「依存症」という病気はですね、強迫的な行動で生活に支障が出てくるものなんですよ。セックス依存症であれば、性交渉だけでなく様々な性的活動による興奮や刺激に溺れていくことが習慣化して、自分をコントロールする力を失っていくのです。
様々な「依存症」と同じく、脳内に快感物質が放出されるため不安から一時的に逃れられるメカニズムにより依存してしまうのですよ。自分をコントロールできず強迫的に性的活動に依存してしまっていたようには見えないんですけど、この有名映画製作者は。
それはともかく…
「ミソジニー」という言葉を最近良く耳にしますが、ご存知ですか。
女性嫌悪とか女性蔑視とも訳される言葉です。女性を劣った人間とバカにしたり、優越的な考えを持ったり、実際にそのように行動したりすることは、何もハリウッドに限ったことではなく、世界中で見られることです。
性的暴力やセクシャルハラスメント、制度的差別はもちろんのこと、社会のあらゆる場面で見られます。日本は、これがひどい社会の一つではないでしょうか。
男女が平等ではなく、男性優越社会であることは否定できません。男性だけが批判されるべきではなく、日本の女性は劣った人間としての役割を受け入れてしまっていて、それを日本の伝統的慣習か何かのように考える人が多いのは本当に残念です。
私が大人になってから日本で暮らした数年間は、このミソジニーへの反発と、個性を認めない「出る釘は叩く」社会と、古い因習慣習に囚われた様々な形態の階層制度と、個人的には家庭内の抑圧に立ち向かう日々でした。
結局、一人で立ち向かっても解決は期待できないので、日本を出て日本人をやめることを決意したわけですがね。
私は、日本では小学校の教員をしていました。
子供達がより良い日本人になるようお手伝いをする「教育」を仕事にしていたわけですよ。それでは、その「教育」をする学校という社会は、ミソジニーとは無縁だったか?個性を認め「出る釘を育てる」社会だったか?古い因習慣習から開放された自由な社会だったか?
違う違う!
私が教員をやっていた頃の学校は、ミソジニーの社会、「出る釘は叩く」社会、古い因習慣習に囚われた階層制度の社会でしたよ!
性的暴力を受けたことはないけれど、セクハラは受けていました、校長から。あの男が今も存命な場合、問題になるので名前は上げられませんが。だって、私には証拠がないですからね。録音テープとかないんですから。
でも、しょっちゅう校長室に呼ばれ、二人きりになり、非常に私的なことを尋ねられましたよ。私に恋人がいないと分かってからは、「セックスがしたくないか?」などと言ってきたのですよ。校長室で、そのような会話をしていることが自分でも信じられませんでした。
その校長からはたびたび食事に誘われまして、私は断ることができませんでした。私はその年を最後に退職すると決めていたので、とにかく波風を立てずに無事に退職するために、その男との会話内容のほとんどは誰にも言いませんでしたが。(ちなみに、この男とは何もありませんでした。セクハラを受け続けただけです。)
この男は、セクハラだけでなくパワハラもひどかったです。教職員の多くが嫌っていましたが、ハリウッドの映画製作者ハーベイ・ワインスティンと同じで、地元の教育界の有力者であったために、私も含め皆が黙っていたのです。
その学校は中規模校で、教職員は女性男性が半々でした。教職員は、朝の職員室の机の雑巾拭き、湯茶の世話、洗い物、職員用のトイレや更衣室の掃除、戸締まりなどを当番制でやっていましたが、戸締まり以外の殆どを女性教職員がやっていることに私は納得がいきませんでした。
みんな忙しいのに、女性教職員だけが雑務をさせられていることに、若い女性教員からは不満を聞いていました。
ある時、これについて声を上げたのは私です。
なぜ男性職員は何もしないのか?
男性職員も、朝の雑巾拭きをするべきだし、お茶を入れたり湯呑みを洗ったり、更衣室の掃除などもやるべきだ。休憩時間のお茶は、欲しい人が自分で入れればよいではないか。
私の発言に対する最も厳しい批判は、年配の女性教務主任から出ました。
結局何も変わりませんでした。
でも、一部の男性教職員が、雑巾拭きやお茶の世話や湯呑み洗いをするようになりました。すると、年配女性職員が「まあまああ何々先生、すみませんねえ、私がやりますから」と仕事を代わったりするのです。
男性に自分の机を拭いてもらったりお茶を入れてもらうことに罪の意識を感じているようなのです。
ああ…
オーストラリアの小学校にも勤めましたが、そういう馬鹿げた男女不平等の習慣は一切ありませんでした。校長も職員の一人。コーヒーが欲しければ自分でコーヒーを作っていましたし、もしも管理職によるパワハラやセクハラがあれば大問題になったでしょう。そもそも、管理職を採用するのは学校ですからね。パワハラやセクハラがあれば、すぐに首が飛びます。
しかし、もちろんオーストラリアという国にも、様々な不平等の問題はあるのですよ。しかし、日本とは比較になりません。
男女の不平等に関しては、日本とオーストラリアの最も大きな違いは、女性が劣った人間としての役割を受け入れたりしないということ。差別があれば、蔑視的発言や扱いがあれば、不平等を感じたら、声を上げ、批判し、糾弾し、改革していく。
そして、女性が男性よりも劣っているという考えが間違っていることを証明していく。そのためには、必要な制度的な改革を行っていく。
まずは、声を上げることです。
ハリウッドは、必ずこの有名映画製作者のスキャンダルを機に変わっていくはずです。変えようとしているんだから変わります。
あなたがいる社会も、変えようとすれば変わります。変えていきましょう。
お帰りの前に1クリックを!
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