2022年3月1日

ドバイ旅行(4)

4日目は、私と夫にとって旅行のハイライトとなる日でした。私が行きたかった古い町並みが保存されている歴史地区と、夫が行きたかった世界一高い超高層ビル「ブルジュハリファ」に行くことになっていたのです。

うちの夫は、この有名な「ブルジュハリファ」に、勤めているツールショップのユニフォームを着て行って写真を撮りたかったのですよ。そのためにわざわざユニフォームを持って来ていたのです。何か目的があったに違いないのですけど、理解に苦しみます。

午前中は歴史地区を見て回ることにしていました。朝早めに行きました。もちろん、夫は朝からツールショップのユニフォーム姿です。


歴史地区には古い民家が保存されていて、ドバイの人々がどんな暮らしをしていたかが分かりました。アラブの家の作り、ドアや窓の装飾、貝殻だらけの粘土で作られた塀、家具、伝統的な衣類など、いろいろなことが勉強になり面白かったんですけど、水の乏しい砂漠の町での暮らしは、女性達の労働に支えられていたのは歴然です。食事の準備から片づけから洗濯、掃除、子供の世話、それに加えて保存食づくりに衣類作りに絨毯作りにと、本当に大変です。


歴史地区に着いた頃は涼しかったのですけど、直ぐに歩き回るには暑すぎるほど気温が上がり、マスクの下に大汗をかき始めました。

ドバイでは屋内屋外を問わず、常にマスクの着用が必要です。

最初のうちは他の観光客も少なくて、ゆっくり見て回れたし説明も聞けたんですけど、そのうち観光バスでヨーロッパ人観光客の団体がやって来ましてね、どこへ行っても人でいっぱいという状況になりました。


観光客の団体の中には、見学よりも写真を撮ることに夢中の人達が大勢いて、狭い建物の中では非常に迷惑でした。

スペイン語を話す人達が多かったのですけど、中国人観光客にも負けない大声で話す人達も多くて、全くうんざりしました。



人混みが苦手な私は、歴史地区を出てボートで対岸に渡り、スークと呼ばれる市場に行くことにしました。


最初に行ったのは、スパイスやお土産物屋が軒を並べるスークでした。店をやっているのはほぼ全員パキスタン人の男達です。彼等の呼び込みがあまりにしつこいので、私はスークでもうんざりして来ました。


「ニーハオ、ニーハオ」と私を店に呼び込もうとするんです。

暑くて顔に大汗をかいているし、パキスタン人達の呼び込みはどんどんうっとうしくなって来て、私は帰りたくなりました。

せめて一つ記念になるものを買ってから帰ろうと思い、民族柄の小さな器を買おうとしたんですが、レジの所で値段を聞くと、その小さな器は300ディルハム(ドバイの通貨)だと言われました。

300ディルハムが豪ドルでいくらくらいなのか分かりませんでしたし、私は現金を持っていませんでしたからクレジットカードで払うしかなかったわけですが、義妹に現金を借りようと思い、店の外で待っていた義妹を呼びました。

「この器が300ディルハムだって言うんだけど…」と私が言いますと、

義妹の怒り大爆発!

義妹はパキスタン人に何やら叫んで、私達は直ぐにその店を出ました。300ディルハムは100豪ドルくらいだそうです。それって日本円では1万円ですよ。

ダイソーで100円で売っていそうな小さな器に1万円も取られるところだったのです。

スークというところでは、このようなボッタクリが横行しています。英語が不自由なアジア人観光客はいいカモなんです。皆さん気をつけてください。

ちなみに、後日、私はこの時買おうとした器と全く同じ器を、義妹のマンション近くのショッピングセンター内のお土産屋で見つけました。30ディルハムで売られていました。

さて、

その後、ゴールドスークという宝飾品の店が並んだスークに行きました。義弟のスペイン人の奥さんに頼まれていた香水を探し歩きましたけど、どこに行っても見つかりませんでした。


歩き回ってマスクの下に大汗をかき、足は痛くなって来て、おまけに寝不足のせいか熱中症か頭がフラフラして来ましたので、それ以上スークを見て回るのは止めました。

再びボートで歴史地区に戻りましたが、大型観光バスがさらに増えていて、歴史地区は団体観光客であふれていました。

私はそういう観光客の群れの中で歴史地区を見て回る気にはなりませんでした。疲れていたし、暑かったし。もう十分に見たということにして、次の目的地「ドバイモール」へ行くことにしたのでございます。

さて、

世界最大のショッピングモール「ドバイモール」に行った目的は買い物ではなく、世界一高い超高層ビル「ブルジュハリファ」に上るためでした。


尖塔までの高さが828メートルもあります。周囲の高層ビルが小さく見えますよ。

ちなみに、東京には「東京スカイツリー」という塔がありますが、それは634メートルだそうですから、「ブルジュハリファ」は「東京スカイツリー」よりも200メートル近くも高いのです。
「東京タワー」の高さは333メートルだそうですね。ということは、東京タワーを縦に2つ重ねたのよりも162メートルも高いのです。

そして、「ブルジュハリファ」は塔ではありません。オフィスや住居が入っている高層ビルです。

午前中は歴史地区で過ごす予定だったのに早く切り上げたので、「ブルジュハリファ」に上る予約がしてあった2時まで時間があり過ぎました。

足が痛かったし、顔が暑くてマスクを付けて歩き回るのは苦しかったのですが、せっかく来たのですからドバイモールを少し見て回ることにしました。

ところが、

これがね、買いたいものも無いし見たい店も無いのに歩き回るのは疲れるだけで、楽しくも何ともないのですよ。

義妹が紀伊國屋書店にどうしても連れて行きたいと言うので行きました。大きな店で以前の私ならいくらでも時間をつぶせたでしょうが、最近は視力が落ちて本を読むのが難しいのでね、文字を拡大できない印刷された本にはもう興味がないのです。

このことは何度も義妹に言ったんですけど。うちの夫も本を読むのは困難ですから、紀伊國屋書店は楽しめなかったのでした。

レストランで少し休んでから「ブルジュハリファ」に行きました。義妹が、148階の特別な展望ラウンジまで行けるチケットを手配してくれていたのです。

軽食のサービス付きのこの展望ラウンジは、特別料金がかかるので大混雑していませんでしたし待ち時間もなかったので助かりました。しかし、エレベーターの中は超密室状態でしたよ。あんな狭い場所にギュウギュウ詰めになると、一人でも新型コロナのウイルスを持っている人がいたらアウトだなと思いました。

「ブルジュハリファ」は163階建てです。160階から上は機械室なので人が入れるのは159階までだそうです。

148階からの眺めは素晴らしかったです。


ドバイの街が遠くまで見渡せました。よくもまあ20年か30年かそこらでこんなにたくさん作ったものだと驚くべき数の建築物があります。

数十年前は漁村に過ぎなかったドバイは、今や大都市です。

この大都市に住んでいる人達全員が海水を淡水化した水に頼っているのですから、淡水化施設が攻撃されたりして水が作れなくなったら、この街はおしまいだなと思いました。

そして、食べ物ですよ。食べ物をほぼ全て外国からの輸入に頼っているのですからね、流通システムに問題が起きるとこれまたおしまいですよ。

SF映画のような街ですが、全ての経済活動の中で「水の供給」が最も重要だなと考えさせられた「ブルジュハリファ」でした。

それから、この国は大量の二酸化炭素を出していますし、大量のゴミを出しています。食品の廃棄も大量です。ゴミのリサイクルなどしていませんから、ガラス瓶もプラスチックも何もかも一緒に捨てています。

プラスチックゴミの削減とか排出二酸化炭素の削減とか、昨今の世界的な動きとは全く無関係な状況です。いつまでもこんなことは続けられないだろうと思いますね。


ところで、うちの夫は予定通りユニフォーム姿で「ブルジュハリファ」の148階で写真を撮りましたよ。カメラを向けると腹を引っ込める夫です。


この旅行中、2人で撮ってもらった写真がたくさんあるんですけど、ほとんどの写真で夫はこの赤いユニフォームのポロシャツを着ています。

ポロシャツから安全靴まで、全部いつも仕事で着ているやつです。

こんな服装で観光していても、ドバイで嫌な対応をされなかったのは、夫が白人だからですよ。私なんて、ちゃんとそれなりの服装で歩いていたのに、インド系の警備員に不公平な対応をされたんです。

スーパーへ買い物に出て義妹のマンションの敷地内まで戻った時です。あまりに暑くて、戸外だったし、その時マスクをずらしていたんです。そうしたら「おい、ちゃんとマスクをしろ!」と言われまして。

マスクをずらすどころかマスクなど付けていない白人はいっぱいいたんですけど、白人達にはそんな事は言わないんですよ。

後ろからやって来たうちの夫が「掃除婦か何かだと思われたんじゃあないの?」と言いました。

義妹のフィリピン人の友人は、子供を連れてクリニックに行った時、白人の子供を連れた子守りのお手伝いさんだと思われた扱いを受けたそうですが、ドバイというのはそういう所です。


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