2017年3月22日

メルボルンが住みやすい理由

メルボルンは世界の街の中でも住みやすい街ランキングで常に上位にあるんですが、先日国連が発表した今年の世界幸福度報告書(2017 World Happiness Report)によると、オーストラリアは9位だったそうです。米国はトップ10に入っていません。ちなみに日本は51位です。

福祉、自由、寛容、正直、健康、所得、良好な統治などの「幸福度を支えると考えられる要因」を基準に各国をランクづけしたそうです。

住みやすさを考える場合には、さらに交通事情・教育・雇用・物価・住宅事情・治安など、比較する項目はいろいろあるんでしょうが、私が思うメルボルンの住みやすさというのを考えてみました。

住宅価格(賃貸価格も含め)の高騰が凄まじく、食品も生活用品も光熱費も非常に高くて、物質的な面からすると住みやすいとは言いにくいということを前置きした上で、やっぱり住みやすいと思うのは何故かと言いますとね、一番の理由は「グループに属すことを強制されない社会である」という点と「選択の自由がある」という点です。

町内会とか地区自治会のようなものがないですから、そうした付き合いを強制されません。ご近所づきあいの悩みなんてないですからね。

また、学校のPTAみたいなものもそう。日本だとPTAって事実上参加は義務みたいな感じじゃないですか?保護者(ほとんどの場合は母親)は様々な学校行事や活動への参加をほぼ強制されているように感じますけど。

やりたくない人や忙しくてそんな時間がない人は、参加する義務はないんです。

小学校やハイスクールの発表会、遠足、スクールキャンプ、運動会、予防接種、とにかくカリキュラムに則った通常の学習以外の活動行事は全て参加するかどうかは自由なのです。運動が苦手な子が、大勢の観衆を前に走ったり跳んだりを強制させられる運動会なんてありえません。運動会も水泳大会も水泳の練習さえ参加は自由です。そこは徹底しています。

勤労者であれば、勤め先とかで忘年会のような行事があったとしても、参加はあくまで自由です。参加しなかったからといって気まずい思いなどすることはありません。「付き合い」なんてもので苦労することはないのです。

そういう労働時間以外の人間関係が出世や給料に影響したら、それこそ大問題になるでしょう。オーストラリアには雇用者との問題を訴え出ることができるシステムがちゃんとあります。

あとですね、メルボルンは移民が多く、ありとあらゆる人種や民族が混じり合って暮らしています。差別する人はいますが大多数はそうした人種や民族の違いを肯定的に受け入れています。そういう社会に住んでいると、「公平である」という事に敏感になりますし、法律上そうした「公平さ」というものをあらゆる面で達成しようと声を上げ行動を起こす人々が大勢いますから、人種や民族だけではなく、性別や年令や身体障害や言語能力や宗教や性的指向など、様々な「違いというもの」に根ざす不公平さをなくそうとする意識が自然に高くなります。そういうのが良いです。

政治が厳しく監視されていて、政策が失敗したり人々の反感を買ったりすれば、簡単に政権政党が変わるというのも良いです。政治家は皆んなうかうかしていられない、しっかり仕事をしないと失業する、そういう緊張感は見られます。

選挙は「権利」ではなく「義務」であるというオーストラリアの社会では、人々の政治に関する関心は日本に比べると高いですからね。税金の使い道を決めたり、法律を作ったりする政治が良くないと、人々の暮らしは良くなりません。

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