ベッドルームが6つもある大きな家ですが、オーナーさんは入居者の数は5人が最適だと考えておられるのだそうで、ベッドルームの1つは空き部屋のままにしているんだそうです、6人にすれば家賃収入は増えるのに。
1人が引っ越して出ていくことになり新しい入居者を探していましたが、申し込んだ人は複数いたそうです。申し込んだのがたとえ1人でも、シェアハウスの入居者を決める際には審査のためのインタビュー(面接)があります。
不動産屋が管理している場合もありますが、娘が引っ越す家の管理はその家のオーナーさんが自分でやっておられますので、インタービューはオーナーさんとだったそうです。その時の話を娘から聞きました。
話をしている中で、うちの娘が自分は半分日本人だと言ったとたんにオーナーさんの表情が一変し、一気に話が決まったんだそうですよ。
何故ならば、そのオーナーさんも半分日本人だったからです。
この方のお母さんが「戦争花嫁」と言われる日本人移民だったそうです。「戦争花嫁」という言葉は皆さんもご存知だと思いますが、第2次世界大戦後に日本に駐留した連合軍兵士と結婚して海を渡った日本人女性達のことです。
敵国に嫁いで行くということで日本の家族や親族からは反対されるのがほとんどで、嫁いだ後は言葉の問題や差別で苦労した方も多いと聞きます。
当時のオーストラリアは白豪主義の時代ですから、有色人種への差別や偏見は今とは比べ物にならなかったでしょう。
この家のオーナーさんも、子供の頃には差別やいじめに遭い、一般的なオーストラリア人達とは親しくなれず、付き合うことが多かったのは移民の子供達で、結婚したのはギリシャ人だったそうですよ。
電気工事技師として働き、安い家を買っては増改築しながら持ち家を増やして行ったのだそうです。不動産に投資して来たということですね。
娘が住むことになったシェアハウスも、ご自分でリフォームして大きくしたんだそうです。
こうして現在は、所有している複数の家を貸家にして家賃収入を得ておられるわけですが、メルボルンに近いエリアに複数の家を所有しているということは、すごい資産ですよ。小さな家でも1億円以上しますからね。
このオーナーさんは、年齢が私くらいだろうと娘は言っていました。お母さんが戦争花嫁だったのなら、きっと私と同じくらいか少し上でしょう。
この方は、とにかくオーストラリア人を信用していないので、オーストラリア人には家を貸さない主義だそうです。ですから、うちの娘はあまりチャンスがなかったらしいのですけど、半分日本人と分かったとたんにオーナーさんの気持ちは決まりました。
一緒に住むことになる4人は全員30歳以上の大人で、インド人の大学院生、中国人の看護師、韓国人の大学生、韓国系ニュージーランド人ということなんですけど、ここにオーナーさんが最も信頼する日本人の血を半分持った娘が加わることになったわけです。
このオーナーさんは、家を貸している女性達のほとんどが移民や学生でメルボルンに頼れる家族がいないということから、ご自分が保護者の役目を果たすおつもりでいらっしゃって、何か危険な目に遭った時にはいつでも電話しなさいとおっしゃっているそうです。
入居者の引っ越しも、女性一人では大変なのが分かっているので、ご自分のバンで引っ越しの手伝いもしておられるのだそうですよ。だから、うちの娘の引っ越しも私が手伝いに行かなくてもいいのです。
いい人がいるものですね!
少しくらい不便な場所でも、そういう方がオーナーの家だと安心じゃないですか。
若い頃にはサッカーをしておられたそうで、息子さんの一人はプロのサッカー選手だそうですけど、どのチームなんでしょうかね。
娘は、少なくとも来年修士課程を学ぶ大学がどこになるかが決まるまではこの家に住むと言っています。大学が遠いと引っ越すしかないでしょうが、メルボルン大学だと近くていいですよ。
一人暮らしを経験したので、今度はシェアハウスというものを経験してみたいのだと言っております。上手く行っても上手く行かなくても、経験するのは良いことだと思います。
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