2023年5月3日

「雨垂れ石を穿つ」と言いますが

このことわざが言おうとしていることは、「小さなことを根気よく続ければ、やがて大きなことを成し遂げられる」ということですけど、同じ意味でもうちょっとスケールの大きいことわざって無いですかね。

「大きな山も少しずつ削っていけば、いつかは崩れて平らになる」というくらいのスケールのやつ。

私が現在取り組んでいるのは、それくらいの気分の片付けなんですよ。

昨日も仕事部屋の片付けに取り組みました。大きなダンボール箱いっぱいのコードやケーブルが集まりました。


それから、もう使うことはないけど使おうと思えばまだ使えるコンピューター1台、キーボード2つ、古すぎて最近のコンピューターでは使えないワコムのタブレット1式、コンピューターのモニター2台(そのうち新品同様の1台が驚異の低品質大型モニター)、マウスが3個、電話機、古いスマートフォン数台、息子のプレイステーション、…ともう書き続けるときりがないほどいろいろな物を一箇所に集めました。

こうしたものを廃棄するには、リサイクルするための収集場所に持って行かなければいけません。量が多いし重すぎて私一人で持って行くのは大変です。

水曜日の今日は夫が仕事が休みなので、持って行くのを手伝ってもらいます。

私が集めたこうした廃棄予定のものを見て、夫は険しい表情でしたよ。例の新品同様の低品質大型モニターを指差して「それも捨てるの?」と言いましたけど、使わない(品質が悪すぎて使えない)ものを家に置いておく意味がないです。

買ってから数年になりますけど、ずっとクローゼットに入ったままでした。品質が悪すぎて使えないんですから、こんなものを買った夫が悪いんです。

ダンボール箱いっぱいのケーブルやコードにも「うーん…」と唸っていましたけど、全部お金を出して買ったものですよ。しかし、使わないものは処分するしかないです。

先日、夫が古本屋に持って行く本とチャリティーショップに寄付する本を分類していましたが、それも今日持って行きます。

気が遠くなりそうでしたけど、少しずつ物が減って、空っぽになった棚もありますし、なんだか少し大きな山の一部を崩したような気分です。

それにしても大量の廃棄物です。ごみになるようなものを買っちゃあいけません。


仕事部屋には、まだまだいっぱい物があります。でも、残っているもののほとんどは夫のものですから、私がどう処分するかを決められません。

かつて夫が頑張って取り組んだ事業があるんですけどね、その事業はうまく行かなくて破綻したんですけど、そのせいで夫はひどいうつ状態にもなったし、私達家族は経済的に困窮して食べて行くこともできなくなったんですけど。

その事業関係の物はなかなか捨てられないようです。自分の人生の一部だからと夫は言います。

気持ちは分かりますから、あまり場所を取らないものは捨てなくてもいいんですけど、ガレージや倉庫がないと保存できないような場所を取る物は、何とかしないといけません。

気の毒には思いますが、自分がいずれ目が見えなくなるということは受け入れるしかないでしょう。なんとか断捨離に挑んでもらいたいです。

私なんかには想像できないほど強い物への執着があるようですから、捨てるということに不安を感じるんだろうと思います。まずはもう絶対に不要だと確信するものから少しずつです。

そのうち執着が薄らいで捨てやすくなるかもしれません。


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