2020年2月21日

女性職員によるお茶出し廃止に思うこと

やっと今頃こんな議論か…

ああ遅れてる!

埼玉県議会の常任委員会などで、女性職員らが委員の県議にお茶を出す慣例が廃止されることになったというニュースを読みました。

この慣例のために、埼玉県はお茶出しだけを担当する臨時職員の女性を7人雇っていたそうですが、経費削減などの理由からお茶出しの慣例を廃止するそうです。お茶や飲み物が必要な人は、各自で「マイボトル」やペットボトルを持ち込むことにするそうです。

おそらくねえ、埼玉県はまだ進んでいるんですよ。

お茶を出したりコーヒーを入れたり、湯呑みやカップを洗ったり、テーブルを拭いたり片付けたり、そういうのを女性職員あるいは女性議員がやらされている自治体が、日本全国まだまだいっぱいあるんだと思いますよ。

私が小学校の教員だった頃、職員室の朝の机拭きや休憩時間のお茶出しや湯呑み洗いが女性教員の仕事になっていました。当番制でやっていましたけど、当番グルームの男性教員はしないんですよ。

女性教員も男性教員と同じように忙しくて大変なのに、どうしてこんな男女差別がまかり通るんだと、私は職員会議で声を上げたことがありました。

「あなた達は教育に携わる仕事をしているのに、こういう不公平に対して何も思わないのか」と言われた男性教員たちの中には、確かにこれは良くないと反省し、机拭きやお茶出しをするようになった人もいましたけど、あの時、私はベテラン女性教務主任から一番強い反発を受けたのでした。

お茶出しは忙しい教員にとって大きな負担であるから、お茶やコーヒーが飲みたい人は自分で入れたら良いとも意見を述べたのですが、私の意見に賛意を示す人は殆どいなくて、同じような考えであっても事を荒立てたくないからと我慢する方を選ぶ人が多く、結局その慣例はずっと続きました。

あれは私が教員を辞める前の年ですから、昭和の最後の年ですよ。

ウン十年も前のことです。

あの小学校の校長にはセクハラを繰り返されて本当に耐え難かったですけど、教員を辞めると決めていたからとにかく耐えた一年でした。あの校長はパワハラもひどかったけど、2020年の今ならそうしたハラスメントを相談できるシステムができているんでしょうか。

日本の社会で、古い価値観や体質や悪い慣習が変化しないのは、国民の多くがおとなしくし過ぎているのも問題だと私は常々思っています。日本の社会のあらゆる場所に存在する「同調への圧力」に立ち向かわない人が多すぎる。

「社会」は「個人」が主導して作り上げていくものなのに、何か上から与えられたものであるかのような意識が強いんじゃあないんですか。

「個人」が「社会」に対して従順になっていては、社会が変わるはずがないのに。

政治についてもしかりなんですよ。選挙民が代表を選んで、法律を作ったり税金の使い道を決めたりして、「社会」のあり方をより自分達が望む方向に変えていくのが政治じゃないですか?

政治家なんて、選挙民の手先みたいなもののはずなのに。

ああ…何たる閉塞感!

考えるだけでも胸がつかえてくる。こんなだから私はとっとと日本から逃げてきたんです。


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