日本の首相が、同性婚の法制化に関して「極めて慎重に検討すべき課題だ」と否定的な考えを示したというニュースを読みました。同性カップルに結婚する権利を認めない理由については「家族観や価値観、社会が変わってしまうから」と言ったそうで。
私はあごが落ちましたよ!
「あごが落ちる」というのは英語ではよく使うフレーズでね、「drop jaw」とか「jaw dropping」とか言いますが、まさにあごが落ちて口が開く状態のことを言います。あっけにとられて口が開いちゃう、そして開いた口が塞がらない、そういう状況を表現するフレーズです。
首相の発言は「家族観や価値観が変わって社会が変わることは問題だ」という考えを示しているわけですね。
そんなことを国のリーダーが言うとは情けない…
古い価値観というのはね、人々が平等ではなかった古い時代に作られたものですよ。男尊女卑とかミソジニーとか家長制度なんていうものが、日本社会のあり方や家族観の基本にあったわけじゃあないですか。
古い価値観や社会のあり方は、より公正で平等なものに変わって行くべきですけど、社会のあり方が変わるとそれまでの社会で恩恵を受けてきた人達がそうした恩恵を失いますから、そりゃあ変化に反対する人はいるでしょう。
世界的に見れば、特に先進諸国では、自分たちの社会をより公正で平等な社会に変えていこうという動きは進んでいます。不平等な法律を変え、必要であれば憲法も変更して、新しい法律が作られています。
例えばね、女性も男性と同じように選挙で投票できるようにするべきだとなれば、それを法制化しないといけませんよね。女性だという理由で雇用差別を受けるのは不当だとなれば、そういう差別が起きないように法律を作らないといけません。
同性婚を認めようというのも同じことですよ。性別による差別が起きないように法制化する必要があります。
同性婚を世界で初めて合法化したのはオランダでした。2000年12月のことです。翌年の4月1日に法律が施行されました。
あれから22年。多くの国で同性婚が合法化されて来ました。難しい問題ではありません。性別で差別をしないで、全ての国民に同じ権利を認めようということなんですよ。
ニュージーランドが同性婚を合法化したのは2013年ですが、同性婚合法化法案の審議中に、モーリス・ウイリアムソンという議員が有名な演説をしています。
2015年に書いた「同性婚を支持します」という記事で紹介していますから見てみてください。
自分達がやろうとしているのは、愛し合う二人が結婚できるようにしようということだけです。たっだそれだけです。外国に核戦争をしかけているわけではないし、農業を壊滅させるウイルスをバラまこうとしているわけでもありません。合法化したからと言って、太陽は明日も昇るし、ティーンエイジャーの娘は知った顔をして反抗して来るし、あなたの住宅ローンは増えたりしないし、皮膚病にかかったり布団の中にヒキガエルが現れたりしません。この法案が可決されても、世界は何ごともなかったかのように回り続けます。この法案が可決されると、影響がある人にとっては素晴らしいことですが、影響がない人にとっては人生は何も変わりません。
論理的に組み立てた非常に分かりやすくユーモアにあふれた演説で、合法化に反対する方が間違っていると思わせる説得力がありました。
オーストラリアでは、2017年12月7日に同性婚合法化法案が可決されました。私はテレビ中継を見ていましたが、歴史的瞬間でしたね。あの時の感動は一生忘れません。
同性婚合法化法案が審議される前に、同性婚合法化についての国民の意見を問うための郵便調査が行われたんです。あれははっきり言って合法化するかどうかを決める国民投票と同じものでした。
同性のカップルが結婚できるように法律を変えることに賛成か反対か、問われたのはたったそれだけでした。
この郵便調査で賛成が過半数となったのを受けて法案が国会に提出されたんです。可決されたのが12月7日で翌日の8日に施行されました。
オーストラリアでは、かつて同性愛は犯罪とされていたんですけどね、人々の意識は変わったのです。そして社会は変わったのですよ。
同性婚が合法化された時、ある国会議員が言いました。
「オーストラリアという国を、すべての子供達が生まれて大きくなるのに最も素晴らしい国にしたい!さらに公正で平等で偏見のない国にしていきたい!」
こういう信念と使命感を持つ人を選んで議会に送り出さなければいけませんよね。
法律を作る議員たちは選挙で選ばれた「代表」ですから、議員たちの発言を聞けば彼らを選んだ人々の意識も見えて来ます。
オーストラリアの国会議員にも、差別意識を持つ保守的な人もいるんですよ。女性を見下したようなことを言う人もいます。人種差別者もいますよ。そういう差別意識を持つ人々に選ばれて議員になっているんですから仕方がない。これも民主主義なんです。
日本の首相が「同性婚を認めることで社会が変わってしまうのは問題だ」という考えを示したということは、日本の国民の多くがそうした意識を持っているということでしょう。日本社会には、同性愛について根強い偏見が残っているのは事実ですからね。
同性愛に限らず、日本社会には変えなくちゃあいけないことがたくさんありますけど、なかなか変わりませんね。私が日本を出た30年前と、社会のあり方はほとんど変わっていません。
誰かがより良い国に変えてくれるのを期待していても変わりませんよ。自分達が変えようとしなくちゃあ。
日本はまがいなりにも民主主義の国。法律を作り国の政治を行う議員は選挙で選べるんですから、変えようとすれば変えられるのに変わらないというのは、変えたいという意識が欠如しているということでしょうか。
あるいは、意識を表現できていないのか。
日本は相変わらず「出るグギは打たれる」社会のようですからね、これが人々に無関心であることの方を選ばせているのかもしれません。
日本の社会では忍耐が称賛されがちで、周囲と協調できて揉め事を起こさないことが良いことだと教育されて育ちます。集団の中で立ち上がって声を上げ、波風を立てることを問題視されがちだというのもあるんでしょう。
だから、自分達で変化を起こそうという動きが出て来ないのかなあと思ったりします。
もうね、日本の社会が生きにくくて苦しい皆さんは、日本を出ることを考えてみたらいかがですか?
同性の愛する人と普通に結婚できて、異性間カップルと同じ権利を認められて、養子を迎えたり代理出産などで家族を持つこともできて、周囲からの偏見につらい思いなどせずに生きていける国はたくさんありますよ。
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