ずっと819人だったのですが、つい先日1人亡くなりました。
感染者がいなくなっていたのになぜ死亡者が出るんだろうかと不思議だったのですが、その方は以前感染していたのだそうで、感染者ではなくなってから新型コロナによる合併症で亡くなったということです。だから新型コロナが主な死亡原因ということになったようです。
このウイルスは、感染しても症状が出ない人もいれば、重症化して亡くなる人もいます。命は助かっても後遺症に苦しんでいる人も多いそうですし、後遺症が数ヶ月で終わらずに、これからもずっと続く場合もあるそうですから厄介です。
820人という人数は「820人も死んだのか!」といった感じで受け止められているので、これは「多い」という印象です。
確かに、普通に考えると820人は悲劇的な人数ですよ。
でも、現在世界には、一日で何百人、あるいは千人以上も亡くなっている国がたくさんあります。一日で、24時間で。
新規感染者数にしても、報道される「数」にだんだん麻痺してきているように感じます。
新型コロナ禍が始まった頃は、一日で新規感染者が百人を超えたというようなニュースを聞いて危機感を持ったものですよ。
それが今では、一日で何千人とか何万人とか。アメリカでは連日10万人以上の新規感染者が出ています。まあ、アメリカという国は50の国が集まったようなものですから一概には比べられないのですけど。それにしたって、あまりにも酷い。
日本でも感染者が急増していると聞きます。
メルボルンのように人々の移動を制限し、経済活動まで規制して、長期間ロックダウンをするという選択は、ウイルスの感染拡大を抑制することはできても、経済被害が大きいので政府は市民を経済的に援助しなくてはならず、財政への負担が激甚となりますし、人々のメンタルへの影響が大きいためにホームレスの増加、家庭内暴力の増加、自殺者の増加など、様々な影響が出ます。
そう言えば、日本における自殺者の急増がオーストラリアでニュースになっていました。オーストラリア国内の自殺者に関しては、あまり報道されません。新型コロナが始まってから、連邦政府も州政府も次々に関連予算を増やしてきたことから、自殺者が増えていることは推察できます。
国の経済状態や国民の気質や物の考え方によっては、ロックダウンが困難な選択であることは理解できますが、その場合は別の感染防止策が必要になります。
規制ができないのなら、マスクの着用や手洗いを呼びかけるとか、他人との間に距離を取るように呼びかけるとか、大勢の人が集まることを控えるように呼びかけるとか、せめてこのウイルスの危険を知らせて、個人で感染防止に取り組むことを奨励するくらいはしないといけませんよ。
ところが、政治のリーダー達が国民や州民に感染防止を呼びかけるどころか、意図的にこのウイルスを軽視して「インフルエンザみたいなものだ」「そのうち消える」「気にせずに普通の暮らしをしろ」「皆んなで集っても大丈夫」「マスクなんてしなくてヨロシイ」なんてことを言っていると、悲劇的な状況に陥ることは避けられません。
オーストラリアでは、隔離されている帰国者を除けば、現在ほとんど患者がいなくなり、感染防止キャンペーンが経済復活キャンペーンへとシフトしました。
どうやって経済を再活性化し雇用を生み出すかという所にフォーカスしています。
「在宅で出来る仕事は在宅で」というルールも緩和され、オフィスビルにも人々が戻り始めました。電車やバスの利用者も増え始めました。人々が集まるイベントの規制も緩和されてきています。
メルボルンでは、もうすぐ帰国者の受け入れが再開されます。帰国者に感染した人がいるのは確実ですから油断できません。マスクの着用義務を含め、データに基づいた規制はまだまだ続きます。
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