2018年4月8日

知的障害や精神障害のこと

メルボルンに住むようになって驚いたことは幾つもありましたが、障害者が多いということもその一つでした。

この国には何か問題があるのだろうかと真剣に思ったほど、どこへ行ってもそう思わされました。

まず目についたのは車椅子の人達。

もしも倒れたら絶対にどうにもならないだろうと思えるほど重度の障害があると思える人が、指先や顎で操作するような電動車椅子で一人で外出していたり、またそういう電動車椅子で道路を走っていたり、電車に乗り込んで来たり。

スーパーに買い物に行くと、必ずと言っていいほど車椅子の人を見かけますしね。

ショッピングセンターでは、集団で買い物やウインドウショッピングなどを楽しんでいる障害者のグループにしょっちゅう出くわします。知的障害のある人達が多いです。アシスタントの人達と一緒に来て楽しんでいる様子です。

精神障害のある人にもよく出くわしますよ。それは、なぜか電車の中や駅が多いのですけどね、誰もそこにいないのに一人で会話をしていたり、突然大声を上げたりする人がよくいます。声が聞こえたり誰かが見えたりしているのでしょう。

「エレファントマン」のように顔が極度に変形している人を見かけた時にはドキリとしましたが、その人は普通に買い物をしていました。俳優のピーター・ディンクレイジさんのような、小人症の小さい人々も見かけます。

日本にいる頃には、こうした人達を見かけることが殆どなかったのですから、メルボルンに来て驚いたわけですが、メルボルンに障害者が特に多いのではなく、障害者が普通の生活をすることができているからしょっちゅう見かけるのだと気づくのに時間はかかりませんでした。

国や自治体の政策や障害者を援助するシステムやサービスの向上もさることながら、障害に対する人々の考え方受け止め方が、日本のそれとは異なると感じます。特に、精神障害や知的障害に関してそう思うのです。

日本から悲しくなるニュースが続いているじゃないですか。

精神疾患の患者がいる家族は、地域ご近所の迷惑にならないように、患者を自宅に監禁しておかなければならなかったかつての日本。そういう法律があったのですよ。

「精神病は恥だ」という考え方や社会の目から隠そうとする姿勢は、今も残っているのですね。精神疾患に対する正しい知識の欠如と根強い誤解や偏見も問題です。

こうした問題を解決していくためにもっとも重要なことは、人々が「正しい本当のこと」を知ることです。そのためには、こうした問題について人々がもっと普通に発言していかなくては。

だからね、私はこのブログでも、自分達の精神疾患のことを、これからも話題にして行くつもりです。


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3 件のコメント:

  1. ワンニャンスキー2018年4月8日 16:22

    精神病も病気のひとつに過ぎないと思っています。
    病である以上、治癒する可能性も無論あるわけです。
    精神病も他の病のように、誰でもなる可能性があります。

    障害を持ったかたの中には、見た目が思わず息を飲むような状態のかたも
    いらして、そんなかたは特に誤解を受けやすいと思います。

    私の幼い頃は、心身に障害を持ったひとが今よりもっと生きやすかった
    のではないかな?と思われるフシがあります。周囲に結構たくさんいましたし。
    小学校では特殊学級があって、同じ校舎で学んでいました。
    今は隔離しています。
    教えるほうはそのほうが効率が良いということなのか、よく分かりません。

    そんな時代になって久しいですが、子供たちは多様性を学ぶ機会も無いし、
    みな同じ人間なんだと言う基本的なことを知らずに育っていると感じます。

    ヒロコさんのブログタイトルにあるように「みんな違ってあたりまえ」と
    いう教育が為されていません。
    生きにくさを感じている人はたくさんいると思います。

    ヒロコさんの勇気を称えたいです。






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    1. ワンニャンスキーさん、コメントありがとうございます。勇気じゃないんですよ。精神疾患のことを話題にするのに勇気など要りません。「みんな違ってあたりまえ」でも「みんな同じ人間なんだ」って、こういう人として基本的な部分の教育は親の責任です。子供達が多様性を学ぶ機会は、いくらでも家庭にあるはずだと思います。

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  2. ワンニャンスキー2018年4月9日 9:09

    ヒロコさん、返信ありがとうございます。

    仰る通りと思います(=^・^=)
    それでもやはり、ご自分のことを話題にする勇気は凄いと思います。

    基本的な教育については親の責任だというご意見にも賛成です。
    ただ、学校で塗り替えられるケースも中にはあるんですよね、残念ながら。

    例えばですが。
    うちは男の子二人ですが、次男が小学生の頃でしたが「女でなくて良かった」と
    発言しました。わけを訪ねてみると「何か片付けとか掃除とかあると全部、女子。
    男はやらなくていいから」なのだそうです。

    そのような育て方はしませんでしたので、正直愕然としました。
    朱に交われば赤くなると言いますが、学校の先生がそんな「朱」では・・・。
    その他にもいろいろと問題発言があり、これが自分の子かとまで思いました。

    卑近な例でしたが、そんな感じです。
    田舎のせいなのか、悩むところでもあります。


    現在は結婚して子供もいますが、家庭では家事も人一倍やっている様子です。
    結婚に際しては厳しく伝えたことがあって、それが結構効いてるようです。
    (大袈裟な言い方になりますが、人権とか、夫婦のありかたとか)。


    話が自分のことになります。
    軽度の鬱というのでしょうか、そのような状態になったことがあり、全く
    眠れなくなり睡眠導入剤を飲んでいたことがあります。何年か続き辛かったです。

    軽度であってもいつも死を考えてばかりいました。
    治ったきっかけが、今話した次男の結婚話です。
    いろいろあって。

    こうしている場合じゃない。若い人の助けになりたい。
    そんな風に思ったら生きる気力が湧いてきました。あくまで私の場合です。
    良くなるきっかけは人それぞれだと思います。

    編み物の検索をしているうちにたどり着いたブログですが、内容は多岐に
    渡っていて、ご自分やご家族の病気にまで詳しく言及されている。
    それが何の為かとハッキリわかり、スッとしました。

    年齢的には私の方が上ですが、教えて頂くことが沢山あり嬉しいです。
    うまくまとまりませんが、そんな思いです(^_^;)

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