2022年9月17日

数年ぶりの再会と知らないおじいさん

Hさんはご主人が日本人で、日本語の先生をされていたHさんとは、当時うちの夫と私が日本語教材を出版販売する仕事をしていた縁で知り合ったのですけど。

すっかり親しくなったHさんの家族とは、家族ぐるみのお付き合いがもう20年になります。

ところが、最後に会ったのは新型コロナのパンデミックが始まる前のことでして。そろそろ食事にでもお呼びしようと思っていた頃に我が家ではいろいろあって、機会を逃したところへ来てパンデミックが始まりました。

メルボルンではロックダウンが何度も繰り返されて、何回目のロックダウンだったかもう覚えていませんけど、世界最長記録を作った長い厳しいロックダウンもありました。

食品や必需品の買い出しに家から5キロ圏内のスーパーに行くだけの暮らしでしたからね。必需品以外の店は営業禁止でしたから美容院も営業していなくて、ショートヘアの私の頭は人様の前に出られないほど髪の毛がボーボーに伸びて、カッパを通り越してマレットヘア風になっちゃってね。

世帯間の交流も禁止でしたから、Hさん家族に会うこともできなかったわけですけど、ロックダウンが終わり規制も緩和されて、うちの夫とはHさん達のことを時々話していたんですけど、何だか疎遠になってしまっていたのです。

うちの夫が土日勤務が長く続きましたから、土日が休みの皆さんとはなかなか交流するチャンスがなかったんですよ。何週間も休み無しで働くことも多くてね。Hさん達だけでなく、友人家族と集うことはほとんど無くなっていたんです。

昨日のことですが、急にHさんに会いたいなと思いましてね、思った時にすぐ行動しないといつまでたっても会わないままになると思ったので連絡したんです。

Hさんはその時クリニックにいらっしゃったそうですが、Hさんも私達と疎遠になってしまっていることを気にしておられたそうで、すぐに近所のショッピングセンター内のカフェで会うことにしました。

何年ぶりだったでしょうか。3年は確実に過ぎていました。懐かしくて、カフェの外の椅子に腰掛けて、休み無しで1時間ほどしゃべり続けた頃、突然話しかけて来たおじいさんがいました。

第2次大戦前にパレスチナから移民して来たユダヤ人の両親のもとにメルボルンで生まれた86歳だと言うそのおじいさんは、後から思えば私達からお金をもらうのが目的だったのかもしれないんですけど。

とにかくですね、どこで生まれたか、どの学校に行ったか、学校を出てから何をしたかなんていう個人的な質問から始まり、宗教の話、昨今の国際情勢、社会問題と、とにかくおしゃべりが止まらないのですよ。

ご自身は工業高校の先生をしていたとおっしゃっていましたが、私達も教師だったと知って教育の話になったりね。

Hさんが優しい人なので、このおじいさんを無視したり冷たい態度を取ったりせずに、会話が弾んでしまったのです。

私は早くどこかに行ってくれと思い続けていましたが、おじいさんは何と30分近くも話し続けました。

突然警察官が数人現れて、何か事件があったような様子になり、それを見ておじいさんはいなくなりましたけど。

経済的に困窮しているのかもしれないという感じの身なりでした。車輪のついた歩行補助機を押して歩いておられました。

Hさんはね、ホームレスの人とかこのおじいさんのような人を見ると、お気の毒で無視できないのだそうです。必要な場合はダメなものはダメとちゃんと断りますが、昨日のように話しかけられたらちゃんと話をしてあげるんだそうですよ。

とにかく面倒なことには関わりたくないと冷たく無視する傾向の私とは大違いなのでございました。

Hさんと久しぶりに会って、おじいさんが現れるまでのおしゃべりは楽しかったです。


Hさんの息子さんは、機動戦士ガンダムを作るのが将来の夢だと言う子でしたが、メルボルン大学でロボットを作る工学を学んで現在は東京在住で日本の企業に勤めています。

自分がやりたかった仕事をする機会はメルボルンには無いですから、東京でやりがいのある仕事ができていて、Hさんも喜んでおられました。

息子さんは日本に永住することになるでしょう。Hさんのご主人の実家は埼玉の草加市だそうですから、Hさん夫婦は日本とメルボルンを行ったり来たりの暮らしを考えているそうです。

現在は、外国人が日本に行くのはまだまだ簡単ではないのですけど、少し規制が緩和されて、ガイド付きの団体旅行に参加しなくても入国できるようになったそうですから、Hさんは息子さんに会いに行きたいそうです。

しかしねえ、日本に行くのは簡単ではないんですよ。ビザを取得しなくてはいけませんから。早く短期滞在者はビザ免除にしてもらいたいものです。


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