精神的な病気というのは、病名をつけにくい場合が多い。ある病気の症状もあるが、別の病気の症状もある。軽い場合もあれば、非常に複雑な症状を示す場合もある。
近年は「スペクトラム」という考え方が一般的になっているらしい。
単に「スペクトラム」あるいは「スペクトル」と聞いて、大抵の人が思い描くのは光をプリズムなどで分解した時に見える光スペクトル、要するに虹の色だと思うが、虹というのは7つの色からできているのではない。
このグラデーションの中には無数の色があり、光量の違いを考慮すれば色の数は無限だ。
あいまいな境界をもちながら連続しているこれらの色の分布のように、精神疾患の症状も様々であって単純に分類できるものではない。
セクシュアリティーについても、同じことが言える。
自己の性認識とか、性的指向とか性的嗜好とか性的資質とか性的能力とか、こうしたものも「スペクトラム」でとらえるべきだ。
性認識だけを考えてみても男と女という2つの単純な分類は、実際には困難である。
自己の性認識も多様であるけれども、性指向も多様であることはあたり前のことだと人々は受け入れなければならない。
最近LGBTという言葉が使われるようになったが、LGBTというのは、女性同性愛者(レズビアン、Lesbian)、男性同性愛者(ゲイ、Gay)、両性愛者(バイセクシュアル、Bisexual)、トランスジェンダー(Transgender)の各語の頭文字を組み合わせたものなので、実は不完全で限定的だ。実際には、4つの分類に当てはまらない人達も多い。例えば、他人に性的な関心を持たない人達だっているのだ。
昨日、デートに行くという娘を駅まで送っていきながら、セクシュアリティーの話をした。
娘が自分が同性愛者であると自覚したのは高校生の時で、親友だった女の子にボーイフレンドができた時だったと言う。その時、自分がその親友に抱いていた愛情がロマンティックな愛情だったとはっきりと分かったと言う。
現在大学生になり、女性に恋をしている娘だけれど、自分を同性愛者(レズビアン)でも両性愛者(バイセクシュアル)でも無くて、パンセクシュアルであると認識していると言う。
パンセクシュアル?
娘の説明によれば、パン(Pan-)というのは「全部の」という意味の言葉で、パンセクシュアルとは男と女とその間の全ての性認識の人達が性的関心の対象になる性指向のことだそうだ。
娘はデートの相手の女性の性指向は知らないと言う。彼女が、実は単に良い友人として娘とのデートを楽しんでいるだけなのかもしれないと言う。そうであったとしても構わないとも言う。今は、その女性と知的な会話を楽しみたいのだそうだ。彼女が異性愛者で、娘にロマンティックな愛情を持ってくれなかったら悲しいだろうが、それは仕方がないと。
娘からは、いろいろと学ばされることが多い。
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