すっかりネガティブモードに陥ってやる気を無くしていた私ですが、根がとにかく真面目なものですから、翻訳の仕事を依頼してくれた会社に迷惑をかけるわけにはいかないと、昨日のお昼前から仕事に取り組みました。
いざ始めると、今度は何事にものめり込む性質なもので夕方まで座りっぱなし。お尻は痛くなったけど、集中出来たのは良かった。
仕事も締め切りに間に合うメドが立ちました。
しかし、
頭の中は悶々としていてですね、
毎日毎日同じ家事をして時々翻訳の仕事をして、成人しても家にいて親に頼って暮らしている子供達の面倒を見て(大学生の娘は仕方がないのに)、楽しいことなんて何も無い(と思っている)こんな暮らしを続けても、生きている価値なんてないなあ。
「もう死にたい」とは思わないものの、もし明日死ぬことになっても、私はきっと「死にたくない、生きていたい」とは思わないだろうなあ。
どうでもいいわ…
そう考えておりました。
さて、
なかなか寝付けないので、iPhoneで私と同じような悩みをもつ方々の投稿やそれに対するコメントなどを読んでおりましたところ、私はいくつかのコメントに頭をガツンと叩かれました。
1. 現在の自分のあり様は、全てこれまでに自分が選択し決定したことの結果である
2. 未来の自分のあり様も、自分が選択し決定することによって決まる
3. 誰かが何か楽しいことを与えてくれるのを待っていても楽しいことは起きない
これだよ、これこれ!
本当にそのとおり!
私ったら、何を待ちながら毎日を生きているの?いつか娘が不安症から回復して自立すること?いつか息子が就職して自立すること?
二人が自立したら、やっとその時に何かが起きるの?
何も起きないのよ。その時に自分で何かを起こさないと。そして、その時に起こせることなら、なぜ今起こそうとしないの?
後ね、今もし死んだら「あれがやりたかったなあ」と後悔すると思うことを考えてみろ、というコメントもありました。誰にでも「死ぬ前にやっておきたいこと」っていうのは、いくつかありますよ。私もいくつかあります。「Bucket List(死ぬ前にやっておきたいことリスト)」というやつですよ。
そして、そのコメントをした方はね、「死ぬ前にやっておきたいこと」が分かったら、まずはそれをやってみろというのです。やりたいことがあるのに出来ないと不満に思うんじゃあなくて、やりたいことをしろと。
誰かがやりたいことをやらせてくれるのを待っているんじゃなくて、やりたいことをするために必要な選択と決断を自分でしていきなさいと。
そうね、そのとおりですね。
私、早速「Bucket List」を書き出してみます。そして、その実現のために必要なことをやり始める所存でございます。
私の「死ぬ前にやっておきたいこと」は、どれもお金がかかりそうなので、翻訳の仕事もがんばります!
お帰りの前に1クリックを!
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