2021年3月9日

R.I.P. オリバー・サックス医師

2015年にガンで亡くなったオリバー・サックス氏は、脳神経科の医師ですが、臨床経験を基に執筆した多くの著作で有名です。

オリバー・サックスを一躍有名にした映画「レナードの朝(原題: Awakenings)」は、サックス氏が患者のことを書いたノンフィクションが基になっています。

「レナードの朝」はもちろんのこと、「妻を帽子とまちがえた男」や「火星の人類学者」など、彼の著作の多くがベストセラーになっています。

ドキュメンタリー映画「Oliver Sacks: His Own Life」のDVDを買ってきて、いろいろトラブルがありましたけど、昨日やっと見ることができました。

サックス氏の両親はどちらも医者で、特にお母さんは当時の英国で先駆的な女性外科医の一人だったそうで、幼い頃から自分も医学の道に進むものと考えられていたそうです。ただし、医学と言っても分野は広いわけです。

サックス氏が、脳神経科の医者となり、精神疾患患者達の虜になり、診療を行いながら彼らの不思議で驚きに満ちた様子を執筆して人々を啓蒙した、その人生に大きな影響を与えた出来事が二つありました。

一つは、お兄さんの一人が病気になったことです。

第二次世界大戦中に爆撃されるロンドンを離れ、まだ幼かったサックス氏はお兄さんのマイケルと二人、イングランド中部地方に疎開します。全寮制の寄宿学校に入れられたのですが、この学校での語るも恐ろしい虐待やいじめのために、お兄さんのマイケルが精神的な病気になるのです。

統合失調症となり幻覚で苦しむ兄、それが家族の不名誉となり秘密とされ、家の中には緊張や不安が満ちていきます。

まだ幼かったサックス氏は、兄を可哀想に思うと同時に、自分を守るために自室にこもるようになりました。子供の頃のサックス氏は「病気」とも言えるほど重度に内気で、それは生涯にわたって影響したそうです。

お兄さんの病気や内気気質以上に彼の人生に大きな影響を及ぼしたのは、サックス氏が同性愛者であったことでした。

当時の英国では、同性愛は法律で禁止されていましたから、同性愛が見つかると逮捕されて刑務所に入れられたり、薬物矯正治療が行われたりしていました。

コンピューターの父とも呼ばれる数学者のアラン・チューリングは、第二次世界大戦中にエニグマを解読した人で、映画「イミテーション・ゲーム」で知られるようになりましたが、大きな功績があったにもかかわらず、同性愛の罪で逮捕された後、若くして悲劇的な亡くなり方をしています。青酸中毒による自殺とも言われています。

そういう時代でしたから、年頃のサックス氏は当然自分の性的指向に悩んでいました。父親との会話でカミングアウトした後、母親には内緒にしてくれと頼んだのに父親が母親に話し、それを母親に咎められ「お前など生まれてこなければよかった」と言われたことや、生来の内気も手伝って、サックス氏は非常に生きづらい日々を送っていました。

サックス氏が英国を離れて米国に行ったのは、そうした背景があったのでした。当時の米国、特にサンフランシスコには、同性愛者が多く住んでいましたから。

米国で個人的なつらい経験をした後、40年近くも誰とも性的な関係を持たずに、ずっと一人暮らしをしていたそうです。

つらい経験をして、心の葛藤に苦しむ若者が陥りやすいのが、薬物中毒です。サックス氏も長年薬物を常用していました。特に、メタンフェタミンから得られる高揚感の中毒になって、なかなか止めることができなかったそうです。

止めるきっかけになったのが、精神疾患患者達と脳神経にすっかり魅せられたことでした。

特に大きな転機となるのは、「レナードの朝」で描かれている嗜眠性脳炎という病気の後遺症で何年も身動きできず、ほとんど彫像のように固まったままだった患者達です。彼らはLドーパという薬を投与されて突然回復するのですけど、ヒトの脳というものが、どのようにして記憶や認知や個性と関係しているか、サックス氏はこれを明らかにしようと試み、研究を続けることになります。

サックス氏にとって、患者は研究のデータではありません。彼は、外に見えている患者ではなく「中にいるその人」に常に目を向けています。一人ひとりの患者に寄り添い続け、患者の話を聞き、その人を知ろうとする姿勢を持ち続けます。

この映画には、以前の私なら「怖い」とか「気持ち悪い」と感じてしまうような状態の患者が多く登場しますが、サックス氏の話を聞き、彼が患者達に接する様子を見ていると、この私ですら「中にいるその人」に意識が向いて行くのを感じました。

精神的な病気や脳神経の問題から生じる病気の患者に対しては、現在でも根強い偏見がありますが、サックス氏が一般の人々の意識を変えてきたことは確かなのです。


それと、彼のプライベートに関することですが、恋人もパートナーもなく一人で行きてきたサックス氏が、人生の最後の章で素晴らしいパートナーに出会い、幸せな数年間を送ったことは良かったです。

これから、サックス氏の最後の著作「道程 オリバー・サックス自伝(On the Move: A Life)」を読もうと思います。


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