それは、あるのどかな秋の日の午後のこと。私は息子のカイを妊娠中で、お腹が膨らんできた頃の事だった。
1996年4月28日の日曜日、タスマニアで何か事件が起きているらしいと聞いてテレビをつけた。
州都ホバートに近い観光地ポートアーサーで、若い男が無差別に発砲して多くの観光客を射殺した。その後、車を運転しながら通行人を次々に射殺し、数百メートル離れたガソリンスタンドでもカップルの女性を射殺。男性の方をトランクに閉じ込めてコテージに移動し、その男性を人質にして立てこもった。警察とメディアと野次馬たちがコッテージを取り囲んで一夜が開け、翌日の朝コッテージから出火。飛び出してきた犯人はあっけなく逮捕されたが、コッテージの持ち主であった夫婦と人質の男性は焼け跡から遺体で発見された。死者35人、負傷者15人というオーストラリア犯罪史上最悪の大量殺人事件となったポートアーサー事件だ。犯人の若者マーティン・ブライアントは終身刑で現在も服役中。何故このような犯行に及んだのか、その動機は不明のままである。
この事件の後、犯人のブライアントが高機能自閉症で知能指数が低かったこと、事件に使用したアサルトライフルを何らの審査もなく購入していたことがメディアで報じられると、銃規制を求める声が高まった。そして、この事件からわずか12日後にミリタリータイプのセミオートライフルの輸入と販売の禁止が決定し、その後オーストラリア連邦政府は国全体の銃規制を導入した。
当時の連邦政府は、保守政党である自由党政権であったが、銃規制は輸入と販売の禁止にとどまらなかった。「National Firearms Buyback Scheme」と呼ばれる政府による強制的な銃器の買戻しがおこなわれ、半自動式ライフルやポンプアクションショットガンをはじめ、ハイパワー拳銃やミリタリータイプまで合計66万以上の銃器が連邦政府により買い戻された。
私の夫家族も、所有していたライフルとショットガンを手放したことは記憶に新しい。
さて、先日、米国内の銃規制を求める社説を1面に掲載して話題となったニューヨークタイムズ紙に、このオーストラリアの銃規制に関する記事が載っていた。
ご存知のように、米国の銃による凶悪犯罪数は世界に類を見ないレベルであって、大量無差別殺人も頻発しているにもかかわらず、政治的発言力のある全米ライフル協会の反対により国レベルでの効果的な銃規制法が成立する可能性は低い。
また米国では「自分の身は自分で守る」という精神が現在でも根強く残っているため、多くの米国人が銃を手放すことを恐れている。こうした国民の心理も問題であろう。
しかし上記のニューヨークタイムズ紙の記事によれば、オーストラリアではポートアーサー事件後の銃規制が「銃による犯罪と自殺」に与えた影響を否定出来ない数値が出ていることを紹介している。
銃犯罪の減少と銃規制の関係性については多くの意見があり、批判もあり、規制の緩和を求める声もあるけれども、オーストラリアが銃規制の緩和に動くとは思われない。米国の辿った道を追随することを選ぶわけがないのである。
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