2020年6月13日

偉人の銅像と人種問題

米国のミネアポリスで黒人男性が白人警察官に頸部を膝で強く押さえつけられて死亡した事件をきっかけに、世界中で反人種差別デモが続いていますが、オーストラリアでも今日の土曜日、各地で抗議デモが予定されていました。

先週の土曜日のメルボルンのデモには約1万人もの人が参加して、無責任だと大批判されて、デモ参加者から新型コロナ感染差が見つかり、連邦政府もヴィクトリア州政府も保健関係者も声を大にして「今日のデモには参加するな」「抗議は別の方法でしろ」と呼びかけていましたが、昨日の参加者は少なかったようです。

抗議デモは、いまだに毎日3桁の死者が出ている英国各地でもおこなわれていますが、先日ブリストルという街で奴隷商人の銅像が引きずり下ろされてブリストル湾に投げ入れられるという事件がありました。

なんでも、その銅像は17世紀だか18世紀だかの商人の銅像で、奴隷貿易で財産を築いた人物だそうな。約8万人ものアフリカ人(子供も含む)をアメリカ大陸に奴隷として送り込んだそうです。

そうして築いた莫大な財産を多くの慈善団体に寄付しており、庶民院の議員にもなった「偉い人」ということで、銅像になっていたそうですけど、

そりゃあ引きずり降ろされても当然です!

一部の人にとっては立派なことをした「偉い人」であっても、この銅像の人物は奴隷商人で人殺しだったんですからね。

当然だとは思いますけど、撤去のやり方は「器物損壊行為」に当たるのでしょうからね、民主主義社会らしくちゃんと話し合って正当に撤去するべきでしょう。

このブリストルの事件を発端にして、米国、英国、オーストラリアでも銅像の撤去に関する論争が巻き起こっています。

銅像というものは、「この人物は素晴らしいことをした素晴らしい人物だ」ということを人々に知らしめるのが目的ですから、たとえその人物が素晴らしいことを成し遂げていても、人道に反するおぞましい犯罪行為もおこなっていたとしたら、銅像なんかにするべきじゃあないですよ。

たとえ超有名な偉人であっても。

例えばですね、英国では歴代首相の中でも人気が高いというウインストン・チャーチルですが、私はこのチャーチルという人物に非常に悪い印象を持っていますから、チャーチルが高く評価されていることには長年納得がいかないのですよ。

「優れた文明が劣った文明を支配するのは当たり前だ」というようなことをはっきりと述べていることからも分かりますけど、人種差別主義者というか白人優越思想の持ち主の帝国主義者ですよ、この人は。

世界中に植民地を建設していた(別の言い方をすれば侵略していた)当時の英国の支配者層に属していた人です。
軍人になった後、戦争のない平和な社会を残念がり、戦争に憧れてキューバとかへ戦争見学旅行に行っています。
インドの独立運動を弾圧しています。
南アフリカの人種隔離政策アパルトヘイトのもとを作っています。
二枚舌外交でアラブ・パレスチナ問題のもとを作っています。
激甚な大被害を出したガリポリの戦いを立案しています。

失言失敗を繰り返したお騒がせ政治家チャーチルの功罪は、「罪」の方が遥かに多いんだから「偉人」なんかじゃあないというのが私の意見ですけど。

オーストラリアで銅像になっている「偉人」というのは、オーストラリアを発見したキャプテン・クックにしても、その他の多くの植民地統治時代のリーダー達にしても、オーストラリア大陸の探検調査を行った人達にしても、先住オーストラリア人のアボリジニを弾圧したり殺したりした人が大勢います。

そういう人達の銅像は撤去しようという意見が出るのは当然です。

いろいろな人種や民族が住む国ですから、銅像の撤去について賛否が分かれるのは当然のことでしょうが、ある銅像が一部の人々への侮辱を表すものだと感じる人達がいるとしたら、そうした人達の声を聞くのは大事なことです。

特に、これまでの人類の長い歴史上、人権が軽んじられてきた白人以外の人々の声をちゃんと聞くことができる社会でなければいけません。

だってね、もしもどこかに我々日本民族を迫害し虐待し殺戮し苦しめ続けた人物がいて、その人物が何か素晴らしいことを成し遂げたという理由で銅像になっていたら、その銅像を見る度に自分達の苦難の歴史を思い返すわけですよ。

そんな銅像は、撤去を求めるのが当然でしょう。正しい民主主義の社会であれば、撤去を求める声はちゃんと聞いてもらえるはずなのです。


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