2021年6月6日

髪の毛が急速成長中

ロックダウンが始まる前の週、私は前回のヘアカットから1ヶ月半が経っていて、ちょっとみっともない感じになっているのを自覚していました。

そろそろ美容院に予約を入れようと思っていたんですけど、娘が私のカローラを毎日のように使うので、美容院に行くための足がなかったんです。徒歩とバスで行くこともできますが。

娘が家にいる日が分かったら予約を入れようと思っていたらイヤな噂が聞こえてきて、州政府がロックダウンを考えているらしいと。

そうしたら本当にロックダウンが始まったのでした。

いきなりレベル3のロックダウンですからね、生活にどうしても必要なもの以外のビジネスは休業となります。

美容院も休業です!

ちょっとみっともない感じというレベルからの一週間というのは、アレですか、髪の毛が伸びる速度が速くなったりするわけ?

ロックダウンが延長されたので、さらに時間が経って、私の頭は一気にカッパ化しています。

耳を半分覆ってしまっているサイドの髪の毛とか襟足がねえ、どうしてもカッパを連想させるんですよ。前回のロックダウンの時も最初はそうでした。

でも…

カッパは長くは続きませんでしたよ。

前回のロックダウンでは、なんと4ヶ月もヘアカットに行けなかったんですけど、私の刈り上げ風ショートヘアはカッパを通り越すと「マレットヘア風」になってしまいましてね。もうスタイリングでどうにかなるレベルではありませんし、前髪はヘアピンで留めるしかなかったんですけど。

今週の木曜日の夜にロックダウンが終わることを祈ります。

まあ、今は冬なのでニット帽で頭を隠せば目立ちませんから、もっと伸びても何とかなります。ニット帽の問題は、ちょっと歩き回ると頭に大汗が出るということでして。マスクを付けていると顔にも大汗が出ますし。

真冬に大汗を流しながら買い物をするおばさんは、ちょっとアブナイ感じ?

ロックダウンが終わったら直ぐに予約を入れます。


思い出しますねえ、昨年のロックダウンを。

何ヶ月も美容院や理髪店が休業を余儀なくされ、誰も彼も髪の毛が伸び放題になったあの時、メルボルンには闇市ならぬ闇理髪店屋というのができました。

非合法の闇ヘアカットなんていうのは、平時ではありえないことですよ。

白人種の皆さんは、30歳代で頭が白くなり始める人が多いですから、中年以上ならまずほとんどの女性が白髪染めとかおしゃれ染めをしています。そういう人達が4ヶ月も美容院に行けないとどういうことになるか。

多くの女性は帽子をかぶっていましたよねえ。

帽子なんかで隠さずに、根元3〜4センチだけ真っ白になった頭を堂々と見せている女性もしょっちゅう見かけましたけど。

根元が白いのはカッパよりはマシだと思う…


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2021年6月5日

引き離された親子の再会に号泣

オーストラリア在住の方なら、すでにご覧になったでしょうか。

ABC放送の「Foreign Correspondent」という海外取材番組の「Road to Reunion」というドキュメンタリーです。


米国の前トランプ政権の大罪「不法入国親子の引き離し政策」を取り上げています。

ご存知だと思いますが、簡単に説明するとメキシコ国境から不法に(正式な書類を持たずに)入国した人々から子供達を引き離すという政策です。引き離された子供達が檻に入れられて泣き叫んでいるニュース映像をご覧になった方もいらっしゃるでしょう。

不法入国というのは犯罪なわけですから、その犯罪に対する裁判をおこなうわけですが、裁判中は親と子供を別々に収容するという政策です。乳幼児であっても例外無く親から引き離されました。

不法に入国すれば子供達と離れ離れになるという恐怖が不法入国のブレーキになると考えたわけでしょうが、この政策は国内外からの圧力や強い反発を受けて、後に撤回されました。

しかし、不適切に引き離された親子の多くは、政策が撤回された後で再会させようとしても居場所が分からなかったのです。多くの親は、子供と再会できないまま国外に送り返されました。

現在でも数百人もの子供達が、親と再会できないままになっているそうです。

このドキュメンタリーに登場する親子もそうして離れ離れになったのです。不法に入国しようとしたのは、お母さんのケルビーさんと二人の息子でした。長男であるもう一人の息子は別ルートから入国を試みたそうです。

彼等はホンジュラスから命がけで逃げて来ました。彼等が正式な書類を持たずにやって来たのには理由がありました。

ホンジュラスという国は、中米で最も危険な国とも言われています。ギャングや麻薬組織の犯罪が横行していて治安が悪く、抗争による殺人や一般市民への暴力も深刻な問題となっているそうです。貧困問題は深刻で、ハリケーンの被害がそれを悪化させています。

自分の兄弟を殺した殺し屋達の逮捕に協力したせいで命を狙われたケルビーさんは、米国に移民していた親戚を頼って米国に逃げることを決意したそうですが、正式な書類なしで国境を超えたために不法入国者となり、一緒だった二人の息子は引き離されました。

その後、息子と再会できないまま国外追放となったケルビーさんは、少しでも息子達の近くにいたいと国境近くのメキシコの町で、米国の政策が変更になり息子と再開できる時が来るのを待ちました。

ホンジュラスに帰ると殺されますから帰るわけにはいきませんしね。

息子達は、収容施設で1ヶ月半を過ごした後、別の施設に移され、最終的にはフィラデルフィアに住む親戚に引き取られたそうです。収容施設の部屋には2段ベッドが2つあるだけで毛布もなくて寒く、親から引き離された子供達は皆んな泣くばかりだったと話していました。

非常に悲しく辛く怖い経験は子供達の心に大きな傷を残しています。今もまだ親に再会できていない子供が何百人もいるとは、本当になんという悲劇でしょうか。

ケルビーさんは、親戚の家に引き取られた息子達と連絡を取り続けることは出来たようです。今の時代は、お互いの居場所さえ分かっていてスマートフォンがあれば、顔を見ながら話をすることもできます。

再会の時を待ち続けて4年にもなろうかという時、人々の支援のおかげでケルビーさんはついに息子達に再会できることになり、フィラデルフィアにやって来ます。

別ルートで入国していた長男も含め、親戚の家でBBQをするために集まっていた3人の息子達は、この日ケルビーさんがやって来ることを知りませんでした。サプライズだったんですね。

その場面から、このドキュメンタリーは始まります。

号泣しましたよ、私…

悲しい話ですが、この親子に関してはハッピーエンドになってよかったです。

ケルビーさんには、バイデン政権により今後3年間の滞在許可が与えられたそうです。その間に正式な永住権を獲得できるといいです。彼女には、ホンジュラスに戻って暮らすという選択肢が無いんですから。

このドキュメンタリー「Road to Reunion」は、ABCのサイトのこのページでご覧になれます。


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2021年6月4日

音痴二人のデュエット

何だか息が詰まるような毎日なので、今日はちょっと明るい話題を。

あれは1994年のことですから、もう27年も前のことです。

ある時、私はメルボルンのマイヤーというデパートのCD売り場で、バッハのCDを探していました。バッハのある曲が入っているCDです。ところが、その曲名が思い出せませんでした。

当時はまだインターネットも普及しておりませんで、YouTubeもありませんし、ちょっとグーグルするなんてこともできません。CDのパッケージを読めば思い出すだろうと思って見ていましたら、店員の若い男が近づいてきました。

「何かお探しですか?」
「ええ、バッハのある曲が入っているCDを探しているんです」
「どの曲ですか?」
「それが曲名がよく分からないんですけど、始まりがこういうやつです」

と言って、私は歌ったのですよ。

タララ〜 タラララ ラ〜ラ〜

「あ!知ってます、知ってます!多分これです!」

そう言って店員が見つけてくれたバッハのCDは、オルガンの名曲集で最初の曲が「Toccata and Fugue in D minor」でした。

トッカータ・アンド・フーグェ?

トッカータとフーガ!

それだ!それそれ!

こうして私は探していたCDを手に入れたわけですが、店内で歌った私もアレですけど、店員が直ぐにバッハのどの曲かが分かったのも、私が正確な音程で歌える人だったからでございますよ。音痴の人ではこうは行きません。

先日、うちの夫がですね、「映画音楽でこういうのがあったでしょ?これ何の曲でしたっけ?」と言ってメロディーを歌ったのですが、私にはサッパリ分かりませんでした。


どんな歌を歌っても、何を歌っているのか分かりません。それくらい音が外れています。音程というものが無いに等しいです。家族のお誕生日に歌う「ハッピーバースデー」にしても、出だしの「ハッ」の音からもう完全に外れています。

音痴って遺伝なんですよね。夫の家族には、義母をはじめ音痴が何人もいます。

先日、夫が楽しそうに鼻歌を歌っているのを聞きながら(鼻歌でももちろん外れています)私はある出来事を思い出しました。それは私達家族が日本にしばらく滞在した時、帰国前に家族が集って食事をした時のことです。

ある料理屋の座敷を借りて食事をしたのですが、その部屋にはカラオケセットがあって子供達が歌いたがったので、後半はカラオケ大会みたいになって盛り上がったのですけど。

家族しかいないので緊張することもないですし、歌いたくなった者が次々に小さなステージに上ってマイクを手にしました。

うちの夫も歌ったんです。音痴ですけど歌うのは好きなんです。

そして、私の一番下の妹の夫と二人でビートルズの曲をデュエットしたんですよ。曲名なんて覚えていません。

その笑撃がすごくて!

妹の夫も音痴だとはその時まで知りませんでした。

そして、その二人、音程の外れ方がそれぞれ違うものですから、一緒に歌うと、

ハモるんです!

不協和音ですけど。

ちなみに、私の家族に音痴はいないんです。家族全員が正確な音程で歌えるので、それが当たり前なものですから、この二人のデュエットは抱腹絶倒ものでした。聞いていた私達は涙を流しながら腹がよじれんばかりに笑ったという。

音痴の皆さん、どうもスミマセン、こんな発言をして。

でもね、歌う方も聞く方も楽しかったんですよ。それが一番大事です。


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2021年6月3日

ロックダウン延長

やっぱりな…

恐れていた通り、1週間の予定だったメルボルンのロックダウンはもう1週間の予定で延長となりました。今晩で終わる予定だったのですけど。

追加の1週間でロックダウンが終わるかどうかは、感染経路が分からない新規感染者の数次第だそうですが、終わってもらいたいです。

ロックダウン2週間目は、家から出られる距離が5キロ圏内から10キロ圏内へと緩和されますが、家を出ても良い理由は5つだけというのに変わりはありません。

「食料や生活必需品の買い出し」「医療や介護」「運動」「在宅で行えない場合の労働と教育」そして「ワクチンの接種」という5つの理由です。

それ以外の目的での外出は禁止なのですから、現在メルボルン空港近くのホテルで隔離中のドバイから一時帰国中の義妹は、もしもロックダウンがさらに延長されたら、どこに行けるんでしょうか。

今回の感染拡大は、インドからの帰国者から始まりました。この方が南オーストラリアのアデレードにある隔離用のホテルでウイルスに感染したのです。

当然のことながら、感染に気づかずにメルボルンの自宅に戻り、その後具合が悪くなって検査を受けたら陽性と分かったということなんですが、この1人から始まった感染拡大は、昨日の時点で60人を超えています。

現在感染が広がっているウイルスは、インドで見つかった変異種ですが、爆発的な拡大を見せているウイルスとは少し違うんだそうですよ。インド変異種にも種類があるそうで。

それでもこの変異種は、英国で見つかった変異種並みの感染力があるそうで、ただ同じ場所で通りすがっただけの赤の他人が感染しているということから、専門家は危機感を高めているんだそうです。

放っておいたら爆発的な感染拡大が起きることは確実なので、ロックダウンを続けるしか無いんということなんですけど。それは理解できるし、必要だと思います。

でも、このロックダウンで収入が途絶えてしまっている皆さんが本当にお気の毒です。

臨時雇いで働く人達は、週単位あるいは隔週単位で何とか暮らしているという人が大勢いるでしょ?そうした人達の多くは飲食店や小売店で働いていますから、ロックダウンはすなわち生活していけなくなることを意味しているんです。

現在は、昨年のロックダウン時のような政府からの給付金がもらえないそうですからね。政府は何らかの援助をしないと、また自殺者が増えますよ。

ああ、

私は自分自身が困窮を経験していますから、家賃が払えないとか電話料金も電気料金もガスも水道も何にも払えないどころか食べ物を買うお金もないというのを経験していますから、もう他人事とは思えません。

センターリンク(Centrelink)に行って泣きましたもの。

センターリンクというのは、オーストラリアの連邦政府の機関で、人々が自立して生活できるように援助したり、サポートを必要とする人々を助けてくれるところです。老齢年金をはじめとする社会保障給付制度を運営しているのもここです。

家庭内暴力、貧困、病気、突然の失業、災害と、様々な困難に直面している人々を助けてくれるところですから、困ったらまずセンターリンクへ相談するわけです。

しかしね、センターリンクでもらえる給付金では暮らしていくことはできませんでした。夫と私の二人合わせた収入がゼロの場合にもらえた給付金の最高額が、2週間分で500ドルちょっとでしたからね。

1週間250ドルでは、家賃も払えませんでした。

ロックダウンで暮らしていけなくなっている人達のメンタルの悪化が心配です。

うちの娘は心理カウンセラーのクリニックで受付をやっているのですが、政府がメンタルヘルスへの支出を増やしたことが影響しているのか、患者が増えてきてクリニックは大変忙しいそうです。

しかし、カウンセリングを受ける経済力がある人はまだ恵まれているのかもしれません。家賃が払えないとか食べ物が買えないような状況では、医者に相談に行くことも困難ですから。

とにかく早くロックダウンが終わることを祈っています。


ヴィクトリア州では、現在記録的な数のワクチン接種がおこなわれているそうです。スタートが遅れましたからね。遅れましたが、ずっと感染者がいなかったので私達も切迫感は感じていませんでした。

でも、再びロックダウンになったことと接種対象が40歳まで下がったことで、連日爆発的な人数が接種を受けているそうです。予約をするホットラインが繋がりにくい状況は続いています。

うちの娘は22歳ですが、クリニックに勤めているので、医療関係者ということで接種を受けることができます。クリニックの近くでも感染者が出ているので、ワクチン接種の予約を入れようとしているんですが、なかなかホットラインに電話が繋がらないそうです

メルボルンには予約なしに行って接種してもらえる大規模接種会場がいくつかあるのですけど、待ち時間がすごいことになっている可能性がありますからね。そういう場所で他人と一緒に長時間列に並ぶのは避けたいものです。

PCR検査も毎日何万人もおこなわれていますよ。昨日は5万7千人以上でした。(ちなみに東京都は7千人以下。そんなんじゃあ感染の実態は分からないでしょうに。)

検査場も増えています。我が家から近いリングウッド(Ringwood)の街には5ヶ所も検査場があります。保健省のウェブサイトのこのページで検査場所を調べることができます。


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2021年6月2日

ヨモギの悲劇と赤いポピー

柚子が黄色くなって収穫できると喜んだ昨日、悲劇がありました。

昨年、うちの娘が家の外の水道の横にある植木鉢にマリーゴールドを植えたのですが、冷夏のためにほとんど育たず。私は、枯れかけていたマリーゴールドを抜いて、そこにヨモギの種を蒔きました。夏の終り頃のことです。

種はオンラインでオーストラリアの種苗屋から買いました。

オーストラリアは海外からの植物の持ち込みが厳しく制限されていますから、海外から種を正しく買うのは難しいし、こっそりやるのは悪いことです。

小さな袋に入っていたヨモギの種はそれほど多くはなかったですが、それでも10個や20個ではなかったんですけど、まったく芽が出ませんでした。

ところが、何週間か前に小さな芽が2つ出ているのに気づきました。種を蒔いてからあまりに時間が経っていたし、雑草かもしれないのであまり期待しないようにしていたんですけど、少しずつ大きくなってきたその芽は、100%ヨモギの姿をしておりましてね。

それが分かった時の喜びと言ったらもう。

たったの2つですけど、大きくなったらヨモギ団子くらいは作れるかと思って、水やりも欠かさなかったのですけど。

昨日のお昼、生ゴミを捨てに外に出たら、その植木鉢にブルーベリーの木が植えてありました。



ノーーーー!

もちろんそこにヨモギの姿はありませんでしたよ。

背丈が3センチくらいにはなっていたんですけど。

ブルーベリーを植えたのは娘です。ただの雑草だと思って抜いたそうです。「ごめんなさい」と謝る前に「ちゃんと教えておいてよね」と言いました。

ヨモギは再挑戦します。できれば敷地の一角にヨモギが群生する場所というのができたらいいなあと思っていますが、最初は植木鉢で育てないとだめでしょう。真夏の40度超えに耐えるかどうかも分かりませんし。

これまでオーストラリアで手に入りにくい野菜の栽培を試みてきましたけど、大抵のものは簡単に栽培できます。

上手く行ったのは青ジソ、春菊、ミズナなど葉野菜は全部、シシトウ、ゴボウなど。

ゴボウは、ある知り合いのお母さんがゴミバケツの底を抜いたので育てていたという話を聞きましたよ。収穫時にはゴミバケツをすっぽりと外すと、簡単にゴボウを収穫できるんだそうです。私もやってみようと思っています。

上手くいかなかったのはミョウガ。

ミョウガは植えた場所が悪かったと思います。日当たりがそこそこ良い場所でしたから、真夏の酷暑と乾燥で枯れてしまいました。

メルボルンでの野菜栽培は、真夏の暑さ対策が一番の悩みです。とにかく乾燥しますので、乾燥に強い土作りが重要ですし、40度超えの酷暑から(乾燥しきった熱い強風も)いかにして野菜を守るかというのが課題なのですけど、我が家の箱型野菜畑の日当たり問題が悪化してからは私はやる気を無くしています。

もうね、暑い真夏しか日が当たらないんです。

それにしても、

あんな小さいヨモギを2本を抜かれただけで、結構ショックを受けるものですね。


ところで、園芸ネタのついでに書きますが、何年か前に私はフランダースポピーという真っ赤なケシの花を植えました。この赤いケシの花は、オーストラリアではアンザックポピーと呼ばれます。

アンザック(ANZAC)というのはオーストラリア・ニュージーランド軍団(Australia and New Zealand Army Corps)の略で、この赤いケシの花は、第一次世界大戦の時に戦場のヨーロッパに派遣されて命を落とした兵士達を追悼するシンボルになっているのです。


種は粉のように細かくて、風で吹き飛ばされてしまうんですけど、そうして吹き飛ばされた種が育って花を咲かせ、それらがまた種を飛ばしてという調子で年々増えて、昨年は家の周りにたくさん咲きました。

私はその種を集めまして、道路との境のフェンス沿いに蒔きました。うちの夫が草切りの時に間違って切ってしまわないように、フェンスの近くにだけ蒔きました。

少しは花を咲かせるでしょう。

そして数年後には、我が家のフェンス沿いに真っ赤なアンザックポピーがたくさん咲くようになったらいいなと思って、楽しみにしています。

ヨモギもね、そういうふうに自然に生えているというようにしたいんですけど、そこまでたくさんの種が手に入りませんから、まずは植木鉢で育てて、少しずつ増やしていけたらなと思っているのです。

アンザックポピーも最初は1つの植木鉢から始まったんですから。


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