「桃は毛の生えた皮ごと食べる」という記事を書いたことがあります。調べてみたら、2013年1月12日の記事でした。8年前の夏です。
「文化の違いとはいえ、なかなか受け入れがたい『オージー流』は少なくはない」で始まるその記事では、受け入れ難い「オージー流」の一つとして、オーストラリア人が桃の皮をむかずに毛の生えた皮ごと食べることについて書いているのです。
毛の生えた皮ごと桃を食べるオーストラリア流を少しバカにしたような論調で、皮ごと食べるとモシャモシャして、せっかくのとろけるような桃の食感が台無しになるし、皮はおいしくないぞと、桃は皮をむくべきであると書いているんですけどね。
そうかあ、
そういう時もあったのだ…
2018年1月24日には、「桃を皮ごと食べるようになった私」という記事を書いています。
桃を毛の生えた皮ごと食べるような日が来るとはねえと、やや自嘲気味な論調です。皮には酸味があって美味しいけど、問題は食感だと書いています。
その記事からさらに3年が経ちました。
現在夏の果物が美味しい時期でございまして、買い物に行く度に桃を買って来るのですけどね、その桃の皮をむいていた頃があるというのが信じがたい気分です。
だって、もう最近は、当たり前のように、
毛の生えた皮ごと食べているんですから!
桃の皮をむくなんて、どうしてそんな面倒くさくてゴミが出ることをしていたんでしょうか?
桃はね、洗えば毛はほとんど洗い流されますよ。モシャモシャ感は桃の皮の特徴なのでしてね、私はもう食感に問題があるとは感じないんです。むしろ、皮の酸っぱさが甘い果肉の味と混じると「これぞ桃だ!」という美味しさなんです。
それに、出るゴミは種だけ。
縦に切って、ひねってパカリと二つに割り、種を取り除いたら、食べやすく切るだけです。ナイフを汚したくなければ、リンゴを2つに割る要領で結構簡単に素手で割れますから。こんな簡単なことはありません。
日本の桃に比べてオーストラリアの桃は皮が薄いということは、過去の記事で否定していますから、やはりこれって慣れの問題なんでしょうか。
とにかく、もう戻れないのでございますよ。
桃の皮をいちいちむいで食べるなんて、そんな面倒くさいこと、もうできないの。
最近は、リンゴの皮をむいたりもしなくなりました。リンゴは芯を取り除いたら8切れか12切れに切って皮ごと食べます。皮こそが食べるべき部分だと確信しております。
こうして、受け入れ難い「オージー流」がまた一つ減ったわけですけど、最も受け入れ難い「オージー流」である「洗剤で洗った食器をすすがずにそのまま乾かす」は、死ぬまで受け入れないことは100パーセント確実です。
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