2025年8月2日

衝撃のリクエスト

昨日の記事に書きましたように、昨日はうちの娘が帰って来て、私達夫婦が死んだ後のことや、病気や怪我で自分では判断が出来なくなった時にどのような治療を希望するのかとか、今後の暮らしで不安に思っていることとかをいろいろ話し合ったんですけど。

私についての話は簡単でしたよ。これまでに何度も家族に話して来たことを繰り返しただけです。ただし、高齢になって認知能力が衰えた時に英語でのコミュニケーションが困難になる可能性がありますから、それだけは気になります。幸いなことにうちの息子と娘はバイリンガルですから、家族のコミュニケーションが不可能になる心配はありません。

子供世代が親の母語を理解できない場合には問題になるんですよ。例えば、もしも妻が日本語しか話せなくなり、夫も子供達も日本語が理解できない場合には、家族間で意思の疎通が困難になります。

もしも私が英語を忘れたら、病院で通訳が必要になる可能性があるわけですけど、オーストラリアでは医療通訳の体制は整っていますから心配ありません。

死後の手続きにしても、私の場合は面倒なことは無いと思います。息子や娘に残せる財産はほとんどありませんし、所持品も非常に少ないですし、お葬式もお墓も望んでいませんし。希望はウェブサイトを続けて欲しいということくらいですからね。

問題だったのはうちの夫ですよ。

私はね、うちの夫が死んだらメルボルン大学医学部に献体すること、お葬式は希望していないことは知っていました。回復が見込めない重い病気になった時には、延命治療を拒否するどころか自発的安楽死を望んでいることも知っていましたけど、昨日はびっくりするようなことを言ったんです。

自分の心臓が止まった時で人生を終わりにしたいと言ったんですよ。例えば、今日心臓発作で心臓が止まったら、心肺蘇生処置はしないで欲しいと言ったんです。

「CPR」と呼ばれる心肺蘇生法があるでしょ?心臓が止まった人が、この蘇生法(特に心臓マッサージ)によって救命されることは多いです。うちの夫はこれをしないで欲しいと言うのです。

「いや、そういうわけには行かなわよ!今あなたが心臓発作を起こして倒れたら、私達は心臓マッサージをするわよ!」と言いましたら、夫は私をにらみました。何かあった時にどうして欲しいかという希望を伝えるために話し合いをしているのに、その希望が受け入れられないなら話し合う意味がないと。

心肺蘇生法によって救命されても障害が残ることが多いのは知っていますよ。うちの夫は、寝たきりになってコミュニケーションも出来なくなり、ただ生存しているだけという状態になることが最も耐え難いことだと常々言っています。重い障害を持って生まれた妹のこともあって夫には強いトラウマがありますから、夫の気持ちは分かりますけど。

心臓が止まったらそのまま死なせてくれという希望は、受け入れるのに覚悟が要りますよ。命が助かる可能性があると分かっていながら、何もしないでそのまま死なせるなんてね。


話し合いの結果、私達夫婦にはいくつか宿題が出来ました。遺言を書くというのもその一つです。銀行口座やスーパーアニュエーション(老後のために積み立てていく義務的な貯蓄制度)などの情報をまとめるというのは夫に課された宿題です。私はもうすでにありとあらゆる情報をファイルにまとめてあります。

ところで、話し合いの後、夫は様子がおかしくなったんですよ。黙り込んで喋らなくなってしまいました。

徐々に目が見えなくなっている夫ですが、目が見えなくなった後で私が先に死んだら、夫は一人では暮らして行けないからどうするのかと私が話したあたりから明らかに表情が変わりました。

午後に知人のお葬式に送って行った時には車の中で会話をしましたけど、その時も何かに苛立っていると言うか、普通じゃあなかったです。

うちの息子は、最初のうちは話し合いに参加して私達の話を聞いていましたけど、こういう内容の話をするのは「苦しい」と言って途中でいなくなりました。

私と娘は特に複雑な感情など無くて、淡々と事務的に話を進めていたんですけど、夫と息子のメンタルヘルスにはかなり影響したようです。

こういう話をすることが難しいと感じる人もいることに、私は気づいていませんでした。臨床心理士の娘は、度々「話し合いを続けて大丈夫か」と私達に尋ねましたけど、注意が必要なことなんですね。


お帰りの前に1クリックを!



2025年8月1日

家族で話し合っておくべきこと

昨晩、うちの娘が家に帰って来ました。私達夫婦が死んだ後のこと、あるいは病気や怪我で自分では判断が出来なくなった時のこと、自立して暮らせなくなった時のことなど、いつかは起きることについて話し合うためです。

先日、クイーンズランドのポートダグラスに家族旅行に行った時に、一人だけ行かなかったうちの娘は、もしも飛行機が墜落したりして自分だけが残された時に、しなくてはいけないことが山ほどあるのに、あまりにも知らないことが多過ぎると気づいたようなんですけど。

言われてみれば、うちの夫が私よりも先に死んだら、私自身が困ることだらけだと思ったんですよ。夫が死んだらメルボルン大学医学部に献体することになっていて、お葬式も望んでいないことは知っていますが、それ以外のことは何も知らないんですからね。

夫がどの銀行に口座を持っているのかすら、私は明確には知りませんでした。先日、夫が銀行カードをATMから抜き忘れて一緒に銀行に行った時に口座のことを聞いたら、想像していたよりもたくさんの口座を複数の銀行に持っていたのでびっくりしましたよ。

スーパーアニュエーション(老後のために積み立てていく義務的な貯蓄制度)もどこに入っているのか知りませんし、教えておいてもらわないと困ることがたくさんあります。

私は、自分に関するありとあらゆる情報をファイルにまとめてあるんですよ。そのファイルはUSBスティックと外付けハードディスクに保存してあって、息子と娘には「もしもの時にはこれを見ろ」と言ってあります。うちの夫にもそういうのを作っておいてもらいたいです。

人は皆んないつかは死にますからね、決めておくべきことはたくさんあります。死んだ後のことだけではありません。病気や事故で自分では判断が出来ない状態になった時にどうして欲しいのか、誰に判断を任せるかも決めておかなくてはいけません。

高齢になった時、あるいはどちらか片方が死んだ後、どこに住むかという問題もあります。うちの夫がいずれは視力を失うことは分かっていますので、夫に一人暮らしは出来ません。私が一人になった場合は、経済的な問題があります。

いざという時に息子や娘が困らないように、今から準備しておけることはしておく必要があります。話し合っておかないといけないことは、たくさんありそうです。


お帰りの前に1クリックを!