2020年10月16日

反論しない人間を育てる社会

このブログで度々話題にしている我が家の北隣り家の迷惑行為。

最近は、もっぱらこの家の男の子達がオートバイを乗り回す騒音についてなんですけど、こういう時にちゃんと苦情を述べて善処を求めるといった交渉力は、私にはありません。

何故できないのか?

ここに、私は日本の教育の問題点を見るのです。

日本ではね、幼い頃から繰り返し教えられたのは、自分の考えを発言することの重要さじゃあなくて、お友達と仲良くすることなんですよ。

意見を持つこととそれを発言することの重要さとか、正しいと信じることのために立ち上がる勇気とか、いかにして平等な権利を勝ち取るかとか、対立や争いをどうやって解決するかとか、そういうことはあまり教えられません。

教えられるのは、集団の一員としての責任、他人と協力することの大切さ、他人の立場を思いやること、そして譲ることや耐えることの美徳。

「集団」が「個人」に優先されていることは明らかなんです。

我慢する人はえらいのか?

それは違うでしょ。

問題が起きた時にその解決のために行動を起こせることの方が重要なんです。

学校教育もさることながら、家父長制度的な力関係が根強く残る日本の家庭においては、父親の言うことはたとえ間違っていても絶対的であって、反論することが許されません。

それが反論ではなくて事情説明であったりしても、子供が父親からの言葉に対して何か言うと激しい叱責や暴力を受ける。

私はそういう家で育ちましたからね、幼い頃からどんなに辛いことがあっても父親に対しては従順になるしかない人間になりました。怖すぎてね。

それでも、成長するにつれて、時には意見を言いたくなったりもしたのですけど、何か言えば「親に口答えするんじゃあねえ!」と鬼の形相で暴言を吐かれ、時には物を持ち上げて殴りかかられるわけで。

歳の離れた一番下の妹は、幼い頃から父親に言い返す子だったのですが、言い返したせいで柱にロープで縛り付けられたり叩かれたりしているのを見ていた私は、自分の身にもそういう事が起きると分かるわけですからね。

こうした恐怖の経験が積み重なり、私にできることは「沈黙」だけになっていったのです。

もう一つのできることは「逃亡」でした。

「早くこの家から逃げていきたい」と、子供の頃からずっと願い続けていました。

それはともかく…

こうして反論できない人間になってしまい、何かに対して立ち向かう勇気なんて無いですからね、嫌なことがあっても腹が立っても我慢するしかないのです。

メンタルがおかしくなってからは、以前にもまして恐怖という感情を強く感じますので…というか、理由もないのに恐怖や不安を感じている場合も多いわけですからね、北隣りさん家に苦情を言いに行くなんて貴方、絶対に不可能なのでございます。

現在の日本社会は、少しは変わったんでしょうか?

学校では、自分の考えを発言する大切さや問題に立ち向かう勇気を教えているんでしょうか。


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