2019年8月23日

ティム・フィッシャー元副首相死去

元国民党の党首で連邦政府の副首相も務めたティム・フィッシャーさんが、急性骨髄性白血病で昨日亡くなりました。

私は、この人には好感を持っていたのです。

フィッシャーさんは、誠実な人柄で知られていました。党派を超えた他の議員、それも野党の議員や支持者からも、ジャーナリストからも尊敬されていました。

この人が一番話題になったのは、例のタスマニア州の観光地ポート・アーサーで若い男が無差別に発砲して多くの観光客を射殺した事件の後です。その事件の詳細は「銃規制、オーストラリアの選択」という記事にも書きました。

当時のオーストラリア連邦政府は、保守政党である自由党と国民党の連立政権でしたが、連邦政府は直ちに国全体の銃規制を導入し、事件からわずか12日後にはミリタリータイプのセミオートライフルの輸入と販売が禁止されるとともに、「National Firearms Buyback Scheme」と呼ばれる政府による強制的な銃器の買戻しがおこなわれ、半自動式ライフルやポンプアクションショットガンをはじめ、ハイパワー拳銃やミリタリータイプまで合計66万以上の銃器が連邦政府により買い戻されたのです。

ティム・フィッシャーさんは、この時、国民党の党首で連邦政府の副首相でした。国民党というのは、支持基盤が農家です。フィッシャーさん自身も農家出身でした。

保守的で銃器を所有する国民党の支持者達は、当然、銃規制や強制的な銃器の買戻しなどには大反対しました。フィッシャーさんに対する反発は凄まじく、フィッシャーさん人形を吊るして燃やしたりする人達もいました。国民党の支持者には、そういう過激的なことをする人が多いのです。

しかし、フィッシャーさんは国民党の議員や支持者達の反対を押し切って、銃規制を支持しました。

我々は正しいことをしなければならない!

フィッシャーさんの言葉です。

オーストラリアでは、ポートアーサー事件の後、銃による無差別大量殺人は起きていません。銃規制が「銃による犯罪と自殺」を明らかに減少させています。

あの時、フィッシャーさんが強い意志をもって銃規制を支持しなかったら、銃規制はおこなわれなかった可能性があります。現在のオーストラリアは、アメリカのようになっていたかもしれません。

ティム・フィッシャーさんは、それからまもなく突然政界を引退しましたが、その理由は家族のためでした。二人の息子さんが自閉症であることが分かったため、家族と過ごす時間を確保するために議員を辞めたのです。

フィッシャーさんは、20歳の時にベトナム戦争に徴兵され、ベトナムの密林での戦闘に参加して負傷しました。ベトナムの密林では枯れ葉剤に暴露しまし、これは彼につきまとった健康問題に影響があったと語っています。白血病の発症も枯れ葉剤の影響があったのではないかと言っています。

ご冥福をお祈りします。


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