2017年10月2日

拾った10ドル札

以前、「落とし物を拾ったらどうするか」という記事にも書きましたが、物が落ちているのを見つけた時どうするかというのは、本当に文化的な習慣や価値観が大きく影響します。

拾ったものを「ラッキー!」と自分のものにしてしまうことは、普通の日本人ならまずできませんよね。その記事には、
失くしたと思ったものが手元に戻ってくる確率が高い日本という国。 自分が生まれ育った国について、誇らしく思えることの一つです。
な〜んて書いたんですけど、書いた後で思い出したのが、日本のあるファミリーレストランに当時まだ幼かったうちの娘がバッグを置き忘れて来た時のこと。

「かならず見つかるわよ!」「お店の人が保管してくれているはずよ!」

と、お母さんは自信満々でした。すぐに電話をしたら、確かに保管してくださっていました。お店に行って娘のバッグを受け取って、中を確認したら現金2000円だけがなくなっていたの。

あれは残念だったな。

2000円が惜しかったのではなく、お金を抜き取った人がいたということがね。

それはともかく…

先日、早朝のウォーキングに出かけた娘が10ドル札を拾って帰りました。なぜ田舎道に10ドル札が一枚だけ落ちていたんだろうかと不思議なんですが、こういう時に、「ラッキー!」と自分のものにしてしまうことができない娘。

お母さんに、日本式正しい行いを教育されております為に、どうしても拾ったお金には罪悪感がつきまとい、なかなか自分のお財布に入れられないという。その気持ち、分かります。

キッチンのベンチに置かれたまま、誰も取ろうとしないその落とし物の10ドル札。
10ドル札を拾いました。落とした方はご連絡ください。
というポスターでも作るか…と、半分本気で話し合ったりした私達ですが。

連絡してきたその人が落としたという証拠もないだろうしね。仕方がない、お母さんが使わせてもらいますということで、その10ドルは八百屋で使いました。

「チャーリーとチョコレート工場」という映画で、主人公のチャーリーが拾ったお金でチョコレートを買い、ウィリー・ウォンカのチョコレート工場への金色のチケットを手に入れるんですが、「拾ったお金でチョコレートを買う」という行為に違和感を感じた私は、実は小学生の頃に、拾った50円で駄菓子屋のわらび餅を買って食べ、今でも思い出しては苦しい気分になるというトラウマ経験をしているのでございます。

50円を拾った場所、駄菓子屋へ自転車をこいだ時に見た周辺の風景、駄菓子屋の店の中の様子や買ったわらび餅まで、しっかり記憶に残っているんだから!

交番に届けるべきだった!

とね、盗みを犯したような罪の意識が、後々ずっと続いたのよ〜。

しかし、もしも子供に50円を届けられたら、交番のおまわりさんはどうするんでしょうねえ。

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