2021年11月26日

寂しい夫と嬉しい私

水曜日の夜から、うちの娘がアパートで暮らし始めました。


アパートに運び入れる物はいろいろありますが、少しずつ持って行っています。水曜日からアパートで寝ることにしたと言うので、その日は私が一緒に行って荷物運びを手伝い、カローラは私が運転して持って帰ることにしていました。

せっかく行くのですから、私は娘が行きたがっていた日本食品店や雑貨店で一緒に買い物をしたり食事をしたりすることにしていたんですが、実際には少し買い物をした後すぐにアパートに向かい、

大片付けをするはめに!

メルボルンで今一番活気があるとも言われる街コリンウッド(Collingwood)とフィッツロイ(Fitzroy)の境界になっているスミスストリートという通りがあるんですけど、そこで買い物や食事をするという話だったので、少しヒールのあるサンダルを履いて、少しマシな服を着て出かけたのですよ。

それがどういうわけかアパートの大片付けをすることになってしまったんです。最初からそうと分かっていたら、そういう服装で出かけたんですけど。

私は月曜日と火曜日にミミズが出る部屋の模様替えをやっておりますから、すでに身体が筋肉痛になっていていたくらいで、ちょっと疲れていたんです。

それなのに、あの蒸し暑いアパートで、ヒールのあるサンダルを履いて大片付けや掃除はきつかったです。でも、せめて娘が寝る場所だけは作っておいてやろうと思ってね、お母さんは頑張りました。

娘が住むことになったのは、娘の親しい友人Jさんのアパートなんですが、どうやらJさんはこのアパートに引っ越してすぐの頃に西オーストラリアの家族を訪問し、その後すぐに新型コロナのロックダウンと国内の移動制限が始まって帰って来れなくなり、そうこうしているうちに来年まで帰って来れない個人的な事情ができたということらしいんです。

ですから、寝室にはビニール袋に入ったままのマットレスをはじめとして段ボールの空き箱やゴミや整理していない服もたくさんありました。洗濯物干し場にもなっていましたし。寝室がそういう状態なので、Jさんはリビングのソファーベッドで寝ていたそうなんですが。

掃除や片づけが不得意のうちの娘には、その物置状態の寝室を片付けるのは大仕事だと思いましたから、手伝うことにしたのです。

やっと寝室にマットレスを置いて(ベッドのフレームが無いのでマットレスをカーペットの上に直接置きました)やっと寝る場所ができたのはもう4時前。それからスーパーに食料を買いに行き、娘をアパートに送り届けてから帰宅しましたが、高速道路が大渋滞していて大変時間がかかりました。

家に着いた頃にはもうヘトヘトでした。

うちの夫は、私と娘はショッピングや食事を楽しんでいたと思っていたらしくて、帰宅したら「どうだった?楽しかった?」と聞きましたよ。私が何をして一日を過ごしたのか教えてあげたわけですが、その時、いつもなら居間でテレビの前に座っている夫が、ベッドでゴロゴロしていました。何だか大変元気がなかったんです。

4連休が終わって昨日から仕事だったのに、朝もなかなか起きて来ず、顔色も冴えず、様子が完全におかしかったです。

「寂しいの?」
「うん」

ストレートな返事でした。

目の中に入れても痛くないほど大事で大好きな娘が、ついに家を出たというのがこたえているようなんです。

「土曜日に帰って来るって言ってたわよ」
「うん」

いやあ、

何と言いますか、

風船の空気が抜けちゃった感じの元気の無さなのでございます。

水曜日に娘と二人でメルボルン市内へと向かいながら、娘が「お父さん寂しそうだったなあ」と言いました。何でも朝から何度もハグをしに来たと言うんです。

「お母さんはどう?寂しい?」
「お母さんは寂しくないわ。それどころか嬉しくてワクワクしてる!」
「私が家を出て行くのが嬉しいの?」
「アンタが家を出て行くのが嬉しいわけじゃあなくてね、アンタの人生の次のチャプターが始まるっていうことにワクワクしているのよ!」

子供の成長過程で大きな節目というのがいくつかありますよねえ。最初の大きい節目は、学校生活のスタートです。オーストラリアの小学校は、日本の幼稚園年長に当たる準備学年
から始まりますが、この初日には涙を流すお母さんが多くて、教室にはそうしたお母さん達のためにティッシュが用意されていましたけど、私はワクワクして嬉しいばかりで、寂しいという感情はゼロでした。

ついに家を出る時が来たという今回のことも、ワクワク感が大きいです。寂しさは無いんです。

だってねえ、しょせん家からわずか30〜40分のところに住むのですし、しょっちゅう帰って来るのは確実ですよ。ですからね、うちの夫がどうしてあんなに元気を無くすのかよく分かりません。

実は息子も少し元気を無くしています。息子にとっては、娘は最大の親友だと言えるでしょう。何でも話せて最もよくおしゃべりをする親友が、もう一緒に暮らさなくなったということで、寂しさを感じているのでしょうけど。

うちの娘はね、子供の頃から精神的な病気で本当に苦労して来たんです。その娘にずっと付き添って来た私としては、こうして経済的にも精神的にも自立できる時が来たということは、大きな喜びなんですよ。

さあこれから好きなように人生を思いっきり生きなさい!

私はそういう気持ちなんです。


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