Cookpad 英語版に載せている理由は二つあって、一つはバックアップのため。私のウェブサイトが事故で消えたとか私が死んだとかで無くなった後でもレシピが残るように。
もう一つの理由は、より多くの人に見てもらうためです。
より多くの人に見てもらいたいという目的のために、Facebook のページにも投稿しています。
このFacebook のページに、先日メッセージが届きました。
多くの場合、メッセージはページに書き込まれるのですが、そのメッセージは私に個人的に送られてきました。
この方は、イカのレシピを探していて偶然私のウェブサイトを見つけたそうです。そして私のレシピを気に入ってくださったようで、お褒めの言葉が書かれていました。日本食が好きだとも書いてありました。レシピへの感謝とともに、これからもレシピサイトを続けてくださいと書いてあり、最後に「Love from Bosnia and Herzegovina!」と書いてあったのです。
ボスニア・ヘルツェゴビナ?
私がボスニア・ヘルツェゴビナという国について知っているのは、あの悲劇的だった戦争のことだけです。
若い方はあまりご存知でないかもしれませんが、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争は1992年に始まりました。
ソビエトの崩壊後に共産主義国家の民主化や解体が進み、ユーゴスラビアという国が解体する中でボスニア・ヘルツェゴビナが独立しようとしたのです。
ところが、ムスリム人(ボシュニャク人)、セルビア人、クロアチア人という異なる民族が混在していたボスニア・ヘルツェゴビナでは、セルビア人が独立に反対して民族間の対立が深刻化し、軍事衝突に発展したんです。
独立に反対するセルビア人勢力をユーゴスラビア政府が支援しましたから、武力的にはセルビア人が優勢でしたが、人口比率的に最も多かったのはムスリム人(ボシュニャク人)でした。
あの戦争は、一言でいうと自分達民族の支配地域を拡大することを目的としていて「陣取り合戦」だったと言われています。
支配地域から他の民族を排除するために、嫌がらせや略奪、家屋の破壊、暴行、拷問、強姦など人々がその地域から出て行かざるを得ない状況に追いやるためのあらゆる方法が取られるとともに、大量虐殺が行われたのですよ。
セルビア人勢力が行った「スレブレニツァの虐殺」と呼ばれる大虐殺は、特に有名です。
「民族浄化」という言葉を有名にしたのはあの戦争なのです。
3年半以上にわたって戦闘が繰り広げられ、200万人もの難民が発生し、20万人もの死者が出ました。
紛争が終結してから20年以上が経ち、最近はボスニア・ヘルツェゴビナのニュースを耳にすることもなく、あの国がその後どうなったのか私は知りませんでした。
その国に住む女性が私のレシピサイトを見つけて、心温まるメッセージを送ってくださったのです。料理のレシピを通じて、遠い国に住む異なる民族の人間がこのような繋がりが持てることに私は大変感激しました。
あまりにも嬉しかったので、この話をFacebook のページに投稿しましたところ、大勢の方々からメッセージをもらいました。
会ったこともない遠くの国に住む方達ですが、こうした心温まる交流ができることがレシピサイトをやっている最大の目的になっています。
ところで、メルボルンは寒いんですよ。
山の方では雪が積もったほどで。
昨日の朝なんて気温は6度、最高気温は14度。メルボルンとしては真冬並みでした。私は久しぶりに料理を頑張りましたが、風邪がぶり返しそうです。暖房を使うには、ダクトや温風吹出口の掃除をしないといけないんですけど、掃除をする体力はまだなくて。
それほど大した風邪ではなかったんですけど、この体力の無さは一体どうしたことか。昨日は頑張って食べましたよ。食べないことには体力が戻らないと思って。
日本では新型コロナの感染者が再び増えてきているようですし、皆さん身体には気を付けてください。
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