2021年2月9日

声を上げないと変わらない

昨日の記事「失業者はこんなにたくさんいるのに」で、職業についてよく使われる「3K」という表現について書いたのですが、近年ブラック企業だとか労働環境のブラック化などが日本で話題になっているというのをいろいろなところで読むにつけ、

一体いつになったら変わるんだ!

と思わずにはいられません。

オーストラリアでは、雇用者にサービス残業とかサービス出勤なんてことをさせていることがバレたら、会社は大変なことになります。高額な罰金に加えて、経営者は責任を問われます。

労働者は法律で守られているのです。

私は若い頃は小学校の教員だったのですけど、10年ほど前にきぐるみやコスチュームを作る会社に勤めたことがあります。デザインをするスタッフでしたから責任重大でした。勤め始めた頃、次々に入ってくる注文に制作が追いつかず、当然のように残業をするつもりだった私は、5時の終業時間になっても帰る準備をしていませんでした。

そうしたら、「超過勤務は経営側が必要と判断して従業員と同意があった場合を除いてしてはいけない」と言わて驚いたことを覚えています。

超過勤務や休みの日の賃金は、通常よりも高いので、経営者もよく考えて判断しないといけません。

小学校の教員の仕事も、その労働環境は日本とオーストラリアでは天と地くらい違いました。

日本とオーストラリアの教員の労働環境については「恵まれているオーストラリアの先生達」という記事に書きましたが、今思い出しでも日本で公立小学校の教員だった頃の労働環境は、「K」がいくつも付く「ブラック」でしたよ。

とにかくしなくちゃあいけないことが多すぎて、させられることが多すぎて、社会がそういう風にできていているのですからどうにもならず、当時は土曜日も学校がありましたし、多忙を極めていましたけど、独身でしたから何とかやれていました。

子育て世代だった方達は、一体どうやって仕事をこなしていたんでしょうか。子供さんを託児所や保育園に預けて勤務されていたのでしょうけど、しょっちゅう夕方の会議が長引いたりしていましたしね、学校にいる間には終わらない仕事を家に持ち帰るのは当たり前でしたが、家に帰ったら家事や子供さんの世話もあったでしょうし、世話という以上に子供さんと過ごす時間も大切だったはず。そんな時間が持てたのでしょうか。

熱心な先生ほど仕事に時間を持っていかれるのは当たり前でしたけど、教育のため、生徒達のためと熱意を持って取り組んでいらっしゃった方達は、家庭生活とのバランスをどのように取っていたんだろうか、取れていたんだろうかと、今になって思います。

オーストラリアの教員たちが恵まれているのは、より良い労働環境を勝ち取ったからです。団結して声を上げ、ストライキやデモまでやって、より良い条件を求めて闘って来たからです。先生たちが授業をボイコットしてストライキするのは、生徒に悪影響だとは言えません。むしろ「発言し、団決して闘い、権利を勝ち取る、問題を解決する」ということの重要さを教えることにもなります。

オーストラリアには様々な労働組合があり、より良い労働条件と賃金を求めて活動してきた長い歴史があります。しょっちゅうストライキがデモが行われて、一般市民が迷惑をこうむるというのは日常茶飯事です。

しかし、ストライキやデモをする権利も団結する権利も法律で認められているのです。その権利も労働者達が勝ち取ったのです。

どんな問題もそうですけど、誰かが解決してくれるのを待っていても変わらないんですよ。労働環境の問題についても、その改善のためには、政治家がなんとかしてくれるのを待っていたんじゃあだめなんです。

自分達で声を上げ、変えようとしないと。

そして、

それを実行する人を選挙で選んで、議会に送って、法律を作って、社会を変えて行く!

どうしてそういうことが日本では遅々として進まないんだろうかと歯がゆく感じながら、遅々として進まないということの背景にある日本社会の問題というか特徴が、実は私が日本を出てきた理由の一つでもあると思ったりもします。


声を上げる人に厳しい目を向ける社会でしょ?

闘いよりも忍耐を評価する社会でしょ?

ああ、思い出すわ…

小学校に勤めていた頃、女性教員ばかりが職員室の掃除や湯茶の準備や湯呑み洗いの当番になっていて、それを変えようと声を上げた私に向けられた厳しい批判。こういう不平等に罪悪感を感じていたらしい男性教員からではなく、年配女性教員から最も厳しい批判が来ました。

休憩時間に自分以外の教員のためにお茶を準備するとか、飲みたい人が自分で作るのが当たり前のオーストラリアの小学校ではありえないことでしたけど、今はどうなっているんでしょうかねえ。


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