東日本大震災から10年となった昨日は、オーストラリアでもテレビやラジオでこのニュースが繰り返し報道されました。
この地震のことは、多くのオーストラリア人の記憶にも焼き付いています。津波が押し寄せ、建物や車が飲み込まれていく映像や福島原発事故の映像は、オーストラリア人にも大きな衝撃を与えました。
オーストラリア政府は、亡くなられた数多くの犠牲者に哀悼の意を評するとともに、大切な友人の日本とはこれからも困難に直面した時には助け合っていくという決意を、あらためて表明しました。
私は、東日本大震災の映像は生放送されたのを見ましたが、その映像を見た時の衝撃とともに、テレビのあった部屋の様子やその頃の暮らしを非常に苦しい気持ちと共に思い出します。
当時の私達家族は、生活に困窮していたのです。地震のニュースは、あの頃のつらい日々の記憶とセットになって思い出されるのです。
夫がやっていた事業が2年程前に破綻して、収入が無くなり、大きな借金だけが残りました。私は仕事を見つけて働き始めましたが、ちょうど地震があった頃に腰痛持ちだという理由で突然クビになりました。
夫は「うつ」がひどくなって毎日寝るようになり、私達は一時期収入が完全に無くなってしまったのです。
食べ物を買えないくらいですから、住んでいた家の家賃も払えないし、水道代も電気代もガス代も電話代も払えないんです。いつ水道や電気を止められるかと心配し、限度額まで使ってしまったクレジットカードの返済を求める電話に怯える日々でした。
経済的な困難はメンタルに大きな影響を及ぼしますし、メンタルが悪くなると仕事を探すこともできなくなります。
ああ、応募した求人の面接で号泣したのを今思い出しました。
私は睡眠薬なしでは眠れなくなって睡眠薬依存症になりました。うちの娘の不安障害も始まっていましたし、難しい年頃だった息子の家出騒ぎもあったりして、何もかもが悪い方に悪い方にと転がって行くんですよ。
私達家族の最悪の時期でした。
地震のことを思い出すとつらかった当時のことを思い出すので、あまり話題にしたくなかったのですけど、昨日は一日中地震と津波の話題は避けては通れませんでしたから、いろいろ思い出して気持ちが沈みました。
「どん底」と言える状況でしたけど、「どん底」の後はそれ以上に落ちるところはないのでして、義妹の経済的支援とセンターリンクの助けで、一日一日を何とか乗り切っているうちに、私達家族の暮らしは少しずつ良くなって行きました。
何らかの理由で現在つらい状況にいる皆さん、いつかトンネルの先に光が見える時が来ますよ。いつか必ず、つらい状況にも終わりが来ます。
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