッと学校から出て来るところでした。

ショッピングスクエアの道路向かいがハイスクールなんです。この時間帯は制限時速が40キロですからね、それだけは注意して運転しましたよ。

薬局に行って薬を買って外に出たら、私は「何事か!」とびっくりしました。出入口の付近に数十人の男子高校生がいたんです。そして、全員がフィッシュ・アンド・チップスの店に並んでいるか、店の中に並ぶために外で待っているか、店の外で食べているかでした。

お隣りには、店の半分がお菓子売り場という中国系アジア食品店もあるし、他にもいろいろテイクアウェイの店はあるんですけど、男子高校生達が食べたいものはフィッシュ・アンド・チップス一択だったようです。

駐車場から出ようとした時、白い紙の箱を抱えて食べながら歩いている男子生徒がいました。何を食べているんだろうかと思って見てみたら、箱に入っていたのはチップス(フライドポテト)でした。

家に帰ってから、このフィッシュ・アンド・チップスのお店のメニューを見てみたら、チップスだけだと小サイズが4ドルです。

私達は大サイズを買ったことがあるんですが、3人で食べ切れなかったので、男子高校生のお腹を満たすには小サイズでも十分かもしれません。

フィッシュ(魚の天ぷらみたいなやつ)も含めたセットだといくらぐらいなんだろうと思ってメニューを見ていましたらね、いいものを見つけましたよ。

高校生限定スチューデントパック!

魚の天ぷらみたいなの(小サイズ)1個、イカリング揚げ1個、ポテトケーキ(ジャガイモを5ミリくらいスライスしたやつの天ぷらみたいなの)1個、揚げディムシム(大きなシューマイ)1個、チップス(フライドポテト)、好みのドリンク1缶のセットで、なんと7ドル!

安くて美味しくてお腹が膨らむ高カロリーの揚げ物とドリンクのセット。学校が終わってお腹を空かせた男子高校生達が食べたくなるのは納得です。

チップスだけ買って食べている男子もいました。食べたくなる気持ちは分かります。私も時々チップスだけ買って食べていましたから。揚げたてのホクホクのチップスは美味しいですからねえ。

ちなみに、フィッシュ・アンド・チップスのお店にいた高校生は、全員が男子でしたよ。女子は一人もいませんでした。

それも納得!

年頃の女子は、もっとヘルシーな食べ物を選ぶに違いないですからね。

ああ、この記事を書きながらチップスが食べたくてたまらなくなったわ…


お帰りの前に1クリックを!



2024年9月4日

突然死んだ時に備えて

私が趣味でレシピサイトを運営していることは度々話題にしていますが、昨日でレシピの数が2,700になりました。来年か再来年には3,000レシピを達成しそうです。


始めたのは2012年ですから12年もやっていることになるんですけど、塵も積もればなんとやらで、我ながら大したもんだと思っています。レシピサイトは命の次の次の次くらいに大事なものになっていますから、何らかの事故で失ってしまうことが心配でたまりません。

ですからね、定期的にバックアップをしていますし、コンピューター(私のはMac)に保存してあるレシピや撮った写真の整理整頓も必ずやっています。昨日は、その整理整頓をしていたんです。

写真はとにかく大量なので、カテゴリーや食材の種類によって分類し、それぞれのフォルダに保存してから、定期的に外付けハードディスクにバックアップしているんですけどね。

それをやりながら、ふと思ったんです。もしも私が不慮の事故か何かで突然死んだら、私のレシピサイトはどうなるのかと。

私の希望としては、私が死んだ後もインターネット上にずっと存在して欲しいんですよ。誰かが後を引き継いでさらにレシピを増やしてくれてもいいですけど、とにかく管理してくれる人が必要です。

それは、うちの息子か娘になると思いますが、あの2人はウェブサイトを作ったこともないし、私のレシピサイトはワードプレス(Wordpress)というコンテンツ管理ソフトで作ったんですけど、ワードプレスの仕組みも使い方も知らないでしょう。

せめて管理ページにアクセス出来るようにユーザー名やパスワードを教えておかないといけないなと思いました。

それに、私達家族が使っているメールですけど、ドメインもサーバーも自前なんです。その管理をしているのは私なんですよ。ログイン情報を知らないうちの家族には何も出来ないでしょうし、どの会社のホスティングを使っているかすら知らないでしょうね。

私が突然死んだらうちの家族は大いに苦労します。

そこで、もしもの時に彼等が困らないように、分からないと困るであろう情報を全部書き出しておくことにしたんです。まるで「遺言」みたいになりました。

ログイン情報というのは全て手帳に記録しているんですけど、手書きですしね、書いた自分が見ても分かりにくかったです。

それらの情報が正しいことを確認しながら書き出して行ったんですが、レシピサイトやブログやメール関係の情報にとどまらず、教えておかないといけないことはたくさんありましたよ。

銀行口座やスーパーアニュエーション(老後のために積み立てていく義務的な貯蓄制度)に関すること、税金や健康保険などの管理をする政府のサイト「myGov」や自動車保険やフェイスブックやあれやこれやと、まあいろいろありました。

どれもこれも分からなかったらうちの家族は困ると思います。

半日がかりで書き出したログイン情報リストには銀行口座の情報も書いてありますから、コンピューターに保存しておくわけには行きませんので、USBスティックと外付けハードディスクに保存しました。

「もしもの時にはそれを見ろ」と言っておけば大丈夫ということです。


うちの夫の友人Cさんは、先日お父さんがお亡くなりになったんですが、そのお父さんも私が昨日したように銀行口座の情報とかいろいろなログイン情報を整理しておられたんだそうですよ。

ところが、それはお父さんのパソコンに保存されていたんです。そして、そのパソコンは起動させるのにパスワードが必要だったんですって。

そのパスワードを忘れてしまうと大変なことになるからということで、お父さんはパスワードを紙に書いて書斎のどこかに置いておいたそうですが、認知症になられてしまってパスワードも忘れたけどパスワードを書いた紙がどこにあるかも忘れました。

お父さんの書斎というのがまたちょっとねえ、ゴミ屋敷状態と言っても良い散らかりぶりで、何がどこにあるかなど本人にしか分からないのですよ。結局パスワードを書いた紙は見つかりませんでした。

お父さんは誰にもパスワードを教えなかったので、誰もパスワードを知りません。ですから誰もお父さんのパソコンを起動させることが出来なくて、Cさんは大変苦労されました。

まだ元気なうちに(覚えているうちに)準備をしておくべきでした。

Cさんのお父さんのような事になってはいけませんからね、私は必要だと思うことは全部USBスティックに保存しましたよ。私のMacは、誰でも簡単に起動できますけど、情報はパスワードで保護されていますから。

USBスティックに保存したファイルは誰のパソコンでも見れますし、いつでも追加したり変更したり出来ますから、良い方法だと思います。

それを聞いた夫が言いました。

「つまり、火事の時にはそれを持って出ないといけないんだな」
そうです。USBスティックと外付けハードディスクさえ持って出れば何とかなります。私のデスクは整理整頓がちゃんと出来ていますから、探す必要もありません」

うちの夫もやっといてくれるといいんですけどねえ。夫が突然死んだら私達は困りますよ。夫の銀行口座やスーパーアニュエーションのことは、誰も何も知りません。

私は昨年の引っ越しの際に断捨離をしましたから、持ち物が少なくなって本当に身軽になっています。子供達に残せる遺産といえば、レシピサイトと出版した本くらいですし。

息子も娘もレシピサイトの価値は分かってくれているので、頼まなくてもちゃんと管理してくれると思っています。

でもあれですね、ログイン情報を教えるだけじゃあなくてワードプレスの使い方も教えておいた方がいいですね。


お帰りの前に1クリックを!



2024年9月3日

メディアの偏向報道と洗脳された友人

米国の大統領選挙まであと2ヶ月となり、焦るドナルド・トランプが見苦しい選挙戦を繰り広げています。

相変わらず口を開けばウソやデタラメばかり。トランプは息をするようにウソをつく人だと言われますけど、よくもまあ、あれほどすらすらとウソや悪口が言えるもんだと思いますよ。

戦術的に苦戦しているのは明白です。特に女性のリプロダクティブ・ライツ(性と生殖に関する権利)に関しては、本人に確固たる信念がないわけですからね。賛成か反対か、どちらの方が票が多いかだけに関心があるんですから。

とにかく、毎日いろいろな出来事が起きて報道されますが、私は中立の立場の信頼できる複数のメディアから情報を入れるようにしています。偏向報道が目に余るメディアもありますから。

有名なところではFOXニュース!

保守派のメディアだったFOXニュースは、いまやトランプのMAGAカルトのプロパガンダ機関と化していますよ。同じニュースを報道しても、FOXニュースだけは取り扱い方が異常です。

それは、トランプが前回の大統領選挙で根拠もなく選挙の不正を主張した時にも明らかでした。陰謀論を展開するトランプに肩入れする完全な偏向報道でした。投票集計システム「ドミニオン」の会社が選挙不正に関わったという虚偽の報道もしましたし。

トランプがMAGAカルトの信者達を扇動して連邦議事堂襲撃事件が発生した時も、FOXニュースだけは襲撃が暴力的ではなかったかのような印象を与える報道をしましたしね。

最近は、男性キャスターが民主党候補のハリス副大統領に関して報道機関とは思えないような発言をしたりもしていますが、私の友人の一人がこのFOXニュースにすっかり洗脳されてしまっているんですよ。

陰謀論を信じ込んでしまった人みたいな感じなんです。

米国の政治の話になると、ちょっともう信じられないような嫌悪感と怒りを見せて民主党やオバマ元大統領やバイデン大統領を批判するんです。

米国がどれほどひどい国になってしまったかを嘆き、民主党の腐敗ぶりに憤り、トランプが勝たなかった時の米国の将来を心配していると言います。民主党には激しい怒りを感じているようです。

FOXニュース以外のメディアを信用していないのか、他のメディアと報道内容を比較しようなどとは思わないらしくて、FOXニュースだけにのめり込んでいます。

YouTube では、FOXニュースの元看板キャスターで事実上解雇されたタッカー・カールソンとか、同じくFOXニュースの元司会者のメーガン・ケリーとか、そういう保守的な人達のチャンネルに中毒のようになっているんですよ。

人が変わってしまった…

そんな感じです。


陰謀論に洗脳されてしまう人が大勢いるのは知っています。そういう人達は本気で陰謀論を信じ込んでいるわけですよ。

友人には早く目を覚ましてもらいたいと思うんですけど、今書きながらふと思ったのは、もしかしたら認知症の始まりなのかもしれないということです。

いつも穏やかな人だったのに、どうして米国の政治の話であれほど苛立ったり怒ったりするようになったのか。最近、話をしていて言葉が出てこないことが増えているので、認知症の可能性があると思います。

いずれにしても、親しい友人が明らかにデタラメな話を信じて怒っているのを見るのは悲しいものです。どう対応したらいいのか私は分かりません。

言っていることの矛盾を友人の奥さんが指摘したりするとムキになって怒りますからね、私は反論したりせずに困惑して聞いているだけですが、正直なところうんざりします。

これが外国の政治の話だからいいようなものの、私達の暮らしに直接影響がある話だと困りますよ。

私は時々会うだけですけど、一緒に暮らしている家族は毎日ずっと聞かされて辟易しているに違いないです。


お帰りの前に1クリックを!



2024年9月2日

父の日のご馳走と重たい会話

昨日の日曜日は父の日だったので、うちの娘がご馳走を作りに帰って来ました。

作ったのはラザーニャ。パスタを粉から手作りして、合いびき肉で作ったソースには野菜やレンズ豆もいっぱい入っていて、ベシャメルソースもチーズもたっぷりの10人分くらいありそうなラザーニャを、一日がかりで作りました。


息子はデザートを作りました。私のレシピを使って「ルバーブとイチゴのコブラー」を作りました。



どちらも大変美味しかったです。片付けも洗い物もちゃんとやってくれましたから、お母さんも文句なしでした。


さて、ご馳走を食べながらの会話なんですけど、これがどうしてもうちの娘の仕事関連の話になるんですよ。

大学院で心理学を学んでいるうちの娘は、臨床心理士になるために今年の前半は病院のリハビリテーション科で研修を行い、7月からは「フォレンジック・ディサビリティー・サービス」(Forensic Disability Services)の司法精神医療施設で研修を行っているんですが。

犯罪事件を起こした人々の中で精神障害や重篤なメンタルヘルスの問題がある人達にサポートと治療を提供する施設ということなんですど、娘が研修している施設に入所している人達というのは知的障害のある性犯罪者なんだそうです。

その施設とは別の施設でも研修していますが、そこでは殺人や暴行事件などを起こした犯罪者にカウンセリングをしているそうです。先週は大変だったそうですよ。違法薬物中毒者で妻やガールフレンドに暴行を加えて逮捕された人達が対象だったからです。全員に知的障害があります。

こういう犯罪者達の社会復帰を支援する仕事というのは非常に難しいそうです。予算が足りていないので人材が不足しているのが最大の問題だそうですけど。

根本的な問題もありますよ。性犯罪者のうちでも小児性愛者というのは、カウンセリングで治せるようなものではないでしょう?社会復帰した途端に再び子供を襲った人もいるそうですしね。

私なんかは、そういう人達は隔離し続けるか科学的去勢のような強制的な措置が必要だと思うわけですけど、実際にこうした犯罪者と接して話を聞いている娘は、彼等は被害者でもあるんだと言うのです。親や家族や社会の誰かから虐待やいじめを受けて育ったんだと。

そして、知的障害のために様々なことを正しく判断することが出来ないし、他の犯罪者に搾取されたり被害を受けたりもしているんだと。

彼等は確かに犯罪を犯しましたが、だからもう隔離し続けるべきとか死んだ方がいいとか、そういう話には出来ないんだと。何とか社会復帰を支援したいけど十分なことが出来ていないのだと。

解決策の見えない重たい話をしながら、ヴィクトリア州の「性犯罪者隔離村」なるものの話になりました。

ヴィクトリア州西部にアララット(Ararat)という町があるんですけど、この町外れに「Hopkins Correctional Centre」(ホプキンス矯正センター)という施設があります。刑務所みたいな場所です。

ここに隣接した形で作られた「Corella Place」(コレラ・プレース)と呼ばれる隔離村があるんですよ。(ABC放送の記事を参照)

高齢者が集まって生活するシニア村というのがありますけど、それの性犯罪者版みたいな隔離村です。小さな家がたくさん集まっていて、性犯罪者達はそれぞれ独立して暮らしています。

刑期を終えても社会復帰をするには再犯のリスクが高すぎる場合、あるいは社会復帰への準備やリハビリのために、この隔離村で暮らすんだそうです。社会復帰後にリスクが高くなるとここに戻されたりもするそうですよ。

フェンスやゲートに囲まれていますが、逃げようと思えば逃げられます。ただし、足首に電子監視装置を装着されて24時間監視されているそうですから、たとえ逃げてもすぐに捕まります。

性犯罪者は再犯の確率が高いので、この隔離村を出て社会復帰した後も、もちろん一定期間は監視され続けるわけですが、24時間監視されていても再び犯罪を犯す人も多いわけですよ。性犯罪者の社会復帰支援には、本当に莫大な税金が使われているんですけど。

ABCの記事にも書いてありますが、「NDIS(National Disability Insurance Scheme)」というオーストラリアの障害者保険制度に当てられる予算のうちの多くが、障害のある一般の善良な市民の暮らしを支援するためではなくて、知的障害のある犯罪者の社会復帰支援に費やされているそうですよ。

娘が帰って来るたびに、終わりのない重たい会話が繰り返されています。


お帰りの前に1クリックを!



2024年9月1日

本を聴き終えてから行く

昨日の土曜日、ふと思いついてヘアカットに行きました。

いつもなら平日の朝1番に予約を入れて行くんですけど、その時間帯というのは学校の登校時間でなんですよ。道路は制限速度が40キロになるので学校周辺の道路はどこも混雑するんです。

前回ヘアカットに行った時、制限速度が分かりにくい混雑した道路を私は時速46キロで走っていたのをカメラに撮られて、247ドルの罰金を食らったんですよ。

土日にヘアカットに行くことなんてなかったんですけど、昨日は何も予定がなかったし、お昼前に予約が取れたので行って来ました。

実は夫が警察署に行く用事があるから送って行って欲しいと言ったんですが、昼からでもいいと言うのでヘアカットから帰ってから行くことにしました。度々書いていますが、うちの夫は目が見えなくなって来ているので、もう車の運転が出来ないんです。私が送り迎えをしなくちゃあいけないんです。

用事というのは、夫が勤めるツールショップの泥棒被害の報告書を提出するためでした。しょっちゅう泥棒に入られているんですよ。スタッフ全員で気をつけているのにやられるんです。プロフェッショナルの泥棒というのはすごいんですよ。あの手この手でやって来る泥棒達を相手に、お店のスタッフも大変です。

それはともかく…

ヘアカットの後にはショッピングセンターに寄りたかったんですけど、夫を警察に送って行かなくちゃあいけませんから買い物はあきらめて、すぐに家に帰りました。

「さあ警察に行きましょう」と言ったら、夫はちょうど昼寝をしかけたところでした。昨日も朝からずっとオーディオブックを聞いていましたけど、お昼過ぎになって眠くなったようです。

仕方がないので昼寝が終わるのを待ちました。

昼寝中に電話がかかってきたので夫は起きました。しばらくして寝室から出てきた夫は、またオーディオブックを聴いていました。

「そろそろ行きますか」というと、「ちょっと待って!今いいところだから、本を聴き終わってから行く!今やめるわけには行かない」と言いました。

しばらく待っていましたが、なかなか終わりません。

「今どのへんを読んでるの?」
「ちっ!(うるさいなあという顔をして)今はスコットランドのハンティングロッジに結婚式の下見を装って来てるところ!」
「そこ?…ということは、まだまだまだまだ終わらないわよ!」

本だと後どのくらいページが残っているかは分かりますけどね、オーディオブックだと分からないらしいですね。

夫が聴いていたのは、私が勧めてハマってしまったマイケル・ロボサム(Michael Robotham)の「サイラス・ヘイヴン」シリーズ4作目「Storm Child」でした。

途中で止められないという気持ちは分かります。私は、夜ベッドで読んでいて、終わりが近づいて来た頃に眠くて読み続けられなくなり、あきらめて眠ったものの夜中に目が覚めた時に読みたい気持ちを抑えられず、最後まで読み終えましたからね。

読み終えた後はもちろん寝付けず、その日は睡眠不足でつらかったのですけど、そうなることが分かっているのに読みたい気持ちを我慢出来ない本でしたから。

「聴き終えるまで待ってくれ」という夫を、私は待ち続けたんですよ。ニュースを読んだりキッチンの掃除をしたりしながらずっと待ちました。

やっと夫が本を聴き終えたのが3時頃。その後はソファに寝転んでくつろいだり誰かと電話で話したりしていて、4時が来ても警察に行こうとはしません。

「もう行かないんでしょ?」
「うん、今日は行かない」

何だそれ!

こんなことならショッピングセンターにも寄れたし、私は好きなことが出来たのに。

自分勝手過ぎ!


お帰りの前に1クリックを!