2022年3月3日

平和で自由なメルボルン

ドバイ旅行中ずっと続いた睡眠不足で何をする元気も無いのに、帰国早々うちの夫の同僚のTさんが例の件で話をしに来るとかで晩ご飯を作らなければならず、そのために食品の買い出しに出なければなりませんでした。

翌日には、義弟にタダでもらったレクサスの所有者変更の手続きに、VicRoads というヴィクトリア州の運輸交通局みたいなところに行かなければならないと言われまして。

アレなんですよ、うちの夫は視力のせいで車の運転ができませんし、息子はまだ痔の手術からの回復中で座るということが出来ませんから運転など出来ないのでして、つまり車の運転ができるのが私だけなのでね、睡眠不足がどうの頭がフラフラするがどうのと言っていられないのですよ。

ですから、私は運転して VicRoads まで行きました。建物に入るまで入口の外の列で30分、中に入ってからも30分待たされましたよ。VicRoads の業務も新型コロナのために遅延していましたから、まだしばらくはこういう状況が続くでしょう。

オンラインで出来ることはできるだけオンラインでやって下さいということですが、自動車の所有者変更の手続きは窓口まで行く必要があります。

それはともかく、

メルボルンに戻って来て、スーパーへ行ったり VicRoads のような役所に行ったりしながら、ドバイとの違いを感じたのです。

ドバイという国では、職業によってそれに従事する人種・民族が偏っている印象でした。スーパーで働いている人に白人は一人もいませんでした。

役所のような場所としては、PCR検査受けに行ったクリニックと空港くらいですが、そういう場所はエミラティ(ドバイ人)がほとんどでした。

ブルーカラーの労働(肉体労働や単純労働)に従事するのは、インド系、アフリカ系、東南アジア系です。白人は一人も見ませんでした。

ドバイという街は、裕福な人々と裕福ではない人々という社会の階層が一目瞭然で、その経済格差が人種や民族と結びついているために、人種の格差、民族の格差としてあからさまなのです。

そのような社会を私は大変居心地が悪く感じました。

メルボルンに戻って食品の買い出しに行った時、ショッピングセンターの駐車場でカートを集めていたのは、白人もいたしインド人もいたし東南アジア系もいました。

スーパーのスタッフも、様々な人種がいました。ヒジャブを付けたイスラムの女性もいました。

VicRoads でも、あらゆる人種のスタッフが働いていました。

こういうことはごく当たり前のことなので、以前は特に意識していませんでしたけど、ドバイから帰ってきたら違って見えました。

経済格差はもちろんメルボルンにもありますけど、ほとんどの職業は人種や民族あるいは男女の差別なく門戸は開かれています。教育も貧富の差なく提供されていますから、貧困家庭の子供でも高等教育を受ける機会があり、医師や弁護士やエンジニアといった特別な知識や技術が必要とされる職業につくことも可能です。

ドバイから帰って来て、メルボルンは「平等な社会」だなあと、私は感じたのです。

課題はまだありますけど、不公平や差別は無くなって来ていますし、人種や民族、出身地域、性別、宗教、そうした違いが格差の要因になっていないません。

こういう社会が、私には住みやすいです。


そして、メルボルンは「平和な社会」でもあります。

多文化多民族の街ですから、ありとあらゆる人種や民族が住んでいますけど、人種民族間の争いとは無縁です。ゼロとは言いませんよ、でもほとんどそういう問題は起きません。

人々は「自由」なんです。だから他人の「自由」も尊重するのです。自分とは違う見た目で違う服装で違う宗教を信じていても、そうした違いをどうこう言ったりしないんです。

オーストラリアは、民主主義の国です。議員を選ぶ選挙が「権利」ではなくて「義務」の国ですよ。政権が国民の意志で簡単に変わる国です。政治家はしっかりと良い仕事をしないと次の選挙で落選します。不正を行えば直ちに職を失います。

「平等」で「平和」で「自由」な社会、このような社会に住んでいることの意味を深く考えることは普段はありませんが、ドバイから帰って来てから、そして現在ウクライナの人々が命がけで自分達の「自由」を守ろうとしている報道を聞きながら、メルボルンのような社会に暮らせていることを感謝せざるを得ません。

ウクライナの人々のことは、毎日ずっと頭から離れません。

この21世紀の時代にこんな蛮行を行うなど考えられないことですが、それを命令した狂人がいて、それを止められる人がいないという政治体制があって、命令されたことを実行している人々がいて、この狂人の思うがままの報道を行っている人々がいて、多くの国民が狂人を信じて支持している。

独裁国家というのは、想像を絶します。

ウクライナの人々をもっと助けてあげることは出来ないんでしょうか。第3次世界大戦になることを避けるためと言いますが、国際社会はこのままウクライナを見殺しにするのでしょうか。

何も出来ない自分に無力感を感じますが、ウクライナの人々が「自由」を守りきれることを心の底から祈っています。


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