2025年2月7日

どうにもならないと分かっていても

私の父親のお葬式翌日、悲しくて気持ちが沈んでいた私をほったらかして、友人Cさんとブルー・ロータス・ウォーター・ガーデン(Blue Lotus Water Garden)という睡蓮のガーデンパークに遊びに行ったうちの夫は、その日は母親の家に泊まって楽しく過ごしたらしくて、昨日の午後に明るく帰宅しました。

「どうでしたか、楽しかったですか?」と皮肉を込めて聞いたら、そのガーデンパークがどんなに素晴らしかったか、Cさんのお母さんがどんなに楽しい時間を過ごしたか、夫自身もどんなに楽しんだかをイキイキと語るんですよ。

Cさんのパートナーの方も来られたそうです。要するに、睡蓮のガーデンパークへのお出かけは、認知症が進むお母さんに楽しいひと時を過ごしてもらうおうと息子カップルが計画した家族のイベントだったわけで、それにうちの夫もついて行ったということなんです。

うちの夫は、よくこういうことをします。「迷惑という概念がないのか?」と思えるような場合もたくさんありました。ものごとを自分中心で考えて決めるし、相手から「来てくれていい」と言われれば言葉通りに受け取って、その言葉の背後にあるかもしれない思いとかに配慮できないみたいですからね。

睡蓮のガーデンパークの話の後は、義母のことや義弟のことなど実家で聞いてきた話で一人盛り上がっていました。

父親のお葬式があって気持ちが沈んでいた私のことには思いが行かない様子でしたが、しばらくして気がついて、気分はどうかと聞いてくれました。

「お葬式の後、私はつらくて一人で家にいたくなかったですからね、娘が帰って来てくれたおかげで気持ちは落ち着きましたよ」と大いに皮肉を込めて言ったら、「それは良かった」と言いました。

やっぱり話にならん…

腹は立っていなかったんですけど、夫がしゃべりまくるのを聞いていたらだんだん腹が立って来て、私は一言言ってやりたくなりました。そこで、「ちょっと聞きたいんだけど、誰かの親の葬式が終わった翌日に遊びに行こうと誘うのはオーストラリアでは普通のことなのか?」と言ったんです。

夫はすぐに不機嫌になって、自分は私をどこかに連れて行ってあげたいと思っただけだと大声を上げかけたので、娘に制止されて私達は話すのをやめました。

やっぱり、もともとは悪意からではなかったわけですよ。夫は、私の気晴らしのために遊びに連れて行くことが良いことだと思ったのです。泣いている私をほったらかしたのも、悲しんでいたからそっとしておいてくれたということなんです。

何と言っていいのやら…


家で私と一緒にいてくれて、近くのカフェにでも連れて行ってくれて、私の気持ちを聞いてくれていたら嬉しかったですけどね。

遊びに連れて行くと言っても、夫の親しい友人の家族のお出かけについて行くんですし、その人達は私にとっては他人も同然なんですよ。私が行かないと伝えた時も、なぜ行かないのか理由を説明したので知っていたんですから、そういう時には自分だけ行くんじゃあなくてね、自分も行かないことにして私と一緒にいてあげようと思うのが普通なんですけど。

ああもうどうでもいいわ!

あの人は思考回路が普通じゃないんだし、私が感じていた複雑な感情など想像も出来なかったでしょうし。

思い出したらきりが無いほど、私はこういうのを経験して来ましたよ。私が何か言うとすぐ怒るけど、親しい友人に判断の誤りを指摘されて行動を変えたことはありました。

どうにもならないと分かっていても腹は立ちますが、どうにもならないんですからあきらめるしかありません。

そしてね、いちいち言葉にして伝えないと伝わらないというのも分かっていますが、それは疲れるんです。だから「いちいち言わなくても分かれよ!」と思うけど、分からない人にそういう期待をしても意味がないです。

それでも「いちいち言わなくても分かれよ!」と思ってしまいますけど。

ああ疲れる…


お帰りの前に1クリックを!



0 件のコメント:

コメントを投稿