2011年11月14日

Splendor in the Grass

昨日、ピンク・マルティーニのことを書いたのだが、彼らの曲の中で聴いていて涙が出た曲がある。「Splendor in the Grass」という曲だ。

昔「Splendor in the Grass」という映画があった。エリア・カザン監督の映画で「草原の輝き」という邦題がついていた。映画の内容とそぐわないタイトルだと思っていた。

「Splendor in the Grass」というのは、イギリスの詩人ワーズワースの詩からの引用なのだが、「草原の輝き」と訳してしまうとなんだか薄っぺらい。その意味はもっと象徴的で、草原の中に咲く花の輝くような美しさ(いつかは失われてしまうかもしれない素晴らしいもの)というもっと深い意味を私は感じる。

ワーズワースの詩はここで紹介しないけど、ピンク・マルティーニのこの曲は、私の心にストレートに響いた。「生きる」ということを考えさせる歌だ。

私のこの1、2年は、本当に苦しいことや大変なことばっかりで、ぎりぎりのところでなんとか生きて来た、と自分は感じていた。経済的な困窮は大変なストレスで、今も生活は苦しいし、毎日なんとか食べていくのがやっと…。どうしてこんなことになってしまったのか、我が身の不幸を嘆くしかない気分の日々が続いていた。

うつ病になったのも不幸。回復したとはいえ仕事に戻れないのも不幸。腰が悪くてやりたいことができないのも不幸。不満ばっかり…。

ピンク・マルティーニの「Splendor in the Grass」を聴きながら、自分のここ2年ほどのもろもろの不幸を考えていたら、曲が途中でチャイコフスキーの有名なピアノコンチェルトになった。同時に、ビデオの映像が空に上った風船からの映像になる。そして、輝く草原へ。

そこから後を聴きながら、涙が流れ出た私の心の中をうまく説明できません。聴きながら、自分自身の生き方についての問いが生まれたのです。自分にとって、価値のあるものとは何なのか。大切なものは何なのか。自分にとっての「Splendor」輝くような素晴らしいものとは何なのか。



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2 件のコメント:

  1. 返信
    1. カンちゃんさん、コメントありがとうございました。10年以上も前に書いた記事にコメントを頂いて、記事を読み返しながら当時のことを思い出しました。あの頃に比べると、今の私の暮らしはとても平穏で何不自由のない暮らしとも言えます。それでも不満に思うことはいろいろあるのですけど、この記事を書いた頃に欲しいと思っていた普通の暮らしが今は出来ているのだと気づきました。家族が健康で助け合って暮らせていることの幸せを感じています。

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