2022年3月3日

平和で自由なメルボルン

ドバイ旅行中ずっと続いた睡眠不足で何をする元気も無いのに、帰国早々うちの夫の同僚のTさんが例の件で話をしに来るとかで晩ご飯を作らなければならず、そのために食品の買い出しに出なければなりませんでした。

翌日には、義弟にタダでもらったレクサスの所有者変更の手続きに、VicRoads というヴィクトリア州の運輸交通局みたいなところに行かなければならないと言われまして。

アレなんですよ、うちの夫は視力のせいで車の運転ができませんし、息子はまだ痔の手術からの回復中で座るということが出来ませんから運転など出来ないのでして、つまり車の運転ができるのが私だけなのでね、睡眠不足がどうの頭がフラフラするがどうのと言っていられないのですよ。

ですから、私は運転して VicRoads まで行きました。建物に入るまで入口の外の列で30分、中に入ってからも30分待たされましたよ。VicRoads の業務も新型コロナのために遅延していましたから、まだしばらくはこういう状況が続くでしょう。

オンラインで出来ることはできるだけオンラインでやって下さいということですが、自動車の所有者変更の手続きは窓口まで行く必要があります。

それはともかく、

メルボルンに戻って来て、スーパーへ行ったり VicRoads のような役所に行ったりしながら、ドバイとの違いを感じたのです。

ドバイという国では、職業によってそれに従事する人種・民族が偏っている印象でした。スーパーで働いている人に白人は一人もいませんでした。

役所のような場所としては、PCR検査受けに行ったクリニックと空港くらいですが、そういう場所はエミラティ(ドバイ人)がほとんどでした。

ブルーカラーの労働(肉体労働や単純労働)に従事するのは、インド系、アフリカ系、東南アジア系です。白人は一人も見ませんでした。

ドバイという街は、裕福な人々と裕福ではない人々という社会の階層が一目瞭然で、その経済格差が人種や民族と結びついているために、人種の格差、民族の格差としてあからさまなのです。

そのような社会を私は大変居心地が悪く感じました。

メルボルンに戻って食品の買い出しに行った時、ショッピングセンターの駐車場でカートを集めていたのは、白人もいたしインド人もいたし東南アジア系もいました。

スーパーのスタッフも、様々な人種がいました。ヒジャブを付けたイスラムの女性もいました。

VicRoads でも、あらゆる人種のスタッフが働いていました。

こういうことはごく当たり前のことなので、以前は特に意識していませんでしたけど、ドバイから帰ってきたら違って見えました。

経済格差はもちろんメルボルンにもありますけど、ほとんどの職業は人種や民族あるいは男女の差別なく門戸は開かれています。教育も貧富の差なく提供されていますから、貧困家庭の子供でも高等教育を受ける機会があり、医師や弁護士やエンジニアといった特別な知識や技術が必要とされる職業につくことも可能です。

ドバイから帰って来て、メルボルンは「平等な社会」だなあと、私は感じたのです。

課題はまだありますけど、不公平や差別は無くなって来ていますし、人種や民族、出身地域、性別、宗教、そうした違いが格差の要因になっていないません。

こういう社会が、私には住みやすいです。


そして、メルボルンは「平和な社会」でもあります。

多文化多民族の街ですから、ありとあらゆる人種や民族が住んでいますけど、人種民族間の争いとは無縁です。ゼロとは言いませんよ、でもほとんどそういう問題は起きません。

人々は「自由」なんです。だから他人の「自由」も尊重するのです。自分とは違う見た目で違う服装で違う宗教を信じていても、そうした違いをどうこう言ったりしないんです。

オーストラリアは、民主主義の国です。議員を選ぶ選挙が「権利」ではなくて「義務」の国ですよ。政権が国民の意志で簡単に変わる国です。政治家はしっかりと良い仕事をしないと次の選挙で落選します。不正を行えば直ちに職を失います。

「平等」で「平和」で「自由」な社会、このような社会に住んでいることの意味を深く考えることは普段はありませんが、ドバイから帰って来てから、そして現在ウクライナの人々が命がけで自分達の「自由」を守ろうとしている報道を聞きながら、メルボルンのような社会に暮らせていることを感謝せざるを得ません。

ウクライナの人々のことは、毎日ずっと頭から離れません。

この21世紀の時代にこんな蛮行を行うなど考えられないことですが、それを命令した狂人がいて、それを止められる人がいないという政治体制があって、命令されたことを実行している人々がいて、この狂人の思うがままの報道を行っている人々がいて、多くの国民が狂人を信じて支持している。

独裁国家というのは、想像を絶します。

ウクライナの人々をもっと助けてあげることは出来ないんでしょうか。第3次世界大戦になることを避けるためと言いますが、国際社会はこのままウクライナを見殺しにするのでしょうか。

何も出来ない自分に無力感を感じますが、ウクライナの人々が「自由」を守りきれることを心の底から祈っています。


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2022年3月2日

ドバイ旅行(7)いよいよ帰国

7日目、いよいよ帰国する日ですが、この日も私は4〜5時間しか眠れなくて寝不足でした。

しかし、ドバイで過ごす最後の日ですし、1日目に私がダウンしていた時に夫が義妹と朝食を食べに行ったビーチサイドのレストランが素敵だったので、帰る前に私を連れて行ってやりたいと嬉しいことを言ってくれまして、朝ご飯をそのレストランで食べることにしました。

最終日のメインイベントはそれです。

出かける前に気になることを全部終えておこうということで、まず帰りの便のチェックインをしました。

チェックインがオンラインでできるのは便利ですね。搭乗券も印刷しました。

PCR検査の陰性証明書も印刷しました。ワクチンの接種証明書もついでに印刷しました。

そして、もう一つしておかなくてはいけなかったのが「Australia Digital Passenger Declaration」という申告です。オーストラリアに入国する者は全員これをしなければなりません。パスポート情報、過去2週間の渡航歴、利用航空便などを記入しなくてはいけませんが、最も重要なのはワクチンの接種証明書とPCR検査の陰性証明書の提出です。

全てデジタルでオンラインで行わなくてはいけませんから、証明書はPDFファイルをアップロードします。

旅行先でインターネットに接続して、この申告が出来ない人は、旅行は難しいですよ。結構時間がかかりましたので、早めにやっておいた方がいいです。

夫の分の申告だけで時間がかかり、朝ご飯の時間が過ぎてしまってお腹が空いたので、私の分の申告は後でやることにして、夫がぜひ私を連れて行ってあげたいと言ったレストランに朝ご飯を食べに行くことにしました。

このレストランでは、印刷したメニューが無くて、テーブルでQRコードをスキャンしてオンラインでメニューを見るようになっています。

私達のiPhoneは、WiFiが使えないとインターネットに繋がりませんので、出かける前にメニューを見て何を注文するかを決めてメモしてから出かけました。

ところが、

夫は行く道を覚えていなかったのだった!

すでに気温が上がって蒸し暑い中、マスクをしてあっちに行ったりこっちに行ったり、寝不足の私にはレストランを探して歩き回るのは大変つらかったです。

結局行く道は分からず、仕方がないのでショッピングセンター内のカフェで食べましたよ。大汗をかいて、膝は痛くなって、寝不足だからフラフラで、おまけにガッカリです。

ビーチサイドのレストランで朝ご飯を食べるのがこの日のメインイベントだったのに、大変残念でした。

マンションに戻ったら、義妹が「ついにロシアがウクライナに攻撃を始めた」と教えてくれました。

独立した国に軍隊を送って攻撃するなど、まさか本当にするとは思えなかったけど、プーチンという悪人には「まさかそんなことはしないだろう」は通用しないですね。

さて、

空港へは夜中の12時までに着けば良かったので、まだ観光をする時間はあったのですが、この日は義妹は仕事があって出かけましたので、公共の交通機関が利用できない私達はどこにも行けませんし、特にやりたいことも見たいものもなかったので、アパートで最後の半日を過ごすことにしました。

私はウクライナのことが気になって、ずっとニュースをチェックしていました。

ところが、

これで終わりではなかったんです。

空港に行く前に、ドバイモールのイタリア料理レストランでのディナーを義妹は予約してくれていたのですよ。このレストランから、有名なドバイモールの噴水ショーを見ることが出来たのです。


このディナーには、義妹の友人のメキシコ人とセルビア人のご夫婦も一緒でした。彼等は30分以上も遅刻して来ました。いつも遅刻するそうです。メキシコのカルチャーなんでしょうかね。

メキシコ人のMさんは2回もギャングに誘拐されそうになったことがあるそうなのですが、ギャングに襲われた時の恐ろしい話などを聞いているうちにあっという間に11時を過ぎました。

世界一高い超高層ビル「ブルジュハリファ」も夜に見るとまた違った趣きでした。


この後、義妹に空港まで送ってもらい帰国したのでございました。


チェックインはオンラインで済ませていましたが、空港で荷物を預けなくてはいけませんでした。驚いたんですけど、荷物を預けるのはセルフサービスでしたよ。機械の指示に従って全部自分でやるんです。

出国審査もやはり機械です。駅の改札口のような機械にパスポートを差し込み、機械が顔認証を行います。

ところが、

この顔認証がですね、私はなかなか出来なかったんですよ。7日間の寝不足でやつれた顔とパスポートの顔があまりに違い過ぎたんじゃあないかと思いましたけど。

時間がかかりましたが、出国ゲートは通ることが出来ました。

ドバイ空港は広いです。搭乗口にたどり着くまでに繰り返しチェックが有りました。違法薬物の検査もありました。

メルボルン到着後の入国審査も機械でした。

手続きのスピードアップのために「eパスポート」という便利なものがあります。これを行ってチケットを手に入れておくと、入国ゲートも簡単に通過できます。「eパスポート」も機械で行います。

様々な手続きが機械化されていますから慣れていないと戸惑うことが多いと思います。1回経験すれば次からは簡単ですけど。

ということで無事に帰国したわけですが、私の睡眠問題はまだ続いています。

今回の旅行で得た最大の教訓は、

海外旅行には睡眠薬を持って行け!

でございました。


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ドバイ旅行(6)

6日目の朝、砂漠リゾートホテルのベッドは大変快適だったにもかかわらず、やはり3時半には目が覚めてしまいました。寝不足で疲労感がさらにたまりました。

毎晩眠ることは出来たのですけどね、夜中に何度も目が覚めて、毎朝3時か4時頃には目が覚めてしまうのですよ。旅行中はずっとそんな状態だったのです。昼間には眠ることが出来ませんでしたから、寝不足で顔が変形していくのが分かりました。

さて、

リゾートの朝ご飯は、素晴らしかったです。

朝ご飯はビュッフェ形式でしたが、選べる食べ物の種類がすごかったんですよ。朝ご飯に食べそうな食べ物で思い付くものは全てあったという感じです。

私が食べたのは、コーヒー、パンとバター、子牛肉のベーコン(イスラム教では豚肉は禁忌なので豚肉のベーコンは不可)、目玉焼き1個、ハッシュブラウン、グリルしたハルミというチーズ、チアシードのプディング、果物、カスタードと干し葡萄のダニッシュペストリー。

どれも小さなサイズですからいろいろ食べてみることが出来たのですよ。

義妹が10時半に迎えに来てくれて、リゾートを後にしました。

帰りに、うちの夫が見たかったホームセンターを見に寄った後、PCR検査をしてもらいにクリニックに行きました。

そうです、この日の最も重要なイベントは、

PCR検査を受けに行くこと!

PCR検査で陰性を証明しないと飛行機に乗れませんからね。

しょっちゅう旅行をしている義妹がいつもPCR検査を受けているというクリニックに連れて行ってくれました。

クリニックの待合室が男女別々になっていましたが最初はそれに気づかず、夫も一緒に女性用に座っていたり、私も一緒に男性用に座っていたりしました。

注意はされなかったのですけど、宗教上こういうことを気にする方もおられるのですから気をつけなくてはいけません。

PCR検査の結果は夕方には届きました。2人とも陰性でした。帰国後にRAT検査(簡易抗体検査)をしなくてはいけませんから、マンション近くの薬局で検査キットを買いました。

PCR検査もRAT検査キットも、ドバイではオーストラリアよりも安かったです。

帰国便のチェックインは木曜日の夜中の12時からです。日付が変わって金曜日の午前3時にドバイを出発しメルボルンには夜の11時半頃に到着の予定です。時差の関係で、まる1日かかる計算です。

真夜中に車を運転して家まで帰らなくてはいけない私は、何としてでも少し眠らないと、とてもじゃあないけど運転ができる状態ではありませんでした。

1週間続いた寝不足で頭がすっかりおかしくなってしまっていました。


ところで、ドバイで見かけた面白いものナンバーワンがこれです。


ただの大きなトラックじゃあないんですよ。

これは移動式のガソリンスタンドなのです。このトラックは、最近ずっとこの場所で営業していると聞きましたが、この地区にはガソリンスタンドがなかったため住民に有難がられていましたよ。

移動式ガソリンスタンド車は、ガソリンスタンドを建設するよりも遥かに安上がりですしね、災害時などにも便利だろうと思います。

ドバイのガソリンスタンドは、オーストラリアのようにセルフサービスではないので、このトラックの横に車を停めるだけで後はスタッフがやってくれます。すごく便利でした。

ついでにもう一つ、思わず目を見張ったのがこれ。


エアコンの冷風を送るダクトです。

とにかく巨大なんですよ。

上の写真ではダクトが一つだけですが、複数のダクトが並んでいる場所もあって、その大きさと規模には驚かされました。

冬でも冷房が必要になるドバイですからね、連日気温が40度を超える夏は、あらゆる建物に冷房は欠かせないわけですよ。

広いショッピングセンターや大きなマンションに冷風を送り込むには、巨大なエアコンがたくさん稼働しているんでしょうし、ダクトもこんなに大きいのが必要なわけですね。


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2022年3月1日

ドバイ旅行(5)

ドバイでしたいことは、歴史地区を見学すること、世界一高い高層ビル「ブルジュハリファ」に上ること、砂漠を見ること、そしてエミラティ料理(伝統的な料理)を食べること。

私がそう言ったせいで、義妹が大奮発して手配してくれていたのが、砂漠にある豪華リゾート「Bab Al Shams Desert Resort」での一日滞在とエミラティ料理が食べられるレストランでの夕食でした。

5日目は、そのリゾートに行きました。

ドバイから車で1時間くらいのところにあります。義妹が連れて行ってくれました。そこに泊まったのは私達夫婦だけで、義妹は翌日迎えに来てくれました。

本当にもうね、義妹には何から何までお世話になりっぱなしなのでございます。


砂漠に建つその豪華リゾートは、宿泊客は私が見た限りでは99パーセントが白人で、アジア人は1組のカップルと私だけでした。従業員はインド人あるいはパキスタン人とフィリピン人です。


多くの木や花に囲まれたリゾートには広いプールエリアがあって、宿泊客はここで泳いだり日焼け止めも塗らずに肌を焼いていました。

私も夫も水着を持って来ていませんでしたし、プールに入る気もないので、プールサイドでランチを食べました。



せっかく義妹が手配してくれた豪華リゾート滞在でしたけど、身の丈に合わないと言いますかね、こんなところでどうやって楽しめばいいのか私達には分からないのでした。

プールで泳ぐわけでもないし、スパでマッサージをしてもらうなど興味も無いですし、砂漠でラクダに乗ったりバギーを運転するなどするわけないですし。

2時過ぎに部屋に入れたので、うちの夫は早速昼寝を始めました。

部屋はアラブ風の素敵な部屋でした。必要なものが全て揃っていてベッドは大変快適で素晴らしかったです。枕が特に素晴らしくてね。あんなに大きくて快適な枕は初めてでしたよ。


部屋の窓からは、私が見たかった砂漠が見えました。ドバイの砂漠は、色は違いますけどオーストラリアの砂漠に似ています。植物が生えているのです。



夫がグウグウと昼寝を始めたので、私も昼寝を試みました。前の夜もあまり眠れず朝の3時から起きていたので、少しでも眠りたかったのですけど、やっとウトウトしかけると夫のイビキで目が覚めるのでした。

そうそう、夫はですね、この豪華リゾートにも、

ツールショップのユニフォームを着て行ったんですよ!

絶対に宿泊客には見えないんです。何かの修理にやって来た作業員ですよ、ホントにもう。

ユニフォームのポロシャツは1枚しか持って来ていなかったので、前の夜にわざわざ洗濯して干したのです。旅行に来て毎日洗濯をするなんてどうかしてるでしょ。

それにしても、このリゾートは、プールはもちろんのこと木や花に相当な量の水をやらなければいけませんが、全部海水を淡水化した水を使っているわけです。淡水化施設から距離が離れていますから、おそらくこのリゾート用の大きな貯水タンクがどこかにあるのだと思いました。

ここに来る途中で海水淡水化施設を見ましたが、海岸沿いの工業地帯にある巨大で広大な工場でした。毎日どれほどの塩を廃棄しているのでしょうかね。

巨大な都市の暮らしを支える水を海水から作るしか無いというところに、ドバイの脆弱さを感じます。

さて、

夕食は、リゾートから少し歩いた所にある「Al Hadheerah」というエミレーツ料理のレストランに行きました。これも義妹が予約してくれていました。


何百人も入れそうな広い屋外レストランで生音楽のステージもありました。私達はステージから離れた席にしてもらいました。


アルコール飲料以外は食べ放題飲み放題でしたが、私達はプールサイドで遅いランチを食べていたのもあって、せっかくのご馳走も余り食べることができませんでした。

それでも私は頑張って食べましたけど。だって、伝統的な料理を食べることはドバイでしたかったことの一つですからね。


見たことのない料理を選んで食べました。

下の写真は伝統的な料理の一つですが、大きな鍋で炊き上げたライスに崩れるほど柔らかく煮込んだラム肉が乗っています。


この巨大な鍋をどうやって料理しているのかと思ったら、なんと地下にオーブンのようなものがあったのですよ。


人間の力では上げ下ろしが不可能ですし熱いですから、ウインチを使って鍋を下ろしたり取り出したりしていました。ここでは鶏の丸焼き(炭焼き)も作っていましたから暑かったですし、力仕事ですからね、料理人も大変です。

気温が高い季節にはどうやっているんでしょうか。


食べた料理ですが、メルボルンは移民の街なので、様々な国の料理を食べることが出来ます。中東の料理やスイーツも私は食べたことがありました。

この日このレストランで食べた料理には、それほど珍しさは感じませんでしたが、料理の味よりも見た目や雰囲気がとても良い経験だったと思います。

大変人気があるレストランだそうですけど、一つ困ったことがありました。

蚊が出るのですよ!

私はもともと蚊に好まれる体質で刺されやすいのですけど、肌が露出している足や首の辺りをボコボコに刺されて痒くてたまりませんでした。

砂漠の中なのにどこで繁殖しているんだか。

レストランが開くのを待っていた時に、特にたくさん刺されました。うじゃうじゃ飛んでいましたよ。

ここにいらっしゃる方は蚊除けのスプレーなどしておいた方が良いかもしれません。


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ドバイ旅行(4)

4日目は、私と夫にとって旅行のハイライトとなる日でした。私が行きたかった古い町並みが保存されている歴史地区と、夫が行きたかった世界一高い超高層ビル「ブルジュハリファ」に行くことになっていたのです。

うちの夫は、この有名な「ブルジュハリファ」に、勤めているツールショップのユニフォームを着て行って写真を撮りたかったのですよ。そのためにわざわざユニフォームを持って来ていたのです。何か目的があったに違いないのですけど、理解に苦しみます。

午前中は歴史地区を見て回ることにしていました。朝早めに行きました。もちろん、夫は朝からツールショップのユニフォーム姿です。


歴史地区には古い民家が保存されていて、ドバイの人々がどんな暮らしをしていたかが分かりました。アラブの家の作り、ドアや窓の装飾、貝殻だらけの粘土で作られた塀、家具、伝統的な衣類など、いろいろなことが勉強になり面白かったんですけど、水の乏しい砂漠の町での暮らしは、女性達の労働に支えられていたのは歴然です。食事の準備から片づけから洗濯、掃除、子供の世話、それに加えて保存食づくりに衣類作りに絨毯作りにと、本当に大変です。


歴史地区に着いた頃は涼しかったのですけど、直ぐに歩き回るには暑すぎるほど気温が上がり、マスクの下に大汗をかき始めました。

ドバイでは屋内屋外を問わず、常にマスクの着用が必要です。

最初のうちは他の観光客も少なくて、ゆっくり見て回れたし説明も聞けたんですけど、そのうち観光バスでヨーロッパ人観光客の団体がやって来ましてね、どこへ行っても人でいっぱいという状況になりました。


観光客の団体の中には、見学よりも写真を撮ることに夢中の人達が大勢いて、狭い建物の中では非常に迷惑でした。

スペイン語を話す人達が多かったのですけど、中国人観光客にも負けない大声で話す人達も多くて、全くうんざりしました。



人混みが苦手な私は、歴史地区を出てボートで対岸に渡り、スークと呼ばれる市場に行くことにしました。


最初に行ったのは、スパイスやお土産物屋が軒を並べるスークでした。店をやっているのはほぼ全員パキスタン人の男達です。彼等の呼び込みがあまりにしつこいので、私はスークでもうんざりして来ました。


「ニーハオ、ニーハオ」と私を店に呼び込もうとするんです。

暑くて顔に大汗をかいているし、パキスタン人達の呼び込みはどんどんうっとうしくなって来て、私は帰りたくなりました。

せめて一つ記念になるものを買ってから帰ろうと思い、民族柄の小さな器を買おうとしたんですが、レジの所で値段を聞くと、その小さな器は300ディルハム(ドバイの通貨)だと言われました。

300ディルハムが豪ドルでいくらくらいなのか分かりませんでしたし、私は現金を持っていませんでしたからクレジットカードで払うしかなかったわけですが、義妹に現金を借りようと思い、店の外で待っていた義妹を呼びました。

「この器が300ディルハムだって言うんだけど…」と私が言いますと、

義妹の怒り大爆発!

義妹はパキスタン人に何やら叫んで、私達は直ぐにその店を出ました。300ディルハムは100豪ドルくらいだそうです。それって日本円では1万円ですよ。

ダイソーで100円で売っていそうな小さな器に1万円も取られるところだったのです。

スークというところでは、このようなボッタクリが横行しています。英語が不自由なアジア人観光客はいいカモなんです。皆さん気をつけてください。

ちなみに、後日、私はこの時買おうとした器と全く同じ器を、義妹のマンション近くのショッピングセンター内のお土産屋で見つけました。30ディルハムで売られていました。

さて、

その後、ゴールドスークという宝飾品の店が並んだスークに行きました。義弟のスペイン人の奥さんに頼まれていた香水を探し歩きましたけど、どこに行っても見つかりませんでした。


歩き回ってマスクの下に大汗をかき、足は痛くなって来て、おまけに寝不足のせいか熱中症か頭がフラフラして来ましたので、それ以上スークを見て回るのは止めました。

再びボートで歴史地区に戻りましたが、大型観光バスがさらに増えていて、歴史地区は団体観光客であふれていました。

私はそういう観光客の群れの中で歴史地区を見て回る気にはなりませんでした。疲れていたし、暑かったし。もう十分に見たということにして、次の目的地「ドバイモール」へ行くことにしたのでございます。

さて、

世界最大のショッピングモール「ドバイモール」に行った目的は買い物ではなく、世界一高い超高層ビル「ブルジュハリファ」に上るためでした。


尖塔までの高さが828メートルもあります。周囲の高層ビルが小さく見えますよ。

ちなみに、東京には「東京スカイツリー」という塔がありますが、それは634メートルだそうですから、「ブルジュハリファ」は「東京スカイツリー」よりも200メートル近くも高いのです。
「東京タワー」の高さは333メートルだそうですね。ということは、東京タワーを縦に2つ重ねたのよりも162メートルも高いのです。

そして、「ブルジュハリファ」は塔ではありません。オフィスや住居が入っている高層ビルです。

午前中は歴史地区で過ごす予定だったのに早く切り上げたので、「ブルジュハリファ」に上る予約がしてあった2時まで時間があり過ぎました。

足が痛かったし、顔が暑くてマスクを付けて歩き回るのは苦しかったのですが、せっかく来たのですからドバイモールを少し見て回ることにしました。

ところが、

これがね、買いたいものも無いし見たい店も無いのに歩き回るのは疲れるだけで、楽しくも何ともないのですよ。

義妹が紀伊國屋書店にどうしても連れて行きたいと言うので行きました。大きな店で以前の私ならいくらでも時間をつぶせたでしょうが、最近は視力が落ちて本を読むのが難しいのでね、文字を拡大できない印刷された本にはもう興味がないのです。

このことは何度も義妹に言ったんですけど。うちの夫も本を読むのは困難ですから、紀伊國屋書店は楽しめなかったのでした。

レストランで少し休んでから「ブルジュハリファ」に行きました。義妹が、148階の特別な展望ラウンジまで行けるチケットを手配してくれていたのです。

軽食のサービス付きのこの展望ラウンジは、特別料金がかかるので大混雑していませんでしたし待ち時間もなかったので助かりました。しかし、エレベーターの中は超密室状態でしたよ。あんな狭い場所にギュウギュウ詰めになると、一人でも新型コロナのウイルスを持っている人がいたらアウトだなと思いました。

「ブルジュハリファ」は163階建てです。160階から上は機械室なので人が入れるのは159階までだそうです。

148階からの眺めは素晴らしかったです。


ドバイの街が遠くまで見渡せました。よくもまあ20年か30年かそこらでこんなにたくさん作ったものだと驚くべき数の建築物があります。

数十年前は漁村に過ぎなかったドバイは、今や大都市です。

この大都市に住んでいる人達全員が海水を淡水化した水に頼っているのですから、淡水化施設が攻撃されたりして水が作れなくなったら、この街はおしまいだなと思いました。

そして、食べ物ですよ。食べ物をほぼ全て外国からの輸入に頼っているのですからね、流通システムに問題が起きるとこれまたおしまいですよ。

SF映画のような街ですが、全ての経済活動の中で「水の供給」が最も重要だなと考えさせられた「ブルジュハリファ」でした。

それから、この国は大量の二酸化炭素を出していますし、大量のゴミを出しています。食品の廃棄も大量です。ゴミのリサイクルなどしていませんから、ガラス瓶もプラスチックも何もかも一緒に捨てています。

プラスチックゴミの削減とか排出二酸化炭素の削減とか、昨今の世界的な動きとは全く無関係な状況です。いつまでもこんなことは続けられないだろうと思いますね。


ところで、うちの夫は予定通りユニフォーム姿で「ブルジュハリファ」の148階で写真を撮りましたよ。カメラを向けると腹を引っ込める夫です。


この旅行中、2人で撮ってもらった写真がたくさんあるんですけど、ほとんどの写真で夫はこの赤いユニフォームのポロシャツを着ています。

ポロシャツから安全靴まで、全部いつも仕事で着ているやつです。

こんな服装で観光していても、ドバイで嫌な対応をされなかったのは、夫が白人だからですよ。私なんて、ちゃんとそれなりの服装で歩いていたのに、インド系の警備員に不公平な対応をされたんです。

スーパーへ買い物に出て義妹のマンションの敷地内まで戻った時です。あまりに暑くて、戸外だったし、その時マスクをずらしていたんです。そうしたら「おい、ちゃんとマスクをしろ!」と言われまして。

マスクをずらすどころかマスクなど付けていない白人はいっぱいいたんですけど、白人達にはそんな事は言わないんですよ。

後ろからやって来たうちの夫が「掃除婦か何かだと思われたんじゃあないの?」と言いました。

義妹のフィリピン人の友人は、子供を連れてクリニックに行った時、白人の子供を連れた子守りのお手伝いさんだと思われた扱いを受けたそうですが、ドバイというのはそういう所です。


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