夫が勤める店舗に以前勤めていたSさんもそうした知り合いの一人。赤毛のヴァイキングのような外見のSさんとは個人的にも親しくして、Sさんは我が家にも来られたことがあるんですけど、現在は地域マネージャーをされています。
朝ご飯をSさんと一緒に食べながらいろいろな話をしたそうですが、がんで余命がわずかとなり安楽死を選択した高校の同級生の話になったそうです。その同級生はマイケルさんとおっしゃるんですけど、夫にとってマイケルさんから聞いた話は非常に興味深いことだったので話したかったのだそうです。
驚いたことに、Sさんは自発的安楽死が合法化されていることをご存知ではありませんでした。現在オーストラリアでは北部準州と首都のキャンベラ以外のすべての州で合法化されているんですよ。
実は最初に合法化したのは北部準州だったんですが、準州の知事が熱心なカトリック教徒の人に変わってから自発的安楽死は再び非合法化されてしまったんだそうです。
それはともかく…
同級生のマイケルさんは、自分の人生で最も達成感を感じることは看護師としてメルボルンの小児病院の救急病棟で働いたことだとおっしゃったそうなんですけど、それを聞いたSさんは驚きました。Sさんの奥さんも同じ小児病院の救急病棟に勤めていたからです。
「その人どういう名前?」とSさんが聞くので教えたら、Sさんはマイケルさんのことを知っていたんですって。奥さんとマイケルさんは同じ救急病棟に勤める同僚だったんです。世間は広いようで狭いですね。
マイケルさんががんで闘病していたことも奥さんから聞いて知っていました。がんが悪化して病院を辞めた時にはお別れ会もしたんだそうです。
マイケルさんは安楽死を選択したことを誰にも言わなかったので、Sさんの奥さんもそれはご存知ではなかったはずですが、うちの夫がSさんに教えたので奥さんはSさんから聞いたでしょう。
安楽死は金曜日のお昼頃を予定しているとのことでした。
そして翌日、マイケルさんの弟さんがフェイスブックにマイケルさんが亡くなったことを知らせるメッセージを投稿していたそうです。予定通りに亡くなられたようです。
マイケルさんは5人兄弟の長男でした。お母さんはすでに亡くなられています。
前立腺がんが見つかってすでに進行していると分かった後、自分の命の最後は自分で決めたいと考えました。自発的安楽死の申請には時間がかかることを知っておられたので、早めに準備を始められたそうです。
余命が6ヵ月と分かって申請を行い、安楽死が認められた後、お父さんと4人の弟達と小旅行に出かけて楽しい思い出を作りました。持ち物や財産の処理も終えました。
がんは脊髄にも転移していましたので、ついに身体が動かなくなった先日、安楽死の日を金曜日と決めました。
お父さんと弟達は遠方に住んでいるので、前日は病院の近くのホテルに泊ることにしていました。そして、金曜日の午前中、病室に集った家族にさようならを言ってから、薬を飲んで眠られたはずです。それが、マイケルさんが望まれた終わり方でした。
終末期患者が、まだ自分が自分でいるうちに尊厳を持って逝く。こういう命の終わり方には人それぞれ意見があると思いますけど、マイケルさんは自分で決めた終わり方が出来て、心は安らかだったはずです。
フェイスブックのメッセージには、「がんで闘病していましたが、家族に囲まれて安らかに亡くなりました」とだけ書いてあったそうです。
ご冥福をお祈りします。
0 件のコメント:
コメントを投稿