2020年7月26日

史上最も過酷なマラソン

新型コロナのパンデミックが起きていなければ、今頃は東京オリンピックが開催されていたはずということで、新聞にオリンピック関連の記事が載っていました。

その記事で、初めて1904年のセントルイス大会のクレイジーなマラソンのことを知りました。私は子供の頃からオリンピックのファンで、オリンピックのエピソードは結構よく知っているのですけど、セントルイス大会のことは初耳でした。

1904年というのは明治37年です。セントルイス大会は、3回目の近代オリンピック大会でした。

万博と併催されていたこのオリンピックでは、近代オリンピックの提唱者であるクーベルタン男爵も呆れて「ひどい見世物」だと言ったという、先住民族の体力比べ「人類学の日」と呼ばれるイベントも行われました。

万博会場のアイヌ村の展示物であったアイヌの人も参加しています。

このイベントでは、あぶらを塗った棒登り、やり投げ、泥投げなどを様々な国の先住民達に競わせて白人の観客に見せたのです。スポーツじゃあないですよね、見世物です。

このセントルイス大会のマラソンがすごかった!

出場予定選手は41人。欠席者が9人もいて、実際に出場したのは32人でした。万博会場の南アフリカ村からはツアナ族の二人が、急遽裸足で参加していました。

キューバからの参加者は、郵便配達人のフェリックス・カルバジャル選手。自ら寄付を集めて旅費を稼ぎ、やって来たニューオーリンズで賭け事にハマって資金を使い果たしてしまいました。ヒッチハイクによってなんとか会場にたどり着いた時、カルバジャル選手は普通のシャツと普通のズボンを履いていました。

足首まであるズボンでは走れないだろうと、会場にいた人がハサミで半ズボンに切ってあげたそうです。

出場者の多くは米国人。ギリシャ人選手10人とキューバのカルバジャル選手とツアナ族の二人がスタートラインに立ちました。多くがマラソン未経験者でした。

レースは午後3時30分にスタートしました。

一日の最も暑い時間帯です。気温は32度だったそうですが、それって百葉箱の中の温度ですからね。炎天下の路上は40度くらいになっていたでしょう。

舗装されていない道路。コーチや医療関係者を乗せた伴走車が巻き上げる土埃を吸込みながら走る選手。給水所は中間地点手前の一か所だけ。なんでも、マラソンの主任オーガナイザーが自分の研究分野である「脱水の限界と影響をテストするために水分摂取を最小限に抑えた」んだそうです。

何だそれ!

土埃を吸い込みながら走る選手は、当然その影響を受けます。マラソン未経験者はもちろんのこと、有力選手の中にも途中で倒れたり棄権する選手が続出しました。

先頭を走っていた米国のフレッド・ローツ選手も14キロを過ぎた地点で足の痙攣のため走り続けることが困難となり、伴走車に乗り込んでゴールの競技場へと向かいました。ところが車が途中で故障して動かなくなり、車を降りたローツ選手はそこから走り出します。

そして、大観衆の声援の中、見事1位でゴールのテープを切ったのです。

大統領の娘から栄誉の金メダルをかけてもらおうとした時、レース途中で車に乗っていたことを指摘されて失格となります。本人はジョーダンだったと言ったそうです。ローツ選手は、競技場に向かう車の上から観客に手を振っていたそうですから、本当にジョーダンだったのかもしれません。

さて、2位を走っていた有力選手のトーマス・ヒックス選手は、疲労困憊し水分の補給を求めますが認められませんでした。まだ14キロを残す地点ですでにヨロヨロ状態。このヒックス選手に、コーチはネズミ殺しの毒ストリキニーネと卵白を混ぜたものを飲ませます。当時ストリキニーネは興奮剤としても使われていたのだそうです。

足を引きずりながらゴールを目指しますが、32キロ地点ではもはや倒れる寸前となります。この状態ではゴールするのは困難と判断したコーチは、再びネズミ殺しの毒ストリキニーネと卵白を混ぜたものにブランデーも混ぜたものをヒックス選手に飲ませました。

最後は、ほとんど意識の無いヒックス選手をコーチとスタッフが両側から抱え、足を前後に動かしながらゴールラインを超えさせたのです。ローツ選手が失格になっていますから、ヒックス選手が優勝者となりました。

当時の男子マラソンの世界記録は3時間くらいだったそうですが、この日のヒックス選手の記録は3時間28分53秒。オリンピックのマラソンの優勝記録としては最も遅い記録となっているそうです。

完全なドーピング違反ですし、他者の力でゴールしていますから今なら失格ですけど、同時はそんな規定はなかったんですね。

ちなみに、もう1回ストリキニーネ入りドリンクを飲まされていたら、死んでいた可能性が大きいそうですよ。

さて、お金がなくなり、40時間飲まず食わずでヒッチハイクをして会場に到着したキューバ人のカルバジャル選手は、途中で空腹のあまり道端のリンゴの木からリンゴを二つ取って食べたのが災いし腹痛を起こしてしまいます。途中で1時間ほど休憩をするはめになりましたが、この休憩がなかったら優勝していたかもしれないそうです。カルバジャル選手は4位でした。

ツアナ族のうちの一人は、レース途中で野犬に襲われて逃げ、1キロ以上コースを外れてしまったそうですが、完走して9位に入りました。

セントルイス大会のマラソンは、完走したのが14人。史上最も過酷なマラソンレースだったということです。

ウソのようなホントの話!


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2 件のコメント:

  1. 私もこの記事、ABC NEWで読みました。
    100年も前だとオリンピックもこんなにひどい大会だったのだとびっくりしました。この頃のオリンピックってどういう位置づけだったんでしょうね??

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    1. スポーツの技量を競い合うというよりもお祭りですよね。特にセントルイス大会は万博の付属イベント的な位置づけで、大会運営は不手際が目立ったそうですから。商業主義の影響や近年の巨大化も懸念されるところですけど、スポーツファンとしては練習に打ち込んできた選手達の真剣勝負とドラマがオリンピックの醍醐味です。

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