2016年4月12日

カウチディナーの日々

カウチってソファーのことですから、カウチディナーとは要するに食卓で食事ををせず、ソファーに腰掛けお皿を膝に乗せて食べるスタイルの食事でして、最近我が家ではこれが非常に増えてきているんです。

私はソファーなんかで食べたくないので、食卓の片隅に皿を置く場所を作り、そこで一人正しく食べるんですけど、そもそも何故食卓が食事に使えないのかと皆さんは疑問に思われることでしょう。

理由はただ一つ。娘のサチが食卓を勉強机として使用するために、広いテーブル上には各教科のテキストにノートにリングファイルにフォリオ用の入れ物に電卓に紙の束にコーヒーマグカップにペンやら鉛筆やら消しゴムやら何やらかんやら、いっぱいに広げてあるので、さあ食事にしましょうという時にその片付けを面倒がって(私以外の男二人はその片付けの手間を気の毒がって)「いいよ、いいよ、カウチディナーで」ということになるのです!

私は一人静かに自室の机で勉強する人でしたからね、娘にもそれを奨励し、嫌がる娘を説得してまで彼女の部屋に勉強用のテーブルを持ち込んでやったのに、勉強机はすっかり物置と化しておりまして、娘はどうあろうとも食卓で勉強するのです。

食卓は居間からひと続きの一角にありまして、キッチンのすぐ隣ですから、常に誰かがゴソゴソ何かやっているし、最近は夫がテレビを見続けているわけですから、落ち着いて勉強に集中できる場所ではなかろうと思うのですけど、娘にとってはそこが最適の場所なんですって。

夫がテレビを占拠していない時には、娘がお気に入りのお料理番組専門チャンネルをつけてそれを見ながら勉強。あるいは、アップルTVでYouTubeのミュージックビデオを視聴しながら勉強。あるいは、自ら料理に励みながらキッチンと食卓を行き来しつつ同時に勉強。疲れると、居間のカウチに寝っ転がって読書とマルチタスキング。

私が娘と同じ歳頃には、家族のいない(父親の姿が目に入らない)場所に一人こもることで精神の安定を図っていたのだけど、うちの娘は違うんだな。とにかく皆んながいる場所がいいんだって。これって悪いことではないですよね。家族が一緒のほうが落ち着くし勉強も身に入るというのは、それはそれでいいんだって。

だから、お母さんは「えええっ、またカウチディナーなの?」と文句なんか言わず、ここは我慢して娘に思う存分食卓を占拠させてやるべきなんでしょうか。でもねえ、彼女はメルボルン大学に進学して心理学を学び、臨床心理学の医者になるという予定らしいから、今年ハイスクールを卒業した後もさらに6年間の勉強生活が待っているわけで、メルボルン大学なら家から通えるのでずっと家にいるのでしょうから、つまり少なくともあと6年はこの食卓で勉強をし続けるということだと、いやあ...お母さんは耐えられるか?

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