2020年6月23日

特別支援教育に取り組む娘の友達

昨日の朝、うちの娘が何週間かぶりに自室の掃除をしていました。片付けて掃除機をかけて、床に投げ散らかしていた衣類も片付け、部屋はすっかりきれいになりました。

掃除をした理由は、お友達のCさん(女の子)が遊びに来るからです。

Cさんは、先月まだ新型コロナの規制があった頃にパスタを作りに来た子です。あの時は、ヴィクトリア州以外の州での規制緩和のニュースで私も混乱していて、社交目的の訪問がヴィクトリア州ではまだ許可されていなかったことを、娘とCさんのパスタ作りが終わった頃に気づいたのです。

それはともかく…

昨日は晩ご飯も一緒に食べると言うので、始めてCさんと会話しました。

彼女は、大学で特別支援教育を学び、そういう仕事をすることを目標にしています。現在はパートタイムで知的障害者を対象としている特別支援学校で働いているそうですが、収入のためにスーパーでも働いています。

彼女が働いている学校は、知能の測定が困難な最も低いレベルの子供達を受け入れているそうです。知的障害だけでなく情緒障害の子供達もいます。障害のレベルも多様ですが、読み書きが可能なレベルの子供達には生活に密着した内容の読み書きを教えるそうです。名前や住所など、社会生活をしていく上で不可欠な読み書き能力です。

しかし、多くの子供達にとって最も大切なことは、行きていくために必要な能力や知識で、それには自分の身を守る能力というのも含まれるんだそうです。「知らない人にはついて行かない」というようなことを教育することも重要だと言っていました。

普通の小学校で対応が困難な子供達はそうした特別支援学校に行くわけですけど、地域によっては特別支援学校が遠すぎて通うことが困難な場合があります。

オーストラリアの多くの公立学校は、特別支援が必要な場合は専門のスタッフを雇用しています。以前私が教えたことがあるハイスクールには、視覚障害のある生徒のためにテキストや資料などを点字に翻訳する専門のスタッフが雇用されていて、その生徒の学習サポートをしていたので驚きました。

かつて、日本の田舎の小さな小学校で教えていた頃、クラスに高度な知的能力を持っている子と知的障害のある子の両方がいて苦労をしたことがありますが、一人の教師ですべての子供達に十分な教育を行うなんて無理なことです。

ギフテッドにはその才能を伸ばすためのプログラムが必要だし、障害がある子供にもその子が必要とする能力を身につけさせるためのプログラムが必要です。

Cさんの話を聞きながら思い出した一人の男の子がいます。

2年生でしたが読み書きはほぼできませんでした。その子は、他の子供達に比べて体格が良く、とにかく優しくて正直で真面目な子でした。授業は退屈だったでしょうが言われたことを頑張ってやっていました。

身体を使っておこなう学習が好きで、植物を植えたり観察したりすることを喜んでやっていましたし、真面目で優しいので他の子供達にも頼りにされていました。

あの子にとって本当に必要な教育ができていたら、どんな大人になっただろうかと思いました。


お帰りの前に1クリックを!



0 件のコメント:

コメントを投稿