2016年1月24日

恐怖による子供の支配

子供を鬼やおばけで怖がらせて言うことを聞かせるという文化は、世界中のあらゆる地域で見ることができる。日本にも東北地方の有名な「なまはげ」をはじめ、各地にこうした伝統文化があるのは広く知られた話で、いわば生活の知恵だという考えもある。

先日、あるウェブサイトで「鬼から電話」というアプリに関する記事を読んだ。「鬼から電話」とはスマートフォン用のアプリで、要するに子供が言うこと聞かない時、このアプリを起動すると「鬼さん」から電話が来ているという演出で、鬼が親の代わりに子供を脅してくれるというアプリだそうだ。それは「言うこと聞かないと食べちゃうぞ」的な比較的無邪気な脅迫だそうだが、私は見たことはないし見てみたいとも思わないので、実際にはどのようなアプリなのか正確には知らない。

しかし、このアプリで使用されている鬼の音声や画像は、幼い子供にとっては大変恐ろしいものだそうで、視覚や聴覚を通して与えられる恐怖は、子供の記憶に残るだろう。こんなものを子育てに使う親が多くいるとは、困ったことだと思いながら記事を読んでいたところ、もっと正気とは思えない狂ったものが人気を博しているという記事が目に入った。

「地獄」という絵本である。しつけに効果絶大だとして大ヒットしているのだそうだ。延命寺に所蔵されていた「地獄極楽絵巻」に文章をつけたものだそうで、元々はいじめによる自殺の多発をうけて「子供たちに命の大切さを教えたい」と企画された絵本だということだが、中身は幼い子供に見せるべきではない内容である。

読み聞かせの後、子供が文句を言わずに言うことを聞くようになったとか、表紙を見ただけで怖がりいい子になったとか、感想が寄せられているそうだが、それはただ子供たちが恐怖のあまり親の言葉に従順になっているだけなのではないのか。この絵本の絵は、前述の「鬼から電話」アプリとは比較できないほどの視覚的恐怖をもたらす。子供たちの記憶にトラウマとして残ったとしても不思議ではない。

今日私がここで書きたいのは、親による子供たちへの「ハラスメント」についてである。この「ハラスメント」という言葉は日本語にしにくいのだが、「相手を不快にさせ、悩まし、傷つける行為」といった意味だ。

親による「ハラスメント」は、多くの場合「教育」や「しつけ」としておこなわれる。多く親が「子供から自由をうばい強制を課すこと」、つまり「これをしてはいけない」「あれはダメだ」と禁じ、「こうしろ」「ああしろ」と自分の考えや指図に従わせることを「しつけ」と勘違いしている。そうした親は、自分自身が苛立ちや欲求不満、抑圧、不安、悩みなどの精神的葛藤を抱えており、子供をそれらのはけ口としているのである。

例えば、自分自身が威圧的な親や配偶者に抑圧されている場合に、子供をしかり、どなり、手をあげ、自分への恐怖心でしばりつける、あるいは子供を溺愛し、愚痴のはけ口とするなどは典型的な例であろう。

自分の不幸な人生を嘆き、自分の夢を子供にたくし、自分の思い描く「理想の姿」を強要し、自分の期待に応えることが親からの愛情を得る条件であると思わせる言動を繰り返す。さらに、親を大事にし、喜ばせ、感謝し、言うことを聞けば親からの愛情を得る事ができると条件をつけ、そうして子供を支配しようとする。子供の幸せを願うのではなく、自分自身の幸せや安定の為に子供に期待し犠牲を強いる。子供が独り立ちし、親と違う人生を生きることを許さない。自分の感情を一方的に押し付け、子供の自己主張を許さない。

このような「ハラスメント」は、子供の精神を歪め、大きな反動を生み、それらは多くの場合他の人に向けられて、家庭の内外で様々な問題行動を引き起こす。また、他人の顔色をうかがい、自分の意見が言えず、自分の感情を表に出せず、自分に自信が持てない自己否定的な人間に成長して、鬱屈し不安定な精神状態に苦しむ事になるのだ。

子供に「言うことを聞かせ」「従順にさせる」方法には、前述のもの以外にも、食事を与えない、物置や押し入れなどの閉暗所に閉じ込める、家の外に締め出す、柱に縛りつける、突然機嫌を悪くして口を聞かない、置き去りにする、子供との感情の交流を断ち切るなど、恐怖ではなく不安を引き起こさせるものもある。

こうした「ハラスメント」が子供の心をいかに傷つけトラウマとなって一生苦しめることにもなることを、私は十分すぎるほど理解している。私自身が、父親やその親族の大人から繰り返し繰り返し、脅され、怖がらされ、恫喝され、恐怖によって「言うことを聞く」すなわち「従順になる」ように「しつけ」られたからだ。

「鬼から電話」アプリも絵本「地獄」も、「親によるハラスメント」文化の象徴である。子供たちの将来が心配である。

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