2024年11月13日

ダイエットとアガーゼリー

体重が激増して相撲取りみたいになっている夫のために、パンもケーキも焼かないようにしています。塩分にも気をつけないといけませんから、晩ご飯のメニューにも気をつけています。

具だくさんスープは栄養もあるし満腹になるので最適メニューなんですが、満腹になってもすぐにお腹が空くのが問題なんだそうです。だから、晩ご飯の後しばらくするとパンを食べたくなると言うんですが、家の中にパンが無いのですから食べたくなっても食べられません。

仕方がないのでお茶を飲んで我慢する。そして、お腹が空いてきて我慢が出来なくなる前にさっさと寝る。そういうのを1ヶ月ほど続けて体重が3キロ減ったそうですよ。

「やっぱり体重が増えたのはヒロコのせいだったなあ」と夫は言いました。美味しいものを作り過ぎるのが良くないそうです。

しかしね、パンや甘いものを我慢をし過ぎると食べたい気持ちがエスカレートしてしまい、一気にどか食いをしてリバウンドするというパターンを繰り返して来ていますので、時々甘いものを作ってあげています。

作るのは「アガーアガーパウダー」を使ったゼリー系のデザートです。

どこのアジア食品店でも売っているゴールデンカップ(Golden Cup)のアガーアガーパウダーを使っていますが、出来上がったゼリーの食感とか使用量から判断して、これは粉寒天とほぼ同じものだと思いますよ。


このアガーアガーパウダーは細かい粉末なので簡単に水に溶けます。型抜きしたい場合は2カップ(500ml)の液体に対して小さじ1&1/4杯(約4グラム)がちょうど良い固さになるようです。

グラスで固めるならもっと柔らかくしても大丈夫ですが、2グラムでは柔か過ぎてトロトロです。3グラム(小さじ1杯)くらいが良いように思います。

先日カボチャを蒸した時に、蒸していることを忘れてしまって20分くらい余分に蒸しちゃって柔らかくなり過ぎたのがあったんですが、それをペーストにしたのと牛乳でゼリーにしたら美味しいのが出来ました。砂糖も普通に入れて甘くしたので、たくさん食べなくても満足出来るゼリーです。


上の写真ではメープルシロップをかけています。メープルシロップとカボチャは良く合いますよね。

作り方を紹介しましょう。

<材料> *オーストラリアの1カップは250ml
蒸してピューレ状にしたカボチャ 1カップ
*注意: ケントパンプキン(Kent Pumpkin)というカボチャは、蒸すと甘くなるし、なめらかなピューレになるのでオススメです。日本のホクホクしたカボチャで作るとゼリーが固めになるかもしれません。
砂糖 大さじ4(1/4カップ)
塩 1つまみ
アガーアガーパウダー(粉寒天でも大丈夫だと思う) 小さじ1&1/4(約4グラム)(柔らかめのゼリーにする場合は小さじ1)
牛乳 1カップ
クリーム(無かったら牛乳) 1/2カップ
バニラエクストラクト 小さじ1/2

<作り方>
1.柔らかくなるまで蒸したカボチャをハンドブレンダーなどでなめらかなピューレ状にする。冷たい場合は電子レンジで温めておく。
2.鍋に砂糖、塩、アガーアガーパウダーを入れて混ぜ合わせ、牛乳を加えて良く混ぜる。クリームとバニラも加えて良く混ぜたら、火にかけて沸騰させる。(しょっちゅう混ぜながら加熱してください。牛乳ですから底が焦げ付きます。)
3.温めたカボチャのピューレを加えて良く混ぜ、ケーキ型、ゼリー型、グラスなどに注ぐ。粗熱がとれたら冷蔵庫で冷やして固める。(私は15センチの四角いケーキ型を使いました。)
4.固まったら好みの大きさに切って、好みでメープルシロップやカラメルソースなどをかけて食べる。


昨日は豆乳ゼリーを作りましたよ。アガーアガーパウダーは少なめの小さじ1にして柔らかめのゼリーにしました。上にかけているのはコーヒーシロップです。


この豆乳ゼリーは甘くしませんでした。豆乳に甘みがあったし、バニラのような香りもついていましたから。コーヒーシロップをかけて食べたので、甘くなくても十分美味しかったです。

作り方は、豆乳2カップにアガーアガーパウダー小さじ1を加えて煮溶かしただけです。低カロリーですよ。

3キロも痩せたと言うんですから、引き続き食べ物に気をつけて体重2桁を達成してもらいたいです。そのためには、我慢し過ぎないことが大事です。


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2024年11月12日

サイトメガロウイルス感染症

昨日は、うちの夫が腎臓摘出手術を受けたオースティン病院でのセミナーに行くつもりだったのですが行けませんでした。

オースティン病院では、様々なテーマで一般公開セミナーが行われていまして、うちの夫は腎臓移植プログラムに関わった関係で病院からこうしたセミナーへの案内が届きます。

昨日のセミナーは「サイトメガロウイルス」(Cytomegalovirus)の感染症に関するものだったので行きたかったのです。うちの夫の家族に深刻な影響をもたらしたからです。

今日は、この「サイトメガロウイルス」について書こうと思います。

おそらく皆さんの多くはこのウイルスのことをご存知ないでしょう。世界中のいたるところに存在するありふれたウイルスですから、ほとんどの人が成人するまでには感染します。

感染すると体内に抗体が出来ます。初感染の時でも症状はほとんど無いか風邪程度なので、このウイルスに感染したことに気づく人はまずいません。

健康な子供や大人が感染しても全く問題は無いのですよ。

一番問題なのは、妊娠中の女性が初感染した場合に胎児が感染することなんです。妊婦は無症状であっても胎児の脳に様々な障害が生じることがあるからです。

うちの夫の2歳下の妹は、母親が妊娠中に「サイトメガロウイルス」に感染したことが原因で脳に重い障害を持って生まれました。

自力での移動は不可能で、日常生活の単純な作業を行う能力も無いばかりか、ものごとを認識する能力もありませんでした。自分の母親すら認識しませんでした。

意思の疎通は出来ません。見えているのか聞こえているのか感じているのか、それを知ることも困難でした。彼女からは反応が無かったからです。植物状態に近いと言えます。

2歳の時に特別な施設に入って以来、政府からの経済的な支援を受けて施設で世話をしてもらっていますが、家族が会いに行っても反応はありません。何も認識していないからです。

重い障害があっても何か楽しめることが一つでもあれば救いですが、彼女は何もしませんし出来ません。ただ食べ物を食べさせてもらって排泄の世話をしてもらって、全てのことを誰かにつきっきりで世話をしてもらって生きているだけです。

長生きは出来ないと言われていたそうですが、今年54歳になりました。

「サイトメガロウイルス」の母子感染のせいでこれほど重い障害を持って生まれる人は珍しいそうですが、これほど重い障害を持って生まれた人がこんなに長生きしているのも珍しいことだそうです。

このごくありふれたウイルスがこのような悲劇の原因になることは、ほとんど知られていません。私も夫の家族に会うまでは知りませんでした。聞いたことも無かったです。

うちの夫の母親は、ものすごい確率で運が悪かったとも言えるんですけど、妹が重い障害をもって生まれたことは、うちの夫にも大きな影響を及ぼしました。

夫が4〜5歳の頃に幼い妹は施設に入れられて二度と帰って来なかったわけです。定期的に両親とともに妹に会いに行ったそうですが、その施設は精神病院の一部でしたから幼い子供にとっては怖い場所でした。

良い子にしていないと自分もあそこに入れられるという強い恐怖が生まれ、夫のメンタルヘルスの問題の原因になったのですけど、そのことに気づいて治療を受けたのは私達が結婚した後でした。


過去に「サイトメガロウイルス」に感染したことがあって既に抗体を持っている女性が妊娠した場合は、ほぼ心配は無いそうです。問題は、抗体を持っていない女性が妊娠中に初感染した場合です。

「サイトメガロウイルス」に感染しても無症状で無事に生まれる赤ちゃんもいるそうですが、成長するに連れて聴力障害、運動障害、知能障害などを発症する場合があるそうです。

感染を防ぐためのワクチンも治療薬もありませんので、妊娠中にこのウイルスに感染しないことがとても重要なんです。気にし過ぎてもしようがないと言う方もいますけど、妊娠中のウイルス感染予防には真剣に取り組むべきだと私は思います。

将来出産を考えていらっしゃる方や現在妊娠中の方は、「サイトメガロウイルス」について正しい知識を持ってください。

日本では、近年このウイルスに一度も感染したことがない人が増えているそうですしね。医師の指導に従って、感染を防ぐために出来ることをするべきです。


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2024年11月11日

実演ショーと火傷の思い出

うちの夫はだいぶ元気になりました。週末にうちの娘が帰って来たので、夫は娘とたくさん話が出来たからだと思います。

やはりね、心の中に思い悩むことがある人は、一人で考えているよりも誰かに話した方が気持ちが楽になることが多いです。話をするだけで気分が違って来ますから。

娘は、いつもやっているアルバイトで帰って来たんです。知人のLさんが「マルンダ・フェスティバル」というイベントで毎年お料理の実演ショーをされるんですが、そのアシスタントの仕事です。

マレーシアからの移民のLさんは会計士ですけど、様々なイベントでお料理の実演ショーをされているんです。娘はハイスクールの頃からLさんのアシスタントとして働いて来ました。心理カウンセラーになってからも、楽しみとして続けるかもしれません。

私は昨日は行かなかったんですけど、昨年は夫と一緒に見に行って、ショーの途中から声が出なくなったLさんに代わってうちの娘がマイクをつけてステージ上で話をするのを見ました。

うちの娘は、小学生の頃から様々な不安障害の症状で苦労したんですが、ハイスクールの終わり頃にはパニック障害で家から出られなくなりました。人が大勢集まる場所になど行くことが出来なくなっていた時期も長いんです。

そんな娘が、お料理の実演ショーのステージで大勢のお客さんを前にして上手に話をしているのを見て、私は感激して涙が出たんですよ。

実演ショーが終わって片付けが始まった頃、娘が私のところに来て言いました。「お母さん、私すごいでしょ!人前でなんて喋れなかったのに!私変わったでしょ?」

「すごいわよ!誇りに思うわよ!」そう言いながら涙ぐむ私を見て、娘がうちの夫に写真を撮って欲しいと頼みましてね、夫が撮ってくれた写真がこれです。その写真をフォトグラファーの義弟(夫の弟)がフレームに入れてクリスマスにプレゼントしてくれたのでした。



この写真、一年間毎日のように見て来ましたけど、今気づいたんですが、よく見ると私の顔には火傷の痕がありますね。

白玉団子を油で揚げていたのが破裂して、顔面に熱い油を浴びて病院に運ばれたのは、たしか昨年の8月。この写真を撮ったのは、その3か月後です。火傷痕は今でも残っているんだから、3か月後じゃあ火傷痕が目立つのは仕方がないですね。

娘と一緒に撮ってもらったこの写真は、見る度に白玉団子のせいで油びたしになったキッチンの掃除の大変さも思い出すことになるでしょう。

掃除は大変だったのよ!

油だからただ拭き取るだけじゃあ終わらないわけですよ。油は、床にもキャビネットにも壁にも天井にも窓にも、キッチン中に飛び散っていましたからね。

ダイソーで買ってきた激落ちくんのアルカリ電解水のスプレーとワイプでどれほど助かったか!

白玉団子破裂火傷事件は今では笑い話になっていますけど、あの事件に関連するエピソードもいろいろあってね。

例えば、うちの夫が病院まで電車で来てくれて病院から一緒に帰るということだったのに、電車を乗り間違えて南の方の駅に行ってしまい、病院から夫を迎えに行ったら、車に乗り込むなり私の火傷については「具合はどうか」とも「何が起きたの?」とも何も言わず、迎えを待っている間に食べたラム肉のケバブが美味しかったという話を延々とするので呆れるやら腹が立つやらで。

それも今では笑い話になっていますけど。

家に帰ってキッチンの惨状を見て初めて、うちの夫は火傷のひどさに気がついたんだそうですよ。顔は翌日には茶色になりましたから、夫はそれを見てショックを受けていましたが、可哀想な私を一人家に残し、義妹(夫の妹)達と一緒にシドニー旅行に出かけたのでした。

とことん運が悪い私です。私だってシドニー旅行に行きたかった。

これをお読みの皆さんの中に白玉団子を油で揚げてみようかと考えている方がいらっしゃったら、顔面火傷と大掃除のリスクを覚悟の上でおやりくださいね。


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2024年11月10日

書面による警告

金曜日に仕事から帰って来た夫の顔を見て、何かあったとすぐに気づきました。

(泥棒ではないな。泥棒に入られたのなら興奮しているはずだから。また転んだか?難しいお客が来たか?大きなミスでもしたか?)

何かあったことは確かでしたけど、その日は息子の誕生日でしたしね、私はあれこれ聞かずに晩ご飯を作り続けていたんです。そうしたら夫がポツリと言いました。

「今日は書面による警告(Written Warning)をもらいました」

「書面による警告」というのは、職場での従業員の勤務態度やパフォーマンスに対する懸念を正式に示すために雇用主が従業員に与える文書です。夫が勤めるツールショップ会社では、これを6ヶ月間に3回もらうとクビになるそうですが、そのような法律はないんですよ。

3回の「書面による警告」でクビというシステムを取り入れている会社が多いので、そういう法律があると信じている人が多いわけですが、これは従業員から不当解雇の申し立てをされて裁判沙汰になるリスクを回避するためにやっているだけで、法律的には複数回の警告は必要ないそうです。

うちの夫が「書面による警告」をもらったのは初めてではありません。昨年の腎臓摘出手術の後、まだ病気休暇中なのにお店に来て仕事をしたり商品の配達に行ったりした時に「書面による警告」をもらいました。

そんなことを理由にクビになるとは思いませんから気にしませんでしたけど。

今回の「書面による警告」は、地区担当マネージャーの方がわざわざ店舗まで来てうちの夫に直接渡したそうですから本気の警告でした。何が理由だったんだろうかと思ったら、最近売上が落ちているという理由だったんですって。

これは、私だったら腹が立ちますよ。

だってね、うちの夫は新しく開店する店舗スタッフのトレーニングを任されていたので何日間かそのトレーニングに追われ、自分の店の新スタッフにもトレーニングをしなくてはいけなかったし、あるスタッフの大ミスでお客とトラブルになった件では時間を取られ、また泥棒に入られたのでその対応でも時間を取られ、つい先日は蛍光灯のチラチラが原因で発作を起こしたお客さんに対応したのも夫だったし、店長として商品を売ること以外の仕事がいっぱいあるわけですよ。

スタッフが休んだり病気になると自分の休みを返上で働いているし、ほとんど毎日勤務時間延長で働いてもいるし、プライベートな時間を使って商品の配達をしたりお店で使うトイレットペーパーだの洗剤だのペットボトルの水だのを買いに行ったり(運転するのは私)、銀行に行って小銭や紙幣を準備したりと、本当にいろいろやっているんですよ。

こういう真面目に頑張っている従業員に対して、売上が減っているという理由で「書面による警告」を送って来たりする会社ですよ。「飴と鞭」の例え話は有名ですが、「鞭」を多用する会社ですからね、嫌気がさして辞めて行く人が多いのも納得なんです。


こういう扱いをされたら腹が立って仕事を辞めたくなったりするものですが、夫は元気がなくなってしまって、昨日の休みも一日中寝ていました。今朝もまだ落ち込んでいました。普通通り出勤しましたけど。

2週間ほど前、友人と一緒に釣りに行った時にガソリンスタンドで転んで胸から落ちて、いまだに肋骨の痛みは続いているそうですが、あれをきっかけに杖を使い始めたりもしたんですけど、さらに目が見えなくなって来ていることが夫のメンタルに影響しているように思います。

私はねえ、もしかしたら会社はうちの夫を辞めさせたいんじゃあないかと思ったんですよ。目が見えなくなって来ているせいで、最近ミスをしていますしね。10セントコインと2ドルコインの違いが分からなくて間違えたりとか。

会社は、夫の視力を理由にクビには出来ないと思うので、今回は売上が落ちたという理由で「書面による警告」を送って来たのなら、次の警告が来そうな気がします。

うちの夫は、ツールショップで働くにはもったいないほどの能力と知識があると思うんですが、この会社で働き続けて来た理由はただ一つ。同じレベルの給料がもらえる他の仕事の選択肢が無かったからです。

もっとやりがいのある仕事をするチャンスが何度かありましたけど、車の運転が出来なくなっていますから夫には無理でした。

悔しいだろうと思います。

夫が失業すると私も困るので、我慢してこの会社で働き続けてくれていることには感謝していますが、こんなに頑張っているのに売上が落ちていると「書面による警告」を出されて、それを地区担当マネージャーが持って来たら、そりゃあガックリ来ますよねえ。


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2024年11月9日

ツールショップで光過敏性発作

うちの夫が勤めるツールショップで、昨日アクシデントが起きたそうです。

広い店舗の天井にはたくさんの蛍光灯が付けてありますけど、そのうちの何本かがチラチラすることは日常茶飯事だそうですが、蛍光灯の交換は業者に頼まなければいけないので店舗の判断では出来ないそうです。

蛍光灯がチラチラし始めると、本部に報告して交換を頼むことになるそうですが、すぐには交換してもらえません。現在もチラチラしている蛍光灯が何本かあって、もちろん本部には報告済みだそうですけど。

そんな昨日、お客さんが店内で気分が悪くなったんですって。蛍光灯のチラチラが原因で。

気分が悪くなったでは済まなくて、その方は「気を失いそうだ、救急車を呼んでもらわないといけないかもしれない」とおっしゃって、その場に倒れそうになったんだそうです。

すぐにうちの夫が店の外に連れて出て座ってもらい、水やチョコレートを差し上げて、話を聞きながら回復するまでずっと一緒に座っていたそうです。

幸い救急車を呼ぶようなことにはならず、その方は自分で車を運転して帰って行かれたそうですが、大丈夫だったかどうかが気になったうちの夫は、その方に確認の電話をしたそうですよ。

もちろん本社にも報告しました。蛍光灯のチラチラのせいで事故が起きかけたわけですからね、早急に蛍光灯を交換してもらいたいと頼んだそうなんですけど。

皆さん、これを聞いてポケモンショックを思い出しませんか?

1997年の出来事なので、若い方はまだ生まれていなかったかもしれませんね。ポケモンショックというのは、テレビアニメ「ポケットモンスター」を見た視聴者が光過敏性発作を起こして、日本全国で700人近い子供達が救急搬送されたという事件なんです。

症状は、てんかん発作のようなもの、失神、頭痛、吐き気などで、130人以上が入院したそうですよ。

「ポリゴン」というポケモンが登場するこの回では、光の激しい点滅が多用されたのだそうです。その激しい光の点滅を断続的に観たことが発作や体調不良の原因とされています。

子供さんがテレビを観たりゲームをしたりしていると気分が悪くなることがある方は要注意なんです。

光の刺激に過敏な方の中には、蛍光灯のチラチラでも発作が起きる方がいらっしゃるとは知りませんでした。光過敏性発作を起こすのは子供が多いと聞きますが、ツールショップで倒れそうになったのは73歳の男性だったそうですよ。

ちなみに、店側の責任問題ですが、発作を起こしたその男性が当局に報告をした後で同様のことが起きると、この店は対策を怠ったということで責任問題が生じるそうです。


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2024年11月8日

初めてのロールケーキ大変記

昨日は私の誕生日ということで、うちの息子がバースデーケーキを作ってくれることになっていたんですが、体重が激増しているうちの夫のことを考えて、バターや砂糖がたっぷり入ったケーキではなくて、低カロリーのスポンジケーキをリクエストしました。

それも出来るだけ小さいのを作るように頼みました。夫の食べ過ぎ防止のためです。

息子はイチゴのショートケーキを作ると言っていたんですが、普通のショートケーキは簡単過ぎるからロールケーキに挑戦しようと思ったそうです。

スポンジケーキを焼いたことがない人には、スポンジケーキはそんなに簡単なケーキではないことが分からないんですよね。失敗しやすいケーキなんですよ。

それでも、ロールケーキにするなら膨らみが足りなくても何とかなるだろうと私は思っていました。

ところが、

最初の生地は大失敗!

卵4個で作ったそうですが、スポンジ生地が全く膨らまず、分厚いクレープみたいになってしまったのでした。

卵の泡立てが不十分だったと思います。

これではロールケーキにならないと判断した息子は、2回目の生地に挑戦。今度も卵4個で作りました。

2回目の生地は1回目よりは膨らんで、これなら何とかなると思ったそうです。

レシピに書いてある通りにティータオルで覆って乾燥を防ぎました。しっかり冷えてから泡立てたクリームを塗ってイチゴを並べて巻こうとすると、

スポンジ生地が割れまくり!

割れ目が入った程度ではなくて、バキバキに割れてしまったそうです。

これではロールケーキにならないと判断した息子は、1回目の失敗生地でこのバキバキに割れまくったやつを巻くというアイデアを思いつきました。

こうして出来上がった大きなロールケーキの見た目を良くするために、外側に泡立てたクリームを塗りました。これをイチゴでデコレーションして完成したのは、

卵8個分の巨大ロールケーキ!

ショッピングスクエアの寿司ショップで買って来た史上最低に不味かったお寿司を食べた後、ハッピーバースデーを歌ってもらって私がそのロールケーキをナイフで切ろうとしましたら、

切れない!

外側を硬くて分厚いクレープ生地みたいなのが覆っているので、ナイフをのこぎりのように動かしても切れないのでございますよ。

「ナイフの先を突き立てて切れ!」とうちの夫が言いました。

夫が言う通りにナイフの先を突き立てて、出来た切れ目からグイグイと切り込みを入れて、一切れ切り離すのに苦労しましたよ。切るのに苦労するロールケーキというのは初めてでした。


内側のスポンジ生地はフワフワでしたが、確かにバキバキに割れていました。割れた原因はスポンジ生地が乾燥し過ぎたからだと思います。息子は生地をケーキ型から出さずにそのまま冷やしたので、冷えるのに時間がかかって乾燥が進んだのでしょう。

私が作っているのを見たことがあれば、卵の泡立て加減とか焼き加減とか巻くまでの手順とかも見当がつくと思うんですけど、一度も見たことがなくて、初めて作ったスポンジ生地がロールケーキだったわけです。

スポンジケーキ作りは、経験が必要なのでございますよ。味は美味しかったですけどね。夫も一切れだけで我慢しましたから良かったです。

さて、今日は息子の誕生日ですよ。バースデーケーキは息子のリクエストで私がチーズケーキを作ります。
 

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2024年11月7日

なんてひどい誕生日

今日は私の誕生日なんですけど、朝起きたらうちの夫が言いました。

「ハッピーバースデー!What a horrible day !(なんてひどい日だ!)」

その通りです。ひどい日です。米国の大統領選挙でドナルド・トランプが勝ちましたね。びっくりしましたよ。まさか米国があの男を選ぶとは思いませんでした。

女性の権利を守るため、民主主義を守るためには、トランプを大統領に選ぶわけには行かないだろうと思いましたけどねえ。米国はどんな国に変わって行くんでしょうか。

まあとにかく、私は米国人でなくて本当に良かったと思いました。気が滅入るのでもう考えないようにします。

そんなことより、我が家の心配事は昨日の記事に書いたうちの夫の叔父さんのことなんですよ。

夫の両親の兄弟姉妹の中で最も若いこの叔父さんが舌がんだったという、しかもすでに進行していて全身のリンパ組織にがんが広がっていると分かったことで家族はショックを受けています。

もっと早く検査を受けていたらと悔やんでも悔やみきれないわけですが、実は叔父さんは医者に相談に行っていたんだそうですよ。

住んでいるペンズハースト(Penshurst)という小さな町には医者などいませんが、車で30分のハミルトン(Hamilton)という町には医者もいるし公立病院もあるんです。

しかし、その病院は診療科目が限られているし、GPと呼ばれる一般開業医は数が少ないので診察を受けるには6〜8週間待ちだそうです。

そこで、毎週仕事でメルボルンに来る叔父さんは、仕事場の近くにある病院の救急外来に行ったんだそうですよ。公立病院の救急外来というのは無料で診てもらえるということもあって、待ち時間がすごいんです。

あまりにも長く待たされるので、診察料が払える人は病院ではなくてGPに診てもらいに行くのが普通です。予約制だから待たされないし、GPの診察料はメディケア(公費で医療費の一部を負担する制度)で何割かカバーされますから。

GPが必要と判断すると専門医に紹介状を書いてもらって診察に行くシステムになっていますが、公立病院の専門医だと何日も待たされるのが普通です。

叔父さんは公立病院の救急外来に行ったわけですけど、何時間も待たされてやっと自分の番が来た時には家に帰るバスに乗る時間だったので、医者には会わずに帰ったんですって。その時診てもらっていたら何ヶ月か早くがんが見つかったはずなんですよ。

私達が叔父さんに会ったのは、それからしばらく経って症状も悪化した頃でした。

一日も早く医者に相談して検査を受けるようにとうちの夫に言われて、結局叔父さんはハミルトンの医者に予約を入れたんです。だから何週間も待たされて、やっと診察を受けたら検査が必要だと言われて、検査を受けるまでさらに待たされたそうです。

検査結果を見た病院の医者がメルボルンの病院の医者に紹介状を書いてくれて、すぐに行けと言ったからすぐに行ったらすぐに診察してもらえたんですって。そして舌がんだという診断を聞き、直ちに歯を6本抜くことになって、もうすぐ放射線治療が始まるんですけど。

がんの切除手術は受けないそうですから、相当進行していたということなんでしょうか。

検査の結果が出てからはすごいスピードでいろんなことが進んでいますけどね、首の腫れが気になり始めてから検査を受けるまでに何ヶ月もかかっているのですよ。

医者に相談に行くのを先伸ばしにしていた叔父さん自身に責任がありますが、オーストラリアの地方に住んでいると医療事情がこれほど悪いということに私は驚きました。

公的医療サービスの格差が大き過ぎると政府を批判する人も多いんですけどね、人口密度を比べてみれば分かるでしょうが、メルボルン都市部と同じレベルの公的医療サービスを期待する方が間違っていると思います。

叔父さんが住んでいるヴィクトリア州西南部の中心の町であるハミルトンにしても人口は1万人ほどです。ここにメルボルンと同じレベルの総合病院を経営することは無理な話ですし、医師不足は地方の小さな町ではよくある話です。

どこに住むかは選択の問題だと思うんですよ。私はこれまで度々救急車のお世話になって来ましたし、うちの夫は目が見えなくなって来ていますし、私はしょっちゅう目がまわります。

老後のことを考えると、やはり交通の便が良くて生活必需品の買い物に便利で、良い病院がある所に住みたいと思います。叔父さんのように、大きな家を買って自分が欲しい暮らしを手に入れてもね、医者もいないあんな不便なところには住めません。

叔父さんはメルボルンの病院で治療を受けるので、片道6時間の家から通うことは出来ませんし、飼っている2匹の犬をどうするかという問題もあって、今は6週間の放射線治療中のことが問題になっているそうです。

叔父さん夫婦は、突然いろいろな大きな問題に直面しています。


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2024年11月6日

首の腫れはがんだった

良くない話題が続いていますが、今日の話題も良くないです。うちの夫の叔父さんのことです。叔父さんと言っても、歳は私と同じくらいなんです。年齢が近いので、夫は子供の頃からこの叔父さんとは親しい仲なのです。

私達が1000キロ運転旅行に行った時、この叔父さん夫婦の家に泊めてもらったのですが、それはもう2ヶ月も前のことになります。

最初の夜、晩ご飯を一緒に食べながらうちの夫の目の病気の話になった時、叔父さんは自分の首が腫れていることを話しました。腫れているだけじゃあなくてしこりがあるとも言いました。そう言われてよく見ると、その腫れというのはめちゃくちゃ大きくて、首のあたりから脇の下まで膨らんでいたんです。

私はすぐにリンパ節に何か出来ていると思いました。リンパ節が腫れるような病気をしていないのに腫れているということは、悪いものが出来ているのではないかと思いました。

叔父さんは、バスの洗車や掃除をする仕事をしているんですけど、首や肩を酷使し過ぎているせいで首が凝っているのかもしれないとか、最近鼻水がよく出るから、その鼻水が首のあたりに溜まっているんじゃあないかとか、呆れるようなことを言いました。

首の腫れと関係があるのかどうかは分からないけど、仰向けで寝ると息が出来なくなるとか、夜寝ている時にものすごい汗をかくとか、発疹が出て痒いとか言うので、うちの夫がグーグルで調べたら悪いものである可能性が大きかったです。

叔父さんが住んでいるのは、ヴィクトリア州西部にあるペンズハースト(Penshurst)という小さな町で、その町には医療サービスなどありません。

食品や日用品の買い物には、車で30分のハミルトン(Hamilton)という町まで行かなくてはいけません。ハミルトンには公立病院がありますが医療事情は良くなくて、数少ないGP(一般開業医)に会うのには6〜8週間待ちだと言っていました。

医者嫌いの叔父さんに、一日も早く医者に相談して検査を受けるようにと夫は強く言いました。叔父さんの家を出る時にも医者に行くようにと念を押しました。ハミルトンでは時間がかかり過ぎるので、メルボルンの病院へ行くようにとも言っていました。

そして昨日、叔父さんから電話があったんです。首の腫れはがんだったと教えてくれました。舌がんが首や脇のリンパ節に転移して、全身のリンパ組織に広がっているそうです。

私達が恐れたよりも深刻な状態でした。もっと早く検査を受けていたらと悔やまれます。本当に残念です。


叔父さんは不便な所に住んでいますが、そこで欲しかった暮らしを手に入れているんです。リタイヤしたらやりたいことが山ほどあったのに、がんの治療のためにリタイアしなくちゃあいけなくなりました。

ハミルトンの病院では治療を受けることが出来ないので、メルボルンの病院で治療を受け始めたそうで、先週の金曜日には歯を6本抜いたそうです。全身麻酔が出来ないため、局所麻酔で6本も一度に抜いたそうです。

もうすぐ6週間の放射線治療が始まります。切除手術はしないそうです。

食べ物を口から食べることが出来なくなるので、胃ろうの処置もするそうです。これからは、食べ物はドロドロにしたものをチューブで直接胃に入れることになります。

放射線治療をして余命がどのくらいになるのか分かりませんが、叔父さんはもう長くはないと覚悟を決めて、持ち物や財産の処理を始めたそうです。

末期の舌がんですから、これからの残りの日々は苦しいものになります。口から飲食が出来なくなるわけですし、すでに寝ている時の呼吸が困難になっていますし、会話が困難になったりもするそうです。激しい痛みも生じます。

そういう話を聞いて、うちの夫は叔父さんに自発的安楽死が合法化されていることを知っているかと聞いたそうです。叔父さんは知らなかったので、うちの夫にいろいろ質問したそうです。

うちの夫は、偶然にも最近安楽死を選択した同級生に会いました。看護師として働いていたその同級生から、自発的安楽死の申請の方法や実際にどのようにして安楽死するのかといった話を聞いて来ました。

叔父さんは、自分の命の最後は自分で決めたいと考えるタイプの人だそうです。叔父さんが望むなら、自分が申請の手伝いをすると夫は言っています。

ちなみに、自発的安楽死の申請は本人しか出来ませんし、厳しい条件がいろいろあって簡単ではありません。そして時間もかかります。

医療関係者は患者に自発的安楽死について話すことは禁じられているので、安楽死が可能であることを知らない終末期患者も多いそうです。


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2024年11月5日

杖と腐りかけのオレンジ

体重が激増しているうちの夫のために、最近はパンもケーキも焼かないようにしています。

仕事から帰って来ると何か食べたくてたまらない夫は、そういう物が家にあると食べてしまいますからね、晩ご飯の前に。

そして、晩ご飯の後にも。

夫自身も何とかしないといけないとは感じているようで、パンを食べられなくても不満は言いません。不満を言うどころか、せめて10キロ減量して体重2桁を目指すと言いましたよ。

昨日は晩ご飯を食べた後、散歩に行ってくると言って出かけました。買い物バッグを持って帰って来たので、スーパーまで行って来たようでした。

アーモンドとオレンジを買って来ていました。おやつに食べようと思ったのでしょう。「ヘルシーなおやつは大変よろしい」と思ったら、チーズとクラッカーも買って来ていました。

チーズとクラッカーはねえ、塩分及びカロリーの両方でヘルシーなおやつではないんですよ。アーモンドだって食べる量が多過ぎると良くないんですけど、オレンジは良いです。

ところが、

夫が買って来たオレンジを見た瞬間に私は気が付いたんですが、腐っている部分があったんですよ。

オーストラリアでは、八百屋でもスーパーでも果物や野菜は山積みで売られていることが多いですが、古いのと新しいのを混ぜて売っていますからね、買う時に良く見て選ばなくてはいけないんですけど。

夫には見えないのだった…

「もうボクは果物を買わない方がいいですね」と言いました。

文字は読めるのに、見えていないことがたくさんあります。野菜や果物は、私が一緒に買った方がいいでしょう。


最近、うちの夫は杖を使い始めたんですよ。

目の検査に行こうかなあと何度も言っていたので、さらに見えなくなって来たんだろうとは思っていましたが、検査をしてもらったところで出来ることは何も無いのでしてね。

「確かに視細胞が死んだ部分が広がっていますね」と病気の進行を確認してもらうだけです。

それでも検査に行こうかなあと考えているということは、気になるほど見えなくなって来ているんでしょう。

先日は、友人達と釣りに行った時にガソリンスタンドでコンクリートの地面の出っ張りが見えずに転んで胸から落ちるというアクシデントがありました。

真っ昼間の明るいガソリンスタンドで転んだというのがショックだったようですが、あまり明る過ぎても見えにくいということはあります。コンクリート地面のデコボコは見えにくいですからね。

見えにくくても私には見えますけど、夫には見えないそうです。

薄暗いとほぼ何も見えなくて、暗闇を歩くのと同じくらいの感じらしいですよ。そういう時には杖が役に立つとだろうと思って、杖を使うことを勧めていたんですけど、ついに使い始めたんです。

義母(夫の母親)が持っていた普通の木製の杖をもらったんですが、私は白色に塗ったらどうかと言っています。白い杖だと周囲の人達も注意してくれますからね。

しかし、白い杖はまだ使いたくないようです。その気持も分かります。

出来るだけ親切にしてあげなくちゃあいけません。


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2024年11月4日

トランプに取り憑かれた友人宅でディナー

2ヶ月ほど前に「陰謀論に洗脳された友人」という記事に書いた友人のことなんですが。

ハイチ移民が犬や猫を食べているなどという話も信じていましたし、陰謀論を本気で信じ込んでいて、ドナルド・トランプだけが米国に残された唯一の希望だと言う友人と、大声を張り上げての大激論になってしまいましてね。

あの時は、追い出すようにして友人には帰ってもらったんですが、私達はかなりショックを受けたんです。

感情的になっていた友人はうちの夫に失礼なことも言いましたから、うちの夫は怒っていましたし。私は腹が立ったと言うよりも、友人が馬鹿げた嘘を信じていることにびっくりしたんですけど。

あれからずっと連絡を取っていませんでしたが、その友人から電話があって晩ご飯に招待してくれたんです。

おそらく借りていた道具を返しに来たかったけど、気まずくて来れなかったんじゃあないかと思います。それで奥さんが提案して晩ご飯に呼んでくれたんだろうと思うんですが、私達は喜んで行って来ました。

毎日のほとんどをFOXニュースや保守&右翼のメディアの動画を見て過ごしているらしい友人の言動には、奥さんは随分前からうんざりしていて、家庭内のトラブルの原因になっていたんだそうです。

ところが、エスカレートした友人とゴルフ仲間達との間でもトラブルになったり、ついには私達との間でもあんな大喧嘩みたいなことになってしまったので、奥さんの堪忍袋の緒が切れたのですよ。

「友人達が自分の意見に賛成しなくても、それは彼等が間違っているということではないんだぞ」「このままでは大事な友達を失ってしまうぞ」と、厳しく言ったそうです。

そして、どうしてもそういう動画を見たいのなら見ればいいけど、家の中では一切そういう動画の話もトランプの話もしてはいけないという禁止令を出したんだそうですよ。

友人宅には夕方6時頃から9時半頃までいたんですが、その間一度もトランプの話はしませんでした。米国の政治の話になりかけた時にはすぐに話題を変えました。

なんだかね、終始奥さんが友人の発言を「見張っている」みたいな状況で、友人は奥さんからあれこれ言われてだんだん不機嫌になり、一時は険悪な感じになりました。

私は、いつヤバい状況になるかとハラハラしましたよ。

大統領選挙が終わったら、おそらくカマラ・ハリスが勝つと思いますけど、友人は熱が冷めて普通に戻るのではなく、心配のし過ぎと失望感でうつ状態になるんじゃあないかと、奥さんは言っています。

そうならないといいですけど、そうなる予感はします。それくらいトランプに取り憑かれていますから。


美味しい食事と普通のおしゃべりを楽しみましたが、変な緊張感がある夜でした。

ただね、友人は度々言いたい言葉が出て来なくて苦労していたんです。話題にしたいと思ったらしい映画のことを全く思い出せなかった時には、とても悲しそうな顔をしていました。

きっと日々の暮らしの中で「思い出せない」ということが増えて来ているんだろうと思います。私達の1000キロ運転旅行のことは、友人には話していたのに忘れていましたし。

話したいことや言葉がなかなか出て来なくて友人が困っている時に、うちの夫は絶妙なタイミングで上手に話題を変えたり面白いことを言いました。夫のいいところの一つだなと思いましたよ。

友人が1000キロ運転旅行の話を忘れていても、「この前話したじゃないの!忘れたの?」などとは言わずに、同じ話をまたしたんです。

この友人夫婦とはこれからもずっと良い友達でいたいのですけど、どうなるでしょうかね。


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2024年11月3日

尊厳死で逝った同級生

ラグジュアリー過ぎる出張から帰って来たうちの夫ですが、全100店舗の店長や地域マネージャーらが集まった総会でしたから、久しぶりに会った知り合い達とは話に花が咲いたようです。

夫が勤める店舗に以前勤めていたSさんもそうした知り合いの一人。赤毛のヴァイキングのような外見のSさんとは個人的にも親しくして、Sさんは我が家にも来られたことがあるんですけど、現在は地域マネージャーをされています。

朝ご飯をSさんと一緒に食べながらいろいろな話をしたそうですが、がんで余命がわずかとなり安楽死を選択した高校の同級生の話になったそうです。その同級生はマイケルさんとおっしゃるんですけど、夫にとってマイケルさんから聞いた話は非常に興味深いことだったので話したかったのだそうです。

驚いたことに、Sさんは自発的安楽死が合法化されていることをご存知ではありませんでした。現在オーストラリアでは北部準州と首都のキャンベラ以外のすべての州で合法化されているんですよ。

実は最初に合法化したのは北部準州だったんですが、準州の知事が熱心なカトリック教徒の人に変わってから自発的安楽死は再び非合法化されてしまったんだそうです。

それはともかく…

同級生のマイケルさんは、自分の人生で最も達成感を感じることは看護師としてメルボルンの小児病院の救急病棟で働いたことだとおっしゃったそうなんですけど、それを聞いたSさんは驚きました。Sさんの奥さんも同じ小児病院の救急病棟に勤めていたからです。

「その人どういう名前?」とSさんが聞くので教えたら、Sさんはマイケルさんのことを知っていたんですって。奥さんとマイケルさんは同じ救急病棟に勤める同僚だったんです。世間は広いようで狭いですね。

マイケルさんががんで闘病していたことも奥さんから聞いて知っていました。がんが悪化して病院を辞めた時にはお別れ会もしたんだそうです。

マイケルさんは安楽死を選択したことを誰にも言わなかったので、Sさんの奥さんもそれはご存知ではなかったはずですが、うちの夫がSさんに教えたので奥さんはSさんから聞いたでしょう。

安楽死は金曜日のお昼頃を予定しているとのことでした。

そして翌日、マイケルさんの弟さんがフェイスブックにマイケルさんが亡くなったことを知らせるメッセージを投稿していたそうです。予定通りに亡くなられたようです。


マイケルさんは5人兄弟の長男でした。お母さんはすでに亡くなられています。

前立腺がんが見つかってすでに進行していると分かった後、自分の命の最後は自分で決めたいと考えました。自発的安楽死の申請には時間がかかることを知っておられたので、早めに準備を始められたそうです。

余命が6ヵ月と分かって申請を行い、安楽死が認められた後、お父さんと4人の弟達と小旅行に出かけて楽しい思い出を作りました。持ち物や財産の処理も終えました。

がんは脊髄にも転移していましたので、ついに身体が動かなくなった先日、安楽死の日を金曜日と決めました。

お父さんと弟達は遠方に住んでいるので、前日は病院の近くのホテルに泊ることにしていました。そして、金曜日の午前中、病室に集った家族にさようならを言ってから、薬を飲んで眠られたはずです。それが、マイケルさんが望まれた終わり方でした。

終末期患者が、まだ自分が自分でいるうちに尊厳を持って逝く。こういう命の終わり方には人それぞれ意見があると思いますけど、マイケルさんは自分で決めた終わり方が出来て、心は安らかだったはずです。

フェイスブックのメッセージには、「がんで闘病していましたが、家族に囲まれて安らかに亡くなりました」とだけ書いてあったそうです。

ご冥福をお祈りします。


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2024年11月2日

ラグジュアリー過ぎる出張

シドニーへ出張に行っていた夫が帰って来ました。

息子が言った通りでしたよ。スーツケースを持って行っていませんでした。スーパーの買い物バッグを持って帰って来ましたからね、フォーマルディナー用のスーツはその買い物バッグに入れて持って行ったんです。

本当に呆れます。

総会イベントが開かれたのは、「ザ・スター」(The Star)というホテルだったそうです。カジノが入っているホテルで、ダーリング・ハーバーの景色が望める高級ホテルですよ。

そのホテルでは、どういう事情でそうなったのか知りませんけど、うちの夫は他の誰とも部屋を共有することなく一人部屋だったそうで、泊まった部屋というのが、

プレミアムスイートルームだったんですって!

大きなキングサイズのベッドがある寝室とは別に広々としたリビングルームがあって、大きなテレビがあったそうです。ダイニングテーブルもあったそうです。

スパバス付きのバスルームは大理石で、広々としたシャワーもあって、それとは別に化粧室もあって、流し付きのバーカウンターもあったそうですよ。

そんな部屋に、あのスーパーの買い物バッグを一つ持って泊まったんですよ、うちの夫は。

全国100店舗の店長と、地域マネージャーや州の営業開発マネージャーや、もちろん本社の人達も大勢が集まった総会だったそうですが、取り引きのある多くのメーカーからもスタッフが来ていてプレゼンテーションをしたんだそうで、そういうメーカーがイベントの費用をかなり負担していたそうです。

商品のプレゼンテーションばっかり聞いていたわけではなくて、エンターテイメントのショーもいろいろあったそうです。夜のフォーマルディナーでは大変なご馳走を頂いたそうですよ。

予定されていたイベントが初日に全て終了したので、2日目はすることが無くなったそうですけど、帰りの便は午後だったから待っているのが退屈だったそうです。

「だったら半日でも観光すればよかったのに」
「それは無理!履いて行った靴がきつくて歩けなかったから」
「やっぱり仕事で履いている安全靴で行くべきだったわね」

ということで、午後の便でメルボルンに戻り、6時頃には家に帰りましたけど、ホテルの朝ご飯を食べただけだからお腹が空いたと言って、家に帰るなり大盛りのカレーライスを食べていました。

自分でお金を払えばどこでも何でも食べることは出来るのに。

まあとにかく、私が一生経験が出来ないようなラグジュアリーな部屋に泊って帰って来たのでございますよ。私も一緒に泊まらせてもらいたかったですよ。


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2024年11月1日

出張に買い物バッグで

昨日、うちの夫がシドニーに出張に行きました。この出張には私も一緒に行くことにしていたのに、目まいのせいで行けなくなりました。夫が仕事の2日間は私は一人で観光をして、週末は一緒にブルーマウンテンに行く計画だったんですけど。

シドニーまで行くだけなら行けましたけどね、まだフラフラしているから観光をするというのが難しいのですよ。歩き回るなんて出来ませんから。

朝4時半に空港まで送って行くのも私には無理だったので、息子が行ってくれました。

この出張は、夫が勤めているツールショップ会社の100店舗目オープンを記念する総会で、全店舗の店長が集まるということでした。夫はいつものユニフォーム姿で出発しましたが、靴は安全靴じゃあなくてピカピカの黒い革靴を履いていましたよ。

夜のディナーはフォーマルだからスーツを持って行かなくちゃあいけないと言って、出発前日の夜には持って行く物の準備をしていました。最近体重が激増していますからね、スーツが入るかどうかチェックしてから持って行く服を並べていました。

ピカピカの革靴を履いて行ったのは、履いて行けば持って行かなくて済むからでしょう。

夫を空港まで送って行った息子が帰って来て言いました。

「空港に着いたらねえ、スーツケースを持ったビジネスマンみたいな人ばっかりだったけど、お父さんはツールショップの赤いパーカーを着ていて買い物バッグだから目立ってたよ」
「買い物バッグ?スーツケースを持って行ったんじゃあないの?」
「いや、コールズ(スーパーのColes)の買い物バッグを持ってた」

何だそれ!

夫が持って行った買い物バッグというのはこれですよ。


いつも仕事にランチを入れて持って行くのに使っているやつです。

前の晩に準備をしていた時には、小さいスーツケースを出しているのを見ましたけど、スーツケースは使わなかったのか。

あのスーツケースは機内に持ち込めるサイズで便利だからと、旅行の時にはいつも使っているんですよ。一泊旅行には最適な大きさなんですけど。

フォーマルディナー用のスーツをあの買い物バッグに入れて持って行ったとは!

総会が行われるホテルは、シドニーのダーリングハーバーを見下ろす高級ホテルだと聞いていたけど、そんなホテルへこの買い物バックを持って入って行くうちの夫を想像すると…


この買い物バッグもね、夫はちゃんと考えての選択だったはずです。

持って行く荷物が少ないから小さいバッグが良いと思ったんでしょう。そしてスーツやシャツがシワにないようにふんわり入れられるバッグが良かったんでしょう。手さげの旅行バッグも持っていますけどね、それも大き過ぎると思ったんでしょうね。

優先したのはバッグのサイズとスーツがシワにならないこと。見た目のことなどは考えもしないのですよ。

うちの夫は思考回路がどうかしていると何度も書いていますけど、こういうことなんです。夫にとっての最良の選択が、一般人の私には「ありえないこと」というのがよくあるんですよ。

私が一緒だったらスーパーの買い物バッグでは行かせませんでしたけどね。


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