道路あるいは建物内の床に物が落ちていた時どうするかというのは、文化的な習慣や価値観が大きく影響しますよね。
善悪の判断というのは、人が生まれながらに持っている能力ではなく、教育によって教えられるものですから。
先日、ショッピングセンターでお金を拾っった時、一体どうしたら良いのかと私は判断に苦労しました。周囲にいた人に「お金を落としませんでしたか?」と尋ねてみたものの、落としたという人は当然いません。
お財布だったらショッピングセンターの管理オフィスにでも届けますけど、ただの10ドル札です。近所のお店の人に預けるというのも無意味なことだし、人々が「あなたラッキーだったね」と言うので、私が自分のものにして当然ということで理解すればいいのでしょうが、それはかなり気がひけるのです。
そう言えば、かつて見た「チャーリーとチョコレート工場」という映画で、主人公のチャーリーが拾ったお金でチョコレートを買い、ウィリー・ウォンカのチョコレート工場への金色のチケットを手に入れるんですが、「拾ったお金でチョコレートを買う」という行為に違和感を感じたんですよねえ。
結局、10ドル札は私の財布に入ってしまいましたけど、何と言うか、どうしても付きまとう罪の意識。
いつだったか、IKEA という店で小さな子供靴を一足見つけたことがあります。拾おうとする私に、見知らぬ人が「落とした人が探しに来るからそのままにしておけ」と言ったんですが、私はそのままにしておくことができず、その小さな靴を手にとって目立つように手に持ち、落し物を探している様子の人を探しました。
しばらくして私が手に持つ靴に目を留めた人がいました。インド系の少女でした。近くにはその子のお母さんと思われる人がベビーカーを押しながら、靴を探していました。お母さんに靴をお渡ししてホッとしました。すぐに見つからなければお店のスタッフに渡すつもりでしたけど、拾ったりせずにそのままにするべきなのでしょうか?
皆さんは、道路に帽子とかハンカチとかが落ちていたらどうします?
日本人的には、踏まれたりしないように、また探しに来た人が見つけやすいように、そっと道路脇の目立つ場所に置きますよねえ。
あるいは、近くに交番でもあれば、たとえ帽子やハンカチでもそこへ持って行くかもしれない。
「落ちていたものは自分のもの」じゃあなくて、「落ちていたものは落とした誰かのもの」であって、それを自分のものにするというのは「間違ったおこない」ですよね。落とした誰かがそれを見つけられるように自分ができる最善のことをするのが「正しいおこない」でしょ?
私は日本にいる頃、電車にバッグを来忘れたこともあるし、車や家の鍵を付けたキーリングを落としたことがあるんです。バッグは駅に電話したらすでに管理されていて、翌日手元に戻ってきました。鍵は警察に相談したら、すでに届けられていました。
失くしたと思ったものが手元に戻ってくる確率が高い日本という国。
自分が生まれ育った国について、誇らしく思えることの一つです。
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