イースター連休一日目の今日は「グッドフライデー」。
全く歴史的な証拠はないのですけどね、イエス・キリストなる人物がゴルゴダの丘で十字架にかけられ亡くなったということになっている日です。
キリスト教徒にとっては最も重要なイベントですから、流石に夫が勤めるツールショップも今日は休業日でした。
ということで、今日は夫の母親とパートナーを食事に招待していたのですが、食事ではなくてモーニングティーにしてくれということになりまして、夫の伯母も一緒にモーニングティーを楽しむことになりました
それはいいのです。
最近日曜日が休みになった夫に、休みの日に家族や友人を食事に呼びたかったら呼んでも良いと言ったんだし、夫もイースターに母親を食事に招待しても良いかとちゃんと私に相談したし。
しかし、その夜に(つまり今夜)、夫が勤めるツールショップの若いスタッフの一人とそのガールフレンドを食事に招待したというのは、私は許せなかったの。
私に相談せずに知らない人を食事に呼ぶなよ!
ツールショップの若いスタッフとそのガールフレンド?
私には関係のない人達で、今後お付き合いをしそうな人達でもないんですよ。
なんでこうなったかと言いますと、この若いスタッフの車が故障して困っていたたので、夫が使用していた会社のトラックをこの人に使わせてあげていたのです。やっと修理が終わったので、そのトラックをわざわざ遠くから返しに来てくれるので、お礼に夕食に招待したということなんです。
夫はですねえ、仕事場で私のレシピサイトを常々見せびらかしているので、誰かを食事に呼ぶと、呼ばれた人達はどうしてもご馳走を期待してしまうはずなんですよ。
呼ぶなら呼ぶで、まずは私に呼んでもよいかと相談するのがマナーというもの。ところが、私をコックか食事係くらいに考えているらしいうちの夫は、これまでに幾度となく、私に相談なく人を食事に呼んできたのです。
誰かを食事に招待した場合、献立を決めて食材を準備するところから当日の掃除や後片付けまで、全てを私がしなくてはいけないんですからね、こういうことを度々されると私は腹が立つわけ!
ところが、招待されてやってくる皆さんは我々の事情は分からないんですから仕方がない。腹が立つのを我慢しながら、掃除をし、料理をし、おもてなしをし、お客様の期待に沿うように頑張るしかなくなるわけです。
しかしね、
我慢にも限度というものがあるの!
今晩は、私、本当に罪の意識を感じていますけど、無視しています。
いま、いらっしゃっているその若いスタッフとガールフレンドは、マナーどおりにワインとかデザート用のお菓子などを持参してやって来ましたけど、
私は晩ご飯を作りませんでした!
腹が立っているのを隠して、夫と一緒におもてなしをするなんていうのもしません!
こういうのがストレスの元なんですからね!
晩ご飯は、娘が何やら作ってくれましたが、娘も息子も、お客様と一緒に食事をしたり会話をしたりはしません。
現在、ダイニングでは夫と彼らの三人が食事中です。おしゃべりの声が聞こえてきますが(ほとんど夫がしゃべっている)私はこうして記事を書いているわけで。
お客様は、「何かおかしいぞ」と思っているでしょうね。私が和食のご馳走でおもてなしするのを期待してやって来たのならガッカリしているでしょうね。「どうなっているんだろう?」と困惑しているでしょうね。
しかし、
私は知らないよ!
私には関係のないことよ!
いつまでも我慢し続けるわけにはいかかないの!
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