2021年8月27日

身体で覚えたことは忘れない

よく言われることですね。特に、スポーツや楽器の演奏についてよく聞きます。

繰り返し練習することで「長期記憶」として保管された運動の記憶は、失われにくいということですけど、特に子供の頃から繰り返し練習することで獲得された長期記憶は、ずっと保管され続けるそうです。

そういうのを私達は「身体で覚えた」と表現するわけですよ。

身体で覚えた技術、すなわち「運動の長期記憶」は、しばらく使うことがなかった場合でも、少し練習をして「運動の短期記憶」が獲得されると、比較的容易に復元されるのだとか。

かつてピアノが弾けていた人が、少し練習をしたら再び弾けるようになったとか、マニュアル車の運転ができていた私が、何年もオートマ車しか運転していなかったのに、やってみると運転できたとか。

おお身体が覚えていたわ!

ということになるのです。

マニュアル車の運転というのは、アレですよ皆さん、できる人には当たり前過ぎて気が付かないでしょうが、足と手を組み合わせた結構複雑な運動をやっているのです。それもいちいち頭で考えながらペダルを踏んだりレバーを動かしたりしているわけではないですからね。あれは「運動の長期記憶」の一例だと思います。

私は技能を要するスポーツもしませんし、かつて少しは弾けていたピアノを弾く機会もありませんけど、我ながら時々感動する「身体で覚えた技能」というのがあります。

それは、

漢字を書くことです!

オーストラリアに20ウン年も住んでいて、日常生活で日本語を手書きで書く機会というのは、非常に限られています。文章を書くのには、ほぼ100%コンピューターを使っていますから、手で書くのはカードくらいでしょう。

あと、買い物リストを書く時やノートにレシピを書く時に、私は英語と日本語が混じります。

そんな時、自分でも驚くほどに漢字が書けることがあります。考えなくても手が勝手に動いて書くんですよ。

「うわ!こんな漢字がちゃんと書けたわ!」と感激したりするのです。

小学校の1年生から、繰り返し繰り返し書き続けて、書かされ続けて、「運動の長期記憶」として保管されているわけですね。

脳みそってすごいです。


ところで、マニュアル車の運転の件ですが、どうやら私はうちの夫のトラックを乗りこなせるようにならないといけないみたいなんですよ。




このブログを定期的に読んで下さっている皆さんはご存知のように、うちの夫は遺伝性の黄斑変性症で目が見えなくなって来ておりまして、 先月運転免許証を返納しました。

ですから、もう車の運転は出来ないのです。夫のトラックは、もう乗る人がいないのですけど、処分する気がないらしくて。だってトラックですからね、普通乗用車では出来ないことがいろいろできるからということなんです。

例えば、普通車には入らないような大きな荷物を運ぶとか、夫が木を切りに行く時に道具を積み込んで運ぶとか、ゴミ処理場に廃棄物を持って行くとか。

でも夫はもうトラックの運転は出来ないんですから、誰かが夫に代わって運転しないといけないんです。そして、うちの家族でマニュアル車が運転できるのは、私だけなんです。

娘が私のカローラを連日通勤に使っていますからね、車がないと買い物にも行けないし、夫を勤め先のツールショップまで送っていくことも出来ません。

でも、私がトラックが運転できれば、必要な時には夫の送り迎えもできるし(トラックで)、買い物だっていつでも行けるし(トラックであのショッピングセンターの狭い駐車場に入って行く?)、木を切りに行くこともできるし(私が運転して木を切りに?)、

全ての問題が解決!

いや、でも、ちょっと待ってよ、私は踏み台がないとあのトラックの運転席にも上れないんですけど。

「トラックを運転する小さなアジア人のおばちゃん」というのは、うちの家族に大受けです。夫の期待も高まる一方でございますし、そろそろ運転練習を始めるしかない状況なのです。

はっきり言わせてもらえばね、マニュアル車の運転は身体が覚えているはずですから、一日くらい練習すればトラックの運転くらいできる自信はありますけど、問題は駐車とバック。

目まいも治ったことだし、そろそろ練習を…ということですが、いやあ私、この歳でこんな挑戦が待っていようとは夢にも思わなかったです。


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